12.「満月の覚醒」
満月まで、残り九日。
私は執務室で、和平計画を練り続けていた。
壁一面の地図、積み上げられた書類、そして——黒い帳簿。
「ガルゼイン帝国と和平を結ぶには……」
私は地図を見つめた。
まず、相手の事情を理解しなければならない。
なぜ、彼らは攻めてくるのか?
単なる領土拡大?
それとも、別の理由?
コンコン。
扉がノックされた。
「はい」
「エリーゼ様、お茶をお持ちしました」
若い兵士が入ってきた。
「ありがとう」
私は紅茶を受け取った。
「あの……エリーゼ様」
兵士が躊躇いがちに言った。
「何?」
「和平って、本当に可能なんですか?」
彼は不安そうな顔をしていた。
「俺たち、ガルゼイン帝国とは何十年も戦ってきたんです。今さら和平なんて……」
「可能かどうかは、やってみなければわからない」
私は冷静に答えた。
「でも、やらなければ、絶対に不可能だ」
兵士は少し驚いた顔をした。
「でも、相手は魔族ですよ?人間とは違う」
「魔族も、感情を持つ生き物だ」
私は紅茶を飲んだ。
「ならば、話し合いは可能なはずだ」
「……そうですかね」
兵士は半信半疑の顔で部屋を出ていった。
(まぁ、信じてもらえないのは仕方ないか)
私は再び地図に向かった。
数時間後、ポールが執務室に入ってきた。
「エリーゼ嬢、少し休んだらどうだ?」
「大丈夫です」
私は地図から目を離さなかった。
「昨日から、ずっと働いている」
「考えることが多いので」
「無理をするな」
ポールは私の肩に手を置いた。
「君が倒れたら、この要塞の知恵が失われる」
(この人、本当に優しいな)
「わかりました。少し休憩します」
「よし」
ポールは微笑んだ。
「では、一緒に食事をしよう」
「え?」
「君、今日まだ何も食べていないだろう?」
(……バレてた)
私は苦笑した。
「集中すると、食べるのを忘れてしまうんです」
「だめだ。ちゃんと食べないと、頭も働かない」
ポールは私の手を引いた。
「さあ、行こう」
(うわ、手繋いでる)
私は少しドキドキした。
(いや、これは上司としての気遣いであって——)
食堂に着くと、兵士たちが驚いた顔をした。
「バーバルマン様が、エリーゼ様と!?」
「二人で食事!?」
「これは……もしや……」
(おい、変な噂立てないでくれ)
私は内心で焦った。
ポールは気にせず、料理を取ってきた。
「ほら、食べろ」
「はい……」
私は料理を口に運んだ。
温かいスープ、柔らかいパン、そして肉料理。
「美味しい……」
「だろう?」
ポールは嬉しそうに笑った。
「要塞の料理人は腕がいいんだ」
私たちは静かに食事を続けた。
周囲の兵士たちが、ちらちらと私たちを見ている。
(めっちゃ見られてる……)
「ところで、エリーゼ嬢」
ポールが話しかけてきた。
「和平計画は、進んでいるか?」
「まだ、情報が足りません」
私は正直に答えた。
「ガルゼイン帝国のことを、もっと知る必要があります」
「何が知りたい?」
「彼らの文化、価値観、そして——なぜ戦うのか」
私はポールを見た。
「ポール様は、ガルゼイン帝国の人々と話したことはありますか?」
「……ある」
ポールは少し表情を曇らせた。
「捕虜として捕らえた魔族と、何度か話した」
「どんな人たちでしたか?」
「思ったより……普通だった」
ポールは苦笑した。
「獰猛な獣だと思っていたが、彼らも家族を持ち、故郷を愛していた」
「なるほど……」
私は興味深く聞いた。
「彼らは、なぜ戦っているのですか?」
「……命令だ、と言っていた」
ポールは真剣な顔になった。
「帝国の皇帝が、領土拡大を命じている。従わなければ、家族が処罰される」
私は息を呑んだ。
「つまり、彼らも……被害者?」
「そうかもしれない」
ポールは拳を握った。
「だからこそ、この戦いは無意味なんだ」
私は深く考えた。
(ガルゼイン帝国の兵士たちも、戦いたくて戦っているわけじゃない)
(ならば——)
「ポール様」
私は決意を固めた。
「次の満月の夜、ガルゼイン帝国の指揮官と会談したいです」
「会談?」
「はい。直接話し合えば、何か道が開けるかもしれません」
ポールは少し驚いた顔をした。
「危険だぞ。敵地に乗り込むようなものだ」
「わかっています」
私は冷静に答えた。
「でも、和平を実現するには、リスクを取る必要があります」
ポールは私を見つめた。
そして——頷いた。
「わかった。では、俺も一緒に行く」
「ポール様が?」
「当然だ。君一人を危険に晒すわけにはいかない」
ポールは真剣な目で言った。
「俺たちは、一緒に戦う仲間だ」
私は胸が熱くなった。
(この人は……本当に……)
「ありがとうございます」
私は微笑んだ。
「では、計画を立てましょう」
その夜、私は自室で黒い帳簿を開いていた。
『満月和平計画』
【目的】ガルゼイン帝国との和平交渉
【方法】満月の夜、敵指揮官と会談
【リスク】敵に捕らえられる可能性、交渉決裂の可能性
【対策】ポール様と共に行動、護衛を配置、逃走ルートを確保
几帳面に記録する。
窓の外を見ると、月が輝いていた。
まだ完全な満月ではない。
けれど、確実に満ちつつある。
(あと八日)
(その時、何が起こるのか)
私は少し不安になった。
前回の満月の夜、私は「真実看破」の力に目覚めた。
人の嘘が見える力。
(次の満月では、何が起こるんだろう)
(もっと強い力が覚醒する?)
(それとも——)
私は首を振った。
(考えても仕方ない。今は、和平計画に集中しよう)
黒い帳簿に、さらに詳細を書き込んでいく。
交渉の流れ、提案内容、予想される反論——
全てを想定し、準備する。
(処刑人の娘として、私は記録してきた)
(そして今、和平の記録を作る)
私は静かに誓った。
この無意味な戦いを終わらせる。
そのために——
コンコン。
扉がノックされた。
(こんな夜中に?)
「はい」
「エリーゼ様、ポール様がお呼びです」
使用人の声だった。
「今から?」
「はい。緊急だそうです」
私は立ち上がった。
(何かあったのか?)
急いでポールの執務室に向かうと、彼は深刻な顔で地図を見ていた。
「ポール様、何が——」
「エリーゼ嬢」
ポールは私を見た。
「ガルゼイン帝国から、使者が来た」
「使者?」
私は驚いた。
「向こうから?」
「ああ。そして——」
ポールは手紙を差し出した。
「これを読んでくれ」
私は手紙を受け取った。
美しい文字で書かれている。
『リュミエール王国、バーバルマン要塞殿
次の満月の夜、和平交渉を希望する。
国境の中立地帯にて、会談を行いたい。
——ガルゼイン帝国、第三軍団長 ヴォルフガング』
私は息を呑んだ。
「これは……」
「向こうも、和平を望んでいる」
ポールは静かに言った。
「君の考えは、正しかったようだ」
私は手紙を握りしめた。
(チャンスだ)
(本当に、和平が実現するかもしれない)
「ポール様、これは罠の可能性もあります」
「わかっている」
ポールは頷いた。
「だが、可能性に賭ける価値はある」
「はい」
私は決意を固めた。
「では、準備しましょう。満月の夜に向けて」
ポールは微笑んだ。
「ああ。一緒に、平和を作ろう」
私たちは地図を広げた。
中立地帯の場所、護衛の配置、逃走ルート——
全てを綿密に計画する。
窓の外では、月が静かに輝いていた。
満月まで、あと八日。
その時——
全てが変わる。
戦いの夜から、和平の夜へ。
そして——
私の無属性の力が、再び覚醒する。
(何が起こるのか、わからない)
(でも、恐れない)
(私は、正義のために戦う)
(それだけだ)
私は黒い帳簿に、新しいページを追加した。
『満月和平交渉・準備記録』
几帳面に、全てを記録していく。
この記録が、いつか——
平和の証となることを信じて。
処刑人の娘は、もう死を記録するだけの存在ではない。
今、私は——
平和を記録する者になる。
満月の夜が、すぐそこまで来ている。




