五気朝元 12
*エセ科学要素、個人研究、独自解釈、妄想補完があります。ご注意ください。
*世間一般で事実や通説といわれているものと違う場合があります。
守は、ここに来て二日目の夕方に、武功を行った時のことを思い出していた。
あの時は、石畳の道観の前庭ではなく、草地の湖岸に集合した。湖を渡る涼しい風が心地好かったのを憶えている。
武功の内容は、含明に教わったものとそう変わりなかった。力を入れないというところも同じで、内力が自然に発生するのを待つというものだ。
そして練功の最後のほうで「拳の練習をしよう」と、龍煙は特別に守と皓華を打ち合わせた。以前蘇州でふざけ半分に皓華が戦いを挑んできた時には、守は相手をしなかった。女を殴ったことはないし、第一そんなことは男がすることではないと思っている。
男女平等が当たり前とされつつある昨今、その部分だけは平等にしてはいけないと守は思う。何しろ、守は小さい頃から父に厳しく言われていて、今では自分でも心底そう思っているからだ。ただ、それは男女というよりも、自分よりも力の弱い者に対してなのかもしれない。
けれど龍煙の言葉によると、実力は守よりも皓華の方が上だと言う。だから遠慮することはないのだ、と。
そして実際に打ち合ってみると、龍煙の言葉が正しいことが守にも判った。
守が繰り出す様様な突きや蹴りなどの攻撃を、器用に体を動かして、皓華はことごとく躱していった。そして皓華は丁の字に構えた腕を突き出し、守の目や首を狙ってくる。危うく当たりそうになって守は余裕がなくなった。それを見た皓華の攻撃が一段と激しくなった。
決着はつかずに終わったが、それは龍煙が途中で止めたからで、守のほうが押され気味だった。終わった後、龍煙は皆を呼び寄せた。
「現在の散打は競技として行われているために、ルールが細かく設定され、禁じ手も多く、どちらかというとボクシングに近い。具体的にはボクシングに蹴りと投げが加わえたようなスタイルだ。だが本来の中国武術は、突きや蹴りを出した後に、最初の構えに戻ることなく技を変化させ、発展させていく。喩えば――」
龍煙は、守に向かってゆっくり拳を突き出した。拳が肩に触れると肘を曲げ、肘が胸に触れたら体を捩って肩で軽く体当たりをした。
「こうやって、突きの次は肘打ちに、肘打ちの次は体当たりと、一つの攻撃の後に最初の構えに戻ることなく進んでいく。攻撃の変化は実に豊富だ。それは手の形にも現れている」
空手の場合もそうなのだが、実際に攻撃をする時には攻める場所によって有効な手形が違うという。
「胴などの広く頑健なところは拳、首や目などの局部は指先、顎は掌底、頭のような丸いものは手を大きく開いて叩いた方が衝撃が浸透し易い」
龍煙は、実際に手の形を変えながら説明し、その後で皓華が守に使った技の解説を始めた。
「皓華の手は蛇の形だった。それも指の先を揃えていた。つまり、首や目の急所を突くという攻撃方法だ。だがそれだけでなく、この手形は腕を掴んだり、作用する力の調整にも使えるのだ」
そしてほんの少しだけだが、守は実際に龍煙に手解きを受けた。
龍煙が守に向かって右の突きを放った時、守は腕で払ってそれを避けた。さらに左の突きの時は払うのと同時に手首を返し掴もうとした。だが、何故か守が掴もうとした龍煙の手が、守の右手の指先を掴んでいた。その手は、知らない間に手のひらを上に向けられ、何かを捧げ持つような『托』という形になっていた。
龍煙は守の手を掴んだまま、手の位置は変えずに、自分の体だけを下に沈めた。守もそれに反応して身を沈める。その刹那、龍煙の薄い唇がほんの僅か横に動くのを守は見た。と同時に、一瞬何が何だか判らなくなった。
気づいた時には、龍煙の左の剣指が、守の首の右の急所に突きつけられていた。
*
今でも守の首筋にまざまざと残る、指先の感触。
触れるか触れないかのぎりぎりにもかかわらず感じた、凄まじいほどの圧力は、眼前に指先を突き立てられた時のような、何ともいえない不快感を伴っていた。
けれど龍煙が今言っている『識神』の誤作動というのは、その前の段階、龍煙が体を下に落としたのに釣られ、守も身を沈めたところだろう。手は前の位置に残されたままだから、肘が上がった状態で体が下がり、必然的に首のところに隙ができ、そこに見事に入れられたのだ。
だが、たとえ理屈が判ったとしても――
今でも、何故掴もうとしていた自分の右手が逆に掴まれ、あの形になっていたのかが判らないし、何故龍煙が体を沈めた時に、自分も下に沈んだのかも判らない。その後のことも、右手を離され首に剣指を突き立てられるまでの、その課程の記憶が飛んでいる。
それに――
あの時、今までの空手の試合では一度も感じたことのない、奇妙な感覚に襲われていた。皓華と戦った時でも感じることはなかったもの。確かに、それは止まったエスカレーターを登る時の、あの不思議な感じに似てなくもない。
そこまで考えた途端、守は怖気にも似たゾクゾクと気配が背中を走った。
(も、もしかして、あれって……『秘伝』ってヤツなんじゃあ……)
体中を駆け巡る歓喜に、守は思わず声を上げそうになった。守が高ぶる気持ちを抑えながら龍煙を見ると、龍煙は微かに笑っていた。
「簡単なものでは、わざとどうでもいい他の場所を軽く触っておいて、相手が一瞬そちらに気を取られている隙に張り倒す。そんなこともする。まあ、実際にそれを使えるようになるには、それ相応の訓練が必要だがな」
すると、育が「あの」と声を上げる。
「『識神』の誤作動を防ぐ術は、あるんでしょうか?」
「ある。だがそれは『防ぐ』というよりも、『惑わされない』と言うべきかもしれない。既に君たちも知っているものだ」
「知っているもの……」
育が考え込んでいると、「『元神』ですね」と夏芽。
「そうだ。『識神』の誤作動を察知し、カバーするのが『元神』の役割になる」
(『元神』の……)
「『識神』を『思い込み』と捉えてみて欲しい。『自分にはできない』と思い込むことで、本当はできるのにできなくなってしまうことはたくさんある。そして『そうあって当たり前』という思い込みこそが、地震や火事などの災害時に、逃げ遅れたり、逆にパニックを起こす元になるという」
守は、ここで再び『正常性バイアス』という言葉を思い出した。
「さっきも言ったが、『識神』は常識と言い換えることができる。また、『元神』は潜在能力や本能ともいうこともできる。普通の人間は特別な意図がない限り、常識から外れることを自ら進んで行うことは、まずない。枠を作っておいた方が生き易いからだ。だが、それが本能で感じ取った危険を無視してしまうのだ。それこそが『識神』が『元神』を無視したり、押さえ込んでしまう状態といえるだろう。人が生きていくために常識は必要だ。しかし常識に囚われ過ぎれば、身動きが取れずに自分を危機に陥れてしまうことにもなる」
だからこそ、龍煙は『感覚』が大切だと言ったのだろうか。
「無視された『元神』を働かすにはどうしたらいいんですか?」
訊ねる守に「『火事場の馬鹿力』の応用だ」と簡単な言葉が返ってきた。普段は発揮できない先天の力は、我を忘れた時に発動することができるという。
「パニック状態になれ、ってことですか?」
「いや、そうではない。『元神』を発動させるには、『識神』の桎梏を取り除けばいいだけだ」
蒼は黒板に向かうと、白いチョークを手にして『神拳』と書いた。
「喩えば、武功の一つに『神拳』というものがある。またの名を『神打』ともいい、中壇元帥や孫悟空などの神、あるいは鳳凰や麒麟などの神獣や霊獣を降ろして、神懸かりの状態となって戦う方法だ」
「『神懸かり』……ですか?」
守は目を見開いて、信じられないという面持ちで聞き返した。
「意識的にトランス状態を作り出し、『識神』の桎梏を取り除き、内に潜む能力を引き出すのだ。神懸かった状態では『識神』というものが働かない。そして言葉はこの『識神』の範疇に入るのだ。つまり『神拳』を行う時は、言語を用い理論立てて考えることができなくなるということだ。ならば、倫理観に伴う躊躇いもなければ、恐怖心もない。そして『刀槍不入』。痛みをも感じることさえないという」
守は何かの香港映画で、道術によって、どんな傷を負って倒れても立ち上がる、無数のゾンビのような兵士の姿を観たことがあった。
(つか、ゲームなんかの、バーサク状態ってヤツだよな。なら――)
「それって、もしかしてアドレナリンが関係してますか?」
アドレナリンは副腎髄質から分泌されるホルモンで、運動や心理ストレスに晒された時に分泌し、交感神経を興奮させることでストレスに対応させるものだった。
また興奮状態になることで、痛みを感じさせず、止血作用もあるという。
「確かに、我を忘れた時に先天の力発揮することができるのは、アドレナリンの作用が大きいらしい。だが、その辺りの詳しいことは、実は僕もよく知らないのだ。ただ手っ取り早く神懸かるために、催眠などの暗示を使ったり、アヘンなどの薬物を使用することもあったという。しかし、それはあくまでも一時凌ぎの邪道に過ぎない。本来ならきちんと練功を積み、己が意志で『識神』と『元神』の切り換えを行わなければならないのだ。それに、降ろしている『もの』が神や神獣ということも重要だ」
「はい?」
龍煙は、これはあくまでも自分の考えだ、と言って先を続けた。
「神や神獣、霊獣といったものには、あくまでも『善』という前提があるだろう」
「善イ神様、悪イ事シナイ」
龍煙の後に皓華が続く。
さっき龍煙は、『言語を用い、理論立てて考えることができなくなる』と言っていた。そして『倫理観に伴う躊躇いもなければ、恐怖心もない』のだ、とも。
「それって――何をするか判らないから、ある程度の枠を作っておくってことですか?」
「それに、仕事が終われば帰って行く」
「あ、普通の状態にも戻りやすいんだ……」
「実際には憑依されているわけでなく、あくまでも仮借だろう。だが、強い正しいと思えれば、力を発揮することに躊躇いはなくなる。そして、前提を定めることで自分を護ることもできる。それに一時的に借りているものなら、やはり返さなければならないとも思う。そういうところも重要なのだ」
その時、目の端に皓華のニカっと笑った顔が映り込んだ。
「あ……」
守の脳裏に、金色に波打つトウモロコシ畑が広がった。
「『行ったら帰ってこなければならない』……ですか」
「そうだ。『人間でいたかったら』な」
龍煙は皆を見渡すと、話を戻した。
「己が意志で『識神』と『元神』の切り換えを行う。そのために、我我には先天を鍛えるための様様な方法が伝わっている」
「『還精補脳』がそうですね」
夏芽の言葉に、龍煙は「そうだ」と答えた。
「『還精補脳』の状態になれる功法は、静功、動功共に何種類も存在する。武功の訓練で力を使わないものや、静功の時に意念を使わないものもその手段の一つだ。とにかく、どの方法も己の中に潜んでいるものを、後天を使わず引き出すことができるようになっている」
そして龍煙は武功の場合の例を挙げた。
「武功の練功は、同じことを繰り返すことが肝要だ。これは、意識的に行っているものを、反復することによってより潜在意識や無意識に近い状態へまで持って行くことができるのだ」
(確かに――)
単純な動作を何度も何度も繰り返し行っていると、余計な力が抜け、次第に何も考えない状態になっていく。
「そうなれば、『識神』の桎梏が弱まり、『元神』などの先天の力がより発現し易い状態になる。喩えば、君たちも知っている上下で軽く腕をぶつけ合う、武功の訓練だが――」
守は、最初に蘇州で含明からこれを習った時、力任せに腕を振り回さないようにと何度も注意されていた。
「功が進むと内力が発生する。内力とは、先天の力、真の力だ。上手く発動すると腕が当たる度に、下丹田に内から外に向かって熱感が破裂したように広がるのだ。腕はぶつかった途端、面白いようにパンと弾けて飛んでいく。さらに功が高まると『勁』を発することができるようにもなる」
「発勁ですか?」
「そうだ」
守は今度こそ、ずっと疑問に思っていたことを口にした。
「『勁』とは、いったい何ですか?」
「うむ、それについては、実は僕もはっきりとした答えを持ち合わせてはいないのだ。取り敢えず僕の推論を言う前に、高名な武術家によって様様な表現が為されている『勁』と『力』の違いについての説明を、紹介しておこう」
龍煙は黒板に向かうと、スラスラと文字を書きつけていく。
『勁は丸で、力は四角』
『勁は加工済みで、力は未加工』
『勁は目的があり、力は目的がない』
『勁は巧緻性があり、力は巧緻性がない』
龍煙は最後に、『巧緻』とは、『巧妙緻密』の略だと付け加えた。
「これはあくまでも僕の推論だが、『勁』とは、筋肉などが生み出す後天の力を、内力などの先天の力と融合させることにより、さらに増幅させたものではないかと考えている」
「後天と先天が必要なんですか?」
「そうだ。だが、バランスは人によって違うのだろう。けれど、どちらが欠けてもだめだとは思う」
もともと武術では、同じ動作を何度も繰り返すことで、意識して行う動作を無意識に近い状態でも行えるところまで持っていく。さらに、無駄な力を抜いて関節や筋、腱が無理なく動く状態にし、重力や遠心力などの自然の力を使うことも学ぶ。そうすることで脳の反応速度を上げ、逐一言葉にして思考せずに体が的確な反応を返す状態。つまり、動作を早くすることができるのだ。また筋肉が発する力だけでなく、プラスする力を最大限に引き出し活用することもできるようになる。さらに昇降、開合、呑吐などを使い力の進む方向を変えることができれば、発生した力をロスすることなく、増大させながら目的の場所に届けることもできるのだ。
「実は、『練拳に於いて最も重要なことは、勁道を探すことだ』と言われている。喩えば、套路の練習を行う時、何度やっても寸分違わず同じところを通っていては駄目なのだ。ルートや速度を少しずつ変えて様様な『勁道』を試し、いろいろ確認することが必要だ」
人間の体は皆同じではないのは当然のことだった。また、その時の体調や骨格の歪み具合で同じ人でもルートは微妙に違ってくる。
「動かしているうちに矯正されれば、ルートもまた変わる。故に、必ずこのルートでなければならないということは、実際にはない。『勁道を探す』とは、最適解を求めることではない。そして、通るルートや速度を少しずつ変え繰り返し練習することで枠ができるともいう」
「枠ですか?」
守が訊いた。
「ああ。使うことのできない套路を学ぶ意味を、君たちは考えたことはあるか? 実際に、套路を学ぶだけでは技を使うことはできない。縦しんば使えたとしても、実戦になった時、必ずしも套路の通りに攻撃してくれる者はいないはずだ。だのに何故、皆が皆、何度も同じことを繰り返すのか?」
「それは……経絡の関係じゃあ――」
守の答えに「確かに」と龍煙。
「内家拳では経絡を開くという目的もある。だが――」
今よく見られる套路では、その順番が厳密に護られていないものも多いという。そして、外家拳ではあまり重要視されていなかった。
「一説に、套路は枠を作るためものだと言われている。この枠とは一種の境界だ。人と人で無い物の境。もしかすると、人に戻れるぎりぎりの境界、ということかもしれない」
「あっ! 『行ったら、帰ってこなければならない』ですか?」
「そうだ。『人間でいたかったら』な」
これは大切だ、と言わんばかりに、龍煙はさっきと同じやり取りを繰り返した。
「実は、これを作っておくと、どんなに無茶なことをしても、その枠から外に出ることはないという。ただ、この枠はある程度曖昧模糊としている必要があるのだ」
「臨機応変に対応できるようになる、ってことですか?」
「少しはみ出してしまっても、戻って来られるようにとか、ですよね」
育の後に龍耀が続いた。
「いろいろと理由はあるのだろう。どれか一つが正しいということはない。それは実際の人生で起こり得る、様様な問題の答えが一つではないのと同じだ」
龍煙の視線は夏芽に向いていた。夏芽は真剣な表情で龍煙を見つめている。
守はここに来た初日に、龍煙に謝罪された時のことを思い出していた。龍煙は、夏芽は『問いの答えが一つしかないと信じている』と言っていた。
「だからこそ、ある程度曖昧模糊としている必要があるんですか? そのために、ルートや速度を変えることが推奨されると――」
夏芽の問いに「そうだ」と龍煙は頷く。
「故に本当に『使える』武術とは、実戦で敵をやっつけるものではなく、人の生を生き易くできるもの。つまり、人生に『使える』ものでなければならないのだ」




