第二章 愛される令嬢の死
婚約破棄から、三ヶ月。
私は変わった。
髪は腰まで伸ばし、艶やかな黒へ染めた。
ドレスも、以前のような淡い色は選ばない。
深い赤。
夜を思わせる黒。
宝石を散りばめた、身体の線を美しく見せるもの。
「お嬢様……本当に、この姿で社交界へ?」
侍女のマリアが心配そうに尋ねる。
「ええ」
鏡の中の自分を見る。
そこにいるのは、かつての私ではない。
「もう、誰かに好かれるための服を選ぶ必要はないもの」
私は微笑んだ。
「私が着たいものを着るわ」
公爵家を出た私は、母方の祖母が残した屋敷へ移り住んだ。
父から与えられた財産はほとんどなかった。
けれど、それで困ることはなかった。
母から受け継いだ領地が、私にはあったからだ。
そして私は初めて知った。
自分の領地が、王国でも有数の豊かな土地だったことを。
「……お父様は、これを全部隠していたのね」
帳簿を眺めながら、私は笑った。
私が何も知らない娘のままでいるほうが都合がよかったのだろう。
ならば。
こちらも遠慮する必要はない。
私は領地経営を学び始めた。
商人を呼び。
税制を見直し。
農地を整備し。
そして半年後。
私の領地は、以前とは比べ物にならないほど豊かになっていた。
その噂は、瞬く間に王都へ広がった。
――アストレア公爵令嬢が、とんでもない才女になった。
――あの美貌は何だ。
――婚約破棄された令嬢とは思えない。
そして。
社交界で最も話題になったのが――
「彼女の周囲にいる男たち」
だった。
⸻
「久しぶりだね、リリアーナ」
舞踏会。
私の前に現れたのは、隣国の皇太子ルシアンだった。
「以前とは随分、雰囲気が変わった」
「そうでしょうか?」
「うん」
彼は私の手を取り、甲に口づける。
「今の君のほうが、ずっと魅力的だ」
「まあ」
私は笑った。
昔なら、こんなことをされたら顔を真っ赤にしていた。
けれど今は違う。
「口説いていらっしゃるの?」
「そうだと言ったら?」
「残念ですけれど」
私は彼の手をそっと離した。
「私、簡単には落ちませんわ」
ルシアンが楽しそうに笑う。
「それは困ったな」
「何がです?」
「僕は、簡単に手に入らないものほど欲しくなる性格なんだ」
その会話を、少し離れた場所から見ている男がいた。
アレクシスだった。
「……誰だ、あの男」
側近が答える。
「ヴァレンティア帝国の皇太子殿下です」
「なぜ、リリアーナと……」
「親しくされているようですね」
アレクシスの眉が寄る。
胸の奥が、ざわついた。
三ヶ月前。
あの舞踏会で泣いていたリリアーナ。
自分の名前を呼びながら、震えていた彼女。
あの姿が忘れられない。
なのに。
今、目の前にいる彼女は――
まるで別人だった。
「……リリアーナ」
思わず名前を呟く。
その瞬間。
彼女がこちらを見た。
目が合う。
アレクシスの胸が大きく跳ねた。
しかし。
リリアーナは。
ゆっくりと微笑んだだけだった。
「……ごきげんよう、殿下」
それだけ。
以前のように嬉しそうに駆け寄ってこない。
自分を見つけただけで嬉しそうに笑うこともない。
ただの他人を見るような目。
「待ってくれ」
アレクシスが近づく。
「久しぶりだな」
「そうですね」
「……元気だったか?」
「ええ。とても」
会話が続かない。
「リリアーナ」
「何でしょう?」
「僕は――」
「申し訳ありません」
彼女は微笑んだ。
「次のお相手と踊る予定がありますので」
そう言って。
アレクシスの横を通り過ぎた。
「……え?」
振り返る。
そこには、宮廷魔術師ノアが立っていた。
「お待たせしました、お嬢様」
「いいえ」
リリアーナはノアの腕に自分の腕を絡める。
「行きましょう」
二人が離れていく。
アレクシスは、その背中を呆然と見つめた。
「……何なんだ」
胸の奥が痛い。
自分から捨てたはずなのに。
なぜ。
こんなにも――
腹が立つ。
⸻
その夜。
リリアーナの周囲には、四人の男が集まっていた。
ルシアン。
レオン。
カイル。
そしてノア。
「人気者だね、リリアーナ」
ルシアンが笑う。
「殿下もでしょう?」
「僕は君しか見てないけど?」
「まあ、口がお上手」
レオンがため息をつく。
「お前ら、少し離れろ」
「なぜ?」
「近すぎる」
「君には関係ないだろう?」
「ある」
即答だった。
リリアーナは思わず笑ってしまう。
昔なら。
こんな光景を夢見たかもしれない。
王太子に愛されて。
一人の男性だけを愛して。
幸せな家庭を作る。
そんな未来を。
でも今は――
そんなものに興味はない。
「皆様」
四人が彼女を見る。
「私は誰のものにもなりませんわ」
その言葉に、全員が黙った。
「私が誰かを選ぶことはあっても、誰かに選ばれるつもりはありません」
ルシアンが笑う。
「……ますます好きになった」
レオンは顔を背ける。
「最初からそのつもりだ」
ノアは楽しそうに目を細める。
「じゃあ、選ばれるまで待つよ」
カイルだけは静かに頭を下げた。
「私は、あなたが望む限りお側におります」
リリアーナは四人を見つめた。
そして。
「ふふっ」
初めて心から笑った。
その笑顔を。
遠くから見ている男がいた。
アレクシス。
彼の手は、強く握りしめられていた。
「……あの笑顔」
自分だけが知っていると思っていた。
幼い頃。
自分にだけ見せてくれた笑顔。
それが今は。
他の男たちに向けられている。
「……僕は」
胸が苦しい。
「僕は、何をしているんだ」
その夜から。
王太子アレクシスの後悔が始まった。




