4.「公開婚約破棄」
舞踏会の日がやってきた。
侯爵家の大広間は、きらびやかなシャンデリアと音楽に満ちていた。
貴族たちは華やかなドレスと宝石を身につけ、優雅に踊っている。
そして私は——相変わらず黒いドレスを着て、隅っこに立っていた。
(まぁ、処刑人の娘が派手な格好しても、逆に浮くし)
「エリーゼ様、お一人ですか?」
振り返ると、ポール・バーバルマンが立っていた。
軍服姿ではなく、正装のタキシードを着ている。
(うわ、めっちゃ似合ってる)
「ポール様。お久しぶりです」
「一週間ぶりだな。今日が例の日か?」
「はい。ダミアン様が婚約破棄を宣言する日です」
私は淡々と答えた。
ポールは少し心配そうな顔をした。
「大丈夫か?」
「何がですか?」
「公開婚約破棄だぞ。普通、屈辱だろう」
「別に。どうせ最初から愛していませんし」
私は肩をすくめた。
ポールは苦笑した。
「君は本当に……変わっているな」
「よく言われます」
その時、音楽が止まった。
広間の中央で、ダミアン・グリュンヴァルトが立ち上がった。
(お、来たな)
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます」
ダミアンの声が広間に響く。
「本日、私には重要な発表があります」
貴族たちがざわめいた。
「私、ダミアン・グリュンヴァルトは——」
ダミアンが私を見た。
その目は、明らかに嫌悪に満ちていた。
「エリーゼ・エクセキューターとの婚約を、ここに破棄いたします」
広間が静まり返った。
そして——どよめきが起こった。
「婚約破棄!?」
「処刑人の娘が捨てられたのね!」
「当然だわ。あんな穢れた血の娘と結婚するなんて」
(うわぁ、言いたい放題ですね)
私は冷静に周囲を観察した。
ダミアンは続けた。
「理由は明白です。エリーゼ嬢は、処刑人の娘として……その、家名に傷がつくと判断しました」
(おい、もうちょっとマシな理由を考えろよ)
私は内心でツッコミを入れた。
「さらに、彼女は無属性です。魔力を持たない女性と結婚することは、我が家の将来にとって不利益です」
(あー、これは完全にテンプレ悪役のセリフだな)
貴族たちがさらにざわめいた。
「そうよね。無属性なんて、呪われているも同然だわ」
「グリュンヴァルト様、正しい判断ですわ」
「可哀想に、あんな娘と婚約させられて」
(私の方が可哀想なんですけど?)
ダミアンは得意げな顔をした。
「そして——」
彼はクラレリアの方を見た。
「私は、クラレリア・エクセキューター嬢と、新たに婚約いたします」
広間が再び沸いた。
「クラレリア様!」
「光の天使と南の辺境伯!お似合いだわ!」
「やはり、美しい方には美しい方が相応しいのね」
クラレリアは驚いた表情で立ち上がった。
「ダミアン様……でも、お姉様が……」
(うわぁ、演技うますぎる)
「クラレリア嬢、君は優しいな。だが、もういいんだ」
ダミアンはクラレリアの手を取った。
「君こそが、俺に相応しい女性だ。こちらの方が100倍美しい」
(くっさ。しかも露骨に比較してくるし)
私は内心で顔をしかめた。
クラレリアは涙を浮かべた。
「でも……お姉様に申し訳なくて……」
「君は悪くない。俺が選んだんだ」
ダミアンは私を見た。
「エリーゼ嬢、すまないが——いや、すまないとは思わない」
(おい、謝る気ゼロかよ)
「君は俺には相応しくない。君の手を握るのも嫌だと、最初から言っていただろう?」
広間の貴族たちが、私を見て囁き合う。
「可哀想に……」
「いいえ、当然の結果よ。処刑人の娘なんて」
「クラレリア様の方が100倍美しいわ」
ダミアンは続けた。
「エリーゼ嬢、君は今後、社交界に出る必要はない。君のような者がいると、場が暗くなる。君は犯罪者の娘として、地味に生きていけばいい。それが君に相応しい人生だ」
(よし、完璧に記録した)
私は心の中で帳簿にメモを取った。
『ダミアン・グリュンヴァルト。侯爵家舞踏会にて、公開婚約破棄。侮辱発言多数。「犯罪者の娘」発言あり。証人:貴族約200名』
「さあ、クラレリア嬢。俺たちの婚約を祝おう」
ダミアンはクラレリアを抱き寄せた。
広間が拍手に包まれた。
「おめでとうございます!」
「お似合いですわ!」
「グリュンヴァルト様、正しい選択ですわ!」
私は静かに立っていた。
表情を変えず、背筋を伸ばして。
そして——
一礼した。
「ダミアン様、クラレリア。お幸せに」
私の声は静かだったが、広間に響いた。
貴族たちが驚いた顔で私を見る。
「え……怒らないの?」
「泣かないの?」
「普通、屈辱でしょう?」
私は微笑んだ。
「怒る理由がありません。最初から愛していない相手に、感情を使うのは無駄ですから」
ダミアンが顔をしかめた。
「……君は、本当に変わっている」
「よく言われます」
私はくるりと踵を返した。
「では、失礼します」
広間を出ようとした時——
「待て」
低い声が響いた。
ポール・バーバルマンが、私の前に立ちはだかった。
「ポール様?」
「エリーゼ嬢、君はまだ踊っていないだろう」
「え?」
「せっかくの舞踏会だ。一曲踊ろう」
ポールは手を差し出した。
広間がざわめいた。
「北の辺境伯が……処刑人の娘と?」
「まさか、あの『氷将軍』が?」
「冷たくて無骨な、あの将軍が……?」
私は戸惑った。
「で、でも……」
「君が嫌なら無理強いはしない。だが——」
ポールは私を見た。
「俺は、君と踊りたい」
その目は、真剣だった。
私は少し考えた。
そして——手を取った。
「では、お願いします」
広間が再びざわめいた。
ポールは私を広間の中央へと導いた。
音楽が流れる。
私たちは踊り始めた。
「すまない。余計なことをしたか?」
ポールが小声で言った。
「いいえ。嬉しいです」
私は正直に答えた。
「初めてです。誰かが、私を対等に扱ってくれるのは」
「君は対等に扱われるべき人間だ」
ポールは真剣な顔で言った。
「君の出自は関係ない。君の能力、君の誠実さ、君の強さ——それが全てだ」
「ありがとうございます」
「礼を言う必要はない」
ポールは微笑んだ。
「それに、俺は君が必要だ。北の辺境を守るために」
「はい。全力でお手伝いします」
私たちは静かに踊り続けた。
周囲の貴族たちは、困惑した顔で私たちを見ている。
ダミアンは不機嫌そうに、クラレリアは冷たい目で私たちを見ていた。
(ああ、クラレリアの目……やっぱり怖いな)
私は彼女の視線を感じた。
あれは、嫉妬ではない。
計算だ。
彼女は何かを企んでいる。
(ポール様が私に近づいたことで、計画に狂いが生じたのかな?)
曲が終わった。
ポールは優雅に一礼した。
「ありがとう、エリーゼ嬢」
「こちらこそ」
私は深く一礼した。
その時——
「お姉様!」
クラレリアが駆け寄ってきた。
涙を浮かべながら。
「お姉様、ごめんなさい!私、こんなつもりじゃなかったの!」
(おっ、来た来た。『私は悪くない』アピール)
「ダミアン様が勝手に……私、お姉様を裏切るつもりなんて!」
クラレリアは泣きながら私の手を握った。
周囲の貴族たちが、同情の目で彼女を見る。
「可哀想に、クラレリア様……」
「悪いのはグリュンヴァルト様よ」
「クラレリア様は被害者だわ」
(完璧な演技だな)
私はクラレリアの手を払った。
「大丈夫です、クラレリア」
私は微笑んだ。
「あなたは何も悪くありません」
クラレリアの目が、一瞬鋭くなった。
(おっ、今の目。本性が見えたな)
「本当に……お姉様、許してくださるの?」
「ええ。そもそも、愛していない相手ですから」
私は淡々と言った。
「どうぞ、お幸せに。ダミアン様と」
クラレリアは複雑な表情をした。
「お姉様……」
「では、失礼します」
私はクラレリアを残して、広間を後にした。
ポールが後を追ってきた。
「エリーゼ嬢、大丈夫か?」
「はい。むしろ、スッキリしました」
私は笑った。
「これでようやく、自由になれます」
「そうか」
ポールは微笑んだ。
「では、明日からは北の辺境で働いてもらうぞ」
「はい。よろしくお願いします」
私は深く一礼した。
その夜、私は自室で黒い帳簿を開いていた。
『ダミアン・グリュンヴァルト。公開婚約破棄。侮辱発言多数。「犯罪者の娘」発言。クラレリア・エクセキューターと婚約』
『クラレリア・エクセキューター。ダミアンを誘惑し、姉の婚約者を奪う。演技により周囲を欺く』
几帳面に記録する。
窓の外を見ると、月が輝いていた。
丸く、大きく——満月に近づいている。
(綺麗な月だな)
私は何気なく月を見上げた。
コンコン。
扉をノックする音がした。
「はい」
「エリーゼ様、お父様が——」
使用人の声が震えていた。
「どうしました?」
「お父様が……倒れられました!」
私は立ち上がった。
(え?お父様が?)
急いで父の部屋に向かうと、父はベッドに横たわっていた。
顔色が悪い。
「お父様!」
「エリーゼ……すまない」
父は弱々しく笑った。
「少し、毒を盛られたようだ」
「毒!?」
私は愕然とした。
父の症状を見る。唇の色、呼吸、瞳孔——長年の毒物学の知識が働く。
「これは……ベラドンナ系の毒……」
「さすが、俺の娘だ」
父は苦笑した。
「量は少ない。殺すつもりではなく、弱らせるつもりだったようだ」
「誰が!?」
「わからない。だが……」
父は私の手を握った。
「お前を狙っている者がいる。気をつけろ」
「お父様……」
「俺は大丈夫だ。処刑人は、毒に慣れている」
父は咳き込んだ。
「だが、お前は……気をつけろ。特に、満月の夜は注意しろ」
「満月の夜?」
「ああ。満月の夜は、魔力が最大化する。何かが起こりやすい」
父は真剣な目で私を見た。
「お前の無属性も……もしかしたら、満月の夜に何かが起こるかもしれない」
「何かって……」
「わからない。だが、エクセキューター家には古い言い伝えがある」
父は静かに言った。
「『無属性の者は、満月の夜に真実を見る』と」
私は首を傾げた。
「真実を見る?」
「昔話だ。気にしなくていい」
父は私の頭を撫でた。
「それより、お前はもうすぐ北の辺境に行くんだろう?」
「はい」
「ポール・バーバルマンは、信頼できる男だ。彼の元なら安心だ」
父は微笑んだ。
「お前は自由に生きろ。もう、この家に縛られる必要はない」
私は涙を堪えた。
「お父様……」
「俺のことは心配するな。シーナとは近いうちに離婚する」
「でも——」
「お前は、お前の人生を生きろ」
父は強い目で私を見た。
「それが、お前の母の願いだった」
私は頷いた。
「はい。わかりました」
部屋を出る前、父が言った。
「エリーゼ、満月の夜は気をつけろ。何かが変わるかもしれない」
「……はい」
私は不思議な気持ちで部屋を後にした。
満月の夜に、何かが起こる?
無属性の私に?
(まさか。父上の言う昔話でしょう)
私は首を振った。
けれど——
窓の外の月を見上げた時、何か胸騒ぎがした。
まるで、運命が動き始めているような。
(気のせいかな)
私は黒い帳簿を抱きしめた。
そして——誓った。
お父様を毒殺しようとした犯人を、必ず見つける。
シーナか?
クラレリアか?
彼女たちが、お父様を消そうとしているのだろうか?
(許さない)
私は拳を握りしめた。
(絶対に、許さない)
黒い帳簿が、私の怒りを記録する。
満月の夜が、すぐそこまで来ている。
その時、何が起こるのか——
私はまだ知る由もなかった。




