stage16
王太子が大学の視察に来るらしい。それを聞いたエメリナが真っ先に思い浮かべたのはクルスのことだった。それからはっとして顔を両手で覆う。
「あんまり可愛いことしないの」
一緒に昼食を取っていたマルシアがエメリナの頬をぐりぐりとつつく。いや、つつくレベルではなく痛いんだけど。
「女の子は恋をするときれいになるっていうけど、事実だね」
少なくとも、エメちゃんに関しては、とさらりと言ったのは眼鏡をかけた爽やかな青年である。マルシアの婚約者のサントスだ。彼はマルシアと同じ学年であるが、植物学を学んでいる。
と言うか何故エメリナは姉とその婚約者と昼食を取ることにしたのだろうか……いつの間にか連れてこられた気がする。
「久しぶりに会えてうれしくないの?」
「う、うれしくないわけじゃないけど……」
「手紙が来たら嬉しそうにしてたじゃない」
「なんで知ってるのよ……」
マルシア、情報通と言うレベルではない気がする。サントスがエメリナの前にババロアを置いた。
「マルシア、あまり妹をからかいすぎちゃだめだよ」
サントスが苦笑してマルシアをたしなめる。そう言えば、マルシアはサントスのちょっとずれたところが可愛いと言っていたか。
サントスが持ってきてくれたババロアを食べる。ちょっと落ち着いてきた。
悩んでも仕方がない。経験のないことだ。当たって……砕けてみるしかない気がする。
△
夏休みが終わり、大学に戻ってきて二週間ほどたったころ、クルスからはじめての手紙が届いた。他愛ない世間話が堅苦しい言葉で書かれていただけだが、とてもうれしくて心が弾んだ。そして、落ち着いてから自分にもこういうところがあるのだなぁと思った。
エメリナも、悩みながら返事を書いた。それ以降、手紙のやり取りは続いた。同じ本の感想を書いたり、たまに大学生活のことについて書いたり。彼も去年卒業したばかりなので、知っている共通の先生などもたくさんいるのだ。
王太子が視察に来るとあって、その日、朝から学生たちは騒がしかった。大学まで来るようになると、落ち着いている人の方が多いが、同じくらい変人も多い。
王太子は寄宿学校を出たきりで、大学には進学しなかった。そのためか、興味深げに学内を見て回っていた。案内するのは学長である。ベランダからマルシアと共に様子を見守っていたエメリナは、視線に気づいた王太子にひらひらと手を振られて顔をひきつらせた。マルシアは隣でにっこり笑っている。
「ほら、クルス様もこっち見たわよ」
「……からかわないで」
確かに、手を振る王太子に釣られてクルスもこちらを見上げたが、生真面目な彼はエメリナとマルシアの姿を認めて眼を細めただけだった。エメリナもじっと彼を見つめていたが、ふいっと視線を逸らした。
「あらどうしたの?」
「……何でもない」
ちょっと気恥ずかしくなっただけだ。
「せっかくだから会いに行って来ればいいじゃない」
「なんて言って行けばいいのよ」
「そこはほら。お兄様~って」
マルシアが言った。確かに、護衛で兄ヘラルドも一緒にいるけど! だからこそ、余計に近づけないのだが……。
とりあえず、寒くなってきたので中に入ることにした。季節は既に冬なのである。
一応学生である彼女らは、暢気にいつまでも王太子を眺めていられるほど暇ではなかった。教科書を持って講義に向かう。マルシアは特に講義がないらしく、図書館に向かった。研究資料を探してくるらしい。
いくら王太子の出現にざわついていても、ひとたび講義が始まれば集中する学生たちである。エメリナもその一人で講義室から出るころには王太子の来訪などすっかり忘れていた。
ざわざわと大学内ではあまり聞かない華やいだ女性の声が聞こえ、エメリナはその方向を見た。見て、ちょっと後悔した。女学生に囲まれたクルスと目があったからだ。王太子を置いて何をしているのだろう、この人は。普段のまじめさをどこに置いてきたのやら。
「え、エメリナ」
名を呼ばれた瞬間に身を翻した。いや、別に珍しく女性に囲まれる彼を見たくなかったわけではなく、自分が名前を認識されていることで生じるいじめなどを回避したかったのである。この国最高学府でもいじめはあるのだ。
クルスからは、突如逃走したように見えただろう。実際、半分はその通りだ。背後から焦った声が聞こえた。
「待て! エメリナ! 転んだらどうする!」
クルスの前で転びまくっているので、エメリナも強く否定できずに速度を緩めてしまった。そこでクルスにつかまる。
「良かった……」
「……」
エメリナはあまりよくなかった。肩をつかまれたエメリナは微妙に顔をしかめる。
「あの、あんまり気安くされると、私がほかの子たちから仲間外れにされるのですが」
「え? ああ……すまない? いや、でも、近づかないといけなくて」
「はい?」
一応エメリナの言うことを理解しているだろうが、クルスは取り合わなかった。何となく、こういうところ、母と通じるものを感じる。
「いや……あの、その。言っておかないと、また後悔するだろうって王太子殿下に叩き出されて……」
「なんですかそれは……」
エメリナはクルスが目に見えるほど落ち込んでいた様子を知らないので、素で尋ねた。表面上は落ち着いているが、内心かなり緊張していた。今、脈を取られたらめちゃくちゃ速いと思う。
「え、エメリナ」
「は、はい」
二人とも、緊張して声が震えている。
「その……君のことが好きだ」
クルスが顔を伏せて震えている。エメリナは顔を伏せたクルスの頭頂部を眺め。
倒れた。
△
「おはよう。気分はどうだい」
「……お父様だ」
声のした方に顔を向けると父がいて、エメリナは何故かとても安心した。気づくと父が側にいることが多い気がした。
「エメリナ、何があったか覚えてる?」
のそのそと起き上がった末っ子に父は尋ねた。数秒停止したエメリナは、クルスに言われたことを思い出してかっと頬が熱くなった。両手で頬を押さえる。父はそんな娘の頭を撫でた。
「そんな可愛いことをするんじゃないよ。それで、君はちゃんと答えてあげないとね」
父にそう言われてエメリナは顔をゆがめた。母もきっと、ちゃんと答えを出さなければ相手に失礼だというだろう。あれだけの目撃者がいたのだ。なかったことにはできない。と言うか、父はどこで聞いていたのだろう。
「正直に言うと、良くわからない。なんと言うか、胸のあたりがもやもやして」
父は相槌も打たなかったが、話を聞いてくれているのはわかった。父に言うのも変な話だが。
「たぶん、好きなのだと思うわ」
「だって。クルス君」
カーテンをひいてクルスが姿を現した。どうやら隣で聞いていたらしく、姿は見せたが目元を覆っている。その顔が赤くなっているのを見て、エメリナも赤くなる。父が微笑ましそうに二人を眺めていた。
「仲が良くていいことだね。けどクルス君。君は今からラスボスの説得が待っているからね」
ラスボス、つまりエメリナの母のことである。いや、確かに母はラスボスかもしれないが。
「お母様がラスボスなら、お父様は黒幕だわ……」
とりあえず突っ込んだ。むしろ、これだと父がラスボスになるのか?
「が、頑張ります」
頭がいいクルスとは思えない返事だ。緊張と混乱の中、父だけが冷静だった。
とにかく、母を説得しなければ。アルレオラ家の主は母だ。そして、口では何を言いながらも父も母も反対はしないだろう。むしろ応援してくれるのはわかっている。
こんなに人を好きになるのは初めてだ。エメリナはそう思った。冬に近づく季節が、色づいて見えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
これにて完結です!
おつきあいくださった皆様、ありがとうございました!
しかし、フィロメナがラスボスなのか、レジェスがラスボスなのか……。




