届かぬ懺悔
その日の夜、十蔵は玄道にくだんの要件について談判するため、玄道の部屋へ足を運んでいた。
彼は今まで数多の剣豪に打ち勝ち、数々の剣を極めんとする者を指南して時には自ら相手となって剣客達の力量を図ることもしていたが、不城秋夜以上の伸び代を持つ人間は見たこともなく、己が手で鍛え上げたいと渇望したらしい。
その足取りは軽やかで抑えきれぬ喜びが込み上げているらしく、口端が吊り上がっている。
ーーーふっ、如何やら私の直感はあの若者を好敵手だと悟ったらしい。ならば、私の手で鍛え上げるのも一興。何れくるだろう対決が楽しみだ
玄道の部屋を目視できる所まで来ると、縁側に座る玄道が物思いに耽った様子で月を眺めており、十蔵は無言で彼の真横に座った。
「玄道殿、夜分遅くにすみませぬ。彼を不城秋夜を私が預かっても宜しいでしょうか?」
「ふむ、彼奴に何かするのか?」
二人の男は月を眺めながら顔を見合わせる事なく口頭を始めた。
「ええ、荒療治ですが一度完膚なきまでに彼を叩きます」
「はっはっはっ!そりゃまた随分と手荒な事よ。良いぞ、好きにせい。だがまあ、小僧が生きる意志を見出せたのならば、どんな道を歩むか最後まで見届けたいものだ」
「やはり、玄道殿もお気づきで?」
「ああ、彼奴は天に二つとない才を授かっておる。しかし、その才能があるが故に災厄に巻き込まれ、誰も予想したことのない人生を歩むかもしれん。それこそ、修羅の道をな」
十蔵は初めて月から目をそらし、真横で未だ月を眺め、悲しげに顔を歪める老人を見た。
「その道が不幸でないことを祈るばかりです」
「そうじゃな。だが、それは不可能かもしれん」
「それまた如何して?」
「この頃、退魔聯合の動きが不穏だと情報を掴んでいてな、如何やら奴等は不城の血統が欲しいらしい。元々、不城は誰にも寄り付かぬ孤独ながらも武に優れた一族だった。だから、しっぺ返しを恐れてそう容易く手出しは出来んかったが、今では不城の血を継ぐものは奴しかおらん。成人してもない若造を誑かせるとでも思っておるのだろう」
不城の血脈とは其れほどまでに渇望される力を秘めており、歴代の不城家当主は一族の血が他家の手に渡るのを恐れて辺境の地に移り住んだが、今や不城の血を受け継ぐ者は秋夜しかいない。
この状況を好機と見た退魔聯合に属する者達は彼の優れた血統を我がものとせんと暗躍し、その情報を掴んだ玄道は危険視した。
不城秋夜という少年は手綱を握れる存在ではないのを彼等は理解しているはずもなく、下手に刺激しようものなら退魔聯合の存在が喪失するほどの損害を被る実力の持ち主であることを誰が知っていようか。
降魔聯合とは、古来より妖を退治してきた日の本各地に散らばる降魔の一族が情報を共有するために創立したのだが、仲間意識は皆無で複雑な勢力派閥があり、一筋縄ではいかない組織である。
因みに不城家はこの組織には属していなかった。
閑話休題。
玄道の言葉に十蔵は無言を貫く。
「そう遠くないうちに向こうから接触してくるであろうな。全く、傍迷惑な奴らよ」
××××
明朝、陽が昇る前に起床した秋夜は甲賀家の庭にて素振りをしていると、背後から自分に近づく跫音を耳にするが、振り向く事をせずにそのまま素振りに専念をした。
しかし、背後から食い入るような視線を向けられ、流石に鬱陶しく感じたのか苛立ちを隠さず振り返り、十蔵を端倪した。
「何の用だ?」
「すまない、朝からせいがでるな。ああ、私は丹原十蔵といって今日から君を預かる者なのだが、早速、今から俺の自宅に帰る。数刻待ってやるから、旅の支度をしろ」
「甲賀家の棟梁には話をつけたのか?」
「ああ、許可は昨夜のうちに貰っている」
「そうか。では直ぐに此処を出よう」
疑う様子もなく、自暴自棄に陥っている秋夜は十蔵の言葉にすんなりと従うが、そんな彼に十蔵は怪訝な顔をする。
「なに?旅支度はいらんのか?」
「ああ、必要ない」
ーー俺にはもう、何も残ってはいない。
あの日を境に生きる意思を喪失してしまった秋夜は、佳奈との最後の約束を守っているだけにすぎず、夢や希望がない彼は自分に相応しき死に場所を求める空虚の人間と成ってしまった。
其れを肌で感じ取ったのか十蔵は、まず彼に生きる意志を見出させることから始めるのを決意し、その後に剣術や忍術などを鍛え上げようと考えた。
「さて、では出発だ」
××××
甲賀の地を離れ一ヶ月と数週間が過ぎた頃、満開に咲く見事な桜が人々を魅了する季節となっていた頃、二人の剣客は天下に名を轟かせる丹原流剣術の総本家が鎮座する尾張の国に辿り着いた。
少年や成人した男たちの勇ましい声や竹刀が衝突し合う音が屋敷から漏れており、その物音から察するに数十人の人間が一斉に激しい稽古に挑んでいるのが窺える。
「んふっ、元気にやっておるな。そら、此れが俺の屋敷よ。結構大きいだろう?」
二人の剣客のうち1人の丹原十蔵は自慢げな表情で言い放ったが、秋夜はそんな彼を鼻で笑った。
「ふん、それなりの屋敷だな。誇るほどでもあるまい」
にべもない返事に十蔵は腹立てることなく朴を掻いて苦笑し、ふと視線を前に向けると屋敷の入り口前で警備する見知った顔を見て声を投げかける。
「まあ、そうなんだがな。おっ、お疲れさん」
呼びかけられた警備兵は怪訝な顔つきで声の主の方を見ると、すぐ様顔色を変えた。
「じゅ、十蔵様!?お早いご帰宅で!」
「ああ、今回は甲賀家に指南を受けに行ったわけではないからな。おお、それと今日からここに住むこととなった、ほれ挨拶せい」
十蔵は警備兵から目線を外し、背後で無言で佇む秋夜の方を振り向き、警備兵はこの時、十蔵の背後に立つ秋夜に初めて気づいたらしく、家主と一緒にこの屋敷に来た謎の少年に何処か好奇心に満ちた瞳で見つめた。
「不城秋夜です、宜しくお願いします」
「ええ、此方こそ。では、十蔵様」
警備兵との挨拶が終えると二人は屋敷に入った。
敷居をまたぐと、屋敷の庭にて十にも満たない子供から皺と白髪が目立つ老人と幅広い年齢層の男達が鬼気迫る表情で稽古を繰り広げており、その鋭い太刀筋は流石天下に名だたる丹原流師範代に日頃から指南された剣客といえる。
屋敷の扉を開けて靴を脱いでいると、一人の女性が奥からやって来た。
葵の花のような凜として高貴な顔立ちをした女性は髪を後頭部で一つにまとめて垂らしており、僅かにつり上がった目は勝気な性格を思わせる。
女性は十蔵の前で立ち止まり、流麗な所作で跪き頭を下げた。
「お帰りなさいませ、貴方様」
「ああ、只今帰った。彼女は私の家内であるお静だ、此れから世話になるため挨拶しておけ」
十蔵は振り向いて呼び掛けると、秋夜は十蔵の真横に立ち、
「不城秋夜です、此れからお世話になります」
お静に頭を下げる。
頭をあげると秋夜の目に一人の少女が目に入る。
少し離れた場所で歩いていたおかっぱ頭の少女は十蔵の姿を見るや否や、目を輝かせて礼儀など御構い無しに無邪気に走り出して、十蔵の胸に飛び込んだ。
「お父様!お帰りなさい!」
「お雛、元気にしていたか?」
元気よく突進してきた童女を優しく受け止めた十蔵は頰を緩みきった表情で彼女の頭を撫でるが、隣に立つお静は腰に手を当て目を三角にした。
「こら!お雛、廊下を走ってはなりません!それと、行儀が悪いですよ!」
「まあまあ、お雛はまだ七つだ。そんなに厳しく育てんでもよかろう」
「甘いです!今のうちにしっかり教育なさらないと取り返しのつかないことになりますよ!」
丹原夫妻は教育方針について話し合うようになり、手持ち無沙汰になったお雛は十蔵の真横で佇む秋夜に気がついたらしく目をぱちくりとさせた。
「それで、お父様。後ろのお方は誰?」
「ああ、今日から此処に住む事になった不城君だ。彼の事は新しく出来た兄と思えばいい」
その言葉に秋夜は僅かに動揺し顔が強張る。
兄という単語から自分を慕っていてくれた彼女のことを連想させてしまい、傷口に塩を塗ったような痛みが体を駆け巡った。
十蔵の言葉にお雛は目を爛々に輝かせて歓喜する。
「そうなのですか?えっと、丹原 お静です!これから宜しくお願いします!お兄ちゃん!」
「あ、ああ。不城 秋夜だ。宜しく」
変わらぬ無表情であったが瞳は僅かに動揺を隠しきれておらず、横から見ていた十蔵は彼の異変に気づいていたが、わざわざ指摘することはなかった。
「さて、では今から私と手合わせしてもらおうか」
いきなりな提案に秋夜は困惑の瞳を向けた。
「何故です?」
「君の力量を知りたいから、私と勝負してほしい。なに、そんなに過激な動きはしないさ」
射抜くような瞳を向けられて秋夜の肉体は僅かに硬直した。
先ほどまでの雰囲気とは打って変わって殺伐とした雰囲気を醸し出す彼に秋夜の体が警戒心を示したのだ。
ーーー此奴、やはり唯の剣客者ではない。そう、俺の一族と同じ生粋の人殺しだ
その雰囲気に呑まれてなのか額から一滴の汗が流れる。
甲賀家を出て此処に辿り着くまで一月半も歩き続けてきた彼等だが、平生から鍛錬を怠らず無尽蔵の体力を持つ二人にとって、たいして疲労感はなく、秋夜は逡巡したのちゆっくりと首を縦に動かす。
だが、秋夜は十蔵に対して苦手意識を持っていた。
道中、気軽に声を掛け続け、飄々としたこの男は隙があると見せかけて実は油断も隙もないくせ者だと知っていたが、勝負の話を持ちかけた時の彼は有無を言わせぬ雰囲気を漂わせていたため断ることができなかったのだ。
「そうか、ならば直ぐにでも道場へ行こうか」
×××××
道場で二人の男は竹刀を手にして相対していた。
「敗北の条件だが、降参又は竹刀を落とした場合にしよう」
「ええ、いいですよ。それで」
「さて、じゃあ」
笑みは消え、
「何時でもかかって来い」
剣に生きる剣客の顔に変貌した。
その血に飢えた獣の如き眼光と刃を突きつけたような威圧感に常人ならば体を硬直させ、いとも簡単に敗北を喫するであろう。
だが、相対する少年は能面を思わせるような無表情で、威圧に飲まれたような様子もなく、張り詰めた空気を発し、正眼の構えで不動の姿勢を見せた。
「では、参る!」
毅然な声を上げ、己の闘争心を昂らせるために耳を劈く裂帛の掛け声を腹の底から吐き出す。
道場一帯に反響するが、十蔵は迫り来る竹刀をいとも簡単に受け止め、御返しと言わんばかりに相手に攻める隙を与えない猛攻を繰り出す。
「くっ!」
予想だにしなかった剣技に秋夜は無表情の顔を初めて苦悶の顔に変貌させ、攻めから転じて防戦一方となった状況を打破するため、神速の竹刀を受け止めつつ、間合いから離れようと機会を窺う。
「どうした?攻めないのか?」
「言ってろ」
安い挑発に乗らずに迫り来る竹刀を危なげに避け、時には竹刀を振るい、紙一重の鬩ぎ合いは数十秒ほど続いたが、ついに終わりを迎える。
秋夜が十蔵との距離を離し、勝負を決めようと渾身の一撃を籠めた突きを放ったが、次の瞬間、手に金槌に叩かれたような激痛が走ると、手に握っていた竹刀は宙に放物線を描いて道場の床に落ちた。
「さて、勝負あったな」
「な、なんだと?」
秋夜は悪戯に成功した悪童のような笑みを浮かべる十蔵を凝視し、己の鍛え抜かれた動体視力でも見えぬ彼の剣技に驚愕し、呆気にとられた。
「まあ、こんなもんか」
無精髭を触りながら、げらげらと笑う十蔵に秋夜の静かなる怒りは積もり、床に投げ出されて転がっている竹刀を手にすると、鬼気迫る表情で構えた。
「くっ、もう一度手合わせ願う!」
「いいぞ、気がすむまで相手してやる」
× × × ×
陽が傾き、紅蓮の炎を思わせる夕暮れが徐々に夕闇に移行する頃、秋夜は十蔵との手合わせで敗北したことに納得できず、あれから幾度も手合わせを願い慢心もせず全身全霊で挑んだが、一度も勝つことはなかった。
竹刀で叩きのめされ、肉体だけでなく自尊心すら傷つつけられた秋夜は、滝のような汗を大量に流し、息を切らしながら大の字に倒れ、悔しさのあまり顔を見られまいと片腕で両目を覆い隠している。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「怒りに身を任せて、攻めることだけに囚われ、相手を惑わすことを知らぬ剣など私には当たらん」
事実、十蔵は秋夜の竹刀に一度も当たることはなく、超えることのできない壁を十分に見せつけた。
「貴様に何が有ったのか知らんが、どんなに取り返しのつかないことをしたとしても、後ろではなく前を見ろ。一度きりの人生、たった一度の過ちで腐るのは詰まらぬだろう」
十蔵が無精髭を撫でながら放った言葉に秋夜は触れてはならない傷口に塩を塗られ、火に炙られるような感覚が全身に駆け巡った。
「おまえに…」
一拍、
「おまえに俺の何がわかる!」
憤怒の絶叫が道内に轟いた。
「殺生を拒めば一族が俺を嫌悪し、唯一味方だった妹も奴等に犯されたのちに自ら死んだ!全ては俺が、俺が招いた結果だ!人を殺さぬという哀れな幻想に囚われ、現実を破滅させた俺に生きる価値などない!」
「だから、貴様は自分に相応しい死に場所を求めているのか。馬鹿馬鹿しい。懺悔のために自ら命果てるとは詰まらぬ人生だな。妹が死に際に何を言ったかは知らん。だが、殺生を拒んだお前を唯一味方した心優しき者ならば、死ぬ間際、お前には幸福な未来を歩んで欲しいと願うだろうよ。ゆっくりでいい。少しは外の世界に目を向けてみたらどうだ。世界は自分が思っている以上に広く、真に面白き事で溢れかえっておる」
「うっ、うっ、うっ」
感情が制御できず涙を流しているのか、十蔵に諭されて涙を流しているのか分からない。
だが、隠している両目から止む事を知らぬ涙の雨が流れ、嗚咽と嗄れた声が口から漏れていた。
「ごめん、本当にごめん。佳奈…」
返答のない懺悔の言葉は虚しくも道場を反響した。
お静のキャライメージは、戦国⚪︎双シリーズの稲⚪︎です。あの凛とした雰囲気が堪らなく好きですね〜。戦国⚪︎双4の信之とのおしどり夫婦な感じが見ててホッコリします。
十蔵のキャライメージは、せがわまさき先生が描く魔界転生の柳生⚪︎兵衛です。あの飄々として時に殺伐とした雰囲気を出す⚪︎兵衛は私の憧れですね。やっぱり、山田風太郎先生とせがわ先生は最高ですっ!