回想録
雨が降っていた。
窓の外では、新京都の街並みが静かに濡れている。
七十五歳になった諏訪貴信は、一人で湯飲みを手にしていた。
若い頃は想像もしなかった。
自分がこんな年齢まで生きるとは。
まして、人類が銀河文明の一員になっているとは。
「懐かしいな……」
諏訪は苦笑する。
今では教科書にも載る。
京都決戦。
アリスとドロシー。
観測者文明。
リチャード・ポールドン。
そしてEDEN事件。
歴史の授業では数年かけて学ぶらしい。
だが当事者だった諏訪からすると、どれも昨日のことのようだった。
当時の自分は四十代だった。
能力者だの、人類の可能性だの、周囲は勝手なことを言っていた。
しかし本人は違う。
ただ書き続けていただけだった。
考え続けていただけだった。
悩み続けていただけだった。
「新宿」
そう名付けられた能力も、実際には大層なものではなかった。
可能性を信じる力。
それだけだった気がする。
人間は矛盾している。
失敗する。
迷う。
後悔する。
それでも前へ進む。
新宿という街がそうであるように。
諏訪は古い写真を見た。
そこには若き日の仲間たち。
ドロシー。
アリス。
榊レン。
一条ミサキ。
相馬アキラ。
雨宮カナデ。
九条レイ。
真壁クロエ。
神代シロ。
みんな若かった。
そして今では、多くが歴史の向こう側へ行った。
特にリチャード・ポールドン。
人類史最大の黒幕と呼ばれた男。
だが歴史家たちは今も評価を決めかねている。
救世主だったのか。
破壊者だったのか。
その両方だったのか。
EDENの扉が開いた日のことも覚えている。
世界が終わると思った。
銀河外存在が恐怖した理由も、その後に知った。
あの扉の向こうにいたものは敵ではなかった。
神でもなかった。
もっと厄介な存在だった。
「可能性そのもの」
リチャードはそう呼んでいた。
人類は宇宙へ進出した。
数千の恒星系を開拓した。
不老技術も実現した。
病気も戦争も大幅に減った。
それでも問題は消えない。
人間だからだ。
諏訪はそれを少し嬉しく思う。
完璧な世界は退屈だ。
少し不完全なくらいがちょうどいい。
机の上には一冊のノートがある。
まだ書きかけだ。
七十五歳になった今も、物語を書いている。
歴史書ではない。
英雄譚でもない。
ただの人間たちの話。
窓の外を見る。
夕暮れの空に宇宙船が飛んでいく。
昔なら奇跡だった光景。
今では日常だ。
諏訪はペンを取る。
そして新しいページを開いた。
タイトルを書く。
「東京対京都」
思わず笑った。
ずいぶん遠くまで来たものだ。
だが物語はまだ終わらない。
人類がいる限り。
迷い、悩み、挑戦する者がいる限り。
新しいページは、これからも増え続けるのだから。




