9.飲もうぜ!
「はい、まあ、まず一杯」
生ビール中ジョッキ、所謂、生中を勝手に注文したおれはすぐに運ばれてきたそれを強引に西崎に手渡した。
ここは、駅前の飲み屋街の一角にある、若者向け居酒屋である。西崎のような有名人にしてみれば、もっと一般人には敷居が高そうな個室完備の高級居酒屋がいいのかもしれないが、バイトで極貧生活をしているおれにはこれくらいの店が上限だ。学生でごった返すような安いチェーン店でないだけ大きな譲歩と言える。一応席と席の間には衝立があるし、一番奥の人目に付きにくい席をセレクトすることができた。
なんだか戸惑った様子で押し付けられたジョッキを受け取った西崎に、すでにハイテンションのおれは、学生時代と全く同じノリでかんぱーい、とジョッキを合わせた。アルコールを口にすると、だんだん冷えた体が温まってくる。
せっかく友人になったのだから、かねてから彼と一緒にとことん飲みたいと思っていた。今日ついに飲みに連れ出すことに成功して、おれはそれだけで上機嫌だった。
食事に来てもいつも飲まずに帰るのは、ひょっとして飲めない体質なのかと思っていたが、西崎は案外いける口だった。
生中を二杯おかわりして、焼酎に替えたおれにぴったり同じペースでついてくる。しかも顔色一つ変えない。いつもよりハイテンションで喋り捲るおれと違って、口調も普段どおりだ。
「……でさあ、今回の舞台、おれにとっては初挑戦なわけ。学生のときは準主役ってポジションの役をもらったこともあったけど、所詮素人舞台だったしさあ」
「……そうか。大変だったな」
酔っ払いにありがちな、ひたすら自分の過去を喋り捲るおっさんと化したおれに、冷めた口調で西崎が相槌を打つ。
「そんでな、オーディションを受けまくって漸く射止めた今回の大役なんだけど、大変だったんだぜ。夢だけじゃ食ってけないから、最終選考の前日も深夜2時までバイト。翌日半分眠りながら会場まで行ったよ」
「……そうか。大変だったな」
「でも、受かったときは嬉しかったなあ。希もすっごく喜んでくれて・・・あ、希っておれの彼女。パティシエなんだ。きつい仕事なんだけど、やりがいあるって嫌な顔一つせずに頑張っててさあ」
「……そうか。大変だったな」
「あ、今度、おれがバイトしてる店に来いよ。彼女の作ったケーキ食ってみろって。最高だぜ」
「……そうか。大変だったな……」
ん? 漸くおれは何か会話が噛み合っていないことに気づいた。
まったく普通の顔でグラスを傾けている西崎は、さっきから同じ返事しかしていない気がする。
「おい西崎? お前、平気か?」
くいっとグラスを持つ袖を引っ張ると、かくんっと腕が落ちた。……おいおい。
慌ててグラスを引き取ると、そのまま腕とともに首も傾き、彼はテーブルに突っ伏した。
食べかけのギョーザの皿に顔から突っ込むところだったのを、間一髪、肩を支えて救ってやった。
「あぶねー。おい、西崎? 西崎ー」
自分も呂律が怪しいことは分かっていたが、今までの経験上、おれはまだ酔いつぶれるほど飲んではいないはずだ。意識がない様子の西崎の方を心配し、軽く揺すりながら呼びかけると、急に彼はがばっと起き上がった。口元を押さえ、顔色が白く、血の気が引いている。
これは、吐くな……。これも経験上おれは確信した。案の定。
「……きのした」
弱弱しい声で、吐きそう、と告げられ、おれは半ば彼を抱えるようにしてトイレまで連れて行ったのだった。




