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白狐の恋~聞こえない足音~  作者: 空白朔名


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第24話 大切なもの

 第24話 大切なもの



 襲いかかった美銀は、みしろのほんの数センチ前でぴたりと動きを止めた。


「もう……やめなさい」


 美銀は数歩下がったものの、未だ低く構えたまま鋭い牙を剥き出しにしている。

 みしろは俺を庇うように左右に広げていた両腕を、そっと美銀の方へと伸ばした。


「あなたの怒りは、白蛇様が飲み込んだはずよ……これ以上は、新しい憎しみを産むわ」


「あの牛たちも、白蛇様の使いなのか?」


「違うわ。あの子たちは使いじゃない。工事の事故で沼に沈んだ牛よ」


「じゃあ、白蛇様はあいつらを操っているんじゃないのか?」


「閉じ込めていたのよ。怒りが村へ流れ出さないように。でも、祠が壊れ、祈る人がいなくなって、もう押さえきれなくなった」


「だから、あいつらは人を襲っていたのか」


「人を憎んでいるから。でも、それは白蛇様の願いではないわ」


 美銀は威嚇の声を上げながら、みしろとの距離を少しずつ詰めてくる。


「ダメだ! みしろ。美銀には聞こえてない!」


 俺はみしろの肩に手をかけ、後ろへ引き戻そうとした。

 しかし、彼女は一歩も引こうとしなかった。


 脇に控えていた二頭の黒い牛の影が、業を煮やしたように美銀の前へ出ようとする。

 美銀はその二頭を交互に鋭く睨みつけた。


 だが、二頭は頭を低く下げ、前足で激しく地面を掻いた。

 低い唸り声を上げ、荒い呼吸が消えた……その時。

 一頭が猛然と駆け出した。


「みしろ、危ない下がれ!!」


 彼女の体を強く引き寄せ、俺の腕の中に抱きかかえながら背中を盾にした。

 

 重い衝撃の音が響く。

 美銀が、駆け出した一頭の喉元へ襲いかかり、深く噛みついていた。

 黒い牛は頭を大きく振り回し、美銀を振りほどこうと暴れ狂う。

 それを見た、もう一頭が美銀に向け突進をはじめた。


「美銀!」


「美銀が……助けてくれているのか!?」


 明らかに体格差のある荒れ狂った二頭を相手に、俺たちを庇い戦っている美銀。

 俺はみしろの肩を固く抱きしめたまま、その死闘を見守ることしかできなかった。


 やがて、隙をついた一頭が美銀の体の下に頭を入れるとそのまま持ち上げ、角で大きく放り投げた。

 宙を舞う美銀の着地点へ向け、黒い牛がさらに追撃の突進をかける。

 それを見たみしろが、俺の腕を振りほどいて走り出した。


「美銀、危ない!」


「みしろ!」


 俺もみしろの後を追い走った。

 みしろは美銀の着地点へ突進する黒い牛へ向け、バールを渾身の力で振り下ろした。

 しかし、硬い体にバールは虚しく弾かれてしまう。

 一撃を打ち込まれた黒い牛は突進のタイミングを狂わせ、先に美銀が着地を果たした。

 美銀はそのまま跳躍して攻撃をかわし、勢い余った一頭は鉄橋の下へと落ちていった。

 

 だが、バールを弾かれて体勢を崩したみしろが、弾き飛ばされて鉄橋の端へと倒れ込む。

 それを見逃さなかった残りの一頭が、倒れたみしろへ向かって角を向け突進を始めた。


「みしろ! 逃げろ!!」


 俺はバールを振り上げ、みしろのもとへ向かい走る。

 その時、俺の脇をすり抜ける美銀と目が合った。


「美銀! 頼む……あいつは、俺の大切なひとなんだ……」


 美銀は俺を追い抜き、襲いかかる黒い牛の後ろ脚へ噛みついた。

 もつれ合い、転がるようにして鉄橋の上を滑るふたつの影。


 ……それは間一髪のところでみしろを交わしたように見えた。


 黒い牛と美銀は、そのままの勢いで鉄橋の端から落ちていく。


「美銀!!」


 俺は枕木を何度も踏み外しそうになりながら、その場所へ駆け寄った。

 激しい落下の後、橋脚の下から巨大な水音が響き渡る。

 

 ……だが、鉄橋の上には、みしろの姿がなかった。


「みしろーーー!!」

 

 さっきまで響いていた牛の蹄の音も、美銀の爪の音も、もう聞こえない。

 ただ、鉄橋の下を激しく流れる川のノイズだけが夜の闇に響いている。

 俺の悲痛な呼びかけに答える、みしろの声も返ってこない。


「みしろ! どこだ!!」


 線路の上に突伏し、身を乗り出すようにして必死に川面を覗き込んだ。

 鉄橋の下から下流へと視線を這わせ、必死に彼女の姿を探す。

 遠く下流の『蛇釜』の渦の中には、静かに沈んでいく美銀の影が見えた。

 その姿は『白蛇様』の元へ戻っていくようだった。

 美銀を飲み込んだ『蛇窯』は、荒々しい渦を消し緩やかな流れへと姿を変えた。

 

「みしろ……なんでだ……俺だけを残して……」


 目を硬く閉じるが、抑えきれない熱いものが瞼の隙間から溢れ出していく。

 

「まだ……イチジクも残ってるぞ……布団だって……一万年には程遠いぞ……」


 滲んだ視界に映るのは、雲が切れ、晴れ始めた夜空に強く輝く月と、その光を美しく反射する川の流れだけだった。


「何を見てるの? 光司」


 不意に、俺の背後から聞き覚えのある愛おしい声がした。


「……みしろ? 落ちていないのか?」


「美銀が、わたしを……光司は、なにしてたの?」

 

「……俺の大切なものを落としたのかと思って、探してたんだよ!」


「大切なもの?」


「お前には、やっぱり『鈴』が必要だな……」




 —— END ——

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