奨学生廃止?③
「学園長!」
学園長室の扉をノックすることなく開いた美樹は、らしくないほどに大きな声を出した。
扉の正面に位置する大きな椅子に腰かけていた学園長は怒ることもなく席を立つ。いつも通り柔和な微笑みを携えている。椅子の目の前にあった机を回り、俺たちを部屋の中央にあるテーブルとソファーを手で示した。
以前一回来たことがあるが、あの時は奨学生になるや否やの時だったので、混乱しており内装にはあまり目を向けられていない。
俺たちは二つあるソファの片側に、三人揃って座る。真ん中に美樹、右に俺、左に悠陽だ。
「奨学生部の廃止について生徒会から意見があったと思いますが、学園としてどうするおつもりですか?」
美樹は学園長が対面に座った途端、なんのクッションもなく本題を切り出した。
「生徒会の榊原君からは聞いとるよ。だが、ここで今すぐどうするつもりだというのは言えないな」
学園長は流石、年長者といったところか、隣に座る俺と悠陽が圧に屈する中、その圧を正面から受けているはずなのに意に介していない。美樹もプレッシャーを与えて失言を得られる相手ではないと理解しているようで、気にすることなく話を続けた。
「つまり、生徒会からの意見としては受け取るがその意見をどう扱うかは決めかねているということで間違いないですか?」
「うむ。その通り」
「仮に奨学生が廃止された際は、私たちの扱いはどうなるのでしょう」
「そこも含めて判断が必要だとは思っとるよ」
「……悠陽ちゃんは退学ですか?」
「可能性がゼロとは言い切れんね」
のらりくらりと躱していく学園長に美樹は徐々にヒートアップしていった。ほほを赤らめ、徐々に声も大きくなっている。
「……また、私から友人を奪うのですか」
「それはどういう意味かな?」
学園長は柔和な微笑みを絶やすことはないが、声のトーンが一気に冷ややかなものになった。今まで笑っているがために閉じがちだった瞼が少し開かれる。
「私はずっと一人だった。でも、この学園に入学して緑川先生に会った。悠陽さんに会った。そして、志島君に会った。せっかくできた私の居場所なんです。なぜ、学園長は私か友人を奪うのですか」
再度言った美樹を、隣に座っている悠陽はまじまじと見る。悠陽にとっては初耳だったのだろう。いつも冷たい雰囲気の美樹がここまで熱をもって話している。悠陽にはそれだけで驚愕するに値するものであったようだ。
「すみません、お父様の指示なんですよね」
「君には申し訳ないと思っている」
学園長はただ一言、ぽつりとそう言った。
大人のしがらみという奴か。学校の運営だってタダでできるわけではない。頭のいい美樹にはちゃんと察しはついているはずだ。
それでも、理性では分かっていてもそこに感情はついていかない。美樹だって年頃の高校生なのだ。一度決壊したダムを修復するのが難しいように、美樹は大きな涙を瞳から落とした。
「だって、だって!」
美樹は喉につまる音を無理やりに引っ張り出す。だが、それ以上の言葉は出てこない。強い人は一度心が折れると案外弱かったりするものである。美樹もその例に漏れないようで、ぽろぽろとこぼれる涙は一向に止まる気配を見せなかった。。
「と、とりあえず落ち着くっすよ!」
慌てたような悠陽が美樹の背中をさすって慰めている。今まで見たことのない光景に相当驚いたようで、悠陽は俺の方に助けを求めた。
「とりあえず保健室にでも行ったらどうだ? 久々井先生なら何とかしてくれるだろ」
「りょ、了解っす!」
悠陽は美樹を軽々とお姫様抱っこすると、学園長室を出て行った。
「申し訳ないことをしているという自覚はあるのだよ」
学園長は、美樹が出ていくなりそう言った。
「いえ、どこにもいろいろな事情はありますから」
「そういってくれると助かるよ。私も色々と青山氏から言われていてね。うちにも多額の寄付をしてくれるような方なんだ」
学園長は深くお辞儀をしてからもう一度こちらを見る。どこか乾いたように言った学園長は深いため息とともに、深く椅子に座りなおした。
「それで、奨学生の件についてですが」
「そのことだかな、私に言えるのは先ほど青山さんに言ったことがすべて。学業関連は私が統率しているのだけれどね、奨学生の部分は学校経営の範囲にもかかわることだから、私じゃなくて理事長の管轄なのだよ」
「理事長ですか」
俺は理事長にあったことがあるのだが、学園長はそのことを知らないらしい。ということは、今回の件についても何も知らないということか。
「この学校には実は理事長という存在がいてね、生徒の前には滅多に表れないから知らない生徒も多いけれど。理事長は忙しい身でね。この学園にはめったにいない。だが、今日はたまたま私と会う約束があるんだ。そうそう、もうすぐ約束の時間だな」
学園長が言うと、不意に扉をノックする音が響いた。
「失礼するよ」
そういって入ってきたのは、三十代中頃と思われる女性。黒髪を一つに結わえたその女性は俺を見るなり驚いたように声をかけてきた。
「ここに生徒がいるとは珍しいとは思ったが、志島君か。緑川がずいぶんと世話になっているようだ」
強気な口調は馴染み深い人物を想起させる。こちらがオリジナルではあるはずなのだが、
俺にはせっちゃんの影が見て取れた。
「緑川から話は聞いている。奨学生を廃止するように生徒会から意見があったって?」
女性は一回り以上年上と思われる学園長にそう声をかけると、俺の隣に座った。
なんとも愉快そうな表情を浮かべているのが憎たらしい。
俺が目礼をすると、理事長はなおもその愉快そうな表情のままで俺に声をかけてきた。
「そう硬くならなくていい。君には迷惑をかける。無理を言ってすまないが、どうしても実行したくてね」
「分かっています。それを分かったうえで承諾しましたから」
「そうか、ありがとう。それで、どうだここでの学校生活は」
「そうですね。身近にいる女性たちに目をつぶれば最高の環境です」
「おいおい。学園生活において異性との関りほど尊いものはないだろう。不純異性交遊の一つや二つ犯したらどうだ」
「いよいよ教師の言うことではないですね」
「いいんだよ。私はもう教師じゃないからな」
「でも、学校のトップでしょう」
俺が言うと、目の前に座っている学園長がやれやれといった表情で首を振っていた。
「それで、奨学生廃止の件ですが理事長はどうするおつもりで?」
学園長は理事長に向かって問う。正直なところを言えば、理事長の答えは分かっていた。
「この学園の生徒に決めてもらおうじゃないか」
理事長は既に出ていた答えを発する。生徒に委ねるという考えに至ったのはこの部屋に入ってくる前なのだろう。いや、もっともっと前のはずだ。
「明日の午後の授業は中止。全員を体育館に集めろ」
「ですが! このように大事なことを生徒に決めさせて良いのですか!?」
学園長は今までの態度からは考えられないような大声を出した。明らかに学園長の方が年上のはずだが、理事長は全く臆するような態度を見せなかった。
「大事なことだから生徒に決めさせるんだ」
「それが、他の生徒の人生を変えることになってもですか」
「生徒会に強権を認めているのはなぜだか、学園長も知っているはずだ。権力には責任がつきもの。だが、ここの生徒はそのことをまるで意識していない。投票は一時の感情で行うべきではない。その事を生徒にも実感させるいい機会になるんじゃないか?」
理事長は現状を憂うように言葉を発する。そして、一息ついた後に言葉をつづけた。
「ここにいる多くの人間はいずれ企業や政界のトップに立つことになる。だからこそ、生徒には学ぶ必要があるんだ」
「ですが……!」
学園長は学校教育に関わって数十年の時をこの学園とともに、そして生徒とともに過ごしてきたはずだ。それに対して、理事長はその半分も経っていないだろう。学園長にしてみれば、それが生徒を軽視しているように見えるのだ。
「俺は構いません」
生徒を代表できるわけではないが、俺は学園長に言う。
「志島君。自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
学園長は焦りを感じているのだろう、額から汗が噴き出している。
「君はまだいいかもしれないが、他の二人はどうするんだ」
「美樹は全く問題ありませんよ。悠陽に関しても問題ありません。いざとなれば、勉強だってなんだってできる強い奴ですから」
「しかしな……」
「本人が言っているんだ。学園長は黙っていてくれないか。なに、もしものことがあっても悪いようにはさせないよ」
俺は理事長の言葉を聞き終えると学園長の制止を聞かずに、学園長室を出た。理事長の近くを通った時に聞こえた言葉を俺はきっと忘れない。ここまで、芯の強くて一つのことに愚直に、ひたむきに突き進む人はそうそういないだろう。




