16 異世界レクチャー
ぽんぽんぱたぽん(おんぷ)
おまちどうさまでした!
おあずかりした は
みんな げんきに なりましたよ!
また いつでも
ごりよう ください!
「んっはぁあっ!?」
「おお!えみ、やっと起きたか!」
「あ、あれ?火憐?野生の女医さんは……」
「何を言っておるのじゃ?えみはせんせいにここまで連れてこられてのじゃ」
……そう言われて落ち着いて周りを確認すると、私は道具屋のテーブルの席についていた。
目の前には煮物と漬物とお椀が置いてある。中々に美味しそうな匂いだ。私はどっちかって言うと洋食の方が好きだが、和食だって好きだ。この、おそらく里芋であろう煮物。とても軟らかそうだ。醤油の香りが辺りに漂い、私の食欲を刺激する。漬物は多分たくあん。同じ皿に盛られているのはよく見たらおひたしだ。これはこの町に来る途中の畑で見た葉物野菜だと思う。お椀は蓋がついていて中が見えないが味噌汁のはずだ。このラインナップなら絶対そうだ。残すはご飯のみか。テーブルには三人分の食事が用意されている。一人は私、一人は火憐、もう一人は今は席にいないがせんせいだろう。ああ、これを我慢させるなど罪なことだ。
「罪なことをしたのは貴女、ですよ、えみちゃん?」
ゾワワワワッ
やべぇ。これはやべぇ。本当にやべぇ。
語彙力(笑)とか言われるかもしれないけど、やべぇ、しか出てこねぇ。
(笑)は決して(えみ)じゃないから間違えないように。
じゃなくてぇ。……初めて、殺気というものを覚えたよ。まじで、まじでやべぇ。
背後から、背後からやべぇ気配が……
室温が5℃くらい下がったんじゃないかな。
「ふふふふふ」
「あ、あ、あ、あの、せ、せ、せんせいっ!?」
「な~にかしら~?え~み~ちゃ~ん?」
「な、何か、御気分を害するようなことをいたしまっ」
「そぉ~ねぇ~?わからないのかしら~?」
「あ、あ、あ」
せんせいがゆらりと席に着く。髪の毛が口にひっかかってますよ……?
「それでは、いただきますなのじゃ!」
この空気を完全に無視した、いや気づいていない火憐が箸を持った。
シュビッ
その刹那、何かが火憐の顔の前を掠めた。
火憐は白目を剥いて、だらしなく口から涎を垂らしたまま顔を天井に向けて、気絶した。
「か、火憐んんんっっ!?」
軽くホラーだよっ!?怖いよ!?何が起こった?っていうか火憐は大丈夫なの?
「火憐ちゃん、貴女も許していませんよ?」
えええ!?目の前で一体何が起きているんだ!?
せんせいが何かをしたのは間違いない。そのせんせいの顔が般若と化している。
口の端から煙を吐いているのは錯覚だと思う。そうだと信じたい。
それにしても本当に、何に対しておかんむりなんだ!?
「ま~だわからないのね~?いいわ~今回だけは特別に教えてあ・げ・る」
それからのことは強烈に頭に叩き込まれた。今後の人生において、この時のことが頭から離れることは断じてないだろう。私の中の消えない記憶トップ3だった、朝起きたらGと至近距離で目が合ったこと、小学生の時に学校の水槽を割ってしまったこと、目の前で自転車が車に轢かれたこと、これらを抜いて堂々の一位になった。
「ヒトノトシヲバカニシナイ、ムヤミニヒトノトシヲキカナイ、センセイハエイエンノハタチ」
「ふふふ。よくできました~」
センセイオソルベシ。
私に対する怒りはわかった。はい、ごもっともです。私が悪いです。
でも、火憐に怒ってるのはなんでだろう。
歳を喰って怒りっぽ
「あら?」
御歳を召されて怒
「えみちゃんはまた私の授業を受けたいのかしら?」
せんせいは永遠のハタチですぅ。
「むにゃむにゃ……はっ!?ここは何処じゃ!?」
「火憐、ようやく起きたわね」
「えみ?せんっ……せ、い」
「火憐ちゃん?貴女、午後の店番はど~したのかしら~?」
「ぎくっ」
ぎくって口で言う人初めて見たよ。もう今日一日、初めて尽くしで何が凄かったのかわかんなくなってきたよ。
「火憐ちゃん?」
「ご、ごめんなさいぃっ!」
「今回は、許してあげるわ~?えみちゃんとお話してて忘れちゃったんでしょう?」
「そうなのじゃ!えみと話をしていたら時間を忘れてしまったのじゃ!」
「次はちゃんと約束は守らなきゃダメよ?」
「わかったのじゃ!」
ついにせんせいの怒りは収まり、待ちに待った夕食。
さっきはまじで死を覚悟したわ。異世界でこんなことで死を覚悟するなんてどうなんだ。仰げば遠とし、我が死の音。
「それで、さっきの話なんだけどね~?」
「さっき?ま、まだ怒ってらっしゃいますか」
「それじゃなくて~お風呂での話~」
ええっと、なんだっけ。この短時間でも色々あり過ぎて何の話してたか忘れたよ。
せんせいがおひつからご飯、色々混ざっているから雑穀米かな、を茶碗に盛り私に手渡しながら言った。
「『魔族』の話よ~」
「あ、ああ」
「えみちゃんは本当に知らないようだから、覚えておかないと困るでしょ~?」
「そ、そうですね。どうやら私の常識とはかけ離れているようで……教えていただけると助かります……」
「その学ぼうとする姿勢は素晴らしいわね~」
かぽっ
せんせいがおひつの蓋を閉じ、ふ~っと息を吐いた。
火憐は自分の皿の里芋を箸で掴むのに苦戦していて聞いていない。
「まず、『魔族』についてなのだけれど。実は私も『魔族』なのよ~?」
「……ん?え、じゃあせんせいも魔法を……」
「ん~ん。私は使えないのよ。というかね、この場所で魔法が使えるのは世界中、どこを探しても火憐ちゃんだけだと思うわ~」
「んん?あの、よくわからないのですが、なんで火憐だけ?」
「あら、それもわからないということは、えみちゃんの故郷は大きな町から外れた村とか、かしら~?」
「えっと、大きな町の人なら誰でもわかることなんですか?」
「そうね~。小さな子供でも知ってることだと思うわ~」
「はぁ」
全く見えてこない。大きな町にあって小さな村には無いもの。
「それはね、『結界』よ~」
「結界……?あ、それって、林の中にある、見えない」
「あら、その結界は知ってるのね。でも、それではないわ。あの結界の中にはこの世界の誰一人立ち入ることができないから、結界の中に神様が住んでいると言われているのよ」
「あ、だから火憐は私のことを……」
私のことをいきなり神様だと断定した根拠はこれか。なるほどねぇ。
「あの結界は神様が住んでいるという言い伝えから『神性結界』と呼ばれているわ」
「な、なるほど」
残念ながら私が見た限りでは、その『神性結界』の内側にあるのはただの林と池だけだ。……いやいや、ただの池?違うじゃん!あれ、異世界の入口だったじゃん!じゃんじゃんじゃん!
「それでね、最初に私が言った、大きな町にあって小さな村にはない『結界』というのは、町に魔獣が入ってこないように張ってある、防壁結界。町に張る結界はこの防壁結界だけだから、普通はただ『結界』と呼んでいるわ~」
「魔獣……」
「魔獣は知っているでしょ~?見た目が怖い、人を襲う怪物のことよ~」
おおお、なんだか異世界っぽくなってきたねぇ!ふんすふんす!
「……なんでえみちゃんは魔獣に興奮しているのかしら~?まあいいわ~。それで、私が魔族なのに魔法を使えない理由なのだけれど、『結界』の中では魔法が使えないのよ~」
「え?でも、火憐は魔法を」
「そう、そこなのよ。火憐ちゃんはね、『結界』の中でも魔法が使えるのよ」
「なんで火憐だけ」
特別なのだろう。当たり前のように魔法を私に披露したもんだから、そんなに特別なことだとは思わなかった。
「私もわからないのよ~。でもね、このことが広まってしまうと火憐ちゃんが危ないでしょう?」
「え?なぜですか?」
私の隣で梅干しを食べておかしな顔になってる火憐を見ても、危機が迫っているようには見えない。むしろ緊張感が解れて、ついついにんまりしてしまう。
「わからない~?」
「むむむ……」
「普通は『結界』の中では魔法が使えないの。魔法はとても大きな力よ。それこそ、大きな町を一つ消し飛ばすくらいには」
「あ」
「そう。『結界』があるから魔法が使えない。だから魔法が使える魔族も町の中では普通の人種と同じだし、普通の人種と同じように生活を送ることができるのよ」
その前提を覆す、火憐の力は……
「危険なのよ。火憐ちゃんは」
「もし知られたら」
「捕まって国の管理下に置かれる。生活に自由はないでしょうね。それだけなら良いわ。最悪、戦争の道具として利用されてもおかしくはない。私は道具を集めているけれど、火憐ちゃんを道具として見ることはできないわ」
……また、なんとも重い話だ。
当の火憐は、雑穀米を口いっぱいに頬張ってむしゃむしゃしてるけど。こんな屈託のない笑顔を見せる火憐にそんなところに渡すわけにはいかない。
「せんせいは」
「私は火憐ちゃんの保護者として、火憐ちゃんを渡すことはしないわ。何があってもね」
「……はい」
私も火憐の秘密を知ったからには、何より火憐の友人として、守らなければならない。そんな気がした。




