10.二日酔いの朝
盛大に吐いた後、天下の若手実力派俳優、西崎恵は、まったく使えなくなった。
おれはなけなしの金をはたいて飲み代を払い、自分より上背がある彼を引きずるようにして大通りまで出て、タクシーを拾った。
普段なら酔いつぶれた仲間をタクシーに放り込めばおれの役目は完了なのだが、彼ほどの有名人を放って帰るわけにはいかない。何とか聞き出した住所を運転手に告げ、おれも一緒に後部座席に乗り込んだ。
あー、やっぱりこいつ、アルコール弱かったんだな。いろいろ動き回った後、漸く座席に身を沈め一息ついたおれは、途端に襲われた眠気と戦いながら、ぼんやりとそう思った。
横では、とことん吐いたおかげで気分がましになったのか、顔色がやや回復してきた西崎が、傾いた姿勢ですやすや眠っている。
おれも、眠りたい……。今、眠らせてくれるのなら百万円払ってもいい……。切実に願いながら、三十分ほどしてタクシーが大きな高層マンションに横付けされるまでおれは必死で意識を保たねばならなかった。
翌朝。おれは見知らぬ部屋で目が覚めた。清潔で、しみ一つない天井。見回せば、二十畳はあろうかという広いフローリング。やはり塵一つない。その固い床の上に、自分が転がっているのが分かった。
「……いてて」
こわばった身体が悲鳴を上げる。ぎこちなく身体を動かし、ゆっくりとおれは起き上がった。何も掛けていなかったが部屋は暖房が効いていて暖かかった。
「ええと、ここは」
必死で昨日の記憶を手繰り寄せながら周りを見回したおれは、広い部屋の真ん中に置かれたソファーの上で丸まって眠る西崎恵の姿を眼にして、漸く記憶が繋がった。
その部屋の住人である西崎が目を覚ましたのは、昼近くなってからだった。
それまでおれはひたすらぼうっとして過ごしていた。酒に弱い方ではなかったが、学生時代と比べて、翌日に残りやすくなった。今のおれは軽い二日酔い状態だ。それに対して漸く目覚めた西崎の方はなんだかすっきりした顔つきだった。
だが、床に座り込んでいるおれを見た瞬間、彼はたっぷり五分間眉間にしわを寄せて固まった。その後、開口一番、おれに頭を下げて言った。
「悪い! 迷惑をかけた」
「……記憶は、あるのか」
逆におれは感心してしまった。
西崎が言うには、彼はアルコールに弱い体質かどうかと言うより、本格的に飲んだのが、昨日が初めてだったらしい。自分に合った飲み方も知らないため、とりあえずおれのまねをして飲んでいたと言うのだから、話を聞いたおれは、急性アルコール中毒にならなくてよかったよな、と冷や汗物だった。
昼過ぎには、おれの二日酔いもだいぶましになってきて、その代わり、急に空腹を感じた。
そんなおれに、悪いけど今家に何もないんだ、とすまなそうに言って、西崎は電話帳を調べ、すしの出前を取ってくれた。
「いつも、食事は出前なのか?」
迷惑料もかねて、と言う気持ちもこめられているらしい特上すしを食べながらおれは聞いてみた。
「いや。そういうわけではないけど、稽古やなんやで帰宅時間が不規則になると、自炊をする暇もないし食材を買っても無駄になるから、つい……ね」
苦笑いをする西崎の主張は、稽古やバイト、台本を覚えるのに忙しく、ついつい経済的な自炊をサボってコンビニ弁当で済ませてしまうおれの日常と全く変わりがなかった。