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蹲る男  作者: 未月かなた
8/13

悲痛

春は、仕事から帰宅し、いつもの様に窓を開け、部屋に入り込む風に当たりながら、タバコを吸っていた。

缶ビールに手を伸ばしたかったが、これから美里加が来て、真面目な話をするのに不誠実かと思い、タバコで我慢をしていた。


タバコを1本吸い終えた頃に、インターフォンが鳴った。

美里加を部屋に入れると、少し躊躇しながらも中へ上がっていた。

「タバコ、吸ってたでしょう?」

「悪い…」

春が謝ると、美里加は窓を閉めずそのまま、厚手のカーテンを引いた。ぺたんと、カーペットの上に座り、真っ直ぐに春を見た。

小さく息を吐き、最初に口を開いたのは、春の方だった。

「美里加…。ごめん。別れて欲しい」

春は、美里加の顔を見て言った。すまなさそうに、小さく頭を下げて。

美里加は、顔を引きつらせて歪んだ笑みを見せた。

「もう、あの女の子と、付き合ってるの? ここに来たの? 寝たの?」

徐々に、美里加の感情が高ぶり、目から涙が溢れ出していた。

「そうじゃない。来てない。彼女は取引先の人で、一緒にイベント見に行っただけだ」

「仲よさそうに見えたわ。取引先の人と、手なんか繋ぐ?」

春は、両手を頭に乗せて、それを抱えた。間の悪い所を見られた。食事の後、駅まで歩く途中で亜弥が春の手を掴んだ。恥じらいながらも、握って来た亜弥の手を、魔が差したかのように、春も握り返していた。

「春くんも、その気があるんだよね? 嬉しそうにしてたもんね? 私は、春くんの何? この1年、一緒にいて、春くんの為にいろいろしてきたのに…。嫌よ。別れないわ」

ぎゅっと、唇を閉ざして春の顔を睨みつけるように、美里加は見ていた。会社の誰かが、言っていた話を思い出した。

結婚するより、離婚する方がとても労力がいる。疲れるんだと。まだ、恋人同士の別れ話だが、付き合うよりも厄介だなと、春は、美里加の態度に、一筋縄ではいかない事を察していた。

「これ以上話しても、無意味だ。帰って欲しい」

春は、ソファーから立ち上がり、美里加の前に立って行動を煽っていた。

「私、あの絵を捨てたから、こうなったんだとばかり思ってた。でも、違うの? 前から、あの子の事好きだったの? なんとなくだけど、私、気づいていたよ? 私の事、ちゃんと好きじゃなかったよね。ねぇ、答えてよ!」

美里加の声が荒ぶり、すくっと立ち上がると春の胸をばんっと、叩いた。

「あの絵は、大事な絵だったんだ。人の物を簡単に捨てるような事は、許せなかった。近瀬さんは、関係ない」

「その子、近瀬って言うのね? ね? じゃぁ、私の気持ちは? ちゃんと、私の事好きだった?」

問い詰める美里加に、春は哀しげな顔をして何もせずに、立ちすくんでいた。これ以上話しても、美里加の感情を更に奮い立たせるだけだと、春は察していた。

泣きじゃくる美里加は、再びカーペットにぺたんと座り込んだ。

「…答えてぇ。私の事、好きだった?」

泣き崩れ、両手をカーペットについて、首がうな垂れ、ポニーテールの髪が肩から滑り落ちていた。

春はため息を吐いて、口を開いた。

「聞いたら? オレの求めに、応じてくれるのか? 拒むのか?」

春は美里加を見下ろしたまま、冷たく言った。

「うぅ…。う…ん」

子供のようにしゃくりを上げ始め、美里加は頷いた。

「どっちなんだ?」

「わかっ…た」

美里加の返事を聞いて、春はゆっくり腰を下ろし胡座をかいた。静かな部屋の中で、美里加のすすり泣く声だけが、響いていた。春は、感情を整えるかのように、小さく息を吐いた。

「美里加の事は…」

春は、自分の気持ちを素直に言葉にした。

「一緒にいて、楽しい時もあった。でも、それは、恋愛感情には変わる事がなかった。オレが、悪いんだ。別れても、ずっと忘れられずに、想い続けている人がいる。そんな気持ちのまま、美里加と過ごしていて、申し訳ないと思う」

春の喉の奥が締め付けられ、声が掠れた。

「…り。つまり…、最初から、私の事は好きじゃなかったって、コトよね」

美里加は、俯いたまま太ももの上のスカートの生地を、両手でぎゅうっと握りしめていた。そこに、ぽたぽたと涙が零れ落ちていた。

「すまない…」

掠れた声で、春が言うと、美里加はすっと立ち上がった。

「私の気持ち、無視したまま、他の女をずっと想い続けてた? 私の春くんに対する想いや、この時間は? 私は、真剣に好きだったんだよ? 一緒にいる時間がとても、嬉しかった…。なのに! それも、無駄だったなんて!!」

ヒステリーをあげた美里加は、バックの中から何か取り出すと、勢いよく春にそれを投げつけた。投げたそれは、春の頬に当たり、春は美里加の行動と、何か物が当たった衝撃に驚いた。

「だから、この絵は嫌いだったのよ!!」

荒げた声で、美里加が言葉を吐き捨て、勢いよく部屋を出て行った。

春は、引き止めもせず、投げつけられたそれに視線を移した。それは、捨てたと言ったはずの、紗良が描いた絵だった。

もう、失った物だとばかり思った春は、再びその絵が戻り、それを手に取り見つめた。キャンバスの裏には、小さく“コーリくんへ sara”と書かれていた。美里加が、この絵に察しが付いていたのだろうと、春は思っていた。

窓から風が入り込み、カーテンがゆらりと揺れた。窓の外からかすかに聞こえる雑音が、今は心地よく耳に入り込んでいた。

春は、美里加との決着に安堵の思いで、小さな溜息を吐いた。



お読み頂き、ありがとうございました。


春の手元に紗良の絵が戻ってきました。

お話は、まだまだ続きます。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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