奨学生部③
神崎さん来訪の数日後。放課後まで授業を耐えきった(教室内で授業を受けたという意味ではなく、何かしらの形で時間を使い切ったという意味である)俺は、現在ひとりで調理実習室にいた。
調理実習室にはいるものの、俺は一つの結論を持っている。なんだったら、奨学生部の部室で済ませられるのだが、本人のやる気を無下にするのも悪い。勿論、俺の言うことがすべてじゃないし、彼女がそれでも、というのであれば料理を教えること自体は吝かでもない。
調理実習室は非常にシンプルな作りで、シンクとガスコンロがあるだけのアイランドキッチンが六個。正確にはアイランドキッチンなんておしゃれなものではなく、普通の学校にある例のテーブルというか、机なのだが。
こんなことを考えていると、扉が開き、例の三人が入ってきた。
「こんにちは」
「ちわーっす」
一人に関しては挨拶さえもしてこないのだが、気にしたら負けのような気もする。それでいいのか教師よ。
「克人さん! 今日は何を作るっすか?」
「詳しい話は、神崎さんが来てからな」
俺が言うと、緊張した面持ちの三人が軽く俯きその時を待つ。しかし彼女らの服装はいつもの制服やスーツではなく、ジャージ姿である。学生二人は体育の時に使っているもの。せっちゃんは市販のものだが、三人に共通するのはジャージの上からエプロンを着用していることだろう。勿論、三角巾も忘れていない。神崎さんに教えないとしても、このポンコツどもには料理を教えることになりそうだな。
廊下をその姿で歩いていたら他の生徒に驚かれたであろうが、やる気に満ち溢れた彼女らにはそんな視線は関係ないのだろう。
「それで、三人はどのくらい料理するんです?」
俺は期待こそしていないが、一応の確認を取る。
「作らないわ」
「作れないっす」
「カップ麺くらいなら……ごめんなさい」
それぞれの性格というか、プライドというか個性が出る回答である。せっちゃんに関しては解答途中にメガネとられてるし。
あたかも、自発的に作ることはしないだけ、という美樹。
正直に白状する悠陽。
途中で、自らの過ちに気づかされたせっちゃん。
一応、料理をここで作るつもりらしいし、三人とも何かしらの危機感は抱いているのだろう。教師が生徒に習うのはいかがなものかとは思うが、メガネをはずされたせっちゃんも帰るつもりはないらしく、三人とも、やる気はあるらしい。
三人のやる気を確認していると、今日の主役がこの教室にやってきた。
「今日は、よろしくお願いします!」
そんな言葉と共に入ってきた神崎さんも既に、エプロンと三角巾で完全武装済みだ。
「あんたもか……」
俺の呟きにはてなマークを浮かべた神崎さんだが、そんなことはどうでもいいようで、おれをせかすように聞いてきた。
「それで、今日は何を作るんですか?」
きらきらした視線で俺を視近距離から見上げる神崎さん。その目線で内藤先輩を見ればイチコロな気もするがやる気をそがないようにするためにも黙っておく。
「弁当作りにおいて大切なことは何だと思う?」
俺は四人に向かって問いかけた。はっきり言って、今日の最重要点はここだ。誰が何を言おうと。
俺はこの教室を包む緩んだ空気を引き締めるように、自分のエプロンのひもを締めた。意味は全くないが。
「弁当作りで大切なことは何だと思う?」
俺はもう一度、目の前の四人に問う。すると目の前にいる四人は少し考え、神崎さんが自らの解答を口にする。残りの三人は思いつかないようでぼーっとしていた。
「相手を思う心ですかね」
「もっと具体的に」
俺はやれやれと敢えて大げさに首を左右に振った。
「愛情をくわえること……」
自分で言っていて、気づいたんだろう。自分がいかに浅はかなのかを。
「女の子なら愛情弁当で男の子のハートを鷲掴みだ、キラっ。まさか、こんなことを思ってるわけじゃないな?」
「す、すみません」
俺の圧に気おされた神崎さんが、小さくなって謝罪する。
「克人さんなんか楽しそうっす」
「これは、普段のストレスを発散してるわね」
「そのストレスの大半は美樹さんのせいな気がするっすよ」
悠陽と美樹がなんか言っているが、気にしない。
「相手のためを思う。確かにそれは大事だが、愛情なんてもので腹は膨れない。先輩の練習試合の日に届けるんだろ? なら余計に相手のことを気遣え」
「疲れているときにこそ、女の子らしいかわいいお弁当を……そしたら先輩も癒され……すいません」
そんなに睨んでいるつもりはないんだが。これじゃ、美樹のことをとやかく言えねぇや。
「弁当ってのははっきり言って、愛情を伝えるためのものでも、まして告白するためのツールじゃない。栄養を補給するためのものなんだよ。特にスポーツマンにとってはな」
『……?』
神崎さんだけでなく、他の三人も同じ表情で、全く同じ角度で首をかしげている。
「家庭的の代表って聞いて何を思い浮かべる?」
「お、お母さんでしょうか」
「その通り。それで、そのお母さんが弁当を作るときに、愛情の押し売りをするか? 愛情ってのはこっちから一方通行になっちゃいけない。サッカー部で練習試合、その後に食う飯だろ? こっちが作りたいものじゃない。向こうが食べたいもの、必要なものを渡すんだ」
俺の台詞じみた説明に心を動かされた神崎さんは目に炎を宿し、やる気になった。やはり、この人にはこういう手法が効くようだ。
「色々調べたんだが、サッカー部の練習試合は一時キックオフだ。サッカーの場合は試合の三、四時間前に食事を済ませて、試合の直前は軽く栄養補給をする程度でいい。朝ごはんは家で食べるだろうから、神崎さんが狙うべきはこの、軽い栄養補給だ」
「それで、その栄養補給のための食事とは……?」
神崎さんは生唾を飲み込んで、俺の方をじっと見た。
「これだね」
俺はそう言ってポケットから一つのものを取り出し、神崎さんにゆっくりと投げた。
「これは……ゼリー飲料?」
「正解」
『いやいやいやいや!!』
「いやいやいやいや」
四人の抗議を同じ言葉で跳ね返す。それでも納得できないようなので、俺は彼女らの前に二つの選択肢を提示した。
「運動する人のことを考えて、好感度が下がる覚悟をしつつゼリー飲料を渡す。好感度が上げることだけを考えて、弁当を渡す。どっちがいい?」
俺の言葉に、神崎さんは一度大きく息を吸って、もう一度俺の方を見た。
「すいませんでした」
その謝罪は、先ほどまでの
ように俺の目つきを怖がったゆえに出た、俺に対するものではない。内藤先輩に向けた謝罪なのだろう。
「料理を教えること自体は大歓迎なんだけどな。家庭的な人がタイプなんだろ、先輩。それなら、そういうところまで気遣いのできる人の方が好感が持たれるんじゃないか?」
俺は用意していた結論を無理やり導き出すと、良い話風に場を締めくくる。
俺の結論を頭の中で考える神崎さん。そして、「は? なにそれ?」と言わんばかりの表情を携えている三人。妙な沈黙が調理実習室を包み込む。
「せっかくだし、なんか料理教えようか?」
そんな提案に、いつもの三人は待ってましたとばかりに頷く。神崎さんも、賛成のようだ。
「よし、じゃあ料理教室始めるか」
『はい! よろしくお願いします先生!』
声をそろえた三人と、声こそ出さなかったが部屋を出る気はさらさらなさそうなどこかの先生。俺はこんなこともあろうかと朝、冷蔵庫に入れていた食材を取り出した。
——卵。
お弁当の代表格ともいうべき、卵焼き。家庭によって、しょっぱかったり甘かったり、ネギが入っていたり、と様々な顔を見せる、家庭の味の代表格でもあるだろう。
なぜ、これを最初から教えなかったのかって?
その理由は昨日、俺が行った情報収集の成果である。
どんなに真剣に教えても、手取り足取り一緒に調理しても、今日のお料理教室でできた卵焼きは、どれもこれも食べられたものではなかった。
(話聞きに行ってよかったぁぁぁぁ!!!)
俺は心の中で叫んだ。そして、俺の行動を称賛したい。本当に。