3.「偽りの光」
婚約破棄が決まってから、私の日常は奇妙なほど平穏だった。
ダミアンは社交界で「次の舞踏会で正式に発表する」と約束した。
つまり、あと二週間は「形だけの婚約者」として過ごすことになる。
(まぁ、どうせ最初から形だけだったし)
私は相変わらず図書館に籠もり、クラレリアは相変わらず「光の天使」を演じ、ダミアンは相変わらずクラレリアに夢中だった。
全てが予定調和。
けれど——
「お姉様、最近顔色が悪いですわよ?」
クラレリアが心配そうな顔で私に近づいてきた。
私たちは屋敷の居間にいた。継母シーナがお茶会を開いており、私も「家族だから」という理由で参加させられていた。
(別に参加したくないんですけど)
「大丈夫です。いつも通りですから」
「でも、目の下に隈が……夜、ちゃんと眠れていますの?」
クラレリアの声は優しかった。
けれど、彼女の目は笑っていない。
(ああ、そういえば最近また悪夢が増えたな)
一週間前から、また例の「呪われた遺品」が部屋に増えている。
今度は処刑された魔女の髪飾りだった。
それ以来、毎晩血まみれの亡霊が夢に出てくる。
「お姉様、もしかして……また『あれ』が?」
クラレリアが小声で囁いた。
「あれ?」
「ほら、処刑人のお仕事の……悪夢、ですわよね?」
(おいおい、バレバレの演技だな)
私は内心で呆れた。
「心配してくださってありがとうございます。でも、大丈夫です」
「そう……ならいいのですけれど」
クラレリアは悲しそうに微笑んだ。
その演技を見ていた貴族令嬢たちが、ひそひそと囁き合う。
「クラレリア様は本当に優しい方ね」
「あんな姉でも、心配してあげるなんて」
「さすが光の天使様だわ」
(うわぁ、完全に計算通りの反応ですね)
私は紅茶を飲みながら、冷静に周囲を観察した。
クラレリアは「優しい妹」を演じ、私は「哀れな姉」に仕立て上げられる。
この構図、完璧だ。
「エリーゼ」
継母シーナが冷たい声で私を呼んだ。
「はい」
「あなた、最近また部屋に変なものを持ち込んでいるそうね」
「変なもの?」
「処刑された者の遺品よ。使用人が怖がっているわ」
(え、逆ギレですか?)
私は呆れたが、表情には出さなかった。
「それは誤解です。私は遺品など持ち込んでいません」
「嘘をつかないで!あなたの部屋から見つかったのよ!」
シーナが声を荒げた。
「あなたはいつもそうやって、家の評判を落とす!処刑人の娘だからって、好き勝手していいと思って!」
周囲の令嬢たちが、困惑した顔で私を見る。
(ああ、これも計算か)
私は理解した。
クラレリアが遺品を私の部屋に置く。
シーナがそれを「証拠」として、私を公の場で糾弾する。
私の評判は地に落ち、クラレリアの株は上がる。
完璧な連携プレーだ。
(でも、残念ながら——)
「それでしたら、調査しましょう」
私は静かに言った。
「調査?」
「はい。その遺品がいつ、誰によって部屋に持ち込まれたのか。使用人に聞き取りをすれば、すぐにわかります」
シーナの顔が強張った。
「そ、そんな必要は——」
「いいえ、必要です」
私は立ち上がった。
「私の部屋に出入りできるのは、限られた人間だけです。使用人、家族、そして——」
私はクラレリアを見た。
「クラレリア、あなたは最近、私の部屋に入りましたか?」
「え?わ、私は……」
クラレリアが動揺した。
「そういえば、三日前にお姉様の部屋に本をお返しに行きましたわ」
「本?」
「ええ、お姉様が貸してくださった『薬草図鑑』を」
(私、そんな本貸してないんですけど)
「それは不思議ですね。私、あなたに本を貸した覚えがありません」
「え、でも……」
クラレリアの顔が青ざめた。
「もしかして、記憶違いかしら?」
「記憶違いにしては、具体的すぎますね」
私は冷静に言った。
「使用人に確認しましょう。三日前、クラレリアが私の部屋に入った時、何を持っていたか」
「エリーゼ!」
シーナが立ち上がった。
「あなた、自分の妹を疑うの!?」
「疑っているわけではありません。ただ、事実を確認したいだけです」
私は微笑んだ。
「処刑人の娘として、証拠を重視するのは当然ですよね?」
周囲の令嬢たちが、ざわめいた。
「そういえば、エリーゼ様の言う通りかも……」
「証拠がないのに決めつけるのは良くないわ」
「でも、クラレリア様がそんなことをするはずが……」
空気が微妙に変わった。
クラレリアは焦った表情で、シーナを見る。
シーナは歯ぎしりをした。
「……わかったわ。では、使用人に確認しましょう」
(おっ、引き下がった)
私は内心で勝利を確信した。
なぜなら、私はすでに使用人に根回しをしているからだ。
昨日、クラレリアが私の部屋に入る瞬間を目撃した使用人に、賄賂を渡して証言を確保した。
処刑人の娘は、証拠集めのプロなのだ。
その夜、私は自室で黒い帳簿を開いていた。
『王歴525年、秋。クラレリア・エクセキューター。三日前、午後三時、私の部屋に侵入。魔女の髪飾りを置く。使用人メイベルが目撃。証言確保済み』
几帳面に記録する。
この帳簿には、クラレリアとシーナの悪行が全て記されている。
(さて、あと何件記録すれば、死刑に値するかな?)
私は冷静に計算した。
窓の外を見ると、月が輝いていた。
まだ満月ではない。
けれど、満月の夜が近づいている。
コンコン。
扉をノックする音がした。
「はい」
「エリーゼ様、お父様がお呼びです」
使用人の声だった。
(お父様?こんな夜中に?)
私は帳簿を隠し、部屋を出た。
父の執務室に向かうと、父は深刻な顔で私を迎えた。
「エリーゼ、座れ」
「はい」
私は椅子に座った。
「お前に言っておかなければならないことがある」
父の声は重かった。
「シーナとクラレリアのことだ」
「……はい」
「お前が彼女たちから虐げられていることは、知っている」
私は驚いた。
「お父様……」
「俺は処刑人だ。人の嘘を見抜くことには慣れている」
父は私を見た。
「シーナは、お前の母の遺産を横領している。クラレリアは、お前を陥れようとしている」
「……ご存じだったのですか」
「ああ。だが、俺は動けなかった」
父は拳を握りしめた。
「シーナの実家は公爵家だ。下手に動けば、エクセキューター家が潰される」
「それは……」
「だが、もう限界だ」
父は立ち上がった。
「お前を守るために、俺はシーナと離婚する」
「え?」
「お前は俺の娘だ。誰にも虐げさせない」
父の目は、真剣だった。
「お父様、でも……」
「心配するな。公爵家が何を言おうと、俺は処刑人だ。王国に必要な存在だ。簡単には潰されない」
父は私の頭を撫でた。
「お前は強く生きてきた。だが、もう一人で戦わなくていい」
私は涙が出そうになった。
けれど、堪えた。
「お父様、ありがとうございます。でも——」
私は父を見上げた。
「もう少しだけ、待ってください」
「待つ?」
「はい。私には、計画があります」
私は微笑んだ。
「シーナとクラレリアの悪行を、全て白日の下に晒す計画です」
父は目を見開いた。
「エリーゼ……」
「お父様、私は処刑人の娘です。証拠を集め、真実を明らかにすることができます」
私は黒い帳簿を取り出した。
「この帳簿には、彼女たちの全ての悪行が記されています。いつか、これが証拠になります」
父は帳簿を見て、静かに笑った。
「……お前は、本当に俺の娘だな」
「はい」
「わかった。では、お前の計画が終わるまで待とう」
父は私の肩を叩いた。
「だが、危険になったらすぐに言え。お前を失うわけにはいかない」
「はい、お父様」
私は深く一礼した。
部屋を出る前、父が言った。
「エリーゼ、お前は一人じゃない。それだけは忘れるな」
「……はい」
私は微笑んで、部屋を後にした。
翌日、私は王宮の図書館でポール・バーバルマンに偶然出会った。
「おや、エリーゼ嬢」
「こんにちは、ポール様」
「また兵法書か?」
「今日は毒物学です」
私は分厚い本を見せた。
「……君の趣味は本当に独特だな」
ポールは苦笑した。
「ところで、婚約破棄の話は進んでいるか?」
「はい。二週間後の舞踏会で、ダミアン様が正式に発表するそうです」
「そうか。では、その後は俺のところに来てくれるな?」
「はい。お世話になります」
私は一礼した。
ポールは少し真剣な顔になった。
「エリーゼ嬢、一つ聞きたいことがある」
「何でしょう?」
「君は……クラレリア嬢のことをどう思っている?」
私は少し驚いた。
「なぜそれを?」
「俺の情報網によれば、クラレリア嬢は『光の天使』と呼ばれているが、裏で怪しい動きをしているらしい」
(おお、さすがの情報網)
「具体的には?」
「ガルゼイン帝国と繋がりがあるかもしれない」
私は目を見開いた。
「……帝国と?」
「まだ確証はない。だが、怪しい動きが複数報告されている」
ポールは声を潜めた。
「エリーゼ嬢、もし君が何か知っているなら、教えてくれ」
私は少し考えた。
クラレリアがスパイ?
それは……ありえる。
彼女の目的は「王妃の座」だ。
ダミアンは単なる踏み台。
ならば、帝国と繋がっているのも不思議ではない。
「……ポール様、一つお願いがあります」
「何だ?」
「クラレリアを、泳がせてください」
「泳がせる?」
「はい。彼女が何を企んでいるのか、全て明らかになるまで」
私は静かに言った。
「私には、計画があります。彼女の全ての悪行を暴く計画が」
ポールは私を見つめた。
「……君は、本当に戦略家だな」
「処刑人の娘ですから」
私は微笑んだ。
「証拠を集め、真実を明らかにする。それが私の仕事です」
ポールは深く頷いた。
「わかった。では、俺も協力しよう」
「ありがとうございます」
「ただし、危険になったらすぐに俺を頼れ。君を失うわけにはいかない」
(あれ、お父様と同じこと言ってる)
私は少し嬉しくなった。
初めてだった。
お父様以外の人が、私を心配してくれるなんて。
「はい、お約束します」
私は深く一礼した。
そして——心の中で誓った。
クラレリア、シーナ、ダミアン、そして黒幕のまだ見ぬ誰かさん。
全ての悪を、白日の下に晒してやる。
処刑人の娘として。
戦略家として。
そして——正義の執行者として。
(さあ、ゲームの始まりだ)
私は黒い帳簿を抱きしめた。
——全てが動き出そうとしている。
ああ、楽しみだ。




