ドヤ街から這い出せ④
ドヤ街から一歩踏み出した隼人、何とかありついた仕事も、決して楽ではなかった。
それでも歯を食いしばらねばならない。生きていかねばならんのだ。
隼人には、もうそれしか残されていないのだ。
なんとかドヤ街から脱出した隼人であったが、工場の住み込み工員も楽ではない。若さと体格を買われた隼人が行かされたのは小さな造船所であった。
「小さな……なのか、これ」
少し離れたところには巨大な船の骨組みが横たわり、何をしているのか、ひっきりなしにガガガガガと金属を叩く耳障りな音があちこちから響いてくる。
事実ここは、造船所としては小さい部類に入る。だが、舞台稽古ばかりで工場というものに全く触れてこなかった隼人にとって、機操戦伎の舞台より場所なんて、数えるほどしか知らなかった。
「世の中広いな、汽車でちょっと来ただけなのに」
最初こそ作業場の掃除程度しかやることがなかったが……十時の小休憩の後、重労働が隼人に牙を剥いた。資材搬入である。
「これを運ぶのか……ウソだろ」
資材置き場に山と積まれた鉄板を加工場まで運ぶ。文字にすればそれだけだが、実際は恐ろしい作業だ。そもそも、縦横それぞれ数メートル、厚さ数センチを超えるこれを鉄板と呼んでいいのだろうか。台車に乗ったこれを人力で運べと言うのだから恐ろしい。
「こんなの鉄板じゃねえ、鉄塊ってんだ」
青ざめる隼人のボヤキに、数人が笑った。
「上手いこというな、新入り」
「こんなのは序の口だ、戦艦なんて厚さ三十センチ超えたらしいぞ」
「そんなの人力じゃ無理でしよ」
「そんときゃガソリン機関車で引く」
「……これも引けはいいじゃないですか」
「長年整備してない上に、アメリカとの戦争中に無理させすぎてな。マトモに動かねえんだ。ほれ、運ぶぞ」
その何トンあるのか考えたくもない鉄塊をトロッコに乗せ、数人がかりで押し、あるいは綱を引っ張る。牛や馬になったような重労働が、搬入の度に繰り返されるのだ。
「クレーンは?こういうの、クレーンで吊るんじゃないんですか?」
「加工場のクレーンで積んで。船台のクレーンが届くとこまで運ぶんだよ。
つくるモンがデカいから、広いんだ」
涼しい春先でも、こんな力仕事をしていれば一瞬で汗まみれだ。その上から油と土埃にまみれて真っ黒になる。
「新入り、腕で押すんじゃねえ。背中で支えて、足の力で動かすんだ。力任せで腰壊したら、せっかくの仕事が一日でクビになっちまうぞ」
「……古武術みたいですね」
「そうなのか?変なこと知ってるな」
「まあ、少しだけ齧ったので」
一部の古武道術では、打撃の際に手足を振り抜いて加速させることを推奨しない。手足の末端はある程度関節を固め、骨を使って全身の慣性を纏めて叩き込むのだ。関節を保護しながら、体幹から生まれる重い一撃を打ち込むのだ。
古から現代の戦場を題材とする機操戦伎は、当時の戦場の動きを再現するために、様々な武術を学ぶ必要がある。目的は強さではなく、効率よく力強い動きの体得のためなのだが……妙なところで役にたつものだと、一人感心していた。
多少遠くとも、理屈が判れば飲み込みは早いものだ。古武術の理屈の応用で台車を押す隼人であった。それでも相手はバカみたいに重い。加工場に鉄板を押し込む頃には汗だくであった。
「げぇ……」
持ち込んだ鉄塊がクレーンで吊られたその直後、入れ替わるようにそのトロッコに加工を済ませた鉄塊が載せられた。
今度はこれを、船を作っている船台へと運べと言うのだ。
「……ええいクソ、やったらあ!」
がむしゃらになってトロッコに齧り付く隼人であったが、その直後「無闇に押すなよ、死ぬぞ」と釘を刺された。
「はぁ?何言って……うわっ」
隼人の背筋が粟立ったのは、トロッコの上で鉄板がぐらりと揺れたからだ。
「楔やら綱やらで固定はしてるんだがよ、トロッコへの固定なんか運ぶ途中の振動に堪える程度さ。馬鹿力で押せば外れちまう。外して使うんだからな。
崩れてきたら逃げれるようにしとけ」
万が一これが崩れて押し潰されようものなら即死だ……いや、片腕でも無くしてドヤ街に戻る方が悲惨ではないか。目の前の鉄塊にはそう確信させる迫力がある。
「……もっと早く言ってくれりゃいいのに」
「揺れた時に言わなきゃわかんねえだろ。
運が良かったな、新入り。わからない奴はそのうち潰されて死ぬんだ」
とんでもないところへ来たものだ。この日だけで何度思い知ったか、隼人はもう数えるのすらやめた。
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隼人の生活はまだまだ前途多難ですが、果たしてどうなることやら。
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