32.ジェラード家次期当主、奮戦する。
自分の妹は、間違いなく天才だった。
代々魔術師の一族であるジェラード家に置いて、術式を有さずに生まれた自分は、言ってしまえば落ちこぼれ。対して、五つ離れた妹は、優れた魔術師である父が舌を巻くほどの術式を持って生まれたのだ。しかも、それを扱い切れるだけのセンスと才をも併せ持って。
羨ましくなかったと言えば、嘘になる。ただ、それ以上に愛しかった。
(例え見下されていても)
思えば妹には、才があり過ぎたのだろう。物心ついた時から、自分が格下に見られているのは分かっていた。更に言えば、彼女が自分のみならず、己と同等以上の存在以外は全く目にも留めていなかったのも。
あまり良くない傾向。それでも咎めなかった。自分の意見になど、耳を貸すこともなかったからだ。まだたったの五歳だったくせに。
それが、ある日を境に急激に変わった。いつも仏頂面だったのが、ころころと表情を変えるようになった。冷たい物言いをすることが多かったのが、感情豊かに物申すようになった。秘密特訓とか称して、地下の一室に閉じ籠ったり、質素な食事で喜んだり。
何があったのか、聞きたくなることもあった。別人と入れ替わったのではないかと疑うことさえ可能だった。
けれど、そんなことはどうでも良い。たった一人の可愛い妹。
「貴様のような輩に、手を出させるわけにはいかんな」
呟きながら、テオドールは鞘から剣を抜き払う。薄い鋼刃のロングソード。
「へえ。お兄さんは剣士なんだ」
エディの背に素早く移動しながら、ヒューは侮蔑も露わに笑う。無理もない。
「そんなもので、エディの身体を傷つけられると思っているの?」
「ふん」
少年の挑発を聞き流しながら、テオドールは龍の巨躯をつぶさに観察する。確かにフレイムドラゴンは手ごわい魔物だ。しかし、どんな生き物にも弱点は存在する。それを見つけ出して、突く。
テオドールの鮮やかな栗色の瞳が動く。翼の付け根、時折垣間見える咥内、ギョロリと煌めく蒼い瞳――狙いどころ自体は、多い。加えて、ここは屋内。あの巨体では、飛行能力も大して活かせはしないだろう。そう思えた。
「そんじゃ、行っくよー」
侵攻者の朗らかなの声と同時に舞い上がった赤龍が、見る間にその大きさを変えるまでは。
「何っ」
思わず声を上げる。それまでドーム内にようやく収まり切れる程であった巨躯が、今や竜騎士が操る小型飛竜とほとんど変わりがないサイズにまで縮んでいる。形状こそ変わってはいないが、厄介さは増した。
飛び立ったエディは、大きく息を吸い込むと、間髪入れずに火の玉を吐き出す。降り注いできたそれを、テオドールは僅かにバックステップしてかわす。
(あまりやらせ過ぎると、逃げ場が無くなるか)
自分は妹や巫女のように、結界を張るような芸当は出来ない。回避しか選択肢は無いのだが、
「ほらほら、何時まで避けられるかなっ」
狩りの感覚で打ち込んでいるのだろう。逃げ場をあらかじめ予測して攻撃し、追い詰める。恐らくは、壁際まで。
燃え盛る火の玉が着弾するたび、漂いだす熱気が身体中いたるところを舐め回しているのを感じながら、テオドールはふち、自身の動きが軽くなっていることに気付いた。
(セスか)
ちらりと祭壇を見やれば、既に妹たちの姿はなく、光り輝くことを止めたオベリスクが沈黙を保っている。逃げることは出来たようだ。体魔術は自分を一種の捨て石にすることへの詫びか、それとも生き残れというエールなのか。
とにかく、コイツを野放しには出来ない。それに、撤退の選択肢は初めから切り捨て済みだ。ならば、やることは一つ。初めの宣言通り――
「打ちのめす」
火炎弾を打つのに飽きたのか、低空飛行に切り替えたエディが右前脚の爪で炎ごと空間を薙ぎ払う。それをとっさにしゃがんで回避したテオドールは、床の炎を避けながら走り出す。
「ほらほら、逃げてばっかじゃ面白くないよぉ?」
今のテオドールの脚力は、人間のそれを超越していた。が、それでようやくフレイムドラゴンの飛行スピードと同等程度。ドーム内は一度に数百人を収容出来るほどの広さだが、その大半は炎で覆われている。熱気によって体力を余計に削られていることを考えれば、いち早く勝機を得なければ。
「そこっ!」
テオドールが祭壇の前で立ち止まった途端、心底楽しそうに叫んだヒューが彼を指さす。旋回したエディが、その目に獲物を捕らえた瞬間、口を大きく開けた。大気中のマナを取り込み、体内の火炎袋で炎へ変換するために――
それこそが、テオドールにとっての勝機の一つだった。
彼はそれまで役目を果たしていなかった己が得物の切っ先を、晒された咥内へ素早く向ける。そして――
「ギャウ!」
「え?」
悲鳴が上がる。ヒューの表情が初めて崩れた。
悶える彼の相棒は、どうも痛がっているように見えた。無邪気な笑顔が一転して、テオドールを睨み付けるその顔は憤怒に満ちている。
「エディに何をした!」
「狙えそうな箇所を傷つけただけだ。どんな魔物でも、口の中を鱗で覆うことは出来んだろう」
「けど……!」
明らかに、リーチは足りていない。それに、テオドールはあの位置から一歩も動いていない。完全な攻撃範囲外であったというのに、どうやってエディを。
そう考えているのが読めたテオドールには、もちろんカラクリを教授する気もない。
「まだ終わっていないぞ」
言い捨てると、今度は右翼の付け根を目標に定める。
「起動」
彼がそう呟いた次の瞬間には、鈍い音を立てながら、エディの右翼が呆気なく切り落とされていた。
「しまっ……!」
龍族の飛行能力は、すべからくその両翼によって保たれている。方翼では、当然身体も体重も支えきることは出来ない。――墜落する。
なすすべなく石畳に落下したエディの身体は、当初襲撃を仕掛けてきた時の巨躯に戻っている。ラピスラズリを彷彿させる青の目は怒りでギラリと輝いていた。切断されて出来上がった傷口からは緑濃色の血液が噴出している。
「……分かった。その剣、人工術式が組み込まれてるんだ。そうでしょ」
「間抜けではなかったか。そうだ」
感情の抜けたヒューの確認に、テオドールはあっさり肯定する。
「ウォーターカッターと呼ばれる物でな。加圧した水を一ミリほどの穴に通す。すると……」
向けられた切っ先に、ヒューは危険を感じたらしく頭を下げる。直後、彼の頭上を通り過ぎて行った。水の塊。
「こういうことも、可能なわけだ。ただし……これだけでは、その龍の鱗は切り裂けない」
「仕組んでるんでしょ、どうせ」
「まあな」
唸り声も、少年の平板な声も、優位者となったテオドールの心を動かすことはない。今の彼の中にあるのは、こいつらを今この場で仕留める、ただ、それだけ。
「ふうん。そうなんだ。そうなんだ……へえ……」
次の狙いを定めたテオドールの耳に届いたのは、襲撃者のいびつな笑い声。
その声は、振り上げようとした剣を降ろすには十分足る力があった。狙いどころであった龍の蒼い目ではなく、その背に乗り込むヒューに顔が向く。
ヒューは、ただ、笑っていた。ただ、違う。最初の、あの無邪気さはない。
そこにあるのは、ただただ大事なものを傷つけられたことに対する、怒り、悲しみ。
「でもさぁ。それって、その剣と、それを使う君に気を付ければ良いだけでしょ? だったらさあ、」
彼の両手が一瞬光った。応じるように、閉じられたエディの牙から僅かに白い輝きが漏れ出す。体魔術の治癒に、酷似した現象。
次の一撃を察知したテオドールは、反射的に祭壇から離れてしまった。彼の背後に隠れる形になっていた、オベリスクが露わになる。
(しまった!)
妹の命よりも、この国にとってはるか大事な代物。
「壊れちゃえ」
操魔魔術によって完治された咥内から、火炎弾が吐き出される。止まらない、止められない。間に合わない。
直後、血相を変えたテオドールの耳に届いたのは、オベリスクの形に整えられた水晶柱が華々しく砕け散る音だった。




