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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第八章 五気朝元(五つの気が相見(あいまみ)える)
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五気朝元 10

 それは不思議な光景だった。


 守は、自分の中に潜り込んでしまった感覚に陥った。

 と、同時に――

 外から自分を眺めている自分が存在していることにも気づいていた。

 潜り込んだ自分は、渓流を進む水のように、どんどん先へと流れて行った。

 ぼんやり朱く光る、向かう先。

 近づくにつれ、朱い光は次第に強くなっていく。

 それは自分の胸の奥深く。

 ほんの少しだけ左に寄っている。

 ぼうっとした、朱い光の中には、何かが隠れ潜んでいるようだ。

 それは――


(つぼみ)?)


 スズランのように上から吊り下がっている蕾だった。

 それが、今まさに下から開こうとしている。

 光を透す何枚もの薄いベールがゆっくりと捲れていく。

 その中から、キラキラと光る朱い輝きが漏れ()でて――


 そして一斉に溢れだした。



「何が観えた?」

 まだ、完全に収功(しゅうこう)できずに呆然とする守に、龍煙(りゅうえん)が訊いた。

「あ、(あか)い鳥が……」

「今も、いるか?」

「は、はい」

「なら、それでいい」

 龍煙は、守にちゃんと収功するよう促すと、皆に向かって話し始めた。


「他の者にも観えただろう。だが、観えた『もの』は皆違うはずだ。そしてそれが今でも体内(なか)にいることを感じることができるだろう」


「兄さん!」


 龍耀(りゅうよう)が慌てて声を上げた。

「解っている。亀がいる。おまえの場合はそれでいい」

 龍煙の言葉に、皆の目が一斉に龍耀に集中する。


「えっ?」

 と、守。

「『烏亀(ウークイ)』?」

 と、皓華(こうか)

「………」

 育は、言葉もなかった。

「りゅ、龍耀さんが――た……膽神(たんしん)なんですかぁ?」

 皆を代表するように、夏芽(なつめ)が訊いた。


「そうだ。龍耀こそが、『威明(いめい)』なのだ」


     *


「そんなことって、ありですか?」

 守の問いに、「もちろんよ」と夏芽が答えていた。


 食堂では夏芽が器用に包丁を使い、スープ用の冬瓜(とうがん)の、淡い若草色の皮を剥いていた。いつも綺麗に染められている爪は、ここに来てからは短くされ、色は地色の薄いサーモンピンクのままだった。その隣では育が銀のスプーンを細かく動かし、白いワタと薄茶の種を掻き出している。育の斜向かいにいる守は皓華の指導の下、粉類と水と牛乳を混ぜ合わせた、生成(きな)り色の花巻(はなまき)の生地と格闘していた。

 実際の夕食当番は守と夏芽だけだったが、さっきのことが気になったのか、育と皓華も食堂に来て自然に作業に加わっていた。


「同じ『木』の一族なのよ。昔の親戚だからって馬鹿にしちゃいけないって言ったでしょ」

「え?」

(でも、自分だってもの凄く驚いてたじゃないか)

 守は、声に出さずに心の中で突っ込みを入れる。

「あら、何か文句ある?」

 その心を読んだように、夏芽は守を睨みつけながら、手にしていた包丁をスッと動かした。

「い、いえ別に」

 経験上、ここで逆らうのは得策ではない。凶器を手にしているならなおさらだ。

「でも……」

 代わりに育が口を開いた。その気遣わしげな視線の先には、皓華がいる。

「何?」

 寝かせてあった花巻の皮を小さく等分に千切って丸めていた皓華が、皆の注目に気づき、顔を上げた。

「ダイジョブ。龍耀(リュウヨウ)哥哥(オニイサン)関係ナイ。哥哥ガ膽神ニナッタノ、ツイ、コナイダ」

 確かに、皓華の両親が蘇州の地に倒れたのは、十五年も前のことだった。

「そうだけどさぁ」

 これで、皓華の両親を殺害した犯人の手がかりが、なくなってしまった。

 何しろ龍耀は、自分が膽神を受け継いでいたことにさえ、気づいていなかった。ならば、誰から継承したかなど、とうてい知るよしもない。


「ソレヨリ――」

 守の心配をよそに、皓華が突然話題を変えた。

「そうだね」

 育の暗い表情が少し明るくなる。

「あっ、やっぱり感じてた?」

 夏芽の嬉しそうな言葉が続いた。

「何だよ、それ?」

 守だけが解らなかった。女たちは守を無視し、互いに顔を見合わせて、クスクスと楽しそうに笑い合っている。

「だから、何なんだよ?」

 焦れた守が訊き直した。

「ここに来てから、調子、どう?」

「『どう』って……」

 夏芽に言われ、守は思い返す。


 確かにここに来てから、いつもと同じことをやっているはずなのに、いつもよりもずっと快調だった。それにあれだけ育に駆り立てられていた、守の気持ちも落ち着いている。気場がいいのは解っていたが、皆の態度から察するに、どうやらそれだけではないらしい。

「どういうことですか?」

「あたしはずっと、あそこが龍煙さんの『場』だからだと思っていたの」

「龍煙さんの『場』?」

「そうよ。あそこには、龍煙さんが作った『気場』があるの」

 龍煙はいつも皆よりも先に起床して、道観(どうかん)の前庭で練功をしていたという。

「練功をすれば、誰でもそこに『場』ができるわ。ただその人の属性や性格、功夫(こうふう)によって『場』の質や強さは違うんだけどね」

「はあ……」


 守は、もう一度良く思い起こして吟味した。

 龍煙の作った『場』は、当たり前だが含明(がんめい)とは違う。含明の場合は、優しく親切で何よりもきちんと整った感じがした。だが龍煙の場合は、含明よりももっとずっと鷹揚な感じがする。そして、より大きな包容力のようなものも感じられた。


「でも、それだけじゃなくて、みんなが揃ったからなのね」

 しみじみと言う夏芽に、育も皓華も頷いている。

 確かに肝神の含明はいないが、龍煙は含明と同じ一族で、次の代の掌門人(しょうもんじん)だ。

 それに――

 脾神の夏芽と、膽神の龍耀。

 蘇州での合宿とは違い、木火土金水の、五気がすべて揃ったことになる。


「京都で話したことを憶えてる?」

五行(ごぎょう)の気は(めぐ)ってるってとこですね。つまりオレたちの間で、五行の相生(そうせい)の循環が起こっている、と」

「今までは夏芽さんが欠けていたから、火から土へ、土から金への流れが繋がっていなかった」

「ソレニ、龍耀哥哥」

 守の言葉に、育と皓華が続いた。

「それに相生だけじゃなくて、相剋(そうこく)も上手く働くようになったのよ」

「『相剋』? あ……」

 相剋は『打ち負かすことではなく、やり過ぎを諌めてくれる』こと。そう夏芽は言っていた。

 つまり、『火』である守を止めるのは『水』の育の役目なのだが、育は思い煩うことが多く、守を止めきれていなかった。そればかりではなく、あまり調子のよくない育を、守はさらに追い込むようなことをしていた。

 それが――

「みんなが揃って、システムとしての五行が確立されたんだ……」

「そう。正しい姿に戻ったのよ。きっとこれって凄いことなのよ。だってみんながこの地に揃うのなんて、三百五十年振りなんだから」

「うへぇ、また『三百五十年』ですか……」


 途方もない月日の繰り返しに、守は遠く想いを馳せる。

 だが、あまりにも遠すぎて何も思い浮かばなかった。守は改めて、自分の想像力のなさを思い知ることとなった。

 けれど――

 たとえ何も思い浮かばなくても、胸に迫ってくる『もの』はある。まったく何もないのではなくて、いろんな物がごちゃ混ぜで、その輪郭をはっきりさせることができないのだ。それを言葉や形にするのは、今はまだ無理なのかもしれない。

 それでも、常在が何かしたいと思う気持ちは、守もすんなり納得できた。


 納得できないのは――


「ねえ、夏芽さん」

 無駄だと判っていながらも、守は前から疑問に思っていたことを口にしてみる。

膽神(たんしん)って、どういう役割なんですか?」

「それは、あたしも本当に知らないの。皓華は?」

 夏芽が訊いた。

「知ラナイ。育ハ?」

 育は、黙ったまま首を横に振った。

「龍耀さんに聞いても無理っぽいし、龍煙さんも、教えてくれない、って言ってたもんな――」

 龍耀が膽神だと判った時、守が訊ねるよりも早く、龍耀が膽神を継いだのは最近で、それ以上は話すことはできない、と龍煙に釘を刺されていた。


「もしかして――前の膽神って、龍煙さ……」

「そんなわけないでしょ」

 守が言い終わらないうちに、夏芽が強く打ち消した。「ソウソウ」と皓華がしかめっ面で相槌を打っている。「何でですか?」と頭ごなしに否定されて不満な守が口を尖らした。

「兄弟なんだから、有りでしょう」

「無いわよ。龍煙さんが膽神なら、掌門人にはなれないもの」

 きっぱりとした口調で答えた夏芽は、もう一度「膽神は掌門人にはなれないの」と繰り返した。

「どうしてですか?」

「どうして、って言われても……」

「ドウシテモ!」

 見兼ねて皓華が割って入った。

「そうなの。理由は判らないんだけどね、これは昔から決まっていることなのよ。それに、龍煙さんは肝神(かんしん)だもの」

「えっ?」

 思わず守は生地を捏ねる手を止めた。

「だって、肝神は含明さんじゃ……」

(かく)師兄(しけい)はもう肝神じゃないの。本当に紛らわしいんだけど、今の『含明(がんめい)』は龍煙さんなのよ」

「はいぃ?」

 夏芽は「言ってなかったの?」と皓華に訊ねた。

「アタシ、育ニ話シタ」

 守の責めるような視線が育へと向かう。

「ごめん。上海に戻る車の中で聴いたんだけど、あんたは寝てたし、それに、含明さんは言わなくていいって……」

「何でだよ?」

「『行ケバ判ル』ッテ哥哥ガ……」

「何だよ、それ」

「それだけ、あなたのことを評価してた、ってことでしょ」

 不満を隠そうともしない守に、真面目な顔で夏芽は言った。

「『守なら、きっと解る』師兄はそう思った。だから、『試された』なんて思ったらだめよ。この世界には、こういうことはつきものだもの。違う?」

 冗談めかした夏芽の言葉は、ただの慰めでなく本気のようで、守は悪い気がしなかった。それに実際判らなかったのは自分の功夫が足りなかったからだ。誰のせいでもない。

 そう考えると、不思議とやり場のない怒りは消えていった。


「だけど、何で龍煙さんが肝神に?」

「でしょう。わたしもそれが不思議だったの」

 夏芽の後に、「アタシモ」と皓華。

「五臓神は、大抵は直系の子孫に受け継がれるんですよね」

 受け継ぐのは、名前と能力とそれに見合った役割。

 そして――

 体内に棲み着く、神獣に似た、様様な姿の体内神(たいないしん)


「子供がいないとか、特別の事情がない限りは、ね」

 そう言う夏芽は、子供がいない伯母の後を継いでいた。

 夏芽の伯母の黄珪沙(こうけいさ)は、常在の妹で、守の母方の曾祖母(そうそぼ)に当たる詩織(しおり)から脾神を継いでいる。詩織の子供は男の子だけだったから、このことから考えると、脾神の場合は必ず女性でなければならないようだ。


「龍煙さんが肝神を継いだのはいつなんですか?」

「四年前よ。その頃、角師兄のお母さんの角柳青(かくりゅうせい)老師も亡くなって、掌門人にも指名されたの」

 龍煙は含明よりも九つ年上だから、ただ単に、含明に子供がいないというだけでは考えられない展開らしい。

「角老師には、含明さん以外に子供はいなかったんですか?」

 守が夏芽に聞いたのだが、育の通訳を聴いていた皓華が中国語で話し始めた。

「お兄さんが二人いたけど、下のお兄さんは、含明さんが生まれる前に亡くなってる、って」

「じゃ、上のお兄さんは?」

「台湾ニイル」

 皓華は一言日本語で答えてから、事情を中国語で説明した。

「文革の時に、お父さんと一緒に台湾に亡命したらしい」

 通訳する育に、「お兄さんには、子供はいなかったのか?」と守が重ねて訊ねると、「そうよね」と夏芽。

「師兄より上なんだから、結婚して子供がいても……えっ、何?」

 夏芽は皓華の話を聞いて、「まあ、そうなの?」と問い直した。

「そう言われてみれば、そんな話、聞いたことがあるわ」

「何をですか?」

「台湾お兄さんのことはよく判らないって、でも、お母さんの角老師には双子の妹さんがいたのよ。確かどちらが肝神になるか、競い合っていたはずよ。何? ああ、なるほどね。結果は、妹さんが負けてうちの門を離れたらしいわ」

「じゃあ、その人にも子供がいる可能性があるんですね」

「でも、先天の『元気(ちから)』がなければ……」

 育が最後の部分を濁らせると、「ソウソウ」と皓華。

「実力無イ、成レナイ」

「つーうことは、適当な人材がいなかっ――」

「そうじゃないでしょ」

 守が最後まで言わないうちに、夏芽がそれを遮った。

「龍煙さんが一番適任だったってことよ」

 続く夏芽の言葉には、強い怒気が含まれていた。

「でも、弟さんの龍耀さんが膽神なんですよ。お兄さんの龍煙さんが肝神って何かおかしくないですか?」

「ないわよ。最初の肝神と膽神も兄弟だったもの」

「マジっすか?」

「とにかく、同じ一族なんだから、絶対にありえないってことはないの」

 夏芽の強い口調に、守は何となく反発を感じた。

(同じ一族ねえ……ん? これって――)

 守の頭の中に、突拍子もない仮説が浮かんだ。


「ねぇ、夏芽さん。やっぱり龍耀さんの前に、龍煙さんが膽神だった、ってことはないですか?」

「え?」

 夏芽は一瞬何を言われたのか解らないようだった。

 守はもう一度「龍煙さんが『威明』です」とはっきりと繰り返した。

「守。あなた、何を言ってるの……だから、それは――」

「『同じ一族なんだから、絶対にありえないってことはない』んでしょう」

 自分で言ったばかりだ、と言う、守の態度は挑戦的だった。

「龍煙さんと龍耀さんは、血の繋がりのある兄弟です。たとえば、膽神の龍煙さんが、掌門人にならなければならなくなった。膽神は掌門人にはなれないから、龍煙さんが肝神になって龍耀さんが膽神を継いだ――とか?」

「そんなの無理よ。掌門人を決めるのは師父だもの。わざわざ膽神を指名するはずないじゃない。それに同じ人が肝神と膽神だなんて、聞いたことがないわ」

「膽神が誰かは秘されていたんでしょう。だったら、聞いたことがないのは当然です。それにこの場合、同時じゃなくて時間差ですし」

「確かに。けど――」

「とにかく細かいシチュエーションはいいんです。どっちが先かもどうでもいい。要は、龍耀さんの前に龍煙さんが膽神だった可能性が、『有る』か、『無い』か、ですよ」

「でも……」

 逡巡する夏芽に、そもそも膽神が特別な存在なら、継承の条件が自分たちと同じとは限らないし、自分たちもまた、一番の適任者が、たまたま直系の子孫だったというだけかもしれない、と守は言った。

「だから、優秀な龍煙さんが選ばれたんです。それも、両方に」

(プー)(プー)(プー)!」

 皓華が強く否定して捲し立て、育が慌てて通訳する。

「含明さんよりも、龍煙さんの方が適任だとは思えない、って皓華が」

「けど、実際に今現在肝神なのは、龍煙さんなんだぞ」

 守が皓華の考えを一蹴する。皓華がさらに何か言い連ねようと口を開いた。

 すると――


「もしかしたら、そういう可能性はあるかもしれないわね」

 考え込んでいた夏芽の口調は冷静だった。

「でも間違えないでね、守。わたしは龍煙さんが膽神だったなんて思ってはいないから」

「あくまでも、同じ人が時間差で受け継ぐ可能性、ってことですね」

「そう。ただ、肝と膽の両方が、直系ではない(りん)兄弟に受け継がれたのには、何か理由があると思うの」

「龍耀さんが膽神になったのは、龍煙さんが肝神になったことと関係がある」

 育もそう言葉を重ねる。

 わざわざ育が言ったなら、きっとそれは正しいのだろう。

「けどね、守。大切なことを忘れないで欲しいの。たとえ、龍煙さんが膽神だったことがあったとしても、皓華の両親のこととは一切無関係だわ」

「あ……」


 いつも膽神が誰かという話になった時、守は頭の中からすっぽりと皓華の両親のことが抜け落ちてしまうのだ。

 確かに普段の印象からも、龍煙が犯人だと考えるのは難しい。もし龍煙が皓華の親の命を奪っていたら、あそこまで温かい目で見守ることなどできないだろう。

 その時「だって、あの頃――」と夏芽がそれを裏づけるようなことを証言した。


「龍煙さんは、まだ日本にいたんだもの」



次回から、また説明に戻ります。

申し訳ありませんが、少し時間がかかる予定です。

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