アリスの監視
ユウは振り返れなかった。
モニターの黒い画面の中。
自分の背後に立つ“誰か”は、微動だにしない。
記録編集室は地下二十三階にある。入室には三重認証が必要で、勤務中に他人が背後へ立てるはずがなかった。
喉が乾く。
ゆっくりと、モニターの中の影が顔を近づけてくる。
ノイズ。
画面が砂嵐に変わった。
ユウは勢いよく振り返った。
誰もいない。
蛍光灯の低い唸り声だけが部屋に残っていた。
「……疲れてるな」
そう呟いた瞬間、端末が着信を告げた。
差出人不明。
本文は一行だけ。
『あなたの監視者に会わせてあげる』
その直後、編集室の全モニターが一斉に点灯した。
都市中の映像。
駅。病院。路地裏。学校。エレベーター。個人住宅。
無数の人間が映っている。
その全員が、同時にこちらを見た。
ユウは椅子から転げ落ちた。
あり得ない。
監視カメラは一方通行だ。向こう側の人間が、こちらを見ることなどできない。
だがモニターの中の群衆は、確かにユウを認識していた。
笑う者。
無表情な者。
泣いている者。
その中に、地下通路の女もいた。
彼女は静かに口を動かす。
『気づいた?』
次の瞬間。
全画面が暗転した。
そして中央に文字が浮かぶ。
《監視システム起動》
《第二観測者 接続完了》
ユウは凍りついた。
“第二観測者”。
国家の監視AIの正式名称など、市民は知らない。編集局員ですら機密扱いだ。
なぜ、外部の誰かがその名前を知っている?
スピーカーからノイズ混じりの声が流れた。
「第一監視者は国家」
女の声だった。
「第二監視者は市民」
沈黙。
そして、もう一つ声がした。
低く、機械的な声。
「第三監視者は、お前自身だ」
ユウの心臓が止まりかけた。
モニターに映る自分。
だが映像の中のユウは、現実の彼と違う動きをしていた。
画面の中のユウが、ゆっくり笑ったのだ。
『ようやく見つけた』
その瞬間、編集室の扉が解錠された。
赤い警告灯が回転する。
《記録編集員 真壁ユウ》
《危険思想検知》
《排除プロトコル開始》
廊下の向こうから、複数の足音が近づいてくる。
しかしユウは逃げられなかった。
モニターの中の“自分”が、まだこちらを見ていたからだ。
そして、確かに言った。
『逃げても無駄だ』
『お前はずっと、お前自身に監視されていた』




