第12話 結界の外の来訪者
クラウスが王都を出発してから一週間が経過した。
彼はひたすら北を目指し馬を走らせていた。【嘆きの森】が近づくにつれて道は険しくなり、空気も重くなっていくのがわかる。
道中で立ち寄った村々はどこも活気を失っていた。魔物を恐れ、人々は家に閉じこもりがちになっている。クラウスはそんな彼らに食料を分け与え、必ずや平穏を取り戻すと約束し旅を続けた。
そしてついに彼は森の入り口にたどり着いた。
天を突くような木々が密集し昼なお暗い。不気味な静寂の中に時折、獣の低い唸り声が響く。
ここから先は馬を乗り入れることはできない。
クラウスは馬を近くの村に預けると、剣の柄を握りしめ一人森の中へと足を踏み入れた。
(……ひどい邪気だ)
一歩踏み入れただけで肌が粟立つのを感じる。
そこら中から魔物の気配がした。並の騎士であればものの数分で命を落とすだろう。
だがクラウスは王国でも屈指の使い手。次々と現れるゴブリンやオークといった魔物を冷静沈着に斬り伏せていく。
彼は闇雲に進んでいるわけではなかった。
リリア様は清らかな気を持つ御方。もしこの森にいるのなら、必ずや邪気の薄い場所を選んでいるはずだ。
クラウスは剣を振るいながらも全神経を研ぎ澄ませ、気の流れを探っていた。
◇ ◇ ◇
森に入って三日が過ぎた。
携帯食料も残りわずか。疲労は確実に彼の体を蝕んでいた。
それでもクラウスは諦めなかった。
そしてその日の午後、彼の鼻が微かな匂いを捉えた。
(……この匂いは?)
甘く香ばしい匂い。
バターと小麦粉が焼ける、食欲をそそる香りだ。
こんな魔物の巣窟でおよそあり得ない匂いだった。
幻か、あるいは魔物が使う罠か。
クラウスは警戒を強めつつも、匂いのする方へと慎重に進んでいく。
やがて彼は信じられない光景を目の当たりにした。
森の奥深く、木々が開けた場所に、まるでそこだけ異世界であるかのように色とりどりの花が咲き乱れる場所があったのだ。
邪気は完全に消え去り、澄み切った空気が満ちている。
そしてその空間を覆うように、何か透明な「壁」が存在しているのがわかった。
見えないが確かにそこにある。空間そのものが陽炎のように僅かに揺らめいていた。
(……結界か)
しかも王宮の神官たちが束になっても張れないような、強力で神聖な結界だ。
甘い香りはこの結界の向こう側から漂ってきている。
まさか。
クラウスの胸に一筋の希望が差し込んだ。
「誰か、おられるか」
彼は結界に向かって声を張り上げた。
「私はアステリア王国騎士団のクラウスと申す。この森の調査に来た者だ。危害を加えるつもりはない」
返事はない。
だが結界の向こうで何かが動いた気配がした。
クラウスは意を決して、結界にそっと手を触れてみる。
その瞬間だった。
バチッ、と激しい音と共に彼の手に痺れるような衝撃が走る。
「ぐっ……!」
見えない壁が侵入者を拒絶しているのだ。
これはただの結界ではない。攻撃性を持った高度な防御魔法。
一体誰がこんなものを……?
クラウスが後ずさった、その時。
彼の背後、左右の茂みからいくつもの巨大な影が現れた。
聖狼フェンリルを筆頭にグリフォン、ケルベロスといった神話の中にしか存在しないはずの【聖獣】たちが、彼を完全に包囲していた。
その金色の瞳は一様に冷たい光を宿し、侵入者である彼を静かに見据えている。
絶体絶命。
クラウスは背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、ゆっくりと剣の柄に手をかけた。
彼がここにたどり着いたことは、どうやらとっくにお見通しだったらしい。
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