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たまごのタルト

「ふおおお……」


 と、自分が上げた声が淑女らしからぬものである、という認識がポコンと頭の中に浮かんできた。けれどそれが吹き飛んでしまうくらい、わたしの心は浮き立っていた。

 だってだってだって。

 粗末な、というほどではないけれど、けっして高級そうな宿ではなかったのに、食堂で現れた食事は素晴らしいものだったのだ。


 じゅうじゅうと香ばしい音と匂いを湧き上がらせる、カリッと焼き上げられた、ぴかぴかに光る飴色の鶏肉。フワフワともやのような湯気が浮かび、塩っ気と、おそらくは中に詰められた香草が、得も言われぬ香気を振りまいている。付け合せはつややかな橙色の野菜と、ミルクを入れてふんわりと潰された白い芋だ。

 そしてまた、フレンが頼んだスープの香りも素晴らしいものだった。おそらくは同じ種類の鶏と野菜で丹念に出汁がとられているのだろう。こちらも素晴らしい香りがして、金色の液体の中に鮮やかな野菜がたっぷりと煮こまれている。その横に添えられたパンもまた、たまらない麦の匂いを漂わせ、さあお食べと手を広げているかのようだ。

 ごくり、と小さな喉が鳴る。


「ドラーゴは竜鶏(りゅうけい)の産地でな。この鶏は肉も卵も絶品だが、ここで食うのが一番旨い。そして、香草詰めはこの町の名物なんだが、この宿屋が一等旨いんだ。ほら見ろ、どこからどう見ても旨そうだろう?」


 フレンは饒舌になり(どうも、別に無口な性質(たち)というわけではないらしい。単に馬上でわたしが舌を噛まぬよう、話しかけずにいたようだ)、節くれだった大きな手で、わたしの前に堂々と鎮座する、琥珀色をした鳥の丸焼きを指し示す。

 あまりの神々しさに、わたしの小さなお腹はぐうぐう鳴った。口の中はよだれでいっぱいだ。フレンが笑う。


「ああ、これを前に『待て』はきついよな」

「おなかすいた……!」

「切り分けてやるからもう少し待て」


 そう言ったフレンは、目の前の丸焼きを見事な手さばきで切り分けていく。刃物を使い慣れているらしい。馬に乗れ、刃物を使い慣れている男。料理人や職人ならあれほど巧みに馬を操れないだろうし、おそらくフレンの職業は騎士か傭兵ではなかろうか。


「はやくはやくっ」

「これで足りるか?」

「もちょっとたべたい!」


 うきうき揺れるわたしのおしりの下、幾層も積み重なっている薄いクッションは、卓に背丈が届かないわたしを見かねた女将さんの厚意だ。彼女は子供用のカトラリーがないことをわびて、一番軽い木のスプーンとフォークを探し出してくれた。しかしそれでも、小さな子供の手には大人用のカトラリーは重い。

 それでも、そんなものがちっとも気にならないくらい、わたしの心とお腹は目の前の鶏を求めていた。記憶を失う前のわたしはあれだ、こどもじゃないなら、肉食だったんじゃないだろうか。だって全身が喜んでいる。――単に酷い空腹なだけである可能性も、大いにあるけれど。


「いただきま!」

「よく噛んで食え」


 フォークの重量に負けたわたしを見かねたフレンが、肉を刺したフォークを渡してくる。それを両手で慎重に受け取って、わたしは肉を口に運んだ。


「……っ!!」


 魂が歓喜した、としか思えないほどの震えがわたしを襲った。


 噛み締めた歯の内側で、肉汁がじゅわりとあふれ出る。わたしのよだれもじゅわじゅわと滲みだして口をいっぱいにした。程よい塩気、臭みを消す以上に肉を引き立てる香草、そしてなにより、ぷりっぷりのお肉!

 美味しいなんて言葉じゃあ陳腐だ。舌は喜び歯は勇み、頬は緩み目は潤み。楽園だ。楽園はここにあるのだ。


「旨そうに食うなあ……」


 ぐびりと葡萄酒を煽ったフレンがくっくと笑う声が聞こえるけれど、そんなことはそっちのけでわたしは夢中だった。

 一生懸命に噛みしめて、ごくりごくりと飲み込む。ああ、美味しい、美味しい、美味しい!

 きっと、口の周りはベタベタで、幼児そのものなのだろうけれど、それも気にならない。


「嬢ちゃん、旨ェかい?」


 全身全霊で鶏を貪っていたわたしに声を掛けてきたのは、丸太のように太い腕をした、厳つい男性だった。強面だが髪と髭は清潔に整えてある。ちらりとフレンを仰げば、「ここの大将だ」と言う。


「大将ってのは、要するにここの厨房の一番偉い人だな」

「これつくったのおじさん!?」

「おう!」


 それを聞けばこの「大将」への、わたしの好感度はうなぎのぼりである。この絶品料理を作り出した人だというのなら、最上の敬意を払わなければなるまい。


「これ、すっごくすっごくおいしー!!」

「そう旨そうに食ってもらえると料理人冥利につきらァな。……ニイさん、あんたの娘かい? エライべっぴんさんだが、イイ食べっぷりだなァ!」

「この子は師匠からの預かり者でな。残念ながら俺の娘じゃあない」

「言われてみりャあ似てねェな! ああでもニイさんもよく見りャあ男前じャあねェか」

「ありがとよ」


 フレンと大将は陽気に語り合っているが、わたしはまた鶏に対峙することに専念した。美味しいものには真面目にまっすぐ相対せねばなるまいて!


「ほら、嬢ちゃん、オマケだオマケ! 竜鶏(たまご)のタルトも食いな!」

「たると!?」


 新たな一品はまあるい月のような黄金色、甘く芳しい香りでわたしを誘惑する。鶏肉へと抱いた決意は一瞬で崩れ去った。

 本来、食事の最中にデザートを食べるのは、行儀の良くないことだ。それは分かっている。分かっているが……


「フレン! た、たべて、いい?」

「ん? ……ああ、まあ良いんじゃないか。今日くらいは」

「……いただきま!」


 しゃくっ。ふわっ。とろっ。


 サクサクと小気味よい音を立てる層になったタルト生地に、ふわりと泡立てられた甘いたまごのクリーム。口の中に入るとそれはとろけ、わたしの魂は本気で、楽園へと連れ出された。


「……いい顔で食うなァ!」

「そんなに旨いのか?」


 ひょいっ。

 ぱくり。


「あーーーーーっ!!!」


 わたしの、たまごタルトが一瞬で消えたのだ!!


 残りのタルトを1口でパクリと食べられたわたしは悲鳴を上げてフレンをポカポカと殴ったが、哀しいかな、木のフォークを握りしめた幼子の拳など、武人と思しき男の敵ではないのだった。

 フレンと大将は大笑い。たまごのタルトが最後のひとつであったことを大将に聞き、泣きべそをかき始めたわたしに慌てたフレンは、干し果実入りのショートブレッドを注文してはくれた、が。


 ……ぐぬぬぬぬぬ、許すまじ!!





とりたべたいというわたしの強い思いがキーを叩かせる……!!

こんな感じでゆるーい日常がぽくぽくと続く予定です。




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