025 万策を我が身で補填する
自身の診察室兼寝室に戻ったユーマは、今日一日のマルナットの経過や食事の反応、脈拍の変化などをカルテに丁寧に書き留めていった。
(睡眠導入の環境作りとしては問題ないはずだ。
あとは彼女のメンタル面が追いつけば眠れるはず……。
ただ、急がなくていい。
今日眠れるという感覚を覚えることができれば、後は時間が解決してくれるはずだ)
全てが上手くいくとは限らない。
途中で起きてしまったらまた苦しむことになるだろう。
そうなったときは、また暖かい飲み物を用意して眠くなるまで過ごせばいい。
そのためにも、ユーマ自身も早く寝るべきだと考えた。
手早く仕事終え、ランプの火を消してベッドに入る。
良い結果になることを祈り、眠気に身を任せようとしたときだった。
——ギィ……。
静かに扉が開く音がした。
浅い眠りについていたユーマが素早く眼鏡をとって身を起こす。
暗闇に、小さな影が立っていた。
あのくまの抱き枕をずるずると引っ張り、もじもじと佇むマルナットだ。
「……マルナットさん? どうしましたか」
「……眠れませんの」
「目が冴えてしまいましたか?」
「違いますわ。……体が温まっても、お腹が満たされても、やっぱりダメなのです」
マルナットは顔を伏せ、ぎゅっと抱き枕を抱きしめ直した。
「このくまさんはふかふかですけれど……妹たちみたいなトクトクっていう心音も、温もりもありませんわ。
全然、落ち着かないのです……っ」
寂しそうに耳を落とす彼女の姿に、ユーマの胸がちくりと痛む。
(抱き枕は温もりを与えても、人の奏でる鼓動は再現できない……)
幼い頃から妹たちと身を寄せて眠っていた彼女にとって、一人で眠る夜の静寂は、想像以上に恐ろしいものなのだ。
くっつくことが当たり前なほど仲が良く、家族愛があったが故に苦しむ彼女の頭をそっとなでる。
少し心地よさそうにするマルナットは、それを受けて決意した。
「だから……ここで寝ますわ!」
「えっ、ちょっと——!」
言うなり、マルナットはユーマのベッドへ一直線に潜り込んできた。
慌てて制止しようとするユーマに、彼女はビシッと指を突きつける。
「『責任をもって治す』って言いましたわよね!?
治るまでは、責任を取ってわたくしを寝かせてくださいまし!」
「そ、それは言いましたけれど、男女の距離感というか、患者と医師としての境界線が……!」
「わたくしは今! 心身ともに弱っている患者ですの! 問答無用ですわ!」
昼間の言葉を完璧な盾にされ、ぐうの音も出ないユーマ。
押し切られる形でベッドを共有することになると、マルナットは「にゃー……」と満足そうな声を漏らし、ぽんと小さな猫の姿へと変わった。
「あ、そんなことが。」
「私も、ちゃんとかんがえあってのことですのよ?」
そう自慢げに言ったあと、当たり前のようにユーマの腕の中にすぽりと収まり、その胸にピタリと体を寄せた。
「……はぁ。仕方ありませんね。
ですが、人間の姿にならないように気をつけてくださいよ?」
「ふふん、二本足の私は美しいですからね!大人で、お姉さんで!」
ユーマはマルナットの戯言に対して諦めたように溜息をつきつつも、腕の中の小さな命を潰さないよう優しく抱きかかえた。
トクトクと刻まれるユーマの規則正しい心音と、体温。
(あ……これですの)
それを感じ取った瞬間、マルナットの全身から緊張が抜ける。ゴロゴロゴロと喉が鳴り、甘えるように何度かユーマの腕をふみふみ。
やがて、すーすーと心地よい寝息が暗闇に響いた。
(……一筋縄ではいかないな。だが、これも治療の一環と思うしかないか)
近すぎる距離に患者がいることに、少々の不安も感じる。
だが、頼ってきた小さな患者の寝姿をみて、これもひとつの治療の形だと自分を言い聞かせる。
何より、困っている彼女を見捨てる気にはなれなかった。
小さな猫の姿になったマルナットの頭をそっと一撫でし、ユーマもまた静かに瞳を閉じた。
こうしてユーマ先生の、身をもって癒しを与える献身の日々が始まった。




