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地上伝奇譚  作者: 橋口 紅葉
13/13

陽炎の太刀

もうそろそろ、秋夜を独り立ちさせないと、この物語終わらないと近頃思った作者です。

若干十五歳の少年が張孔堂が誇る武人を打ち負かしたことにより、丹原十蔵及び由井正雪以外の男達は驚愕で口を開けて、沈黙していた。


思い返してみれば一方的な仕合で、数えきれぬほどの怒涛の攻めを美しく舞踊しているかの如く回避し翻弄してみせた秋夜に十蔵を除いて一同は戦慄し、言葉も出ない有様である。


そんな重苦しい雰囲気が漂う中、十蔵は秋夜のもとへ歩き出して、慈愛に満ちた瞳で彼を見つめて、


「よく頑張ったな、秋夜。偉いぞ」


と褒辞し、頭を優しく撫でた。


その様子は傍から見れば、親子のようで微笑みを浮かべてしまうような心温まるもので、褒められる事に慣れていない秋夜は恥ずかしさのあまり顔を赤らめる。


「こ、子供ではないので撫でるのは止して下さい。恥ずかしいです」


十蔵が口を開こうとした、その時


「ふざけるな!」


霹靂の如き怒号が道内に轟いたのだった。


修也と十蔵は互いから視線を外し、声の主に目を向ける。


其処には僧兵が憤怒のあまり鬼の形相を浮かべ、切歯するあまり歯が軋む音がしながらも、十蔵と秋夜を視線で殺さんと言わんばかりに睥睨していた。


彼は先程の仕合の結果に納得していなかった。


「今のはどう見ても引き分けであろう!丹原、貴様愛弟子が敗北するのがそんなに恐ろしいか。天下の丹原流が我ごとき破戒僧に負けたことを市政に噂されるのがそんなに恐ろしいか」


「何を言っている、君は。今のは秋夜の方が早かった。それだけだ」


「いや、思い返してみれば確かに引き分けだったかもしれない」


「そうだよな、引き分けと言われてみれば、アレは引き分けだ」


「そうだ!そうだ!試合はもう一度だ!」


僧兵の一声に張孔堂側の男達は一斉に抗議や不満の声が高まる。


秋夜と十蔵は彼らの怒りを鎮静しようとする気配すら見せず、逆に蔑みにも似た凍てつく眼差しを向けていたが、道を極めていない彼らにとってこの抗議を上げるのも無理もないだろう。


達人同士の試合を素人及び未熟者が見れば何方が先に一本を取ったかなど分かるはずもない。


それが、勝負の差が刹那の時ならば尚更のこと。


しかし、そんなことを言っても彼らの怒りは消え失せないだろう。


ーーー素人共が、秋夜の方が数瞬早いのに気付かないのか。いや、それよりも…


十蔵は抗議の声を上げる節穴の男達から目を離し、不気味に佇立している小雪に視線を移すが、彼等を止めることなく静止しているのを見て、小雪が鎮定するのでは、という淡い希望を捨てた。


ーーー野郎、この状況を愉しんでやがるな


小雪は隠しきれていない笑みを張り付けて、此れを静かに傍観しているのだ。


十蔵は小雪から視線を外して、未だ不満や苦情を吐き出す男達に凍てつく瞳を向けて、苛立ちで眉間を寄せながら吐き捨てるように言い放つ。


「」


十蔵の言葉に張孔堂の門下生達は、嘲弄した。


十蔵は彼等を取るに足らない存在だと認識しているため、彼等から馬鹿にされても嘆息するだけで怒りという感情を抱くことさえなかったが、此れを少し離れた場所で事を見守っていた秋夜は別であった。


その証拠に張孔堂の門下生及び先程矛を交えた僧兵に対して、秋夜の瞳は抑えらぬ怒りのあまり彼らを睨んでおり、その凄まじき怒気にその事に気づく者はいない。


「ふっ、そんなのただの言い訳だろう?本当は又右衛門が勝っていたことに恐怖し、八百長をしたのだろう。勝ちに飢えた獣よ。天下の丹原も聞いて呆れるわ」


門下生の一人が鼻で笑ってのけ、秋夜の柳眉はピクリと動く。


「十蔵さん、彼との再戦を許可してもらいたい」


「うん、いいぞ。でも、いいのか?」


ーーー手を抜いていたとはいえ、あれ程動いたんだ。疲労はないのか?


言葉には出さなかったが、十蔵の言いたい事が分かっていた秋夜は躊躇いもなく頷いた。


「ええ、あの程度の力量なら何戦だって大丈夫ですよ」


水を打ったような静けさが道場を支配した。


秋夜が平然と言ってのけた言葉が耳に入っても瞬時に理解できないのか、僧兵と小雪含む張孔堂一向は何度も脳内で反芻し、その真意を悟ると、ある者は唖然として又ある者は込み上がる怒りが体を駆け巡る。


後者は言わずもがな、先程まで秋夜と鉾を交えた僧兵であり、彼は引きつった表情で口許をヒクつかせて、低い声で問うた。


「小僧、今なんと言った?」


「分かんねえ奴だな。アンタぐらいの破戒僧なら再戦してやっても良いって言ってんだよ」


秋夜は侮蔑と怒りに満ちた瞳で僧兵を睨みつけ、この傲岸不遜な物言いに張孔堂の門下生は一斉に怒号をあげる。


年齢が倍離れている少年に此れほど屈辱的な挑発を受けるとは思わなかったであろう。


「何様のつもりだ!このガキ!」


「八百長で勝利したごときで大言壮語を口走るか、この若造が!」


僧兵はその巨躯をわなわなと震わせて、眦を決する。


「貴様っ、我を愚弄するか!?ならば、抜けい、真剣を。寸止めなど生ぬるいわ。我を愚弄した罪、その命で贖うが良い!」


「喧しい破戒僧だ、説法なら間に合っている」


この殺伐とした雰囲気を漂わせる秋夜を傍から見ていた十蔵は溜息を零して、面倒くさい現状を逃避するかの如く目を瞑り、自分の頭を乱雑に掻いた。


「はあ、お前は短気だな、ほんとに。由井殿、真剣勝負ですが宜しいので?」


「ええ、当人が承知なら私は口を挟みませんよ」


真剣勝負には危険が伴い、最悪死ぬ可能性すら否めない。


が、小雪は何でもないように言ってのけた。


まるで、この展開を望んでいたかのようで、一触即発の状況を愉しんでいる姿に十蔵は眉を顰める。


「命の危険があるのにですか、まあ、私が言えたことじゃないんですが。秋夜、くれぐれも」


「分かっています、あの無法者を二度とあんな口を叩けないようにしてきます。先に謝っておきますが、床を汚してしまいますのでご理解を。ああ、それとアレは使いませんので心配なく」


この少年の念頭は、あの僧兵を完膚なきまでに叩きのめす事以外ないようで、自分に降りかかる危険を何とも思っていないらしく、それに加え事前に道場を汚すこと断りを述べることからあの不届き者を切り捨てる気でいるのだろう。


その事を理解した十蔵は決然とした表情で僧兵を見据える秋夜に、苦笑して頭を振る。


「いや、死ぬなよ」


「はい、僕はこんなところで死にませんよ」


十蔵の言葉に秋夜は僧兵から目を離して、キョトンとして十蔵を呆然と見つめる。


「なら、良い。ほら、さっさとあの分からず屋を片付けて来い。」


「分かりました。では、行ってきます」


道内の壁に置いてある愛刀を手にした秋夜は、上鎌十文字槍を手にして既に重心を低くして臨戦態勢を整えている僧兵から目を離さずに、歩みを進める。


ーーー上鎌十文字槍、それに加えてあの風貌…となると、宝蔵院流槍術か


天下に轟く槍の名人、宝蔵院胤栄が創始した宝蔵院流槍術、それは十文字槍を巧みに駆使し、素槍に比べて多種多様な攻防を繰り広げる事のできる画期的なものだった。


胤栄は安土桃山時代の興福寺の僧衆であり、若き頃から刀槍を好み、天真正伝香取神道流の達人である大西木晴見や新陰流創始者である上泉信綱など、その道を究めし武人に教えを請うて遂には宝蔵院流槍術を開いた。


秋夜が相対している僧兵、名を又兵衛といい、彼は数年前までは宝蔵院胤舜の内弟子として過酷な環境下の中で、己の技倆を磨き上げていたが、ある時期から市政で淫欲に耽り邪智暴虐の限りを尽くしたため、破門されてしまう。


其れから一年歳月が経ち、又兵衛は江戸に来遊していた由井正雪と知り合い、意気投合した末に張孔堂の門弟となった。


閑話休題。


互いの親交を深めるという名目で行われた親善試合は今では、本来の目的とはかけ離れ、人の命さえ奪いかねない真剣勝負へと移行していた。


重苦しい沈黙と身を射竦めるような雰囲気が道内に流れ、相対する二人の武人からは、不用意に近づけば首を斬られかねないほどの威圧と殺気が迸っている。


張孔堂の門弟達は固唾を飲み、小雪は依然として不気味な笑みを貼り付けて此れから始まるであろう死闘を心待ちしていた。


二人の距離は先程の仕合開始時と同じ位置に立佇しており、何時斬り合いが始まっても可笑しくはない状況であるが、不意に秋夜は口を開く。


「おい、節穴坊主、手前に一つ言っておきたい事がある」


真剣を腰に帯びた秋夜は愛刀の柄頭を撫でた。


「ふん、言ってみろ」


「俺をガキだと侮り、蔑むのはいい。だがな、あの人を愚弄するのは、絶対に許さん」


この一年、秋夜は十蔵に返しきれない程の恩を受けて、何時しか彼に憧憬と敬慕の念を抱いており、そんな人物を貶され我慢するなど到底出来るはずもない。


又兵衛は秋夜の言葉を鼻であしらい、鉾先を眼前の敵に突きつけた。


「遺言はそれだけか?ならば、貴様の心臓、この槍で串刺しにしてくれようぞ!」


又兵衛は勇ましい声を上げなから疾駆し、間合いを詰めると眩い閃光を放つ。


秋夜の胴体めがけて噴出された十文字槍は、虚空を切り裂き唸りを生じさせる。


その速度たるや回避不可の神速の突きと言っても過言ではなく、如何なる強度を誇る物質でも一度その突きを受けてしまえば呆気なく粉々に粉砕してしまうだろう。


依然として鯉口を切る素振りも見せない秋夜は、迫り来る十文字槍の鉾先を睥睨して不動の姿勢を見せている。


神速の突きを前にして成す術もないのだろうと、又兵衛は己の勝ちを確信してほくそ笑んだ。


十文字槍の鉾先が秋夜の胴体を貫く。


ーーーかのように見えた。


秋夜の肉体に鉾先が触れたように見えた瞬間、一瞬にして秋夜は霧のように掻き消えたのだ。


その現象に又兵衛は狐につままれたような顔をして、標的を見失った十文字槍は虚しくも空を切り裂く。


又兵衛は秋夜の姿を視認するとこれ以上にないほど瞠目して、息を呑んだ。


悠然と佇んでいた筈の秋夜は何時の間にか又兵衛に接近しており、その距離は既に刀が届くほどに間合いを詰めていたのだ。


いや、驚くべきは其れだけではない。


ーーーい、何時の間に!?いや、それよりも!?何故、儂の目には彼奴が二人も写っておる!?


そう、どんな奇怪な術を駆使したのか秋夜が二人に分裂しており、片方は右側から、もう片方は左側から接近しており、何方を攻撃すれば良いか判断つかず戸惑っていた。


伸びきった腕を横薙ぎにすれば、片方の秋夜の攻撃から逃れることはできるだろうが、そうなるともう片方の秋夜から一太刀浴びることとなる。


ならば、一度目は片方の秋夜に攻撃し、稲妻の如き速さでもう片方の秋夜を攻撃すれば良い話だが、既に間合いを詰められているため何方かを攻撃するしかなく、逃れることも回避することも出来ない。


迷った挙句、又兵衛は左の秋夜に狙いを定めた。


「ぬう!!!」


苦悶の末に又兵衛は左から接近する秋夜を薙ぎはらう。


そして、左側から攻めてくる秋夜の肉体に槍が触れた瞬間、先程と同じように彼の肉体が忽然と掻き消えた。


ーーーくっ!本体は右だったか!


又兵衛は急いで残った右側から攻めてくる秋夜を薙払おうとしたが、時既に遅く、秋夜は凄惨な笑みを浮かべて鯉口を切った。


秋夜の腰間から一条の閃光が走る。


人の目では捉えることのできない速さで抜刀された刀は又兵衛が手にする槍の柄を下から斬り上げ、勢いが止まらぬまま幹のように太い又兵衛の右腕をも斬り捨てた。


秋夜の動きを一挙手一投足食いるように見ていた十蔵のもとに切捨てられた又兵衛の片腕が彼の足元に飛来して、鮮血が顔に付着しても彼は顔色ひとつ変えることなく、目を細めて満足気に頷いて口を開く。


「陽炎ノ太刀、成功だな」


又兵衛の絶叫が道内に響く中、秋夜は斬り捨てた相手を気にかけることも一瞥することもない。


ただ手慣れた様子で血振りをし、懐から懐紙を取り出して鮮血を拭い去ると、鍔鳴りをさせて十蔵のもとへ悠然と歩みを進める。


「又兵衛殿!」


「お、応急処置を!」


傷口を抑えながらも苦痛でのたうち回る又兵衛の下に張孔堂の門弟達は慌てた様子で彼の元へ駆け寄り、応急処置を施そうとしているが滂沱の如く血が出るため、彼等は四苦八苦しているを


其れを冷めた目で見ていた秋夜は不意に男の笑い声を耳にし、厳粛で切羽詰まったな雰囲気とはかけ離れた場違いな音に怪訝な顔をして声の主の方へ目を向けた。


其処には由井正雪が愉快そうに笑っていた。


彼の瞳は狂気と愉悦に染まっており、血を流し苦しみ悶えている又兵衛を一瞥することも心配して駆け寄ることもなく、ただ秋夜に向けて賛美の拍手を送り、歪められた口を開く。


「いやあ、素晴らしい!素晴らしいですよ。やはり、私が思った通りだ。君は最高の素材だ」


「どうも」


不気味に笑う小雪に秋夜は警戒の眼差しを向け、依然として喚く又兵衛を十蔵は一瞥した。


「小雪、貴様、あの男を心配しなくていいのか?最悪、出血多量で死ぬぞ」


「ああ、あの男ですか。別に死んでも構いませんよ」


顔色ひとつ変えず、吐き棄てるように呟いた冷酷な言葉に秋夜と十蔵だけでなく張孔堂の門弟達も顔を顰めた。


「お前、碌な死に方をせんぞ」


「ふふ、そんなの百も承知です。我が行く道は修羅の道。たとえその先が悲惨でも私は嬉々として歩みましょう。其れ程に私が歩む道は価値がある」


「ふん、貴様がどんな道を歩もうと興味などない」


「そうでしょうね。ああ、又兵衛殿、今日から貴方は破門です。二度も勝負を挑んで置いて我が張孔堂の名を汚し、その上片腕を斬られ無様にのたうち回る貴方の顔など二度と見たくはありません。それに、腕が立つから貴方を門弟にしたというのに、こうも呆気なく負けてしまうとは失望しましたよ。此れからは、好きに生きてください。では、丹原十蔵殿、そして」


一拍、


「不城秋夜君、何れまたお会いしましょう」


と背筋が凍るほど気味の悪い笑みを浮かべた。


「では、行きますよ。皆さん」


「待ちやがれ!この野郎!」


歩き出そうとした小雪の背に応急手当てを受けた又兵衛は、屈辱的な言葉に激昂し、片腕を斬られた痛みなど忘れて張孔堂の門弟達を突き飛ばした。


そして、床に転がっている真っ二つにされて短くなった槍を手にすると、小雪を突き殺さんと鈍重な跫を立てながら走る。


「はあ、刃を向ける相手が違うでしょうに」


溜息を零した小雪は、迫り来る又兵衛の跫を聞き、鬱陶しそうに振り返って腰に帯びた愛刀を撫でた。


「死ねいっ!」


槍は小雪の首めがけて上段から振り下ろされたが、小雪は焦ることなく嘲るように鼻では笑って難なく回避し、達人の十蔵ですら目をみはる動きで又兵衛との間合いを詰め、流星のような輝きが小雪の腰間から迸る。


迅雷の如き速さで抜刀された刀は又兵衛の首を容易く斬り裂いた。


頭部を喪った又兵衛の体は前へ投げ出されて鈍い音を響かせながら床に転倒し、傷口から鮮血が噴水の如く流れ出す。


瞬く間に血河が形成され、噎せ返る臭いが徐々に立ち籠める。


「殺生は好みませんが、致し方ありませんね」


小雪は切り捨てた又兵衛を一瞥することもなく、血振りをしながらそんな事を言ってのけ、十蔵と秋夜は小雪の見事な足運びと技量に感嘆と警戒の眼差しを向けていた。


血に濡れた刃を拭き終えた小雪は、警戒する二人に微笑を見せて小さくお辞儀をした後、踵を返して颯爽と道内を出て行く。


「ま、待ってください!小雪様!」


「お、おい!又兵衛は如何するのだ!」


「そんなものは捨てて置け!行くぞ!」


取り残された張孔堂の門弟達は屍となった又兵衛を如何するか言い合いながらも、小雪の後を追う。


後に残ったのは、呆れた顔で張孔堂の門弟達を見送る十蔵と顔を顰めて又兵衛の屍体を見下ろす秋夜だけであった。


「喧しい連中だ、それより」


「ああ、この屍体どうするか」


秋夜は口を開くことなく沈黙し、十蔵の呟きは虚しくも道内に残響した。


なお、小雪は数年後、呆気なく自害する模様。史実だから仕方がないよね!



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