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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第九章 三花聚頂(三つの花が天宮に集まる)
73/99

三花聚頂 1

これ以降、辻褄が合わない、理屈が通らない等、今までにも増して出てくると思います。なるべくならちゃんとしたいのですが、本作の最優先の目標が「とにかく終わらせる」なので、不具合があるまま進めて行く可能性が高いです。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

*中国に関する情報はかなり古いので、全然参考になりません。ご注意ください。

「あ!」


 松花湖に来て六日目。

 守がいつものように朝の練功(れんこう)から戻ってくると、部屋の中に黒ずくめの若い男が立っていた。長い前髪から覗く目は、相変わらず感じが悪い。


維名(いな)!」


丹下(あかもと)。おまえ、生きて――」

「それは、こっちの台詞だろ!」

 無表情で抑揚なく言う維名武志(いなたけし)に、守が透かさず抗議した。

「急にいなくなって、いったい今まで何してたんだよ!」

閉関(へいかん)

「は? へい……? 何だって?」

「解らないなら、いいさ。ところで――」

 武志が守を凝視した。細められたその視線は、さらに感じの悪さが増している。

「おまえ、『守霊(しゅれい)』に成ったんだな」

「だったら、何だよ」

「あの時は、まだ違ってた」

 武志は、守から視線を外すと空を睨んだ。

「ふ~ん、なるほどな。我ながら、もっと早く気づくべきだった」

「何を?」

「おまえが国術(うち)の大学に来たのは、仕組まれたってことだ。そうだよな、皓華(こうか)?」

 武志が守の肩越しに視線を移した。いつの間に来ていたのか、皓華が後ろの廊下から覗き込んでいる。

「シ、知ラナイ」

 皓華が慌てて逃げて行く。残った守が「そうらしい」と仕方なく答えた。


夏芽(なつめ)志穂(しほ)含明(がんめい)常在(じょうざい)龍煙(りゅうえん)。ま、そんなとこだな。黒幕は――なるほど、ふん、そうか――」

 右手の拳を口に当て、武志は何か一心に考えていた。それは、何者をも強く拒絶した姿だった。守は、何故かいたたまれない気持ちになって目を逸らす。しばらくそのままの状態でいたが、突然突き刺さる視線を感じて顔を上げた。

「おまえ、何でそんなことをしたのか、訊いたのか?」

「えっ?」

 挑戦的な目を向ける武志に、守はどう答えていいものか、と迷っていた。改めて聞かれるまで、守は一度もその疑問に思い至ったことがなかったからだ。それは、龍煙や龍耀(りゅうよう)の時と同じように、自ら起こした『識神(しきしん)』の誤作動に、自ら嵌まってしまったような感じだった。

「い、いや」

 守がそれだけをやっと答える。と、武志が「ふん」と鼻を鳴らした。

「たぶん、おれたちをぶつけて、おまえの能力(ちから)を引き出そうとしたんだ。あいつのしそうなことだ」

 武志が最後に「小賢しい」と吐き捨てた。

「『あいつ』? 『あいつ』って誰だよ?」

「それより、その女は誰だ?」

 武志は守の後ろに指を突き立てた。

 振り返るとそこには、皓華と戸惑う育の姿があった。

 育は昨夜から練功房(れんこうぼう)に籠もりきりで、朝の練功に顔を見せなかった。皓華が一緒ということは、どうやら朝食を取るために戻って来たところを捕まったらしい。


「つか、おまえ、憶えてないのか?」

 守は育の前からそっと退いて、二人の視線が合いやすいよう調整する。

 武志の訝るような視線が、すぐに変わった。

「育……本当に?」

「育、ドウシタ? 武志、戻ッテキタ」

 皓華が後ろから育の背を押した。

 育がよろけながら二、三歩前へ歩み出る。

「武志……」

 十五年振りの感動的な再会の場面だった。だのに、育と武志は意外な場所で偶然出遭わせた敵同士のように、見つめ合ったまま動こうとしない。


「守! 守!」

 皓華が手招いて呼んでいる。守は壁伝いに横歩きで皓華に歩み寄り、小さな声で「何だよ?」と訊いた。

「食ベ、先、好イ、ゴハン」

 慌てているのか、日本語が下手になっている。

「でも、さ……」

「好イカラ、好イカラ」

 皓華は女性とは思えない力で守を部屋の外に引っ張り出す。そして気遣うようにそっと扉を閉めた。

「二人きりで、大丈夫なのか?」

「平気、平気。二人、姐弟(キョウダイ)。ダイジョブ」

 皓華は、後ろ髪を引かれるように振り返る守の腕を掴み、強引に食堂へ引っ張って行った。


     *


「あの、『へいかん』って何ですか?」

 食卓では、守が龍耀に『閉関』について訊ねていた。その場にいるのは他に皓華だけで、夏芽や龍煙の姿はない。

「『閉関』というのは、世俗から離れて、草深い山奥などで修行を積むことです。人の世には誘惑が多いでしょう。常に、惑わそうと手ぐすね引いています。そんな場所では、心を安静にすることはできても、安定させることは難しいのです。ですから世俗を離れて、環境の整った場所で心を安定させる。安静から安定へ。仏家(ぶっか)でいうところの、『入静(にゅうせい)』から『入定(にゅうじょう)』へですね。ある段階までいくと、そういうことが必要となってくるらしいのです。そして人の世に戻ってからも、安定させた心を動かされないようにしなければならない。そう兄は言っていました」

「つまり、維名は山に籠もって修行をしていたと?」

 龍耀は、思わず微笑んだ。

「平たく言えばそうですね。武志は 長白山(ちょうはくさん)へ行っていたそうです」


 守は、龍煙よりも弟の龍耀の方がいろいろなことを訊きやすかった。

 含明と歳が同じ龍耀は、見た目以外は兄の龍煙よりも、ずっと含明に近い感じがした。それに龍耀の丸い顔と丸い眼鏡の風貌に、守は門派の中の誰よりも親しみを持っていた。

 けれど、一番の理由は入門した順番だろう。

 こういった世界は序列に厳しい。たとえ年が下でも、実力がなくても、一日でも先に入った者が上になる。ここの門人では、龍煙、含明、夏芽、皓華、育、武志、龍耀、守という順番だ。

 何故龍煙の弟の、龍耀の入門が、こんなに遅くなったのかは判らない。だが龍耀は普通の生活が長かった分、より守に近い感覚を持っていて、同じようなところで苦労していた。だからこそ、守の度重なる質問にも嫌がらず、呆れることなく答えてくれる。


「ところで、龍煙さんはどうしたんですか?」

 守は、空芯菜(くうしんさい)の炒め物に箸を伸ばしながら訊いた。さっぱりとした塩味と炒め加減が絶妙で、龍耀は料理が上手いところも含明によく似ていた。

「兄は街へ出掛けました。知り合いの官僚がこの地に来ていて、呼ばれたのです」

「表敬訪問って、ヤツでか?」

「いえ、治療でしょう」

「治療? 龍煙さんはお医者さんだったんですか?」

「西洋医なのか、という質問なら違いますよ。兄がするのは推拿(すいな)です」

 推拿というのは古くは按摩(あんま)と呼ばれ、推、拿、按、摩、揉、捏、点、拍、などの医療系のマッサージに用いる手技の総称なのだという。

「後は、外気(がいき)治療という方法もあります。日本では医療行為としては認められていませんが、中国の病院では気功科というものがあるくらいなので、実に一般的なものです。ただ、兄はしません。できなくはないようですが、頼まれてもお茶を濁す程度。本気で治そうしたら、それ相応のダメージがあるらしいです。僕らは漏れることを嫌いますからね。それに――」

 いつもにこやかな龍耀が、言葉を切ると珍しく眉をひそめた。

「最近ではこちらでも、『医師免許の無い気功師による外気治療を、全面的に禁止する』という内容の法律ができると噂されています。さらに民間の気功関係の団体は全て解体されるのではないかという話です」

「どういうことですか?」

「僕らも危ないかも、ということです」

「え……」

 急に現実味を帯びてきた話に、守は戸惑いを隠せなかった。


「昔、このがまだ民国と呼ばれていだ頃、今の政府は厳しい監視の中、仏教の名を借りて各地で集会を開いていたそうです。日中戦争の間は共闘しましたが、その後内紛になって最終的には政権を奪取しました。そしてこの国の名称が変わった後、宗教を弾圧し始めたのです」

「何故ですか?」

「社会主義そのものが、宗教を認めていなかったこともあるでしょう。ですが不心得者がでないように、ということもあったと思います」

 龍耀は、『不心得者』のところで声を潜めた。

「ところが最近になって、今度は『宗教』でなく『気功』の名を借りて同じようなことを行おうとしている者たちがいる、と考えるようになったらしいです。事実かどうか判りませんが、実際に警戒し、その対策を立て、実行しようとしています」

「それが新しい法律なんですか?」

「らしいですよ」

 どうやら龍煙は、その辺の情報収集も兼ねて出かけようだった。


 龍耀が蒸し立ての花巻(はなまき)蒸籠(せいろう)を差し出した。守はありがたくそれを手に取りながら、「具体的にはどうなるんですか?」と訊ねてみた。

「先程もいいましたが、民間の気功師、つまり医師免許を持っていない者は、治療行為をすることができなくなります。また、主に公園や広場などの公共の場所で、集団で練功することも禁止されます。団体も解体されるようになれば、ここにもいられなくなるかも知れません」

「そんな――」

 守が言葉を詰まらせると、「ダイジョブ、心配ナイ」と、ここまで黙黙と食事をしていた皓華が口を挟んだ。

「そんなことないだろ。大変じゃないか。龍耀さん、常在師父や龍煙さんは、どう考えているんですか?」

「師父も兄もそれほど悲観はしていません。皓華が言うように、多分、大丈夫なのでしょう」

「けど……」

 龍耀は眼鏡の奥の目を細め、「すみません」と微笑んだ。

「僕の言葉が足りなかったようですね。僕らは長い歴史の中でそういう目に何度もあってきたのです。でもその度に難局を逃れてきました。今回もそうです。確かに僕らの行っている修持法(しゅうじほう)は、便宜上『気功』というジャンルに分類されていますが、普及型のそれとは違い、その内容は多岐に亘っています。その中でも武功(ぶこう)的な要素を強調していけば、何の心配も要らないと兄は言っていました」

「『気功』の団体でなく、『武術』の団体だと?」

「そうです」

 龍耀は大きく頷いた。

「もともと、兄は気功的なものよりも、武功の方が得意な人です。多分師父はこんなこともあると見越して、含明(がんめい)くんではなく、兄を十三代目の掌門人(しょうもんじん)に指名したのでしょう」

「含明さんが?」

 守は、龍耀が『含明くん』と言ったところも気になったが、それ以上に、時勢によっては、含明が掌門人に選ばれた可能性があったことに驚いた。


「師父は、角柳青(かくりゅうせい)老師を不幸な出来事で失うまで、その代わりなど考えていないようでした。でも、四年前に俄に継承問題が浮上した時、誰もが、柳青老師の跡を継いで含明くんが十三代になるのだと思っていました。柳青老師は非常に力のある方でしたし、それと同じほど内功(ないこう)の実力が見込まれていたのは、含明くんしかいなかったからです」

「けれど、師父が指名したのは、含明さんじゃなかったんですね」

「ソウ。アタシ、びっくりシタ。哥哥(オニイサン)ガ一番、功夫ガアル」

「でも皓華、一番驚いたのは、兄自身ですよ」

 龍耀には珍しく、(たしな)めるような口調だった。

「兄はとても戸惑っていました。自分にその大役が勤まるのかどうか、端で見ていても気の毒なくらい悩んでいたのです。なのに老師の方方が皆、挙って賛成してしまったのです」

「誰の反対もなかったんですか?」

「反対したのは、含明くんぐらいでしょうか」

「含明さんは、反対したんですか……」

 皓華が「アタシモ、反対シタ」と言ったが、守の耳にそれは届かなかった。


 含明が龍煙の話をした時、あまり快く思っていないように感じたのは、正しかったのだ。あの時から守は含明に対し、最初に感じた印象とは何か違う、別のものを感じるようになっていた。


(育は、どう思うんだろう)


 守はこのことについて、育と話がしたかった。今の話からすると、皓華は完全に含明派だし、龍耀と夏芽は龍煙派だろう。守を除けば、育が一番中立の立場にいるはずなのだ。

 だが――

(無理ぽい、な)

 今の育に武志と会った喜び以外、何かを考えろというほうが酷な話だ。

(なら、他には――)

維名(いな)か……」

(あいつは、どっちなんだ?)


     *


「あのさ……」

 守は、その日の夜の就寝前に武志に声をかけた。

 ベッドに寝転がっている武志は、紙質や印刷のよくない武術雑誌から目を離し、おっくうそうに守の方に顔を向けた。けれど、右の眉を上げただけで返事は返してこなかった。それでも、守は構わず話し続けた。

「何で常在師父は、含明さんじゃなく龍煙さんを後継者に選んだんだ?」

「そんなこと、常在本人に聞けよ」

「聞けないから、おまえに訊いてるんじゃないか」

 素っ気なく投げやりな返事に、半ば逆切れ気味になった気持ちを抑え、「知ってるなら教えてくれよ」と守は武志に頼み込んだ。すると武志は体を起こし、珍しく嫌な顔も見せずに話し始めた。


「含明よりも、龍煙の方が年上だった」

「年功序列ってことか?」

「確かに内功に伴う特殊な力は含明の方が上だろう。けれど、龍煙だって武功的な能力には秀でている。それに――」

「それに、何だ?」

「ずっと苦労している」

 勿体をつけた割には、武志の答えはあまりにも平凡だった。

「苦労?」

「ああ。人としての経験が豊富ということだ」

「え?」

「あるいは、あらゆる感情を体験している」

「それの、いったいどこが凄いんだ?」

 納得がいかなくて、守は聞き返した。

「挫折を知らない者が、挫折した者を理解することは難しい。ましてや救うとなると――」

「『救う』? それって『幸せな者は残酷』ってことだよな。そうか、ごめん」

 突然の謝罪に驚いたのか、武志が改めて守を見た。

「オレは、おまえに対して残酷だったと思う」

 守はもう一度、「済まなかった」と詫びを入れる。

 顔を上げるといつも不機嫌そうな武志の顔に、戸惑いの色が浮かんでいた。

「い、いいさ別に。おまえが悪いわけじゃない。幸せな子供はみんなそうさ」

 そして慌てたように武志は付け加えた。

「だからって、幸せな子供が悪いわけじゃない。悲しみなんて、知らなくて済むのならその方がいい。大人になったら、嫌というほど押し寄せてくる」

「ああ、そうだよな」

 守が同調するように頬を緩めると、武志も珍しく微笑み返した。

「おれの中で、おまえは、幸せな子供の象徴だった。でも――」

「『でも』、何だよ?」

 思わせぶりに言葉を切った武志に、守は軽い感じで促した。

「ん? そうだな。どんなに幸せでも、おまえの父親だけは、ごめんだ」

「は?」

「唐突過ぎて、ついていけない」

 武志その言葉に、守はどう答えていいのか判らなかった。


 父とは守が生まれた時から一緒だから、それが普通の状態だった。確かに成長するにつれ、父の性格が普通の人とは違うということは、守にも何となくと解るようになった。だとしても、同じように変わり者の武志に、そんなことを言われる筋合いはないとも思う。

「おまえが、うちの親父を嫌いでもさぁ――」

「別に嫌いなわけじゃない。見てるだけなら面白いし、人間的には善良だと思う。でも行動パターンがおれとは合わない。それだけだ」

「何だよ、それ?」

 育の時もそうだったが、武志も守が思っている以上に、父と親しいようだった。亡くなった親友の忘れ形見なら、それも仕方がないことなのかもしれないが、かと言って、それほど接触する機会があったとも思えない。

 その時、突然守の脳裏にある考えが閃いた。守の家族が多田に引っ越したのは、弟のためだけでなく、武志のことも考えてのことだったのかもしれない、と。


 守は、長い前髪に隠れる武志の顔を見た。よく見ると目許が育によく似ている。

 武志は守の視線を感じて、「何だ?」と聞き返した。

 そして、続ける。

「おまえだって、育とは合わないだろう」

 守の顔が険しくなった。

「玄明が、何か言ってたのか?」

 昨日、練功房で会ってから今に至るまで、守は育と話す機会がなかった。朝にでもと様子を見ていたが、武志が戻ってきたことで、それもできなくなった。

 夏芽に『考えるな、早くしろ』と言われてすぐに話していたのなら、たとえ結果は同じだったとしても、ここまで後悔しなかっただろう。

 だからこそ、育が武志に何を言っていたのなら、それが何かを聞いておきたい。

 けれど――

「別に」

 武志は、即座に否定した。


「ただ、これだけは言っておく。育は幸せな子供じゃなかった。それだけは解ってやってくれ」



三花聚頂(さんかしゅうちょう)の『聚』の字の読みを、『しゅう』と『じゅ』どちらにするか迷ったのですが、意味は『集まる』なので、本作では判りやすく『集』と同じ音の『しゅう』を採用してあります。

天宮=泥丸宮(でいがんきゅう)=上丹田です。



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