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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第三章 識炉鼎(炉と鼎を見分ける)
19/99

識炉鼎 3

これはあくまでも創作です。実在の場所、同名の物が出てきますが、現象はすべて作者の妄想です。

*ダメ、絶対。

亀石には絶対に上らないでください。

 一度近鉄の奈良駅に戻り、(まもる)は今度は明日香村へと向かった。

 戒壇院(かいだんいん)で時間を取ってしまったが、そここそがこの旅の目的地、武志の一家が住んでいた場所だった。

 車窓の向こうを大和の山々が流れ去って行く。だが、守はさっき遇った、不思議な少女のことを考えていてその凍えた様子に気づきもしない。

(あの白い少女は……)

 全神経を集中し、守はあの時感じ得ることができたすべての感覚を思い起こそうと試みる。

 まず、あの少女には気配というものがなかった。

 あの時、守は完全な陶酔の中にいた。

 だからと言って、すべてがまったく判らなくなっていたわけではない。

 というよりも――

 かえって感覚は普段よりもずっと鋭敏になっていた。

 微かに流れる空気の動き。

 外の木々の葉が擦れる音。

 そんな僅かな変化すら、あの時の自分なら絶対に見逃すはずがなかった。

 だのに、少女の気配だけは判らなかった。

(何故だ)

 守は自問する。

 可能性があるとしたら、彼女が守と同じような状態にあったか、守と完全に同化していたかだろう。

 それ以外には考えられない。

(なら、あの()はいったい……)

 その答えは上海のあの夜のように、いくら考えても出てくるはずもなかった。


 飛鳥駅に降り立った守は、預かったハガキから書き写したメモを出し、もう一度住所を確認した。母はまず、亀石を目指したらいい、と言っていた。

 ガイドブックと顔を突き合わせ、守は田畑の中の周遊歩道を進んでいった。冬でありながらも陽光は温かく、しばらく行くとうっすらと汗ばんできた。鬼のまな板、雪隠(せっちん)を経た辺りで、ダウンジャケットを脱ぎさらに進む。しばらく行くと、歩道は大きな県道にぶつかった。

 亀石はその道を渡った先の、歩道沿いにあるらしい。


「あれ、この辺なんだけど――」

 守は、真っ直ぐ伸びる歩道の途中で立ち止まった。道の周囲は田畑ばかりでそれらしきものは見当たらない。通り越してきた民家の生け垣の向こうで、子供が数人遊んでいるだけだった。

 どうやら子供たちは、置いてある大きな庭石の上によじ登っているらしい。

(子供は高いところが好きだからな)

 守は自分も子供の頃、よく庭の百日紅(さるすべり)の木に登っていたことを思い出した。懐かしく眺めていると、自分と同じように、その子供たちを遠巻きに見ている人がいることに気がついた。

(あ――)

 子供が遊ぶ場所の道を挟んで反対側、土手にはみ出すように道幅が少し広くなっている所に、白っぽい服の少女が立っていた。

 守は、気づかれないよう十分注意しながら、静かに近づいて行った。同じくして、少女も子供たちの方へと動き出す。

 少女は遠目で見た時より背が高く、華奢な体を、白と見紛(みまが)薄紅(うすくれない)のショートコートで包んでいる。

「…げん……しめ……」

 風に乗って切れ切れに、少女の呟きが聞こえて来る。その声は、守が思っていたものよりも低かった。

「何が、『ない』って?」

 なるべく驚かさないように、守は静かに声をかけた。

 少女が振り向く。

 だがそれは少女ではなかった。

 年の頃は守と同じ位。最初に見かけた時とは違い、ずいぶん冷ややかな印象だ。

 鋭い光を孕んだ澄んだ瞳が、警戒の色を滲ませている。

「誰?」

 木枯らしのように冷えきった声が訊ねた。

「戒壇堂で会ったろ。知らないとは言わせないぞ」

 冷たい視線のまま女は守を睨みつけていた。だが、構わずに守は続ける。

「あんただって聞いたんだろう? お経みたいな声。それに鈴の音」

 女の瞳の色が微かに変わった。守はそれを見てダメを押すようにさらに言う。

「光の梵字(ぼんじ)――」

 女の顔は能面のようで、これといった変化はない。

 けれど気配ははっきり驚いている。

 守は心の中で小さくガッツポーズを作り、気軽な感じで名前を名乗った。

「オレは、丹下守(あかもとまもる)。あんたは?」

 氷のように冷ややかな女が、初めて(おもて)に驚きを表した。

 だがすぐにそれを掻き消すと薄く笑った。

「新手のナンパ?」

「ああ。そう思ってくれて構わないぜ」

 しばらく間を置いてから、掠れた声が聞こえてきた。

玄明育(げんみょういく)

「ふ~ん、いい名前だな」

「どこが?」

「音の響きかな。オレは好きだ」

 一瞬育が驚いて守を凝視した。が、すぐに気づいて視線を逸らせた。守は自分に向けられた薄ら寒い声や態度の中に、心なしか恥じらいを感じ取った。

「あんた、観光で来たのか?」

 気を良くした守がさらに聞いた。だが育は視線を逸らせたままで、質問には答えない。まだ守のことを警戒しているのだろう。

「なあ、ここら辺に、詳しいのか?」

 守は話題を変えて話しかけた。しかしそれにも答えなかった。

(何だよ。名前を教えたんなら、誘いに乗ったってことだろ)

 今度答えなければ文句を言ってやる。

 そう心に決め、守は再び話題を変えた。

「『亀石』って、どこにあるか知ってるか?」

 育は冷たい視線を向けただけで、やはり答えなかった。

「あん、なぁ――」

 言いかけた瞬間、育の白く細い指が、子供がよじ登っていた庭石を指差した。

 いつの間に家に帰ったのか、遊んでいた子供はどこにもいない。

「え?」

「あれ」

「は? だって、ガキが乗って遊んでたぞ」

「いいんじゃない、別に――」

「い、遺跡だろ……」

 育はさっさと一人で亀石に近づいていく。

 逃げられては堪らないと守も慌てて後を追った。


 三方を生け垣で囲まれた狭い場所に、大きな顔がついた石が蹲っていた。

 鳥のようなクチバシがついたそれは、カメというよりもカエルに見える。

花崗岩(かこうがん)でできた亀型の石。国境(くにざかい)の結界石とか、死んだカメの慰霊碑とか言われてるけど、本当のところは判らない」

「カメの慰霊碑?」

「ガイドブックに載ってない?」

 守は、慌ててデイパックのポケットに捩じ込んだガイドブックを取り出した。

 ハラリ、と栞替わりに挟んでおいたメモ用紙が地面に落ちる。育が屈んでそれを拾い上げた。

「!」

 守に渡そうとした手が、一瞬で引っ込んだ。

「これ……」

「何だよ?」

「この住所……」

「あんた。知ってんのか?」

「ここに、何の用があるの?」

「行こうと思ってんだけど。何かあるのか?」

 守の問いに、明らかな動揺を示した育は、躊躇いながらも「何もない」と一言だけ答えた。


「奈良盆地が湖だった頃、當麻(たいま)のヘビと川原(かわはら)のナマズが水の取り合いをした」

 どうしても行きたいと言う(まもる)を案内しながら、(いく)は亀石の話をした。

「ふ~ん、で?」

 そんなことはどうでもいいと思いながらも、守は先を促すように相槌を打った。目的の場所に着く前に逃げられたくはなかったからだ。

「結局、ナマズが負けて、ヘビが沼の水をすべて持っていった。そのせいで沼に住んでいたカメが、とばっちりを受けて全滅した」

 説明する育の声は、暗く深く沈んでいく。

「だから、亀石はカメのために建てられた慰霊碑だ、って言ったのか」

 育は何も言わずに頷いた。

(暗いな。……真っ暗だ)

 この僅かな時間で、守の育に対する印象はどんどん悪くなっていった。

「それに、亀石が西の方を向くとこの辺りは泥沼になるともいわれている」

「そんなの単なる伝説だろ。実際にあんな大きい物、そう簡単に動くはずがない」

「でも、動いた。十四年前に……」


 それは田圃の間に存在した空間だった。

 一見するとただの小さな沼か、大きな貯水池のようにも見える。ただ生け垣だったらしい低木が、実際ここに家があったことを示していた。

 守は門があったと思しき場所に辿り着き、その先の水辺に近づこうとした。

「近寄っちゃだめ!」

 ヒヤリ。

 冷たく細い指が、半袖のTシャツから覗く守の肘を掴んだ。

「だって、浅いぜ」

 透き通った水の中には群れたカダヤシが泳いでいる。水面からそんなに遠くない場所に、底らしきものも見えていた。

 けれど育は守の腕を掴みながら、強固に首を横に振り続ける。

「泥が多いだけ。ここは、底なしだから――」

「ウソだろう」

「ううん。二人死んでる」

「は?」

(からかっているのか? もしそうなら……)

 真剣に見つめる育の、玄い瞳の中には、嘘とは思えない何かがあった。

(なら、頭がおかしいのか)

 守は、遠くからこちらを伺う、訝るような視線に気がついた。まさか自分もそう思われていたら堪らない。守は「こんにちは」と愛想よく笑いながら、その中年の女に近づいて行った。

 大学のゼミで明日香の遺跡についての研究をしている、などと適当なことを並べ立て、守は十四年前の事件について訊ねてみた。女は、この地に嫁いで十年ほどでよく知らないが、噂なら聞いたことがある、と言い、詳しく知っている老婆がいるから、と親切にもそこへ連れていってくれるという。

 守が「おい」と振り返ると、いつの間にか育の姿が消えていた。



 当時、その家には維名蒼(いなあおい)とその妻、そして小学生の娘に、幼稚園の男の子の四人が暮らしていた。事件が起こったのは十一月の初め。今にも雨が降りだしそうな、風の強い日の昼前だった。

 突然、庭の小さな池から水を含んだ泥が溢れでて、瞬く間に強くなる雨と共に、木造平屋建ての家屋を飲み込んだ。あっという間の出来事だった。レスキュー隊が駆けつけたが、地盤が悪く救出作業は困難を極めた。多くの人たちの努力も空しく、結局、誰も救い出されることはなかったという。

 翌日、泥の中から事切れた、蒼の妻の遺体だけが浮かび上がった。あれほどの災難だったにもかかわらず、体のどこにも傷一つついていなかった。それどころか、不思議なほど穏やかな表情で、微笑みさえ浮かべていたらしい。

 蒼と幼い息子の亡骸は、とうとう発見されることはなく、学校へ行っていてたった一人難を逃れた娘は、東京の親戚に引き取られ、事件の後この地を離れている。

 後に、『亀石がほんの僅かの間、西を向いた』という噂が広がった。



 暇を告げ、守はもう何軒か聞き込みをしたが、誰もが知らないか、皆同じような話で目新しいことは何もなかった。亀石についての噂も、目撃者が不特定で今一つはっきりとしない。(まこと)しやかに囁かれるよくある噂話と一緒で、本当に見た者など誰一人としていないのだろう。

 (なに)()もが靄に包まれているようで判然としなかった。噂とはそんなものなのだろうが、すっきりしなくて気持ちが悪い。

 白なら白、黒なら黒と決めてしまえればどんなに楽だろう。けれど大人になるに連れ、そんなことはどんどんと増えていく。

(割り切れない何か、それはいったい――)

 だが、そこまで考えて守は気がついた。

 この噂の中には、唯一確かなことがある。

 確かというよりは、完全に間違っている事実。

 守は七年もの間、武志(たけし)と一緒に過ごしていたのだ。

 わずかだが、夏には上海でも遇っている。

 ならば助かったのは姉の方ではなく、弟でなければならないはずだ。

 それにここから見ればあの集落も、東京とそうたいして変わらない。

 きっとそうに違いない、と守は確信を持った。

 でなければ――

(一緒にいたあいつは、誰なんだよ)


 守は再び亀石の所へ戻ってみた。もしかしたら育がいるかと思ったからだ。

 けれど、やはりそれらしき姿はどこにもなかった。

 守は跪いて、目の前に蹲るカエルに似たカメの頭を軽く撫でた。

「おまえさ、ホントに動いたのかよ?」

 そう呟いてもう一度辺りを見回しても、やはり結果は変わらなかった。

「なあ、あいつは、どこに行ったんだ?」

 答えるはずもない亀石に、守はそっと声をかけた。


かなり昔に明日香に行った時、本当に子供たちが亀石の上に乗って遊んでいたのに出くわしました。

まさに、「い、遺跡だろ……」状態。

作中では「いいんじゃない、別に――」と育は言っていますが、絶対にダメです。

亀石には絶対に上らないでください。

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