5.「父の教え」
翌朝、私は父の部屋を再び訪れた。
昨夜の毒は軽いものだったらしく、父は既にベッドから起き上がり、書斎で仕事をしていた。
「お父様、もう動いて大丈夫なんですか?」
「ああ。あの程度の毒なら、一晩寝れば治る」
父は平然と答えた。
(あの程度って……普通の人なら一ヶ月は寝込むレベルなんですけど)
さすが処刑人。毒への耐性が違う。
「エリーゼ、座れ」
父は椅子を勧めた。
私は父の前に座った。
「お前に、話しておきたいことがある」
父の声は、いつになく真剣だった。
「お前はもうすぐ、北の辺境に行くよな。その前に、処刑人として——いや、父として、伝えておかなければならないことがある」
「はい」
私は背筋を伸ばした。
父は窓の外を見た。
「エリーゼ、お前は十三年間、俺の補佐として処刑に立ち会ってきた」
「はい」
「お前は、百人以上の死刑囚の最期を見てきた。そして、彼らの最期の言葉を記録してきた」
父は私を見た。
「お前は、彼らの言葉をどう思う?」
私は少し考えた。
「……多くの者が『無実だ』と訴えていました」
「そうだ」
父は頷いた。
「お前は気づいていたんだな」
「はい。でも、私には真実を見抜く力がありません。だから、ただ記録するしかありませんでした」
「それでいい」
父は静かに言った。
「エリーゼ、処刑人の仕事は『殺す』ことではない。『記録する』ことだ」
「記録……」
「そうだ。誰が、いつ、どのような罪で処刑されたか。最期に何を言ったか。それを記録し、後世に残す」
父は黒い帳簿を取り出した。
私のものより古く、ボロボロになった帳簿。
「これは、俺の祖父の帳簿だ。そして、これが俺の父の帳簿」
さらに古い帳簿を取り出す。
「エクセキューター家は、三百年前から王国処刑人を務めてきた。そして、全ての処刑を記録してきた」
父は帳簿を開いた。
「この記録は、王国の闇を暴く証拠になる。冤罪で死んだ者、陰謀で消された者、全てが記されている」
私は息を呑んだ。
「お父様……これは……」
「そうだ。危険な記録だ」
父は真剣な目で私を見た。
「だからこそ、エクセキューター家は忌避される。俺たちは、権力者にとって都合の悪い真実を知りすぎている」
(だから、私たちは『穢れた血』として蔑まれるのか)
「エリーゼ、お前の帳簿も同じだ」
父は私の黒い帳簿を指差した。
「お前が記録してきた死刑囚たちの言葉は、いつか真実を明らかにする証拠になる」
「はい」
「だが——」
父は私の肩に手を置いた。
「復讐をするな」
「え?」
「復讐ではなく、正義を成せ」
父の声は、優しくも厳しかった。
「お前はシーナとクラレリアを憎んでいるだろう。彼女たちの悪行を記録している」
私は驚いた。
「お父様、どうして……」
「俺はお前の父だ。お前が何を考えているか、わかる」
父は微笑んだ。
「お前は賢い。彼女たちの罪を暴くつもりだろう」
「……はい」
私は正直に答えた。
「でも、復讐ではありません。ただ、真実を明らかにしたいだけです」
「それでいい」
父は頷いた。
「復讐は、お前自身を傷つける。だが、正義は、お前を強くする」
父は私の目を見た。
「エリーゼ、お前は俺の誇りだ」
「お父様……」
「お前は十三年間、処刑人の娘として生きてきた。世間の蔑みに耐え、誇りを持ち続けてきた」
父は私の頭を撫でた。
「お前は誰よりも強い。だから、これからも強く生きろ」
私は涙が出そうになった。
けど、どうにか堪えた。
「お前はもう、この家に縛られる必要はない」
父は窓の外を見た。
「ポール・バーバルマンは、お前の価値を理解している。彼の元で、お前の能力を存分に発揮しろ」
「はい」
「そして——」
父は私を抱きしめた。
「幸せになれ。それが、お前の母の願いだった」
私は父の胸で、静かに泣いた。
十三年間、涙を誰にも見せなかったのに。
「お父様、ありがとうございます」
「礼を言う必要はない。お前は俺の娘だ」
父は私を離し、微笑んだ。
「さあ、行け。新しい人生が待っている」
私は深く一礼した。
「お父様、お体に気をつけて」
「ああ。お前もな」
部屋を出る前、父が言った。
「エリーゼ、覚えておけ」
「はい」
「お前は一人じゃない」
父の言葉が、胸に染みた。
その午後、私は荷造りをしていた。
明日、北の辺境に出発する。
持っていくものは少ない。黒いドレス数着、毒物図鑑、兵法書、そして——黒い帳簿。
コンコン。
扉をノックする音がした。
「はい」
扉が開くと、そこにはクラレリアが立っていた。
(おや、珍しい)
「お姉様、少しお話しできますか?」
クラレリアの声は、いつもの優しい調子だった。
「どうぞ」
私は椅子を勧めた。
クラレリアは部屋に入り、周囲を見回した。
「お姉様、本当に北の辺境に行かれるのですね」
「ええ」
「寂しくなりますわ」
(嘘つけ)
私は内心でツッコミを入れたが、表情には出さなかった。
「クラレリアも、もうすぐダミアン様と結婚するのでしょう?」
「ええ、そうですの。でも……」
クラレリアは悲しそうな顔をした。
「お姉様を裏切ってしまったようで、心が痛みますわ」
(演技、続けるんだ)
「気にしないで。最初から愛していませんから」
「本当に……お姉様は強い方ですわね」
クラレリアは私を見た。
その目が、一瞬冷たく光った。
(え?、本性が出た?)
「お姉様、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「何でしょう」
「お姉様は、ポール・バーバルマン様と……その、お近づきになられるのですか?」
(おや、気になるんだ)
「彼の軍略顧問として働くだけです」
「そうですの……」
クラレリアは少し考え込んだ。
「お姉様、北の辺境は危険な場所ですわ。ガルゼイン帝国との最前線ですもの」
「知っています」
「魔族が襲ってくるかもしれませんわよ?満月の夜には、黒豹に変身するそうですわ」
クラレリアの声には、微かな脅しが込められていた。
(あれ、これって私を脅してる?)
「大丈夫です。ポール様が守ってくれます」
「そうですわね……」
クラレリアは立ち上がった。
「お姉様、どうかお気をつけて」
「ありがとう、クラレリア」
クラレリアは扉に向かったが、振り返った。
「お姉様、もし……何かあったら、すぐに帰ってきてくださいね」
その言葉には、奇妙な響きがあった。
まるで「何かが起こる」と知っているような。
(怪しい……)
私はクラレリアの背中を見送った。
彼女は何かを企んでいる。
それは確実だ。
私は荷造りを続けた。
黒い帳簿を手に取る。
『クラレリア・エクセキューター。午後三時、私の部屋を訪問。北の辺境について質問。何かを企んでいる様子』
几帳面に記録する。
この帳簿は、私の武器だ。
いつか、全ての真実を暴く日のために。
夕食の時間、私は継母シーナと食卓を囲んでいた。
父は体調不良を理由に、自室で休んでいる。
「エリーゼ、明日出発するそうね」
シーナが冷たく言った。
「はい」
「そう。よかったわ。あなたがいなくなれば、この家の評判も少しは良くなるでしょう」
(相変わらず、言いたい放題ですね)
「お父様のことは、よろしくお願いします」
私は淡々と言った。
シーナの顔が一瞬強張った。
「……何が言いたいの?」
「お父様が毒を盛られたこと、知っていますよね?」
私はシーナを見た。
シーナが動揺し、フォークを落とした。
「そ、そんなこと……私は知らないわ!」
「そうですか」
私は微笑んだ。
「では、誰が毒を盛ったのでしょうね?」
「し、知らないわよ!」
シーナは立ち上がった。
「あなた、何を疑っているの!?」
「別に。ただ、お父様の体調が心配なだけです」
私は冷静に答えた。
「もし犯人がわかったら、もちろん処罰されるでしょうね。毒殺未遂は重罪ですから」
シーナの顔が青ざめる。
「あなた……」
「私は明日、北の辺境に行きます。でも、お父様のことは気にかけています」
私は立ち上がった。
「もし、お父様に何かあったら——私は戻ってきます。そして、真実を明らかにします」
シーナがもう何も言わなくなったので、私は食堂を後にした。
(さて、どう動くかな?)
私は内心で笑った。
シーナを脅したわけではない。
ただ、事実を述べただけだ。
そして——彼女を焦らせた。
焦った人間は、ミスをする。
証拠を残す。
(待っていろ、シーナ。クラレリア)
(あなたたちの罪を、全て暴いてやる)
私は自室に戻り、黒い帳簿を開いた。
『シーナ・エクセキューター。夕食時、父の毒殺について動揺。犯人の可能性大』
几帳一に記録する。
窓の外を見ると、月が輝いていた。
大きく、丸く——満月まで、あと二日。
(満月の夜に、何かが起こる)
父の言葉が、頭に蘇る。
でも、私にはわからない。
無属性の私に、何が起こるのか。
(まぁ、何も起こらないだろうけど)
私は首を振った。
そして——荷造りの続きをした。
明日から、新しい人生が始まる。
北の辺境で。
ポール・バーバルマンの元で。
私は初めて、自分の意志で生きていく。
処刑人の娘として。
戦略家として。
そして——正義の執行者として。
(さあ、行こう。新しい世界へ)
私は黒い帳簿を抱きしめた。
この帳簿が、いつか火を噴く日が来る。
その時まで——
私は静かに、準備を進める。
満月の夜が、すぐそこまで来ている。




