13.「死者の声」
満月まで、あと五日。
和平交渉の準備は順調に進んでいた。
けれど——私の心は、穏やかではなかった。
執務室で書類を整理していると、ふと昔の記憶が蘇ってきた。
処刑台に立つ、死刑囚たち。
彼らの最期の言葉。
「俺は無実だ!」
「陰謀なんだ!」
「信じてくれ!」
私はペンを置いた。
(あの人たちの言葉……全て本当だったのかもしれない)
前回の満月の夜、私は「真実看破」の力に目覚めた。
人の嘘が見える力。
もし、あの時その力があったら——
無実の人々を、救えたのだろうか?
「エリーゼ様?」
扉が開き、若い兵士が入ってきた。
「どうかされましたか?顔色が悪いですよ」
「いえ、大丈夫です」
私は微笑んだ。
「少し、昔のことを思い出していただけです」
「昔のこと?」
「ええ。私が処刑人の娘として仕事をしていた頃の——」
私は言葉を濁した。
兵士は少し戸惑った表情をした。
「あの……エリーゼ様」
「何?」
「処刑人の仕事って……辛くなかったですか?」
彼は遠慮がちに尋ねた。
私は少し考えた。
「辛かったかな」
正直に答えた。
「でも、誰かがやらなければならない仕事だった」
「そうですよね……」
兵士は複雑な表情をした。
「俺たちも、戦うのは辛いです。でも、誰かが国を守らなければならない」
私は兵士を見た。
若い。おそらく二十歳前後。
「あなたは、なぜ兵士になったんですか?」
「故郷を守るためです」
彼は真剣な顔で答えた。
「俺の村は、十年前にガルゼイン帝国に襲われました。家族を失いました」
「……そうだったんですね」
「だから、俺は戦うんです。もう誰も、家族を失わないように」
彼の目には、強い決意があった。
私は胸が痛んだ。
(この子は、復讐のために戦っているわけじゃない)
(守るために、戦っている)
「あなたの名前は?」
「ライナスです」
「ライナス、あなたは良い兵士ですね」
私は微笑んだ。
「ありがとうございます」
ライナスは少し照れているようだった。
「あの、エリーゼ様」
「何?」
「和平って、本当に実現するんでしょうか」
彼は不安そうに尋ねた。
「わかりません」
私は正直に答えた。
「でも、試す価値はあります」
「もし和平が実現したら——」
ライナスは窓の外を見た。
「俺、故郷に帰って、畑を耕したいんです」
「畑?」
「はい。戦う前は、農家でした」
彼は少し笑った。
「戦いより、畑を耕す方が好きなんです」
私は温かい気持ちになった。
(この子は、本当は戦いたくないんだ)
(ただ、守りたいものがあるから、戦っている)
「ライナス、和平が実現したら、ぜひ畑に戻ってください」
「はい!」
彼は嬉しそうに笑った。
「その時は、エリーゼ様にも野菜を送ります!」
「楽しみにしています」
私は微笑んだ。
ライナスが部屋を出た後、私は再び昔の記憶に戻った。
処刑台に立った、あの死刑囚たち。
彼らにも、家族がいたのだろう。
守りたいものがあったのだろう。
けれど——
陰謀によって、命を奪われた。
(私は……罪なき者を処刑する手助けをしていた)
その事実が、重く心にのしかかる。
コンコン。
また扉がノックされた。
「はい」
「エリーゼ嬢、少しいいか?」
ポールの声だった。
「どうぞ」
ポールが入ってきた。
いつもの軍服姿ではなく、ラフな服装だった。
「どうされましたか?」
「君の顔色が悪いと聞いて、心配になった」
ポールは私の隣に座った。
「大丈夫です」
「無理をするな」
ポールは優しく言った。
「君は、ずっと頑張り続けている」
私は少し驚いた。
(この人、そんなことまで見ている?)
「エリーゼ嬢」
ポールは真剣な顔になった。
「君は、何か悩んでいるな」
「……わかりますか」
「ああ。君の目が、辛そうだ」
私は少し迷った。
けれど——この人になら、話せるかもしれない。
「ポール様」
私は静かに言った。
「私は、罪なき者を処刑する手助けをしていました」
「……エリーゼ嬢」
「前回の満月の夜、私は『真実看破』の力に目覚めました」
私は手を見つめた。
「もし、あの時その力があったら——」
「過去に処刑された人々を、救えたかもしれない」
ポールが私の言葉を継いだ。
私は驚いて彼を見た。
「そう考えているんだろう?」
ポールは優しく言った。
「……はい」
私は頷いた。
「私は、無実の人々の最期の言葉を記録してきました。でも、それだけでした」
「真実を見抜く力があれば、彼らを救えたかもしれない。でも、私には何もできなかった」
「エリーゼ嬢」
ポールは私の肩に手を置いた。
「それは、君のせいじゃない」
「でも——」
「悪いのは、陰謀を企てた者たちだ。君じゃない」
ポールは真剣な目で私を見た。
「君は、できる限りのことをした。死刑囚たちの最期の言葉を記録し、真実を残した」
「でも、それだけでは——」
「それだけでも、十分だ」
ポールは私の手を握った。
「君がいなければ、彼らの言葉は永遠に失われていた。誰も、彼らの無実を知ることはなかった」
私は涙を堪えた。
「ポール様……」
「エリーゼ嬢、君は強い」
ポールは優しく言った。
「だが、一人で全てを背負う必要はない」
「でも——」
「俺がいる」
ポールは私を抱きしめた。
「君は、もう一人じゃない」
私は驚いた。
(抱きしめられてる……)
「ポール様……」
「辛い時は、俺に頼れ」
ポールの声は、温かかった。
「君が苦しむのを、見ていられない」
私は涙が溢れてきた。
長年、堪えてきた涙が。
「ポール様……ありがとうございます……」
私は彼の胸で、静かに泣いた。
ポールは何も言わず、ただ私を抱きしめていた。
どれくらい時間が経ったのか、わからない。
けれど——
心が、少し軽くなった。
「すみません……」
私は顔を上げた。
「泣いてしまって……」
「謝る必要はない」
ポールは微笑んだ。
「君は、十分頑張った」
私は涙を拭いた。
「ポール様」
「何だ?」
「私、決めました」
私は真剣な顔で言った。
「もう二度と、無実の者が裁かれないように——」
「和平を実現します」
「そして、正義を守ります」
ポールは頷いた。
「ああ。一緒に、やろう」
私は微笑んだ。
(この人となら、できる)
(戦いを終わらせ、正義を守ることが)
窓の外では、月が輝いていた。
満月に、また少し近づいている。
(満月の夜、何が起こるのか)
(私の力は、どう変化するのか)
(わからない)
(でも——)
私は拳を握りしめた。
(恐れない)
(過去に処刑された人々のためにも)
(これから守るべき人々のためにも)
(私は、戦う)
ポールが立ち上がった。
「さあ、少し休もう」
「はい」
私も立ち上がった。
「明日からまた、準備が続く」
「はい。頑張ります」
部屋を出る前、ポールが振り返った。
「エリーゼ嬢」
「はい?」
「君は、素晴らしい戦略家だ」
ポールは微笑んだ。
「そして——素晴らしい人間だ」
私は顔が赤くなった。
「あ、ありがとうございます……」
(何この展開……)
ポールは笑って部屋を出ていった。
私は一人残され、顔を両手で覆った。
(ドキドキしすぎて、心臓が痛い……)
(いや、これは上司としての励ましであって——)
(そうだよね?)
私は混乱した。
けれど——
少し嬉しかった。
初めて、誰かに弱さを見せられた。
初めて、誰かに泣くことができた。
(私は……もう一人じゃない)
その事実が、何よりも嬉しかった。
私は窓の外を見た。
月が、優しく輝いている。
(あと五日)
(満月の夜が来る)
(その時、私の力はどうなるのか)
(そして——和平は実現するのか)
全てが、満月の夜に決まる。
私は黒い帳簿を開いた。
新しいページに、今日の出来事を記録する。
『ライナスという兵士と話した。彼は守るために戦っている』
『ポール様に、過去の罪悪感を打ち明けた。彼は優しく励ましてくれた』
『私は、もう一人じゃない』
几帳面に、記録していく。
この帳簿は、もう死の記録ではない。
生きる記録だ。
戦う記録だ。
そして——
希望の記録だ。
満月の夜まで、あと五日。
私は、準備を続ける。
戦いではなく、和平のために。
死ではなく、生のために。
処刑人の娘は、もう過去の存在ではない。
今、私は——
未来を創る者になる。




