2.郡頭家
神尾洋介は受付の奥で大あくびをしながら新聞を眺めていた。祝日のため大学には行かずに昼前から筑波ホビークラブに来てくれていた小野村愛は受付のガラス窓から外を眺めていたが、悪戯っぽい笑顔で洋介に伝えた。
「洋介さんのお待ち兼ねの人が来られましたよ」
新聞から目を離して洋介がガラス窓の外を見ると、鹿子木が玄関から入ってくるところであった。
「やあ、鹿子木さん、いらっしゃい。お久しぶりですね」
受付の中に入ってきた鹿子木に洋介が嬉しそうに挨拶した。
「実はまたお願いが出来ましてね。それでお邪魔したのです」
「鹿子木さんの体全体からそんな気配が漂ってきますよ」
「そんなこと言わないでくださいよ。私だってリラックスするためにもこのクラブを利用したいと思っているんですから」
「本当ですか?」
「からかわないで、私の話を聞いてください。申し訳ないのですけれど、今から私と一緒に事件現場に行っていただけないでしょうか?」
「ずいぶん唐突な話ですね。いったいどうしたのですか?」
洋介は笑顔で反応した。
「実はですね、今からほんの少し前、スズメバチに刺されて一人死んだんですよ」
「そうですか。それはお気の毒なことでしたね。でも、この近辺ではハチによる刺傷事故は結構起こっていますよね。また何で私にお呼びがかかったのですか?」
「それがですね……、事故なのか事件なのかよく判らないので、神尾さんに一度現場を見ていただこうと思いましてね」
「もう少し詳しく説明してくださいよ」
そこに愛が二人にコーヒーを淹れてお盆に載せて運んで来た。
「ちょうどいいや。愛ちゃんもここに座って鹿子木さんの話を聞いてください」
「えっ、私もお聞きして良いのですか?」
「構わないですよね、鹿子木さん?」
「ええ、もちろんです。愛ちゃんに聞いていていただけると私としても本当に心強いですからね」
鹿子木は愛に向かって笑顔で応じた。
鹿子木は二人の顔を交互に見ながら話し始めた。
「筑波山麓に昔『じゅとう』村という所がありました。文字はですね、『ことぶき』の『寿』という字とタワーの意味の『塔』という字を充てていました。この地名は町村合併で今はなくなってしまっていますけどね。
そこに、『こおりがしら』家という旧家があります。『こおり』という字は筑波ホビークラブが建っている神郡の『郡』と同じ字で、『かしら』は『頭』という字を書きます。どうも昔、郡のトップだったようで、由緒ある家柄のようです」
「わー、そんな珍しい地名や苗字がこの筑波山周辺に存在していたのですか? 私は聞いたことがありませんでしたわ」
愛が驚いたような表情で反応し、洋介もそれに同調するように頷いた。
「その郡頭家の先代が総一郎という人で、奥さんはトキと言いました。二人とももう亡くなりましたが、この夫婦には三男四女、合計七人の子供がおりました。一番上の子供である長男英一が正子という女と結婚して郡頭家の本家を継ぎました。もっとも、英一も既に亡くなっていますがね。その下に弟二人、妹四人がいたわけです。
六人とも皆、結婚していましてね。妹たち四人にはそれぞれ婿さんがいたわけです。長女直子の夫の岩崎俊一はずいぶん前に病気で亡くなってしまったのですが、次女から四女までの婿さんたち三人は少し前までは皆元気でいたのです」
「と言うことは、今はお元気ではないという意味なんですか?」
「ええ、そういうことです」
鹿子木は手帳に書かれた情報を一つひとつ確認しながら説明し始めた。
「先ず、郡頭家の次女順子の夫である吉見博三郎、当時八十三歳が二〇〇八年九月にスズメバチに刺されて亡くなりました。その時は単なるハチによる刺傷事故死だと判断されたのです。
次いで、二〇一〇年九月には三女邦子の夫、当時六十七歳の相沢哲也もスズメバチに刺されました。相沢もかなりの箇所をハチに刺されたのですが、運よく命を取り留めることができました。しかし、その後極度のハチ恐怖症になり、ほとんど外出しなくなってしまったそうです。
それから、二〇一一年九月に、郡頭家の人間ではありませんが、長いこと郡頭家と覇権争いをしてきた郷長家の家長であった秀一、六十五歳が同じようにスズメバチに刺されて亡くなりました。
そして、今日亡くなった矢祭隆六十八歳は四女弘子の夫だったのです」
「そうすると、郡頭家のお婿さん四人のうち、長女の方の夫でかなり前に病気で亡くなった人を除き、他の三人は全てスズメバチに刺されて亡くなるか瀕死の状態になり、郡頭家と対立していた郷長家の人までもがハチに刺されて亡くなってしまったというわけですね」
「うわー、何かの呪いがありそうな話ですね。私、何だかとても怖くなってきてしまいました」
愛が青白くなった頬を両手で押さえながら感想を言った。
「そうなんです。私は二番目の相沢哲也と三番目の郷長秀一が刺された時に、念のためということで調べを担当したんです。相沢の時は命が助かったこともあって、『恐らく事故なのでしょう』ということで終わったのです。それから、郷長秀一の時は郡頭家の人間ではなかったので、郡頭家の事件との関連性については十分な考慮がなされませんでした。しかし、今回、三人の婿さんたちのうちただ一人無傷だった矢祭がまたしてもスズメバチに刺されて亡くなったのです。
どう考えてもおかしいのです。ただ、スズメバチに刺されて死んだということは事実なので、事件になりうるかどうかはなはだ疑問でもあるんです。私も随分と考えてみましたが、結論としては、やはり神尾さんに現場を見ていただき、いつものように適切なアドバイスをしていただくべきなんじゃないだろうか、ということになったわけです」
「お婿さんたちの奥さん方や郡頭家の息子さんたち、それから郷長家の秀一さん以外の人たちはスズメバチに刺されて酷いことになった人はいないのですか?」
「酷いことにまでなった人はいないのです。郡頭家の姉妹四人は健康状態に問題がある人もいるのですが、スズメバチに刺されて大変なことになったということはないようです。兄弟の方も、さっき言ったように長男の英一はずっと前に病死しています。次男の昭二はいつも体調が優れないそうですが、三男の勇三を含めスズメバチに刺されて騒ぎになったという話は全くないそうです。
一足先に現場に駆け付けたうちの若手の刑事からの連絡では、今日矢祭隆が刺されて動けなくなっている所に一番初めに駆けつけたのは勇三だったそうですから、勇三の方は体も至って健康なようです。
それから、郷長家の秀一以外の者でスズメバチに刺されたという人もいないようなのです」
「そうですか。郡頭家のお婿さんたちと、そこと覇権争いをしていた人の四人だけがスズメバチに襲われて酷いことになったのですね」
「そういうことです」
「それから、もう一つ神尾さんにはお話しておいた方がよいことがあります。実はこの郡頭家は昔から『呪われた一族』だという変な噂があるんです」
鹿子木はこれまでの喋り方より一段トーンを下げた声で切り出した。
「ええー、今時『呪われた一族』ですか?」
「私もそう思うんですがね……」
鹿子木はやれやれという顔をして、少しの間沈黙した。
「一体、どんな呪いなんですか?」
暫く我慢して待っていた洋介が話の先を促した。愛はいよいよ恐ろしさを感じているような顔つきになって逃げ腰の姿勢で鹿子木を見た。