33話
「えっと……お客様、本当にそれらをお買い上げで……?」
「そうだが……何か問題があるのか?」
あの日から数日、再び人間の姿へと擬態した勝家はある物を購入しようとしていた。場所は街中のとある店、ズラッと並ぶマネキンたちが着ているのはスカートや可愛らしい模様といった――とどのつまり、婦人服の店であった。
そこにいる店員や客は当然全員が女性であり、唯一浮いてる存在である勝家を奇異の目で見ている。無理もない、和服を着た厳つい初老の男が大量の婦人服を買っていれば誰だって目に付く。
まぁそんなことを鎧蟲である勝家が知るわけもなく、自分に向けられる視線を警戒しつつも淡々と会計を済ましていく。出すのは全てクシャクシャになった万札、おつりとして大量の小銭が勝家に戻ってきた。
(毛無猿の通貨制度では……硬貨より紙の方が価値があるのか。よく分らんが……大分「円」という金銭感覚にも慣れてきた)
この数日間、勝家は決して正体をバラすことなく人間の世界で買い物を続けていた。それはコンビニの菓子から雑誌、衣服へ発展していきいつの間にか大荷物となっている。ちなみに荷物を置くために数回自分の住処を往復していた。
そうして婦人服店を出る勝家、近くにいた通行人もそれを見てギョッとしそそくさと離れていく。勝家からすれば何故こうも見られるのか不思議でたまらなかった。
(擬態は解けていないはずだ……何か失敗したか?)
勝家は外に置いてあったガラスのショーケースを鏡にし自分の姿を再確認する。しかしその姿に傷も違和感も無くただ普通の歳を取った男が映ってるだけだ。
まぁ自分の正体はバレていないから大丈夫だと安心し、そのまま人気のない路地裏へと移動する。そこで蜘蛛の巣を作りその中に荷物を入れ、手軽な状態になった。
(これが毛無猿の現状か……大分進化しているようだな)
そして道の真ん中に立ち尽くし、目の前に広がるビルの森を見上げて眺める。自分の予想以上に人間の文化が発展していることに多少驚いたが、すぐに取るに足らないと判断した。
自分の任務は終わった、主に頼まれていた土産も用意できた。もう勝家がこの世界でやることは無い――はずだった。
(土産が衣服や本の類だけじゃ些か足りないだろう……数匹狩っておくか)
そう言って勝家が左右に手をかざすと、彼の後ろに先ほどと同じような蜘蛛の巣が複数展開される。そのサイズは動物が通れる程の幅であり、それが波紋のように広がっていく。
突如として虚空に現れた蜘蛛の巣とそれを操る勝家を不思議に思い足を止める通行人たち、しかしその足はすぐに動くこととなった。
「うわぁあああああああ!!!!」
その巣から顔を出した鎧蟲の顔を見た瞬間散るように逃げていき、平和だった街中は一気に騒然となる。ガヤガヤという人々の声は全て悲鳴に代わり、逃げる足音が絶え間なく聞こえ続けた。
顔を出した足軽の蟻はそのまま逃げ惑う人を片っ端から追っていき、蜂は翅で空を飛んで上から人間を襲っていく。
あっという間に鎧蟲が蔓延る場となってしまったその街を、勝家は悠然と闊歩する。待つのはあの時の白武者と黒武者、強敵を待ち望んでいた。
「はぁあ!!!」
「ぐッ――!」
視界は真っ暗、何も見えず何も感じない世界で俺は確かに黒金の場所を感じ取っていた。その方向に向かって棒を振りかぶると向こうもそれを受け止め声を漏らす。
すると今度は黒金の方から殴りかかってきた。いくらただの棒とはいえこいつの一太刀を受けるのは少し危険だ、そう判断した俺は後ろに引き下がりその軌道から体を避難させる。
この闇の中の戦いも数十分続いている。疲れているというわけでもないが流石に体をずっと動かしていたため空腹が訪れていた。
「腹減ったなぁ……休憩にしないか?おやつに何か作ってやるよ」
「お前の飯は信用できんが……まぁいい、ハニートーストを頼む。勿論イチゴをだ!」
黒金との修行が始まってからもう数日経っている。勝家を探しに行った師匠はまだ帰っておらず、こうして目隠しした殴り合いにも大分慣れ、今では虫の知らせも強化され黒金の次の一手が分かるようになっていた。
それは黒金も同じ、向こうも俺の動きを完璧に理解できているだろう。まさか本当にこいつと連携できるとは思ってもいなかった。
兎にも角にも今は糖分補給だ。甲虫武者にとって甘味は命、こうして体の強化をするのも重要だ。と黒金と共にカフェの中へ入ろうとすると、右手の痣に反応が来た。
「ッ!!」
「……どうやら来たようだな」
虫の知らせが騒ぎ始めたということは即ち鎧蟲が出現したということ、特訓の後で緩んでいた精神がその瞬間一気に引き締まり覚醒した。
どうやらおやつタイムは後のようだ、俺と黒金は棒を捨てて共に走り出す。
「伊音ちゃん!鎧蟲現れたからここを頼んだ!」
「あ、はい!」
一応彼女にも一言入れる。師匠に任された伊音ちゃんをここに置き去りにして戦いに行くのは少し気が引けるが、かといって戦場につれていくわけにもいかない。いざとなれば虫の知らせで危険は分かるはずだし大丈夫だろう。
それより問題は鎧蟲、反応の小ささからしていつもより遠い場所に出現したのだろう、そしてこの方向は……
「まずいな……奴め街に出たな」
「やっぱりそうか……急がねぇと!」
黒金も気づいたらしく、なんと今度の鎧蟲は一般人が沢山いるであろう街中に出現したらしい。とどのつまり、早いところ向かわなければ大勢の犠牲者が出るということだ。
確かにその虫の知らせは小さいが近づくと一気に反応が増えた。とんでもない数の鎧蟲が現れたのだ。
「……やっぱり、勝家の仕業か?」
「よく見ておけ雄白……流石のお前も、これで鎧蟲との共存が不可能ということが分かるはずだ」
黒金がそう言うくらいだ、きっと今頃は酷い有様となっているに違いない。だけどどんな悲惨な光景が待ち構えていようと俺がその思想を諦めることはない。
それにしても遠すぎる!このまま普通に走っていたら間に合わない!
「黒金!一気に飛ぶぞ!」
「お前に言われなくとも!」
そう言って俺たちは右手に付けていた手袋を外しカブトムシ、またはクワガタの痣を前に翳した。多少目に付くとは思うがそんなことも言ってられない!
「出陣!!」
「開戦!!」
俺たちは走りながら糸に体を任せ、蛹に身を包み甲虫武者の鎧を身に纏う。俺はグラントシロカブトの白い鎧、黒金は光沢のある綺麗な黒の鎧であるオオクワガタだ。
そうして2人揃って甲虫武者の姿となったところで鎧の前翅部分を開き、離陸して空を飛ぶ。このまま飛行して向かった方が早く到着するはずだ、何事もなければいいんだが……
そんな期待も虚しく、現場はまさに地獄絵図といっても過言ではなかった。
「酷い……!」
「チッ……嫌な光景を思い出す」
大事件と呼ぶに相応しい惨状、乗り捨てられた車は燃え建物のガラスは殆どが砕け散っている。もう大半の人は逃げていたのがそれでも犠牲者は多く出ていた。
コンクリートの地面に倒れ込む沢山の人間、血の池を流したり刺されたりと目を背けたくなる程の死体がそこに連なっている。
「――ッ!!」
それを見た俺は歯を強く噛み締め怒りをぶつける。その対象は勿論鎧蟲、地上では大量の足軽が蠢いており空には弓兵の蜂が鳥のように飛び交っていた。こんなに多くの群れを見たのは初めてだ。
俺がもっと早く着いていれば……こんなことにはならなかった。
「叡火の惨劇ほどじゃないが……随分と派手に攻めてきたな、あの武将はどこだ!?」
一方黒金は武将勝家を血眼になって探しているもあのトンボ姿はどこにも見当たらない、視界に映る鎧蟲は全て蟻と蜂しかいなかった。その大量の目は一斉にこちらを向き、俺たちを視認する。
そして甲高い声を上げたと思うと四方八方から迫ってきた。全ての鎧蟲がこちらへ走り出していく。
「どうやらまだ姿を見せないつもりか……必ず奴はここにいる。雄白、お前はこれを見てまだ和解を持ちかけるなんてことを言えるのか?」
「……絶対に俺の気持ちは変わらない、と言えば嘘になる。今は、この怒りを抑えられない……!」
今までの俺は共存という手段で甲虫武者と鎧蟲の戦いを終わらせようとしていた。だけどその鎧蟲たちがもたらしたこの現状に対し怒らずにはいられなかった。
勝家は言っていた、人間を襲う理由があると。例えどんな理由があろうともこんな酷いことは許せない!
「これが勝家の仕業なら……このままこいつらぶっ倒してあいつもぶった斬る!!」
「珍しく意見が合ったな――行くぞ!」
そして俺たちは、迫りくる鎧蟲の大群に立ち向かった。雄たけびを上げながら走り出し刀を振りかざす。かつてないほどの大群を前に次々と蟻の体を切り裂いていき、その包囲網を蹴散らしていく。
「お前は空の蜂を倒せ!下は俺に任せろ!」
「頼んだ!」
敵は蟻だけじゃない、弓兵の蜂もいた。俺は黒金の指示に従い翅で蜂の群れへと飛んでいく。大量の矢が俺を出迎えてくるも虫の知らせで全ての矢の軌道を予測、その間を潜り抜けていった。
黒金との修行のおかげで俺の虫の知らせは格段にパワーアップしていた。よっぽどの不意打ちじゃなければこのように矢の雨を躱すことも可能で、まるで生まれ変わったような気分だった。
「――はぁあッ!!!」
そして蜂たちの横を通り過ぎると同時にその首を斬り落とし、どんどん蜂の亡骸を空から降らせていく。飛んでくる矢も刀で弾き空を縦横無尽に飛び回った。
一方黒金は自慢の黒刀でバッサバッサと蟻たちを切断していく。その肉片が飛んでいる俺にまで吹っ飛んでくるほど盛大に斬り飛ばしていた。
「オオクワガタ――金剛砕きッ!!!」
「グラントシロカブト――猛吹雪ィ!!!」
次の瞬間、空では突風のような斬撃が蜂たちをバラバラに引き裂き、地上では二刀流による爆発のような切れ味が炸裂し蟻たちを粉砕する。上と下、両方で鎧蟲の残骸が飛び散った。
雨のように降り注ぐ緑の鮮血と鎧蟲の肉切れ、仲間の悲惨な運命を目にしても鎧蟲の群れは止まる事を知らない。その数の多さを上空で確認した俺はウンザリしていた。
「たく……流石に多すぎだ――ろ」
そんな愚痴を零そうとしたその時、突如として背中から迫りくる何かを察知する。とんでもない速さで飛んでくるそれに対し、俺は体を無意識のうちに動かし刀を盾にした。
「ガッ!!」
そして鳴り響く金属音、両腕に伝わる衝撃。それを防御することはできたものの威力を殺すことはできずにそのまま地上へ叩き落とされてしまう。
「いつつ……来たぞ黒金、お前が会いたがっていた奴がよぉ……!」
「ああ……予想より早く来てくれて助かった!」
こんな凄まじい威力は蜂の矢なんかではない、吹っ飛ばされる直前に見えた鋭い矛先、絶え間なく鳴り続ける羽音、黒と黄色の陣羽織、そして極めつけはトンボの顔。
トンボの武将、勝家が俺たちの前に再び姿を現した。
「今のを防ぐか……どうやら先の戦いから育ったようだな」
「ああ、お前をぶっ倒すためにな!」
俺は勝家への敵意をさらけ出し、それを伝えるように白い刀を向けて牽制する。黒金もそれに続き2本の黒刀を構えた。
するとこの間は穏便に済ませようとした俺の変わりように驚いたのか、少しだけ首を傾げるそぶりを見せる。
「……我らとの共存を諦めたのか白武者、確かに貴殿の考えは甘いものだと感じたが……だからといって己の志をすぐに変えたか。失望したぞ」
「いや……まだ諦めてないさ、アンタ言っただろ。和解交渉は立場上有利な奴だけができるものだって」
これは和解を求めた際に勝家に言われた言葉、どうやら俺はただ戦いたくないだけの臆病者と思われていたらしい。否定はしない、俺は確かに無駄な争いはしたくないと思ってるし本当のことだった。
だけど……それじゃ駄目なんだ。そんなことを言ってるうちに大勢の人が犠牲になれば本末転倒、そうなる前に動かなければならない。
「だから……俺たち人間の強さを見せる。お前ら鎧蟲を全部斬り伏せて、その上で和解を求めてやる!!」
俺は共存の道を諦めない、だけどそれを戦わない理由にはしない。もう無駄な戦いとは思わないし弱音も吐かない。こいつらが人間を襲う限り、俺は甲虫武者として戦い続ける!
そんな強い意思に打たれたのか、勝家は満足そうに笑いを零し、その矛「瓶割矛」の刃先を俺たちに突きつけた。
「いいだろう!単純ながらも真っ直ぐ己の信念を突き進むその姿、まさに見事!斬り伏せると言うならばやってみろ!この勝家、ただでは斬られん!」
どうやら向こうも俺のことを認めてくれたらしい、だからといって話ができるようになったわけでもない。話し合いは話し合いでも、刀と矛という刃をぶつけ合うものだ。
すると従っていた鎧蟲も一斉にこちらへ敵意を突き刺す。しかしそれを宥めたのは他ならぬ勝家自身であった。
「この武者たちとは我がやる!お前たちは狩りを続けろ!」
そう叫んだ瞬間命令通りに蟻と蜂は離れていく。この目で見るまで信じられないがどうやら本当に鎧蟲の群れを指示する存在らしい。あの気性が荒い鎧蟲たちが1匹もその命令に背くことなく従っている、かなりの統率力だ。
「――ってやばい!あいつら止めないと!」
感心している場合じゃない、このままだと更に犠牲者が出てしまう!だが止めようにも勝家がそれを邪魔し通してくれない。
やがて鎧蟲の群れが再び人間を襲いに行こうとしたその時、空から飛んで来た斬撃がその殆どを蹴散らした。数日ぶりに見るその黄色の甲虫武者は、変わりようが無く圧倒的な強さであった。
「師匠!」
「雑魚は任せろ!お前たちはその武将を頼む!!」
黒金は一度会ったようだが俺にとっては久しぶりに見る師匠だった。連絡がつかなかったので何かあったのかと心配もしたがやはり無用だったらしい。
そしてあの人のおかげで俺と黒金は目の前の勝家に集中できる!刀を振りかぶり、己の鎧を名乗った。
「我こそは――グラントシロカブト!!」
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。我が名は――オオクワガタ!」




