奨学生部④
*
「こ、公助くん、私と付き合ってくだひゃい!」
「え、ほんとに?」
僕の目の前にいる神崎楓、僕が妹のように仲良くしてきた少女は、大きな瞳でこちら見上げている。この瞳が俺以外に向けられると思うと、なんとも言えない気持ちに襲われた。
空がオレンジから紺色に変わりつつあるこの時刻。住宅街の中にある公園に子どもたちの姿は既になく、どこからともなく夕ご飯のおいしそうな香りが漂ってきていた。
昼間は単なる遊び場なのに、そこはなぜか、デートスポットとして有名な遊園地よりも、どんな夜景の見えるレストランにも勝るとも劣らない、ロマンチックなムードを醸し出している。告白する場所としては、この上ないだろう。
僕はこの子のことが好きだ。それは断言できる。
でも、この感情は女性に向けての感情なのか。それとも、妹に向ける家族愛なのか。一人っ子の僕にとって彼女は妹のような女の子。
長い黒髪に赤縁のメガネ。昔っから変わらない、純粋そうな瞳。その瞳が潤んでいていつも以上にこの少女を、きれいだと感じてしまう。
いや、僕はやはりこの子を女の子として好きなのだろう。でなければ、この鼓動の説明ができない。そうだ。僕はこの子が好きだ。
僕が脳内で自分の考えをまとめている時間。目の前の少女からすれば永遠とも感じられる時間だっただろう。
「うん、これから————」
「ご、ごめんなさい! 私みたいな人間から告白されても迷惑だよね。もう、公助くんに付きまとったりしないから……」
「————よろしく」
「だ、だよね!」
僕の言葉とかぶさるように、彼女はタイミングよく、いやタイミング悪く口を開いていた。それに反応でできるわけなく、口から滑り出した言葉はもう止まらない。
楓は、俺に背を向け走って行った。目には大量の涙を蓄えて。
「い、いや、そうじゃなくて……」
僕の言葉は誰に聞かれることなく、僕しかいない公園に響く。
これが、僕が楓と交わした最後の会話となった。
*
「これ以降、楓は僕を避けるようになった。返事が遅かったから、嫌われちゃったのかな」
目の前にいる青年、内藤公助は思い出に浸るように一語一語、ゆっくりと紡ぐ。その時の思い出をかみしめるように。明るく染められた茶髪も、チャラさでなく爽やかさに磨きをかけている。
「なるほど」
「このことは人に話さないでね?」
そう言って内藤先輩はスポーツマンらしく爽やかにはにかむ。
明日にお料理教室を控えたこの日、俺は取材と称して放課後の誰もいない学食で、先輩とテーブルをはさんでいた。幸か不幸か俺の素性は知れているので、すんなりと取材を受け入れてもらっている。
言うまでもなく取材とは真っ赤な嘘で、要するに以来達成のための情報収集である。ばれたら怒られんのかな、と心の中で思うが今は気にしても仕方がない。
ちなみに取材内容は「引退する三年生に突撃」だ。なんだこれ。
「それで、今でも神崎さんのことを好きなんですか?」
「女々しいとは思っているけどね。楓のことは忘れられない。高校は向こうが推薦組で僕は一般入試。楓もできればこの学校は避けたかったんじゃないかな? 推薦を蹴るほどではないってのが唯一の救いだけど」
内藤先輩は現在進行形の思いを、過去の思い出のように語っている。男女の機微について疎いというか、興味のない俺でも十分に理解できた。
もちろん俺も馬鹿じゃないので、最初からこんな恋愛トークをしていた訳ではない。
「サッカー部のキャプテンとのことですが、チームをまとめる際に心掛けていることはありますか?」
「そうだね。もともとポジションがGKだし、指示を出したりっているのは昔から慣れていたかな。全体のバランスを見て、必要なことだけを指示する。僕はチームメイトにも恵まれてたし、ほとんど僕が何かをすることはなかったよ」
こんな当たり障りのない質問に始まり、「好きなサッカー選手は?」や、「サッカーの面白さは?」と続け、めんどくさくなった俺は四問目にぶっこんだ。
「先輩はサッカー部でもトップクラスにモテていらっしゃるようですが、お付き合いされている方はいらっしゃいますか?」
「ずいぶん直球で来たね。でも残念ながら、そういう人はいないかな、あ、先に言っとくけど僕は年齢=彼女いない歴の一般市民だよ」
一瞬苦笑いを浮かべたような気がするが、すぐさまいつも通りのイケメンフェイスに戻る。こんな人でもそうならば、俺なんて彼女いない歴が年齢を上回りそうだ。
「良い雰囲気になった方もいらっしゃらないんですか?」
この俺の問いが引き金となって先ほどの思い出話を聞かされたわけである。
その結果、分かったことがある。
こいつら両想いやんけ。なんやこの茶番は。
なんか一気にやる気なくなったわ。
「例えばなんですが、神崎さんが練習試合の日にお弁当箱を作ってきてくれたらどう思います?」
俺のなんとなく、しかし核心を突いの問いかけに、今まで爽やかだったイケメンの顔上半分が突然、青く染まった。
「それだけは勘弁。ほんとに」
先輩の言いたいことが見えずにぽかんとしていると、察した先輩はなおも続けた。
「楓は料理がしぬほど下手なんだ」
ん? ホットケーキは焼けるって言ってなかったっけ?
「ホットケーキは焼けるって昔から言い張っているんだけど、焼すぎでとても食えたもんじゃないんだよ」
でも、見た目はあれだけど味は大丈夫だったって言ってなかったっけか?
「奴の味覚はほんと、魔王クラスなんだ。ほんとに」
流石サッカー部のコミュニケーション能力か、俺の心をいちいち読んだかのように
答える内藤先輩。
冷静に考えたらホットケーキを焼けるって胸を張るってのがそもそも問題だ。他の三人が論外過ぎて、完全に失念していた。そんなことに胸を張る高校生がまともな訳がない。
「練習試合前に楓の弁当なんて食べたら、ほんとに動けない」
そう言った内藤先輩は本気の目で語った。なるほど、これは大切なことを聞いた。
「そうなんですね。今日はありがとうございました」
これ以上有益な情報を聞きき出すことは不可能だと確信した。というより、これ以上有益な情報なんてないだろう。
——弁当を持っていくのは逆効果。
これを直接伝えるわけにもいかない。先輩を見送りだした俺は、明日に向けて作戦を練ることにした。