表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

第四章「聖なる絆」

第四章「聖なる絆」


部屋へ戻るまでの道のりは、張りつめた沈黙に包まれていた。

ヒルは、今の状況の重みがこれまで以上に自分へ圧しかかってくるのを感じていた。


センチネルは部屋の前まで二人を連れてくると、短くうなずくだけで薄暗い廊下の奥へ消えていった。

残されたのは、ヒルとルナだけ。

巨大なベッドが中央に置かれた広い部屋の入口で、二人は向かい合うように立っていた。


ルナは少しためらってから、先に部屋へ足を踏み入れる。

そして振り返り、暗い橙色の瞳でヒルを見た。

その表情は読み取れない。


「ここから先で、あなたはもう元には戻れないわ」


彼女は静かに言った。


ヒルは鋭く息を吐く。


「……すげえな。プレッシャーしかない」


そう返しながら、彼も中へ入り、重い木の扉を背後で閉めた。


部屋の中は暖かかった。

壁に埋め込まれた魔晶石の柔らかな光だけが、静かに室内を照らしている。

空気そのものが、何か古く、何かを結びつける力を帯びて震えているようだった。


ヒルは喉を鳴らし、ベッドへちらりと目を向ける。

これから何が起きるのかは、分かっている。

それが必要なことなのも理解している。

けれど、だからといって緊張しないわけではなかった。


ルナは部屋の中央まで歩み、両手を胸の前で重ねた。


「これは、ただ身体を重ねるというだけのことじゃない」


彼女はまっすぐヒルを見て言う。


「魔法と魂が交わることでもあるの。あなた自身を変えるわ、ヒル」


ヒルは髪をかき上げながらうなずいた。


「……だろうな」


そして少しためらい、ため息をつく。


「その……お前たちの文化の一部だってのは分かる。分かるけど、こっちからしたら簡単に飲み込める話じゃないんだよ。お前は……その、平気なのか?」


ルナの頬がわずかに赤くなった。

一度だけ視線を落とし、それからまた彼を見る。


「私は、いつかこうなると知って育ってきたわ。いつかガーディアンと絆を結ぶのだと」


彼女は静かに続ける。


「でも、ずっと知っていたことと、実際にその時を前にすることは……やっぱり違うの」


ヒルは慎重に一歩だけ近づいた。


「……じゃあ、お前も緊張してるんだな」


ルナは、小さく息を漏らすように笑った。


「当たり前でしょう」


その一言で、ヒルの気持ちは少しだけ軽くなった。

彼はもう一歩進み、薄明かりに照らされた彼女の髪がかすかに光るのを見つめる。


「なら、一緒にやるしかないな」


ルナはしばらく彼を見つめ、それから小さくうなずいた。


「……ええ」


ゆっくりと、彼女が手を伸ばす。

その指先がヒルの指に触れた瞬間――


ぱち、と本物の火花が散った。


ヒルは思わず息を呑む。


「……今の、何だよ」


「もう始まってるの」


ルナが囁く。


「絆は、すでに結ばれ始めているわ」


ヒルにも分かった。

二人のあいだにある、この奇妙な引力。

触れ合うことよりも、考えることよりも、もっと深い場所で引き寄せられている感覚。

まるで魂そのものが重なり合う位置を探しているみたいだった。


ルナは深く息を吸い、少し顎を上げる。


「……なら、もう逆らわないで」


ヒルは何も言わなかった。

ただ、そっと彼女の頬へ手を添える。

指先に伝わる体温がやけにはっきりしていた。


そして唇が重なる。

最初はためらうように、柔らかく。

けれど、触れ合ったその瞬間、二人の間に満ちていた力が一気に奔った。


熱が、ヒルの胸の奥へ広がっていく。

今まで感じたことのない感覚だった。


ルナの感情が流れ込んでくる。

記憶の断片が、光のように脳裏をよぎる。

幼い頃の彼女。

訓練の日々。

ずっと一人で背負い続けてきた重さ。


それと同時に、ヒル自身も開かれていくのが分かった。

自分の不安も、恐れも、迷いも、何もかもが彼女へ伝わっていく。


口づけが深くなるにつれて、魔力もまた強まっていく。

金色の光が波のように二人を包み込み、気づけばヒルはベッドのほうへ導かれていた。

もう思考より先に、身体が、感覚が、この瞬間を受け入れていた。


ルナの指先がヒルの上衣に触れる。

ほんの一瞬だけためらい、それから布の内側へ滑り込んだ。


その感触に、ヒルの身体がわずかに震える。

近すぎるほど近い距離。

けれど、そこに無理や乱暴さはなかった。

急かされることも、押しつけられることもない。

それはゆっくりとした、確かめ合うような時間だった。

信頼と結びつきが形になっていくような、静かな重なり。


二人が絆へ身を委ねていくにつれ、空気はさらに濃く、重くなっていく。

呼吸が乱れ、動きが自然と揃っていく。

まるで、自分たちよりもっと大きな何かが、この瞬間を導いているかのように。


引力は、さっきまでとは比べものにならないほど強くなっていた。

世界そのものが二人を結び合わせようとしているようだった。


繋がりが深まるたび、感情も感覚も一気に溢れ込んでくる。

ルナの鼓動が、ヒルの鼓動と重なっていく。

規則正しいその響きが、やがて一つのリズムになる。


魔力は波のように押し寄せ、二人の存在そのものを包み込み、結びつけていく。

ヒルは彼女の強さを感じた。

背負ってきたものを感じた。

願いを感じた。


そしてルナもまた、彼のすべてを受け取っていた。


生々しく、圧倒的で、それでも二人のどちらも離れようとはしなかった。


やがて、部屋の中に低く柔らかな音が満ちていく。

魔力の密度がさらに増し、身体も魂も深く絡み合っていく。


そして最後の一線を越えた瞬間――

絆は頂点へ達した。


まばゆい光が二人から爆発するように放たれ、壁にも、ベッドにも、肌にも、複雑な紋様が浮かび上がる。

凄まじい力がヒルの中へ流れ込み、息が止まりそうになる。


彼は感じていた。

本当の意味で、ルナを。


身体だけじゃない。

魂も、心も、意識も。

すべてが触れ合っていた。


そしてルナもまた、彼を感じていた。


鼓動が重なる。

心が重なる。


その瞬間、ヒルはもはや“別世界から来たただの少年”ではなくなっていた。


彼は――ガーディアンになった。


ルナは小さく震えながらヒルへ身を寄せ、残っていた力の余韻が静かに二人のまわりへ沈んでいく。

光は少しずつ消え、あとには熱だけが残った。

自分たちが成し遂げたことの、静かな実感だけが。


ヒルは彼女の髪を一筋、そっと払った。

自分の呼吸もまだ落ち着いていない。


「……大丈夫か?」


ルナはうなずく。

けれど、その瞳にはもう前とは違う何かがあった。

もっと深く、もっと近いもの。


「ええ」


彼女は囁く。


「あなたも、ね」


この世界へ来てから初めて、ヒルはその言葉を本気で信じられる気がした。


しばらく静かな時間が流れたあと、ルナが再び口を開く。


「この絆は……もう消えないわ」


ヒルはまだ、自分の中にある彼女の気配に戸惑いながらもうなずいた。


「……ああ。分かる」


ルナはそっと手を伸ばし、彼の胸に触れる。

心臓の上へ。


「私も、あなたを感じる」


二人はそのまま静けさの中にいた。

身体も、魂も、もう以前とは違う。

そしてこれは、二人の旅の始まりにすぎないのだと、どちらも分かっていた。


 


高い窓から朝日が差し込み、長い金色の光が部屋の中へ伸びていた。


空気は、昨夜とは違っていた。

絆の残光こそ消えていたが、その存在そのものは確かに残っている。

ヒルの肌の下で、静かに脈打つように。


彼は仰向けのまま天井を見つめていた。

身体にはまだ力の余韻が残り、深いところで何かが解き放たれたような感覚がある。

まるで、生まれてからずっと閉ざされていた扉が、ようやく開いたみたいだった。


隣にはルナが横たわっている。

穏やかな呼吸。

温かな存在。


長い沈黙のあと、彼女がようやく言った。


「……あなたも感じるでしょう?」


ヒルは顔だけ彼女のほうへ向ける。

朝の光が彼女の頬に影を落とし、暗い橙色の瞳をいっそう深く見せていた。


「……ああ」


ヒルは素直に認める。


「うまく言えないけど……分かる」


ルナは少しのあいだ彼を見つめ、それから手を伸ばし、再び彼の胸へ指先を置いた。


「不思議よね。突然、誰かのことを今までとはまるで違う形で知るなんて」


ヒルはうなずく。

彼女の感情や思いが伝わってくる。

言葉ではなく、感覚として。

彼女が背負ってきた重さ。

孤独。

生まれた時から託されていた責任。


全部が、自分の中にも流れ込んでいた。


「……お前、ずっと一人だったんだな」


気づいた時には、口からその言葉がこぼれていた。


ルナの目が少しだけ見開かれる。

そして、視線を逸らした。


「……ええ」


短く、でもはっきりと認める。


「でも、もう違うわ」


そのあとに続いた沈黙は、気まずいものではなかった。

理解がある沈黙だった。


ヒルは息を吐き、髪をかき上げる。


「で……これからどうなるんだ? 起きた瞬間から火球でも撃てるようになったりするのか?」


ルナはくすりと笑い、首を振った。


「さすがにそこまでは。力は解放されたけれど、使いこなすには訓練が必要よ。完全に制御できるようになるまでには時間がかかるわ」


「うわ、また訓練か」


ヒルは天井を見上げたままため息をつく。


「まあでも、少なくとも誰かに魔法投げつけられた瞬間、灰になることはなくなったってことだろ?」


ルナは片肘をついて身体を起こし、彼をじっと見つめた。


「……後悔してない?」


その落ち着いた表情の奥に、わずかな不安があるのをヒルは見逃さなかった。

彼は彼女のほうを向き直る。


「してない」


迷いなく答える。


「めちゃくちゃすぎるし、重すぎるし、まだ何もかも追いついてないけど……でも、多分こうなるべきだったんだと思う」


その言葉に、ルナの肩から少しだけ力が抜けたように見えた。

彼女の指先がシーツの上を何気なくなぞる。


「……なら、少し休みましょう。明日から、本当に全部が変わるわ」


ヒルは口元をわずかに緩めた。


「明日から? もう十分変わってるだろ」


ルナは小さく笑ってから、再び横になる。


「少しだけでも眠ったほうがいいわ。あなたの身体はまだ絆に馴染んでいる途中なの。次に備えるためにも、ちゃんと力を残しておかないと」


ヒルはもう一度仰向けになり、息を吐く。

絆の熱は、今も二人のあいだで静かに脈打っていた。

もう何もかも、以前と同じには戻らない。


けれど不思議なことに、今のヒルはその事実を恐れていなかった。


 


しばらくして、ヒルがちらりとルナを見た。

言おうか迷った末に、口を開く。


「……その、どこか行く前に、さすがに少し整えた方がいいんじゃないか」


ルナは一瞬だけ何を言われたのか分からない顔をした。

けれど意味を理解した途端、顔が一気に真っ赤になる。

勢いよく身体を起こし、髪を払って咳払いした。


「そ、そうね……。ええ、確かに」


彼女はベッドを抜け、小さな隣室へ向かった。

そこには大きく装飾された水盤が用意されている。

ルナが身を整え始める間、ヒルは大きく息を伸ばしながら、昨夜から今に至るまでのことを頭の中で整理しようとしていた。


まだ“ガーディアンであること”の意味を完全に理解したわけではない。

でも少なくとも、一人で抱え込まなくていいのだということだけは分かっていた。


ルナは扉のほうへ目を向けながら言う。


「着替えたら大広間へ行かないと。訓練の前に、陛下と宮廷の人たちと一緒に食事をすることになってるの」


それから立ち上がり、軽く身体を伸ばした。


「ほら。王族を待たせるわけにはいかないでしょう」


ヒルは小さく笑う。


「お前、それ言い方的に、明日には俺がシックスパックになって魔法使えるようになってるみたいだぞ」


ルナは口元をわずかに上げた。


「一晩でそこまではいかないわ。でも、あなたはもう違う。訓練を始めれば、すぐに分かるはずよ」


ヒルは目を閉じる。

この世界へ来てから初めて、本当の意味で疲れが身体へ落ちていくのを感じた。

それなのに、不思議と心は穏やかだった。

ルナが隣にいること。

絆の温もりがあること。

その全部が、この異質な世界を少しだけ受け入れやすいものにしてくれていた。


ヒルは目をこすりながら言う。


「……いや待て、王と食べるんじゃなかったのか?」


ルナは小さく笑った。


「そうよ。これは、その前に倒れないように少しだけ整えるって話」


ローブの帯を結び直しながら続ける。


「着替えて。センチネルが迎えに来るはずだから」


絆は確かに根を下ろしていた。

窓の外の朝日が、それが夢ではないことを改めて突きつけてくる。

新しい人生は、もう始まっている。


もしかしたら以前より強く。

以前よりこの世界に近い存在として。


未来に何が待っているかは分からない。

けれどルナがそばにいるだけで、ヒルは不思議と――準備ができている気がした。


初めて、彼はこの世界にただ振り回されているだけではなくなっていた。

自分自身が、その一部になっていた。


そして次に何が来ようとも、今度は正面から向き合うつもりだった。


 


新しい服へ着替え終えると、二人は部屋を出た。

並んで歩くあいだも、絆は静かに脈打っている。

新しい人生は、もう始まっていた。

これまでより強く、この世界へ深く結びついた状態で。


未来がどうなるかはまだ分からない。

それでもルナが隣にいるだけで、ヒルは次に来る何かへ向けて奇妙なくらい心が整っているのを感じた。


ヒルは上衣の襟元を何度も直していた。

もはや百回目なんじゃないかと思うくらいだ。

与えられた正装はよく似合っていたが、何もかもが落ち着かない。

整いすぎているし、硬すぎるし、高貴すぎる。

こんな服を着ること自体慣れていないのに、そのまま王と朝食を共にするなんてなおさらだ。


一方のルナは、まるで最初からこの空気の中で生きてきた人間そのものだった。

金の刺繍が施された深紅のドレスに着替え、短い黒髪も整えられている。

王族との食事など日常の一部にすぎないとでもいうような、自然な落ち着きがあった。


センチネルが二人を先導していく。

その歩みは正確で、表情は相変わらず読み取れない。

昨夜からほとんど何も話していないが、それも驚くことではなかった。

この男はもともと、無駄な言葉を使わない。


ヒルは緊張を紛らわせるため何か冗談でも言おうかと思ったが、たぶん滑るだけだろうという予感しかしなかった。


仕方なく、ルナへ声をかける。


「なあ。王って朝飯の時どんな感じなんだ? 一口食うたびに演説するタイプ? それともお茶飲みながら無言で全員品定めするタイプ?」


ルナは横目で彼を見た。

その目に、ほんの少しだけ面白がるような光が宿る。


「……落ち着いている方よ。多くは語らない。でも、それを“何も見ていない”と勘違いしないで。陛下はちゃんと全部見てる」


「うわ、最悪だな」


ヒルは小さく呟く。


「絶対、何かこぼしたりしないようにしないと」


するとセンチネルが、乾ききった口調で言った。


「それが賢明だ」


ヒルはため息をついた。


「お前ら、ほんと人の緊張ほぐすの下手だよな」


やがて三人は、大食堂へと辿り着いた。

高いステンドグラスの窓の下に長い食卓が並び、使用人たちが静かに料理を運んでいる。

新鮮な果実、焼きたてのパン、そしてヒルの知らない肉料理が並んでいた。


中央の席には王が座っている。

何もせずとも、その場の空気を支配してしまうような存在感だった。

その傍らには高位の貴族や助言者たちが控え、静かに言葉を交わしている。


ルナは軽く頭を下げてから、王の向かいの席へ座った。

ヒルも一瞬だけためらったあと、その隣へ腰を下ろす。

センチネルは後ろに立ったままだ。


王の視線がヒルへ向く。

値踏みするようでいて、冷たすぎはしない。


「少しは慣れたか?」


ヒルは、皮肉を返したい衝動をどうにか飲み込み、うなずいた。


「昨日まで魔法が実在することすら知らなかった人間としては、まあ……頑張ってる方だと思います」


王は小さくうなずいた。


「悪くない答えだ。絆は完全に定着したか?」


隣でルナがわずかに動くのをヒルは感じた。


「はい、陛下」


彼女が代わりに答える。


「無事に完了しました」


銀髪混じりの髪を持つ年配の貴族が、興味深そうにヒルを見た。


「では、ソラリスの力をすでに感じているのだな?」


ヒルは少し迷い、ルナへ一瞬だけ視線をやる。

何かを感じているのは確かだ。

けれど、それを“力”と呼んでいいのかは分からない。


「“力”っていう感じかは、まだよく分からないです」


彼は正直に答えた。


「ただ……前なら分からなかったものが分かる、みたいな。感覚が広がった感じはあります」


その貴族は納得したように低く唸った。


「それでよい。能力が完全に形を取るまでには時間がかかる。真価は訓練で定まるだろう」


訓練。

そうだ、そこからも逃げられない。


朝食の間も、会話は途切れなかった。

だがそのほとんどは、ヒルには完全には追いきれなかった。

ヴェイルの動き。

外縁領域の同盟の変化。

政治的な駆け引き。


どれも、昨日までただの地球の高校生だった自分には荷が重すぎる話ばかりだ。


ルナだけは違った。

静かにすべてを聞き、時折自分の考えも口にする。

この場に自然に溶け込んでいた。


ヒルはどうにか気配を消してやり過ごそうとしたが、ここが自分の居場所ではないことははっきりしていた。

自分はただの地球の少年だ。

たまたまこの世界へ連れてこられ、王女と絆を結び、伝説の戦士になることを求められているだけの。


……ほんと、プレッシャーしかない。


やがて朝食が終わると、王が立ち上がった。

その瞬間、部屋の空気がぴたりと静まる。


「ヒル。これより直ちに訓練を始める」


王の声が響く。


「お前の力を試し、鍛えなければならん。ルナもその一部を自ら見ることになる」


ヒルは瞬きをした。


「え、待って。ルナが俺を鍛えるのか?」


ルナはわずかに口元を上げる。


「まさか、私が何もしないと思ってたの?」


「いや……だって、お前もっと他にやることあるんじゃないかと思って」


王が続ける。


「これはお前だけのための訓練ではない。ルナのためでもある。絆は一方通行ではないのだからな。彼女もまた、お前と並んで戦う術を学ばねばならぬ」


ヒルは息を吐き、うなずいた。


「……分かりました。じゃあ、やるしかないですね」


王は最後に一度だけうなずき、助言者たちを伴って去っていく。

センチネルが短く顎を引いた。


「立て。来い」


食堂を出ながら、ヒルはルナへ小声で言った。


「正直に言えよ。これ、どれくらいやばい?」


ルナは微笑んだ。

でもその目に宿った光が、ヒルの背筋をぞくりとさせる。


「そうね。あなたが“死なずにいられる程度にどれだけ動けるか”によるんじゃない?」


ヒルは顔をしかめた。


「……最高。楽しみだわ」


そして三人は、再び未知の中へと踏み込んでいった。


訓練場は、彼らの前に広々と広がっていた。

石柱が並び、強化された木製の人形があちこちに立てられている。

実力ごとに分かれた戦士たちが、それぞれ別の場所で訓練していた。

剣で打ち合う者。

複雑な動きとともに魔力を操る者。


その光景を前に、ヒルの胸には緊張が一気にせり上がってくる。

ここからだ。

ここで、自分が何かを証明しなければならない。

自分自身にも。ルナにも。そして、自分がガーディアンになることを期待しているこの世界の人間たちにも。


ルナが隣を歩く。

表情は読めない。

彼女もまた、体に合った訓練用の衣服へ着替えていた。

ぴったりとした上衣に、補強革の手袋。

腰には短剣が差してある。

姿勢は美しく、動きには一切の無駄がない。


……これ、俺だけの試験じゃないんだな。


ヒルはそう気づいた。

ルナもまた、見られているのだ。


数歩先でセンチネルが腕を組み、二人を見ていた。


「これは授業ではない。評価だ」


低い声が響く。


「ガーディアンとしてのお前の現在地と、指導者としての姫の現在地、その両方を見る。ルナ、この一戦はお前が受け持て」


ルナは迷いなくうなずいた。


「承知したわ」


ヒルは息を吐き、彼女のほうを見る。


「で、最初は? 浮く方法でも教えてくれんのか?」


ルナは呆れ半分、面白がり半分みたいな目を向けた。


「まだそこまでは行かない。まずは武器を扱えるかどうか。あそこから選んで」


視線の先には、さまざまな武器が並んでいた。

長さの違う剣、杖、弓、それ以外にも見たことのない道具がいくつもある。


ヒルは少し迷い、最後に一振りの剣を手に取った。

握った瞬間、不思議なくらいしっくりきた。

均衡が取れていて、妙な馴染みがある。

剣なんて握ったこともないはずなのに。


ルナが眉を上げる。


「それでいいの?」


ヒルは軽く振って重さを確かめた。


「多分な。戦うなら、近い距離でやりたい」


ルナはうなずき、自分も武器を抜く。

しなやかな曲線を描く短剣だった。


「なら始めるわ。……まず構えがなってない。足の位置を直して」


ヒルは彼女の真似をしようとしたが、ルナはすっと近づき、靴先で彼の足を少しだけ広げた。


「そんな立ち方だと、すぐ転ぶわ」


低く囁く。


「土台がすべてよ」


ヒルは背筋を伸ばしながら、近すぎる距離を意識しないよう努めた。


「……で、次は?」


ルナは一歩下がり、空いた手を上げる。

その掌の上に、小さな炎が一瞬だけ灯って、すぐ消えた。


「反応を覚えて。防いでみて」


意味を理解するより早く、ルナが踏み込んできた。


動きは速く、正確で、ヒルは慌てて剣を持ち上げる。

ぎりぎりで短剣を受け止めたが、衝撃が腕を通して全身へ響き、思わずよろめいた。


ルナはそこで止まらない。

流れる水のような動きで次の一撃、また次の一撃を繰り出してくる。

ヒルは必死に食らいついた。

防げるものは防ぎ、防げないものは避けるしかない。


鼓動が速くなる。

焦りが胸を焼く。


……くそ、全然当てられねえ。


その時だった。


何かが変わる。


意識が研ぎ澄まされる。

ルナの動きが見える。

ただ反応するのではなく、その次を予測できるようになる。

完璧ではない。

でも、避けるのが急に楽になった。

防ぐ動きも、さっきより自然に出る。


もう、ただ闇雲に振り回しているだけではなかった。


その変化を、ルナも感じ取ったのだろう。

ほんの一瞬だけ、彼女の動きが止まる。


「いいわ」


声は落ち着いていた。


「今度は、あなたから来て」


ヒルは一歩踏み込み、剣を振るった。

大振りにならないよう意識した一撃。

ルナは身をかわす。

だがヒルは自分でも信じられないほど自然に体勢を変え、そのまま次へ繋げた。


刃と刃がぶつかり、火花が散る。


そのとき、ヒルは自分の中で何かが目覚め始めているのをはっきり感じた。

皮膚の下に力が溜まり、空気そのものがわずかに揺らぐ。


センチネルは何も言わず見ていた。

その目は相変わらず読めない。


一方でルナの表情は平静を保っていたが、内心は違った。


……成長が早すぎる。

絆が、彼の感覚を増幅してるんだわ。


それは希望でもあり、危険でもあった。

制御できない力は、味方になる前に本人を壊す。


ヒルは自分の中で膨らむその力を感じていた。

さっきよりも速く動ける。

考えるより先に身体が反応する。


剣を振り上げ、ルナがそれを受けた瞬間――

二人の武器の接点から、金色の光が爆発した。


衝撃で、二人とも後方へ弾かれる。


沈黙。


ヒルは荒く息をしていた。

腕の中が痺れている。

自分の内側にある力は、強いなんてものじゃない。

圧倒的で、危うい。


「……何だよ、今の」


ルナは袖の埃を払いながら姿勢を整えた。


「五パーセント……いえ、それ以下かもしれない」


ヒルは思わず目を見開く。


「……今ので五パーセント?」


そこでようやく、センチネルが口を開いた。


「お前の魔力は目覚め始めている。だが制御できなければ、力になる前にお前自身を壊す」


低く、容赦のない声だった。


「だから訓練する。ひたすらにな。お前が力に従うのではなく、力がお前に従うようになるまで」


ヒルは喉を鳴らした。


「……最悪だな。めちゃくちゃしんどそう」


ルナは口元を少しだけ上げる。


「そうなるわ。……ほら、もう一回」


そして二人は再び構えた。

本当の訓練は、まだ始まったばかりだった。


訓練場には、まだ先ほどの戦いの余熱が残っていた。

ヒルは肩で息をし、剣の重みで腕が悲鳴を上げている。

向かい側に立つルナもまた息を乱していたが、短剣はなお守りの位置から下がらない。

額には汗が滲んでいる。それでも油断は一切ない。


「もう一回」


ルナが言う。


ヒルは顔をしかめた。


「マジで言ってる? もう何時間やってると思ってるんだよ。腕、ゼリーなんだけど」


「持久力をつけないと」


ルナは構えを微調整しながら答える。


「疲れてくるほど動きは雑になる。実戦なら、それで死ぬわ」


ヒルは肩を回し、鋭く息を吐く。


「……分かったよ。あと一回だけな」


二人は再び間合いを測るように回り込んだ。

動きはさっきまでより遅い。

だがそのぶん、互いに洗練されている。


ヒルはすでに、ルナの攻撃の前触れを少しずつ読めるようになっていた。

体重の乗り方。

肩のわずかな揺れ。

目線の変化。


ルナが踏み込む。

短剣が閃く。

ヒルはぎりぎりで受け流し、金属音が鋭く響いた。


それから何度も刃を交え、重い一撃と速い反撃がぶつかり合う。

そして最後、ルナが足を払った。


ヒルはあっさり地面へ倒される。


ルナは少し得意げに手を差し出した。


「成長してるわ」


ヒルは渋い顔のままその手を取って立ち上がる。


「そう言うけど、結局転がされてるの俺なんだよな」


そのやり取りを遠くから見ていたセンチネルが、ようやく近づいてきた。


「今日はここまでだ」


その視線がルナへ向く。


「教える側としては悪くない。だが、二人ともまだ先は長い」


ルナは静かにうなずいた。


「分かってるわ」


ヒルはまた大げさにうめきながら、痛む筋肉を伸ばす。


「じゃあ、休憩していいってことか?」


センチネルはすぐには答えなかった。

二人を見比べ、言葉を選ぶように一拍置いてから口を開く。


「いや。急ぐ必要がある」


ルナの表情が引き締まる。


「何があったの?」


「次はルミナへ向かう」


センチネルが言った。


ヒルは汗を拭いながら眉をひそめる。


「……ルミナ? いや、待て。ルミナって何だよ」


ルナが彼を見る。

声は落ち着いていたが、揺るぎはなかった。


「三大世界の一つよ。エルフたちが暮らし、光と風の魔法を司る世界。最も強いのは光だけれど、身分の低いエルフの多くは風の魔法を発現させるの」


ヒルは目を瞬かせた。


「エルフ? あの、耳尖ってて長生きで自然好きな、あのエルフ?」


ルナは少しだけ首を傾げる。


「……かなり大雑把だけど、間違ってはいないわ」


ヒルは低く息を漏らす。


「すげえな。魔法に異世界移動に、次はエルフかよ。どんどんおかしくなってくな」


センチネルはその感想を無視して続けた。


「ルミナへ行く理由は二つある。ひとつは、次の姫だ。目覚めの時が近い。ヴェイルより先に見つけなければならん」


ルナは腕を組む。


「もう一つは、時間が必要だから」


ヒルは眉を寄せた。


「時間? いや、まだあるだろ」


ルナは首を振る。


「足りないわ。ルミナには時間を歪めるダンジョンがあるの。中では数日が数ヶ月に伸びることもある。そこで訓練すれば、ヴェイルが次に動く前に、もっと強くなれる」


ヒルは少し考えたあと、言った。


「つまり、あれか。中で何週間も訓練して、出てきた時には外ではほとんど時間が経ってない、みたいな?」


センチネルはうなずく。


「その通りだ。危険だが、必要でもある」


ルナは額の汗を拭い、訓練場近くの武具庫へ目を向けた。


「向かう前に着替えないと」


ヒルは肩を回しながら、そのあとに続く。


「助かる。今の装備、死ににくくはあるけど呼吸はしにくい」


武具庫の中で、二人は訓練用の装備を脱いだ。

ヒルは身体を重くしすぎない、暗い色の上衣と軽装の旅装備を選ぶ。

腰に剣を差し、重心を確かめる。

やはり、妙にしっくりきた。


少ししてルナも戻ってきた。

今度は青を基調とした上衣に金の刺繍、肩には軽い外套。

短剣の革帯を整えながら、ちらりとヒルを見る。


「さっきよりはマシな顔してる」


「気分も少しはマシだからな」


ヒルは肩を回した。


「で、いつ出るんだ?」


ルナは一度センチネルを見てから、ヒルへ答えた。


「今すぐ」


ヒルは顔をしかめた。


「……だと思ったよ」


センチネルは何も言わず歩き出し、二人もそのあとへ続く。

宮殿の廊下を抜け、西翼近くの屋外船着き場へ向かっていく。


そして外へ出た瞬間――

ヒルは息を呑んだ。


目の前にあったのは、空に浮かぶ巨大な艦だった。


石造りの発着場に繋がれたそれは、ただの船ではない。

形は海を進む大型帆船に似ている。

だが船体は魔力を帯びた金属で補強され、船底では青い光を宿した巨大機関が低く脈打っていた。

高いマストには長い帆が張られ、その表面には光るルーン文字が揺らめいている。

側面に据えられた砲門からは、蓄えられた力の唸りがかすかに聞こえた。


ヒルは目を見開いたまま、ぽかんと呟く。


「……いや、何これ」


ルナが少しだけ得意そうに笑う。


「ヴォイドシップ。世界と世界のあいだを渡るための船よ」


ヒルは信じられないものを見るように息を吐く。


「空飛ぶ戦艦かよ……。マジで頭おかしいな、この世界」


センチネルは先へ進みながら、二人へ手で合図した。


「来い。俺たちの船が待っている」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ