奨学生部①
「それで、この部活って何をするんですか?」
俺がこの疑問を口にしたのは、この部活に入部してから数週間が経過した後だった。
——奨学生部。
この学園の奨学生によって構成されているこの部活。
学業成績優秀につき、奨学生となった青山美樹。
運動能力によって、奨学生となった赤坂悠陽。
女子力が優秀だから、奨学生になった俺、志島克人。
普通部活はその名称によって活動内容が分かるようになっているものなのだが、奨学生が所属しているこの部活はもうその時点で、活動内容に関するヒントはゼロ。そして、その説明もないまま、この部屋には集まるもののだらだらと過ごす日々が続いていた。
いつものように過ごす、部員と顧問。
美樹はちゃぶ台にノートと参考書を置いて勉強。定期テストに向けて、というだけでなくその後の受験、はたまた彼女自身のアカデミックな欲求を満たすため、今日も今日とて机に向かっていた。
悠陽はいつものようにボールにじゃれついている。ちなみに今日はサッカーボール。
彼女の場合は運動能力を見込まれて奨学生となっていることからもわかるように、陸上部にも所属している。「にも」というか、そっちが本命であって、こっちはオマケなのだろう。
俺も俺で、お湯を沸かし急須で緑茶を入れる。勿論この茶葉は俺が家から持ってきたもの。
紅茶でもよかったが、ちゃぶ台には似合わないだろう。湯呑を二つ用意し、それぞれにお茶を入れていく。無言で美樹の前に置くと、彼女は「ありがと」とだけ静かに言って、それをゆっくりとすすった。
悠陽は暑いものが苦手だと言っていたので、家で作った水出しの緑茶を水筒で持ってきている。勿論、俺の水筒とは別にだ。これも、部室に備えられているコップに入れ、遊んでいる悠陽に差し出した。
「今日は陸上部は休みか?」
「ハイっす」
お茶を一息で飲み干した悠陽は、コップを床に置いてから元気に答える。
「いつもは陸上部の前とか後に来てるんすけど、今日はお休みっす!」
別に部活が嫌いなわけではないのだろうが、部活が休みと聞いた運動部員は総じてテンションを上げる。悠陽もその例に漏れないようで、同様の反応をして見せた。こいつのテンションが高いのはいつも通りのような気もするが。すると悠陽は人間に懐かない子猫のように興味を再度ボールに向けた。
「やってるか?」
すると、俺を除くいたこの部屋の第三の住人が、音もたてずに扉を開けたようで、居酒屋に入るような口調でやってきた。
「せっちゃん。悠陽の教育によくないので、汚い大人の姿を見せないでください」
「誰が汚い大人だ、誰が」
「すいません」
反射的に謝罪を述べてしまう俺の性格が恨めしい。俺、間違ってないよな?
せっちゃん呼びについて文句を言うことのなくなった緑川先生——教室外では怖くて試したことがない、は持っていたパソコンを畳の上に置き、充電ケーブルをつなぐ。
その作業の終わりを見計らったように、悠陽がせっちゃんの眼鏡を盗った。
「ふわわあぁぁぁ」
妙な鳴き声を発したせっちゃんは、畳の上にうつ伏せになった。ワイシャツ姿のせっちゃんの胸部が押しつぶされ、豊満な脂肪分が横に漏れ出ている。……素晴らしい。
「死ねばいいのに」
誰かは知らないが、ちゃぶ台で勉強している女の子の声だろう。……心を読まないでほしい。
「心を読むには、まず目を見ましょう……なるほど。この参考書は当てになるわね」
(何を読んでらっしゃるんですか……!?)
せっちゃんはこんなやり取りを気にする様子なく、パソコンのキーボードをたたいていた。うつ伏せになり、顎の下にクッションを入れたせっちゃんはキーボードを見ることなく、指先を動かし続けるせっちゃん。レベルの高い技術、流石は先生と言ったところか。
パソコンの画面を覗き見ると、確かにそこには言葉が綴られていた。
「疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた」
「怖すぎるわ!」
性にもなく叫んでしまった。どこのホラー映画だよ。
「せっちゃん! お疲れ様っす!」
そう言って、悠陽がせっちゃんの背中にまたがって座り、その小さな手でせっちゃんの背中をいじり始めた。悠陽も天真爛漫であるが、人のことを思いやられるいい子であることは間違いないらしい。
「どうっすか? 気持ちいいっすか?」
「んっ、気持ち、いい! そ、そこ! んあっ、もう少し、ゆ、ゆっくり!」
「ここかい、ここがいいのかい?」
「そ、そこぉ! だめ、だめっ、もっと優しくぅ……んあ!」
何か見てはいけないものを見ている気がする。俺がなんとも言えない気持ちで、二人を見ると、悠陽は俺の方を見てニヤリと笑った。
あ、こいつ遊んでるだけだわ。
美樹は美樹で、興味なさそうにシャーペンを動かしているが、内心どう扱うべきか悩んでいるのだろう。チラチラと二人を確認しながら注意すべきかどうかを逡巡しているようである。
注意すれば、何を想像しているのか分かってしまうし、止めさせなければ勉強に集中できない。JKは大変そうだ。その点、俺はただ楽しめばいいだけだから気楽である。
「死ねばいいのに」
そんな言葉と共に、俺に目線で訴える。こいつらを止めろと。止めなければどうなるかわかっているなと。
「二人とも、そろそろやめなさい」
「はーい」
「え? 私何かしちゃってましたか? ご、ごめんなさい!」
反省した様子のない悠陽と、困り果てるせっちゃん。これは遊びたくもなる。
とは言え、俺が手を出せば通報されるだけなので自粛することにしよう。場の空気を変換するために、以前から抱いていた気持ちを口にした。
「それで、この部活って何をするんですか?」
俺が入部して数週間、この部屋に来れば来るだけ同じような光景を目の当たりにしてきた。最初のうちは大した違和感なく、この部屋に入り浸っていたのだが、心の奥底にはずっとこの疑問が這いつくばっている。
別に悪いことをしている訳ではないのだが、この罪悪感は何だろう。
あ、あれだ。アルバイト中にもかかわらずお客さんが一人も来ない状況に似ているのか。
「いらっしゃいませ」と一回も言わずに一時間で八百円をもらう。契約もしている訳で、給料をもらうのは当然のことなのだが、あの気分は好きじゃない。学校の授業をサボるのは良いのに、なんでだろうとは自分でも思う。
「俺たちはなんでここに集められているんですか? 何もしないなら、こんな部活を作る意味もないと思うんですが」
俺は部活における先輩二人と顧問に問う。
「それは、もう少ししたら分かるわ」
俺の疑問に答えたのは今まで勉強に集中していた美樹が、勉強道具をかばんに片付けながら、答えてくれた。
「おっと、もうそんな時間っすか」
悠陽は美樹の言葉で思い出したように時計を確認。
「もう一分もないじゃないっすか。もっと早く言ってくださいよ」
そう言った悠陽は慌てたようにせっちゃんにメガネをかけ、外れていたワイシャツのボタンを一つずつ丁寧にかけた。
「死ねばいいのに」
「今回はなんも考えてないぞ!?」
俺の抗議むなしく、美樹とせっちゃんが俺を視戦で射貫く。先ほどまでは全くと言っていいほど俺の視線に寛容だったせっちゃんもメガネをかけたことで咎めてくる。……ごめんなさい。
慌てたように居ずまいを正したスーパーせっちゃんは先生モードの顔つきに戻った。
美樹はちゃぶ台を部屋の真ん中に移し、悠陽は座布団を入り口から見てちゃぶ台の向こう側に二枚、こちら側に一枚敷き、本人は座布団のない部屋の隅にちょこんと座った。勿論、サッカーボールはその手に抱えたままで。二枚ある方の座布団に美樹とせっちゃんがきれいな姿勢で座っていた。
「適当なところに座って」
そう言われたので、対面する座布団に座ろうとしたところ、とてつもない形相で睨まれたので察し、悠陽とは反対の部屋の隅に座った。
何が起こるのかだいたい察しがついた頃、俺の予想通り部屋をノックするする音が響いた。