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地上伝奇譚  作者: 橋口 紅葉
10/13

生きる意味


「それで?」


「いや?お、お静?」


お静は激怒していた。


夕飯の支度を終えた彼女は稽古をしている二人を呼びに道場に足を運んだが、大の字で倒れ、声を押し殺して泣いている秋夜を目の当たりにし、十蔵に経緯を問うた。


そして、事の顛末を聴いた彼女は目を三角にして、身体中に怪我をしている秋夜を一瞥すると、狼狽している十蔵に詰め寄り、睨みつける。


「貴方がこの子と稽古した理由は分かりました。ですが、私生活に支障をきたすほど痛めつける必要はないと思いますが?」


「そ、それはそうだが」


「大体、貴方は剣を人に指南するのが仕事なはずです。甚振るために剣を極めたのであれば、師範として、いえ、武人として失格ですよ」


「うぐっ」


全くもって反論できない十蔵から視線を外し、居心地悪そうに表情を歪めている秋夜に近づいて、先程と打って変わって柔和な笑顔をみせる。


「秋夜君、大丈夫?」


「ええ、これしきの傷、二日三日放っておけば治ります」


「駄目よ、ちゃんと治療しないと。ほらほら、治療するから私の部屋に来てくださいな。十蔵さん、貴方は先にご飯を食べて下さい」


お静は強引に秋夜の手を取り、有無を言わせず自分の部屋に向かった。


「うむ、困ったな。お静の奴、怒り心頭だ」


一人残された十蔵は、困ったな表情で頬を掻いたのだった。


道中、彼女に手を握られながら歩く秋夜は言われるがままにされていたが、今更手を振り払うのは如何なものかと悩み、そうこうしているうちに彼女の部屋に辿り着いたらしい。


部屋の隅に置かれた薬箱から包帯やら消毒薬を取り出した彼女は、秋夜に部屋の中央に座るように促す。


「ほら、服を脱いで。痛むかもしれないけど、男の子なんだから我慢してね」


手慣れた手つきで傷だらけの体を治療するお雛に秋夜は僅かに頬を赤らめるが、消毒が沁みるのか苦痛に耐えるような顔をし、されるがままに包帯を巻かれた。


「よし、出来たわ」


ものの数分で治療を終えると、満足した表情でお静は秋夜の肩を優しく叩いた。


「あ、有難う御座います」


「礼は要らないわ。元はと言えば、私の夫が全面的に悪いのよ」


「いえ、彼は何も悪くはありませぬ。私が、、、私が未熟であったがために、道を正そうと指南して下さったのです。それに、あの稽古のおかげで生きる意味を見出せそうな気もするのです」


「生きる意味?」


眉をひそめ、怪訝な顔をした彼女に秋夜は頷く。


「はい、お静さんには生きるということに意味はありますか?」


「そうね、私の場合は夫と娘を残して死ねないから生きているわ。でも、そんなに思いつめなくてもいいと思うけど」


「それは如何して?」


「だって、貴方まだ二十年も生きていないでしょう?人生というのはね、秋夜くん、二十年生きただけでは見つけることは出来ないわ」


お静の言葉に秋夜は沈黙する。


そんな彼を見て、彼女は慈愛に満ちた聖母の微笑みをこぼした。


「自分が何をしたいのかを考えて其れを成し、また新しい目標を定めて其れを達成する。これを繰り返して人は人生とは何かを見出すことができると私は思う。つまり、多くの経験を積み重ねるってこと。勉学や武道を励んだり、恋をしたりね」


「恋、ですか」


顰めっ面で顔を歪める秋夜にお静は慈愛の瞳で彼を見つめ、微笑を浮かべて朗らかに笑った。


「ええ、恋することはとても大切よ」


「自分には縁がないものですね」


「ふふっ、まあ人生はまだ始まったばかりよ。これから色んな経験を積んでいけば生きる意味も見出すことは出来るわ。でも、その前に腹ごしらえね。お腹減ったでしょう?」


「いえ、別に減っては」


部屋に響く盛大な音が秋夜のお腹から鳴った。


その音を聞いてお静は口元に手をやり、お上品に笑う。


「あらあら、別に意地を張らなくてもいいのに」


「別に意地は張ってはおりません」


あまりのタイミングの悪さに秋夜は赤面して俯き、正直な己の体をこの時だけは恨んだのだった。


××××


その日、丹原家の夕飯は殺伐としていた。


微笑を浮かべながらご飯を装うお静だが、彼女から研ぎ澄まされた刃が首に突きつけられているような鋭い殺気が放たれているのだ。


いや、それだけではない。


彼女の背後には般若の面を幻視してしまうほどの迫力さえある。


そのあまりに恐ろしい気に秋夜は十蔵と対峙した時以上の身の危険を感じた。


ふと、目の前に座るお雛に目を向けると彼女は咲き誇る向日葵の花のような愛らしい笑みを浮かべる。


その隣に座る八千代に目を向けるが、彼は人見知りなのかお雛の服を掴んで顔を赤面させて俯いた。


どうやら、お静の機嫌が悪いことに気づいていないらしい。


そして、斜め前に座る家主は彼女の機嫌が悪いことに気づいているらしく、冷や汗を流して目を泳がせていた。


そのあまりの醜態ぶりを見て、この男が天下無双の丹原流の師範代とは誰が思うだろうか。


ーーーおい!はやくこの状況を如何にかしろ!


ーーー無茶いうな!彼奴の背後に見える般若が見えねぇのか!


言葉を交わすことなく二人は目で会話し、何方が先に彼女のご機嫌取りをするか我慢比べを始め、先に折れたのは十蔵の方であった。


「あの〜、お静さん。もうそろそろ機嫌が直ってもいい頃だと思うのだが」


十蔵は困った表情で躊躇いがち言い放ち、彼の言葉を耳にしてお静はおもむろに振り向く。


「もうそろそろ機嫌が直ってもいい頃?貴方様は私のことなど気にせず、まず謝る相手がいるでしょう?」


凄みのある笑みを向けられて鈍感な十蔵は、如何して彼女が不機嫌なのか悟ったらしくバツの悪そうな表情で頰を掻く。


そう、彼は秋夜を痛めつけたことに一度も謝っておらず、そのことに彼女は機嫌を悪くしたのだ。


「うっ、それもそうだな。秋夜、痛めつけたことを詫びる。すまんかった」


「あ、頭をあげてください。元はと言えば、私が力不足だったのが原因なのです。お静さんも十蔵さんを責めないであげてください」


ーーーあと、その濃厚な殺気をはやくおさめてくれ。鳥肌がさっきからずっと立ちっ放しなんだから


秋夜の切実な願いが届いたのか彼女の殺気がおさまった。


「そうね、当人が言うのなら。でも、貴方様、これに懲りたらちゃんと手加減してあげてください。稽古で大怪我などしたら本末転倒もいいところですから」


「ああ、心配するな。今度から手加減する」


「もう!お母様もお父様もお喋りしていないで、はやくご飯を食べましょう!」


お雛の空気の読めない発言に秋夜は内心喜ぶが、お静は眉を顰める。


「こらこら、行儀がわるいですよ」


「まあ、お雛の言葉に一理ある。そろそろ、頂こうではないか」


丹原一家が手を合わせると、釣られて秋夜も同様に手の平を合わせた。


「では、いただきます」


家主の十蔵が威厳に満ちた声と凛然たる態度で言い放つ。


「いただきます!」


「いただきます…」


「ふふ、いただきます」


「いただきます」


快活な声をあげるお雛と蚊の鳴くような声を出す八千代、そして大人の色気を感じさせるお静の声を聞き、秋夜も何処か遠慮した様子で呟く。


お雛は直ぐ様、お箸を取り、食事を片っ端から口の中に放り込む。


それほどまでに、彼女はお腹を空かせていたのだろう。


ご飯を駆け込み、元気よく咀嚼する。


口一杯に放り込んで膨らんだ頬は栗鼠を思わせるほどで愛らしく可愛らしいのだが、口元にはご飯粒が付いていた。


「ああ、お雛、口元にご飯粒が付いてますよ」


「ええ?本当ぉ?取って取って」


「こら、お雛。食べ物含みながら喋るな」


「ごめんなさい、あっ!八千代!嫌いだからって私のお皿に人参を入れないで!」


「だって嫌いなんだもん」


「好き嫌いしていたら剣術は上達せんぞ」


「うう、分かった。食べる」


八千代は渋々ながらも箸で人参をつまむが、やはり食べたくないのか嫌悪に満ちた表情で見つめ、数秒の後に意を決したらしく恐る恐る口の中に入れる。


咀嚼するたびに顔が強張っていたが、ついに嚥下の音がすると涙目になりながらも舌を出した。


「むう〜、やっぱり美味しくない」


「よく食べたな。よしよし」


十蔵は穏やかな表情で苦手なものを見事完食した八千代の頭を優しく撫でる。


秋夜はその光景を呆気にとられたのか、目を丸くして眺めていた。


秋夜にとって家族との食事とは、苦痛でしかなかった。


張り詰めた空気が漂う中、出来の悪い自分を疎ましく思っている父親や祖父に端倪されながら、物音一つ立てず食べるなど安らぎなど皆無で緊張だけで、食事中に会話など言語道断である。


だから、丹原家の楽しそうで見ている此方が和む雰囲気で食事など珍妙に感じたのだ。


十蔵に撫でられることが嬉しいのか僅かに頬を赤らめる八千代に、母鳥に構って欲しいひな鳥の如く食しては拙い言葉で喋るお雛。


側から見たら行儀の悪い食事に見えるかもしれない。


だが、其処には秋夜の家族としての理想があった。


「ふふふ」


秋夜は知らず知らずのうちに声に出して微笑んでいたらしく、十蔵は首を傾げた。


「如何した?なにか可笑しい事でもあったか?」


「いえ、こんなに賑やかな食事は初めてで。何だか楽しいですね」


優しく首を横に振り、丹原家一同を慈愛に満ちた瞳で見つめた。


ーーー願わくば、私の番となる人とこんな家庭を築きたい。




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