家庭の情事⑤
「ちょっと、克人さん! どうしたんすか、その手!」
部屋に入るなり、悠陽が子犬のように駆け寄ってきた。逃げ込んだ先で、悠陽がちょんちょんと俺の手を指で突いた。
「せっちゃんのメガネにやられた」
「まさか、あのメガネは古代兵器の一部か何かっすか」
「あらあら、大丈夫かしら。まぁ、若いうちは無理もしちゃうわよね。痛いの痛いの飛んでけーっ!」
「おい、俺を無視してごちゃごちゃ騒ぐなや」
男は俺たちのやり取りをみて怒鳴る。男はこちらを威嚇するようににらみをきかせるが、大きな声で悠李ちゃんの身体がびくっと震えた瞬間、悠奈さんの目つきが変わった。
「うちの子に何してくれてるんですか」
「うちの子って、俺の子でもあるんやぞ?」
男は悠奈さんの声音が変わったことに一瞬戸惑いをみせたもののすぐさま今までと同じように威勢よく声を上げた。
「いえ、悠陽も悠奈もあなたの子ではありません」
「んあ!? 悠奈、まさかお前浮気してたんか!?」
「いえ、医学的にはあなたは二人の父親ですよ」
「なら、俺の子でもあるやろ」
悠奈さんと男はちゃぶ台を挟んで顔を突き合わせていた。悠奈さんは口調こそ優しいものの目はまるで笑っていない。
「なぁ、これ俺いるか? いらなそうなら、病院行きたいんだけど」
「どうなんすかね。でも、ここに克人さんを呼んでくれって言ったのはお母さんっすから」
「克人お兄さん、帰っちゃうの?」
俺は会話には入れていない、悠陽と悠李ちゃんに向かって聞くと、悠李ちゃんが小さな力で俺のケガしていない方の手をつかんで引き留めた。反対の手を悠陽が遠慮なくつかんで来る。
「美樹のところもせっちゃんのところも解決したからな。あとはここだけなんだが、必要なさそうならおいとましようかと」
「流石克人さんっす! でも、ここももう少しで終わると思うっすから、もうちょっとだけいてもらっていいっすか」
悠陽は俺の手を握って離さない。ちらっと悠奈さんの方を見ると、こちらの話を聞いていたようで、にやりと笑った。
「悠陽と悠李は強くて優しい子。だから、あなたの子じゃない。私と克人君の子よ!」
「ちょっと待て」
「どうしたの? あ・な・た?」
悠奈さんは楽しそうに俺の顔を手で自分の方へと向ける。両頬には悠奈さんの手、せっちゃんのシャツがまかれている方の手に悠陽、そうでない方の手に悠李ちゃん。赤坂家三人組に囲まれる俺に、男が鋭い視線を向けた。
「お前な。元旦那の前でどういいうつもりや」
「元なら問題ないでしょ」
もう、どうとでもなれ。俺は敢えて男を挑発するように睨む。とにかくこの男が引くほどラブラブな様子でも見せつければ帰るだろう。
「悠奈……」
正面近くに悠奈さんの顔がある。両手を抑えられた状態で、顔も動かせない。次第に、悠奈さんの顔と俺との距離が減少していく。
悠陽がぽかんと、悠李ちゃんが目を輝かせて、そして悠奈さんは目を瞑って。
悠奈さんの顔はさらに近づいていき、距離が零になった。
「今日はこの辺りで勘弁しておきましょうか」
「それはどうも」
接地する瞬間に悠奈さんは俺の顔を九十度捻った。最悪と一蹴できるものでもない事態は残念ながらも回避される。
「もう分ったでしょう? 私はもう克人君と一緒に生きていきます。だから、あなたの入っってくる余地はありません。それに、克人君は強い子ですし、私たちを捨てたあなたとは違って甲斐性もありますから。私たち以外にも今日は二人の女の子を助けてきたそうですから」
状況を知っている悠奈さんは、先ほど俺が悠陽に言ったことを聞いていたのだろう。別に言わなくてもいいだろう。おい、お前が引くなよ。
「ここの三人以外にも二人……。お前、いつか身を亡ぼすことになってまうぞ」
「余計なお世話です」
男は突然立ち上がると、おれの隣を通り過ぎて行った。「五股て」という不穏な言葉を呟きながら。悠李ちゃんが「五股?」と目をキラキラさせて復唱した。
「覚えなくていいからね」
「克人君も私は遊びなの?」
「別に遊んでいるつもりは……」
「じゃあ、この子たちのお父さんになってくれるのね?」
「いや、そういう訳にも」
「じゃあ、悠陽? それとも悠李……はもう少し待ってね。危ない香りがするから」
「どっちでもありません」
「あら、それならあの青髪の子? それとも緑の子?」
「なんで、美樹たちのことを知ってるんですか」
悠奈さんはニヤニヤと余裕の表情。悠陽も悠李ちゃんも楽しそうで何よりだ。一つ問題があるとしたら、悠李ちゃんが余計な言葉を一つ覚えてしまったことだろう。
「克人さん、ありがとうございましたっす。これでもうお母さんに変な虫がつくこともないと思うっすから」
「一応、お父さんなんだろ? 変な虫扱いはどうなんだよ」
「あたしのお父さんは克人さんっすから」
「マジでやめてくれ。お前のお母さんが目を爛々と輝かせているから」
「っと、それは危険っすね。っていうか、お母さん!? 克人さんに何してるんすか!」
悠陽は俺の前から立ち去った。どうやらまだまだ何かを狙っていそうな悠奈さんを諫めに行ったようだ。
俺も今日はこの辺りで帰ろう。せっちゃんからもらったシャツが血に染まり、これ以上吸ってくれそうにない。
料亭の人にもらった消毒液で軽く手当てをして、俺は病院に向かった。
「どうしたんですか」
「メガネを握り潰しました」
「……はい?」
そんなやり取りをしてから病院を出ると、そこにはよく見る三つの顔。
「志島君、五股かけているというのは本当ですか?」
「おい、悠陽?」
「あたしは事実を話しただけっす!」
「どう話したんだ?」
「克人さんが五股をする甲斐性があると知って、相手の男はドンびいて逃げ帰ったっす、と」
「間違っている訳ではないけど……」
「志島、貴様お本当に五股をかけているのか」
「あなた方のせいで、かけさせられたんですよ」
「あ、ちなみに私との挙式は保留ということになりました。とりあえずは大学を卒業するまでは、待とうということで」
「美樹、なんでお前はうれしそうな顔をしているんだ」
「だって、あなたは能力が高くて、私を養っていく自信があるのでしょう?」
「いやそれは演技で」
「まさか、あれは嘘だったのですか!? 乙女の恋心を傷つけるなんてひどい!」
「ということは、あの時言った、人の女に手ぇ出してんんじゃねぇぞ? というセリフも嘘なのか!?」
「嘘というか、演技です」
「私はお前のせいで傷物になってしまったようだ」
美樹は俺の手に巻かれた包帯を一度見たが、気にした様子はない。薄情というか、このメンタルは見習うべきものがあるような気がする。
せっちゃんも俺の手を見たが、一瞥しただけで特段気にした様子はない。スペアのメガネをかけているのか、スーパーせっちゃんに戻っていた。
「せっちゃん、お腹が空いたっす」
悠陽が我慢ならぬという表情でせっちゃんのスーツの裾をつかんだ。ジャケットを着いるため分からないが、そのジャケットの中には片腕だけないワイシャツが着こまれているはずだ。
「仕方のない奴だな。よし、今日は私のおごりだ。何が食べたい?」
せっちゃんのおごり? 何かがおかしい。いや、俺の疑いすぎか。せっちゃんも一つの節目として何が豪遊したい気分なのだろう。
「肉が食べたいっす!」
「じゃあ、焼き肉にでも行くか」
とんとん拍子で決まること自体に何か不穏なものを感じるが、疑いすぎは良くない。素直にせっちゃん尾後に続いて……後悔をすることになった。
「ほら、志島。誰から食べさせてもらいたい?」
炭火の金網が真ん中に置かれている四人掛けのテーブルで、三人は箸を持っていた。
俺の目の前から三つの肉が口元に向かって差し出されていた。俺の隣に座るのはせっちゃん、正面が美樹、斜向かいに悠陽である。
俺は自分の利き手を見た。包帯でぐるぐる巻きにされているため、何かをつかむことはかなわない。それをうまく利用されてこの状況、という訳である。
「ほら、私のは脂がのっていてうまいぞ?」
隣からせっちゃんが腕で胸を寄せながら肉を差し出す。肉の話だよね?
「私のは、とってもサッパリしてます!」
正面からは美樹が恥ずかしそうに、せっちゃんと同じような格好で肉を差し出した。確かにサッパリしている。肉の話だよ?
「あ、あたしのは量が多いっす! 三倍の量があるっすよ!」
悠陽は俺の顔面に押し付ける勢いで箸を伸ばしてきた。悠陽の差し出した肉はどう考えてもそんなに量があるとは思えない。肉の話だと誰か言ってくれ。
「ちょっと、悠陽さん。他の人の力がないと対抗できないのですか?」
「なんすか! 美樹さんだって明らかにせっちゃんには勝ててないっすからね!?」
「お前ら、うるさいな。子供は一杯ご飯を一杯食べないと大きくなれないぞ? まぁ、私が貴様らくらいの年の頃にはもっと成長していたがな」
「「年増はだまっててください(っす)」」
「んな!?」
肉の話だと誰か言ってくれ。何か、誰かの肉を選んで食べると後の人生に響きそうだ。かと言ってすべてを食べれば、また何股だと文句を言われることだろう。
俺は腹の好き具合に目を瞑ることにする。
「「「あっ」」」
俺は手元のスープをスプーンで飲み干して席を立った。
後ろで、弱虫だの意気地なしだの甲斐性なしだのという文句が聞こえてくる。しかし、俺が少し離れると、三人の表情は少しだけ真剣なものに変わった。
「ありがとうございました」
「助かった」
「ありがとうっす」
「どういたしまして」
たったこれだけの一言で報われた気がするのだから、美人というのはずるい生き物だ。
俺には女子を助ける力があったらしい。そんなことを考えて店を出る。
動かせない手の痛みに不思議な心地よさを感じながら、俺は家に帰った。
スプーンでも食べられる食事を作ることにしよう。
片手で食べられて、片手で作れるもの。帰りの道すがら、脳内で検索を駆けながら歩く。俺にはやはり、女子力があるのだろう。
少なくとも、今頃騒いでいるあいつらに比べたらな。




