2.「二人の辺境伯」
婚約発表から一週間後、私は王宮の図書館に籠もっていた。
処刑人の娘は社交界に居場所がない。ならば、知識を蓄えるしかない。
「兵法三十六計」「戦史大全」「毒物図鑑」——私の読書リストは、一般的な令嬢からは程遠い。
(まぁ、花の育て方とか刺繍の本とか読んでも、処刑には役立たないし)
ページをめくりながら、ふと視線を感じた。
振り返ると、そこにはダミアンが立っていた。
「……何の用ですか」
「いや、婚約者がどこにいるかと思えば、こんな埃臭い場所で本を読んでいるとは」
彼は鼻で笑った。
「もっと令嬢らしいことはできないのか?刺繍とか、音楽とか」
「できますよ。刺繍も音楽も」
私は淡々と答えた。
「ただ、興味がないだけです」
「興味がない?婚約者として、社交界で恥をかかせないでくれよ」
(いや、婚約発表の時点で十分恥かいてると思うんですけど)
私は内心でツッコミを入れたが、口には出さなかった。
「ご心配なく。社交界には出ませんから」
「それは助かる。君と一緒にいると、周囲の目が冷たくてな」
ダミアンはあっさりと言い放った。
(わかりやすく嫌われてますね、私)
「では、これで失礼します」
私は本を閉じて立ち上がった。
すれ違いざま、ダミアンが呟いた。
「クラレリア嬢は本当に素晴らしい方だ。光属性で、優雅で、美しい。君とは大違いだ」
私は足を止めなかった。
(ああ、もうフラグ立ちまくりですね。どうぞご自由に)
図書館を出ると、廊下でばったりとポール・バーバルマンに出くわした。
「おや、エリーゼ嬢」
彼は軍服姿で、手には分厚い報告書を抱えていた。
「こんにちは、ポール様」
私は一礼した。
「図書館帰りか?」
「はい。兵法書を読んでいました」
「兵法書?」
ポールの目が興味深そうに輝いた。
「面白い趣味だな。どんな本を?」
「『戦史大全』と『兵法三十六計』です。あと『毒物図鑑』も」
「……毒物図鑑?」
「はい。処刑人の娘なので、毒に関する知識は必須なんです」
私は真顔で答えた。
ポールは一瞬呆然としたが、すぐに笑った。
「なるほど。実用的だ」
(この人、本当に偏見がないんだな)
私は少し驚いた。
普通、令嬢が毒物の本を読んでいると言ったら引かれる。
「エリーゼ嬢、少し時間はあるか?」
「はい、特に予定はありませんが」
「では、少し話を聞きたい。俺の執務室まで来てくれないか」
(え、何この展開)
私は内心で首を傾げたが、断る理由もない。
「わかりました」
ポールの執務室は、王宮の北棟にあった。
質素な部屋で、壁には地図が張り巡らされている。北の辺境、ガルゼイン帝国との国境線、要塞の配置図——全てが戦略的だ。
「座ってくれ」
ポールは椅子を勧めた。
私は礼を言って座る。
「単刀直入に聞くが、エリーゼ嬢。君は戦略に興味があるのか?」
「興味というか……必要だと思っています」
「必要?」
「処刑人の娘として生きるには、常に周囲の動きを読む必要があります。誰が敵で、誰が味方で、誰が裏切るか。それは戦場の布陣と似ています」
私は淡々と答えた。
ポールは深く頷いた。
「なるほど。君は戦略家の素質があるな」
「過大評価です」
「いや、本当だ」
彼は地図を広げた。
「これを見てくれ。北の辺境とガルゼイン帝国の国境だ」
地図には、要塞と兵力配置が細かく書き込まれている。
「ガルゼイン帝国は、満月の夜に攻めてくることが多い。魔族が変身し、戦力が増すからだ」
「魔族……黒豹に変身する種族ですね」
「そうだ。彼らは満月の夜、巨大な黒豹になる。その姿は幻想的だが、戦闘力は人間の三倍だ」
ポールは地図を指差した。
「俺は毎月、満月の夜に備えて防衛態勢を整えている。だが、中央の貴族たちは理解してくれない。『田舎武人が大げさに騒いでいる』と笑う」
(ああ、ダミアンもそう言ってたな)
「彼らは戦場を知らない。血を流すのは俺たち辺境の兵士だけだ」
ポールの声には、静かな怒りがあった。
「エリーゼ嬢、君ならこの布陣を見て、何か気づくことはあるか?」
私は地図を見つめた。
北の要塞、兵力配置、補給ルート——
「……西側の補給ルートが脆弱ですね」
「ほう」
「ここを断たれたら、要塞は孤立します。ガルゼイン帝国が本気で攻めるなら、まずここを狙うでしょう」
ポールの目が鋭くなった。
「その通りだ」
「それに、満月の夜だけ守りを固めるのは非効率です。敵が満月以外の夜を狙ったら?」
「……君は、どうすべきだと思う?」
「平常時から、補給ルートの警備を強化すべきです。そして、満月の夜は『守る』だけでなく『誘導する』戦略を取る」
「誘導?」
「敵を特定の場所に誘い込み、包囲する。魔族は強力ですが、数は限られています。ならば、地の利を活かして個別撃破する」
私は地図に指を走らせた。
「ここに罠を仕掛け、ここで挟撃。満月の夜は敵も強力ですが、こちらも魔力が高まります。無属性以外は」
最後に自虐的に付け加えた。
ポールは沈黙した。
そして——笑った。
「すごいな、君は」
「え?」
「俺が半年かけて考えた戦略を、君は十分で見抜いた」
(え、マジで?)
「エリーゼ嬢、俺の軍略顧問になってくれないか」
「は?」
私は思わず素っ頓狂な声を出した。
「君の頭脳が欲しい。北の辺境を守るために」
「い、いや、私はただの処刑人の娘で——」
「だから何だ?」
ポールは真剣な目で私を見た。
「君の出自は関係ない。俺が欲しいのは、君の頭脳だ。君の戦略眼だ」
(この人、本気だ)
「でも、私はダミアン様と婚約していますし……」
「南の辺境伯か」
ポールは少し顔をしかめた。
「あいつは商人としては優秀だが、軍人としては三流だ。君の才能を活かせない」
(めっちゃディスってる)
「それに——」
ポールは声を潜めた。
「あいつは今、クラレリア嬢に夢中だろう?」
私は目を見開いた。
「……お気づきでしたか」
「北の辺境にいても、噂は聞こえてくる。『光の天使』クラレリア嬢と、南の辺境伯ダミアンが親密だと」
(情報網、すごいな)
「君はそれでいいのか?」
「別に構いません」
私は正直に答えた。
「どうせ政略婚ですし。愛情なんて最初からありません」
ポールは少し驚いた顔をした。
「……君は、不思議な女性だな」
「よく言われます」
「普通、婚約者を奪われたら怒るだろう」
「怒る価値もない相手に、感情を使うのは無駄です」
私は淡々と言った。
ポールは声を出して笑った。
「いいな、その性格。気に入った」
(褒められてるのか、バカにされてるのか、微妙なラインですね)
「エリーゼ嬢、提案だ」
ポールは真剣な顔になった。
「もし君がダミアンとの婚約を破棄されたら——いや、破棄したら——俺の元に来い」
「え?」
「北の辺境で、軍略顧問として働いてくれ。給与も出す。待遇も保証する」
(え、これってスカウト?)
「ダミアンは君の価値を理解していない。だが、俺は違う。君の才能を正当に評価する」
ポールは手を差し出した。
「どうだ?」
私は少し考えた。
正直、ダミアンとの婚約に未来はない。クラレリアが奪うのは時間の問題だ。
そして、私には行く場所がない。
処刑人の娘を受け入れてくれる場所なんて。
けれど——
この人は、私を対等に見てくれる。
「……考えさせてください」
「もちろんだ。急がない」
ポールは微笑んだ。
「ただ、もし困ったことがあったら、いつでも俺を頼ってくれ」
「ありがとうございます」
私は深く一礼した。
執務室を出た後、私は廊下で立ち止まった。
(ポール様……か)
あの人は、私を「穢れた血」として見なかった。
「処刑人の娘」として蔑まなかった。
ただ、「戦略家エリーゼ」として評価してくれた。
初めてだった。
誰かが、私の能力だけを見てくれたのは。
(でも、まだダミアン様との婚約がある)
廊下の向こうから、笑い声が聞こえた。
「ダミアン様、本当に素敵ですわ」
クラレリアの声だ。
「クラレリア嬢こそ。君と話していると、心が安らぐ」
ダミアンの声。
(うわぁ、もう完全にフラグ回収モードじゃん)
私はそっと物陰に隠れた。
二人が通り過ぎるのを待つ。
「エリーゼお姉様は、少し変わっていますわよね。処刑人のお仕事を誇りに思っているなんて」
「ああ、あれは異常だ。普通の女性なら、あんな仕事に耐えられない」
「お姉様は強い方ですわ。でも、だからこそ孤独なのかもしれません」
クラレリアの声は、同情に満ちていた。
けれど私には見える。
彼女の目が、冷たく笑っていることが。
(この子、本当に腹黒いな)
「クラレリア嬢、君は優しいな」
「いいえ、お姉様のことは心配なんです。あんな方と結婚して、ダミアン様は幸せになれるのかしら」
(おい、もう完全に奪う気満々だぞ)
「……クラレリア嬢」
ダミアンの声が、少し震えた。
「俺は……君のような女性と結婚したかった」
(はい、告白きました)
私は内心で実況を始めた。
「ダミアン様……」
「クラレリア嬢、俺と——」
「いけません!ダミアン様はエリーゼお姉様の婚約者ですわ!」
クラレリアが悲痛な声で叫んだ。
(うわぁ、演技うまいな)
「でも、俺の気持ちは——」
「ダメです!私、お姉様を裏切るようなことはできません!」
そう言って、クラレリアは走り去った。
ダミアンは呆然と立ち尽くしている。
(あー、これは完全に『追いかけたくなる女』の演技ですね)
私は冷静に分析した。
クラレリアは賢い。
すぐに婚約者を奪うのではなく、じらして、相手を焦らせる。
そして、「私は悪くない。彼が勝手に惚れた」という構図を作る。
(さすが、腹黒妹。計算高い)
私は物陰から出て、ダミアンの前に立った。
「あ、エリーゼ……」
彼は気まずそうに目を逸らした。
「聞いていたのか?」
「ええ、全部」
私は淡々と答えた。
「……すまない」
「謝る必要はありません」
私は微笑んだ。
「ダミアン様、あなたがクラレリアを好きなのは、見ていてわかります」
「エリーゼ……」
「ですから、婚約破棄してください」
「え?」
ダミアンは目を見開いた。
「この婚約は政略です。愛情はありません。ならば、あなたが愛する人と結ばれるべきです」
「君は……怒らないのか?」
「怒る理由がありません」
私は首を傾げた。
「最初から愛していない相手に、嫉妬する意味がわかりません」
(というか、早く破棄してくれた方が、ポール様のところに行けるし)
ダミアンは複雑な表情をした。
「君は……本当に変わっている」
「よく言われます」
「わかった。では、次の社交界で婚約破棄を宣言する」
「ありがとうございます」
私は一礼した。
「あ、でも一つだけお願いがあります」
「何だ?」
「できるだけ盛大に、派手に破棄してください」
「……は?」
「どうせ破棄するなら、話題になった方がいいじゃないですか。『処刑人の娘、婚約破棄される』って」
私は真顔で言った。
ダミアンは困惑した表情で私を見た。
「君は……本当にわからない」
「そうですか?私はいたって真面目ですよ」
(だって、盛大に破棄されたほうが、後でざまぁする時に気持ちいいし)
私は内心でにんまりと笑った。
全ては計算通り。
クラレリア、ダミアン、継母シーナ——
全員の悪行を、私は几帳面に記録している。
いつか、この黒い帳簿が火を噴く日が来る。
その時まで、私は静かに準備を進める。
処刑人の娘として。
戦略家として。
そして——復讐者ではなく、正義の執行者として。
(さあ、ショーの始まりだ)
私は黒い帳簿を抱きしめた。
満月の夜が、近づいている。




