3.発作
読み合わせは、淡々と進み、おれの予想通り西崎恵とは言え、ほかの役者とそう違った読み方をするわけではなかった。……まあ、当たり前だけど。
だが、その次の稽古日がきて立ち稽古に入ってからは、おれは自分の認識を改めることを余儀なくされた。
まず彼は、台本を渡されてから五日間で主要登場人物の中で唯一全幕の台詞を暗記してきていた。主役であるため、彼の出番は多く、必然的に台詞量が半端ではなく多いにも関わらずだ。
そして、何日か立ち稽古が進むうちに、彼の演技力がほかの若手役者とは際立っていることを認識せざるを得なくなった。
稽古中、区切りごとにいろいろと意図的に台詞回しを変えて演技を模索する役者も多い中、西崎はもう役作りを終えているのか、ぶれない演技で通していることにおれは気がついた。
おれ自身周りの演技と慎重に合わせながら自分の役に適した演技を探っている最中であるだけに、もう既に一本筋が通った演技を突き詰めている彼が、別次元の人間に見えた。
一幕ごとに一通りの立ち稽古を終え、一場ごとの演出に入ったある日。
この舞台の演出家は、始めに自分の解釈を一通り話したものの、後は役者の自主性で演技をしてみろ、と言うスタンスの人で、若手の中には細かい演技指導がなくて戸惑うものも多かった。でも、おれはどっちかというとあれこれ動きを限定されるよりこういう自由度が高い演出の方が好きだ。
その日は初めて、おれと西崎が絡む場面の稽古が行われた。その場面の出演者以外は早めに昼休憩に出ており、稽古場には出番がある役者と数人のスタッフと、演出家だけだった。
「じゃ、一通りやってみてよ」
演出家はそう言った後、西崎の方をちらりと見て付け加えた。
「流す稽古は十分やったから、そろそろ見る側を意識してやってくれ。自分のための練習ではなく、観客のための本気の演技をな」
どういう意味だろう。本気でやれってことは、今までの演技より高度なものを求められているのか? 変なプレッシャーを与えられたおれを含めた若手役者たちは、妙な緊張感の中で舞台の定位置に向かった。
「……っつ」
突然、おれの視線の先で、西崎がふらりとよろめいた。
その場面の稽古が始まり、おれが、4つある台詞のうち3つを何とかとちらずに言えた直後のことだった。
演技中も役者としての存在感がずば抜けている西崎につい目が惹きつけられ、演技に支障がない程度に、彼の動きを目で追っていたおれは、西崎の様子の急変に一瞬自分の演技も忘れて驚いた。
立ち位置はそう近くなかったが、狭い舞台の上なので、おれには彼の表情がよく見える。他の役者の演技の邪魔にならないようにこらえる表情だが、彼の額にはびっしり汗の玉が浮き、歯を喰いしばっている。胸を押さえている手は小刻みに震えていた。
ずっと前、今はもう亡くなったじいちゃんが心臓発作を起こしたとき、同じような状態に陥ったことを思い出した。薬があれば収まるのだが、そのまま発作が長引けば、素人では対処できなくなり救急車を呼ぶ羽目になる。
立ち位置が近くの役者たちも気づいたもののこれは演技の一部なのか判断に困っている様子だ。そのまま演技は続いていく。確かにこの場面、西崎が倒れるアクションがあったが……。
西崎は誰にも助けを求めようとせず、堪えるように大道具に背を預けた。まだ作りかけの大道具がぎしっと軋む。
これは、演技なんかじゃない! おれは確信した。




