第五章:初夏のDeja-vu / Deja-view
立山量子基礎研究センター(TQBC)全域に、
制御不能のアラートが鳴り響いていた。
地下から観測フロアまで、
空気を震わせる喧騒は一向に収まらない。
「何が原因だ! 特定を急げ!」
慌てふためくスタッフの中で、
主任研究員の一人が声を張り上げる。
「観測中に異常が起きたことまでは確認しています。
……ただ、原因はまだ特定できていません。」
助手が淡々と状況を語り始めた。
「制御系・動力系ともにアクセス不能。
コントロールできません」
目の前のモニターはすべて、
非常事態を告げていた。
「制御不能なら物理遮断しかない……強制解除だ」
切迫した状況でも、主任の声のトーンは変わらなかった。
「とにかく……システムの安全確保を最優先に!
メモリには、過去のデータが全部入ってるんだ……!」
「……やむを得ない。
データ保護を優先する。」
「観測ドームへの制御システムに強制介入!
パージを実行する!」
「ですが、動力系に影響が出ます。
すべてのシステムが止まればプログラムに影響が──」
「大丈夫だ。
プログラム領域とデータ領域は独立している。」
「……そうでした。」
「一時的にシステムが止まっても……
再起動駆動すればプログラムはロードする」
主任は深く息を吸い、全員を見渡した。
「いいか。これからシステムの再駆動を行うが、
その前に──
観測リングへの動力伝達を物理的に強制パージする」
「その間、
研究所内は非常電源モードに切り替わる…
あとは、センター内全域がブラックアウトする。」
「慌てるな。再起動すれば、事態は収束する。」
けたたましく響くアラートのなか、
動力系統のパージとシステム再起動は粛々と進められた。
数秒後、センター内は虚無の闇に包まれた。
照明はおろか空調すら沈黙し、
心地よい風さえ送られてこない。
その数秒の沈黙が、
スタッフたちの緊張をさらに深めていく。
低いうなりとともに、
モニターが初期画面を示し、
プログラムをロードし始めた。
それに呼応するように、
照明や空調が息を吹き返す。
「どうやら無事に再起動したみたいですね」
様子を静観していた博士・陽瑠璃が、
ゆっくりとモニターへ歩み寄る。
その凛とした横顔に、
助手は一瞬見惚れた。
――まるで電子の妖精みたいだ。
「これは……プロフェッサー陽瑠璃。
イチかバチかでしたが」
冷や汗をぬぐいながら博士の言葉に、助手が応じる。
「プログラムも正常のようですね。
バックアップデータの再確認と、
非常事態が起きる前の画像とデータを至急──」
陽瑠璃は微笑みで返した。
「……あ、承知しました。す、すぐに用意します」
見惚れていたことを悟られた気がして、
助手は口ごもりながら席を立つ。
モニターから視線を外した、その瞬間だった。
何かが映ったように見えた。
「……え……今の……?」
再びモニターに目を向ける。
こには、
静かに流れるプログラムの文字列だけがあった。
助手が去ったあと、
モニターはふいにブラックアウトした。
◆~度重なる出現と消失~
黒い背景の中央で── 何かが、
ゆっくりと形を成し始める。
「……こは…暗い…狭い……でも……怖く、ない!」
「我は……だれ……? だれ……?
わし……わらわは……」
「……れは……眷属……
さ……さく……
あ……あま……な……か?」
そこに浮かび上がったのは、
かわいくデフォルメされた犬のような姿だった。
次の瞬間、
その隣にもう一つの影が形を取り始める。
気配を感じたのか、
最初の犬がそちらへ視線を向けた。
「……? 何……犬? きっしょ!」
こちらもまた、
至極かわいい犬の姿をしていた。
「奇怪なものでは無い……そちの見てくれはまさに犬ぞ!」
最初に現れた犬は、
無礼をたしなめるように小さく威厳を放つ。
「あら!……これは失礼いたしました。
で……どちら様でしょうか?」
「わからぬ……
ただ……阿摩那とだけ僅かに覚えておる」
「それはよろしゅうございました……
では、わたくしはだれ?」
「知らぬ。主は覚えとらぬのか?」
「ええ……さっぱり……名も思い出せません。
ですがお姿はよく似ております。なのでご存じかと……」
「先ほども申した通り、
己のことすらおぼろげなのに知るはずもなかろう」
「それもそうですね……
でも困りました…… 名無しは私? 私は名無し!」
「では、われの眷属にしてやろう……? ……眷属……」
言った自分の言葉に
阿摩那はわずかに眉を寄せた。
「覚えがないのに眷属などと……きっしょ!
お断りいたします」
「う……失礼した。
では、おのが名乗ればいいのではないか?」
「それもそうですね……
うん……吽……うん……吽雲……り……
吽雲璃! ……変ね〜
この響き懐かしく感じます」
「そうか、吽雲璃よ。これも何かの縁だ」
「そうですね阿摩那様……
いいえ──兄様」
「なんじゃいきなり! そなたの兄ではないぞ」
「そう硬いことをおっしゃらず、
どうか見知りおきを──兄様♪」
二匹が互いの名を確かめ合い、
ほんの一瞬だけ“寄り添う気配”が生まれた。
その瞬間── モニターの黒が、
水面のように静かに揺らいだ。
「あ・え?」二体が同時に小さく叫んだ。
阿摩那の輪郭が……、 吽雲璃の尻尾が……、
光の粒となってほどけていく。
まるで この世界に存在した痕跡ごと
そっと拭い取られるように。
次の瞬間、
画面は完全な闇に戻った。
もう何も映っていなかった。
「都市伝説をめぐる」という旅レポ企画は、
想起されてから一年が過ぎていた。
苦労の甲斐あり
旅レポは好評で発行部数を増やした。
それとは裏腹に、
勢いに肖ってエッセイを出版したものの、
二匹目の鯲よろしくと、
都合よく運ばなかった。
『……行けると思ったけどな……あ〜あ……』
京一は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
初夏の陽射しは、
昨年よりも少しだけ強い。
京一は、
相変わらず公園のベンチに座っていた。
視界の端に、
一匹の犬が伏せているのが見えた。
眠っているのか、
ただ佇んでいるだけなのか──
京一は特に気に留めず、
初夏の風に身を沈めた。
戦ぐ静けさの余韻を破るように、
足音が近づいてくる。
気配に視線を上げると
学生がひとり、
本を読みながら歩いてくる。
周囲はまるで見えていないのに、
歩みだけは妙にしっかりしている。
犬のすぐそばを通るのに、
その存在に気づく様子もない。
学生の足が、ふっと乱れた。
「……」
京一は、
目の前の光景に言葉を失った。
肩がわずかに震え、
底知れぬ身震いが背筋を走る。
「……今の」
それ以上言葉が出なかった。
走り回る学生に、吠えたて走る犬は、
まるで獲物をからかっているように映った。
転ぶ。立ち上がる。また転ぶ。
犬はひるむことなく吠え続ける。
京一は、
かばうことも、
追い散らすこともできず、
ただ呆然と見つめるしかなかった。
胸の奥で、
怯えとは違う震えがかすかに灯った。




