八話 ロセリア国王暗殺計画
「現状は、知りません」
この答えには、さすがに王も眉を寄せる。
レイは予想外の返答に驚くが、柚葉はじっとルシトを見つめていた。
だがそれでも怒ることなく、冷静に事情を聞く。
「知らないとは、どういうことなのだ」
「私は、パルテノン帝国から侵攻を受けた際、一人逃げてきました。なので、アゼ―レ超大国の現状はわかりません。ただ、多くの民が、無差別に、奴らの手によって……」
パルテノン帝国に侵攻されたときの目にした光景を思い出すように話しながら、ぐっと拳を固く握りしめ、けれどくしゃっと顔を歪める。
ルシトの心情を察し、王は「わかった」とだけ言うと、それ以上話さないように止めた。
柚葉はルシトの背を、優しく擦る。ルシトは感情を抑えるように、奥歯をぎりっと強く噛みしめる。
「心配りのできない王で申し訳ない。だが、事実なら確認をとりたい。部屋を用意する故、今日は休まれよ」
「いや、宿を――」
「心遣い、ありがとうございます。お言葉に甘えて、そうさせていただきます」
レイが断ろうとしたとき、ルシトは礼を述べ、一礼した。
柚葉も続いて頭を下げると、レイも渋々ながら同じ動作をした。
王は隣にいた兵士に、部屋を用意するよう伝えると、兵士は王に一礼、そしてルシトたちにも一礼し、王の間を出て行った。
「それまでは、下にある応接間を自由に使っていただきたい。我は予定がある故、申し訳ないが――」
「承知いたしました」
王の間を出てほしいと遠まわしに言われ、理解した一行は、王に背を向けると、足取りを早めることなく出て行った。
すれ違いに入ってくるのは、大臣に腕をがっしり掴まれたラシールと、ピンクの派手なドレスを身に纏い、金の髪飾りを挿した、厚化粧の女性だった。片手に持った扇子で、口元を覆い隠している。
三人が浅く頭を下げるも、挨拶を返したのは大臣だけだ。
そして、頑丈な扉は閉ざされていく。
階段を降り、案内された応接間に入ると、そこはマール王国のそれよりは狭かったが、腰を落ち着けるには十分だった。特に大きな荷物も持っていないため、宿に何も置かなくて正解だったと、皆が思った。
赤い高級ソファーに座ると、柚葉はふかふかの背もたれに背を預けた。
「あのタイプ、苦手かも」
柚葉はすれ違った二人の態度に、少しだけ腹を立てていた。
「まあ、そういう人たちもいるだろう。だが、ルシト。宿を取ったのに、どうして此処に泊まる?」
「自分勝手な理由で、申し訳ないですが、少しでも早く、知りたいので……」
確認が取れ次第、王が知らせてくれるという。それならば、宿よりこの城にいた方が早く連絡がとれるだろう。
そう考えて、ルシトは了承したのだ。
その気持ちは理解できるので、レイもそれ以上何も言わなかった。
「これで確認は取れるだろうから、きっと大丈夫だよ」
「そうですね。ありがとう、柚葉」
にっと笑ってみせると、つられるようにルシトがそっと笑む。壁に背を預けていたレイも、「俺たちも早く四護神を探そう」と言った。さすがに、今は疑っていないらしい。
そのとき、コンコンと扉をノックする音がした。
ルシトが「はい」と返すと、ゆっくりと扉が開いた。
メイド服を着た女性が、笑みを浮かべながら入って来る。
「お部屋のご用意ができましたので、呼びに参りました」
先に柚葉が泊る部屋へ案内された後、ルシト、レイの順に案内される。
どれも部屋は二階にあり、男二人の部屋は階段の右隣にあり、向かい側に柚葉の部屋がある。
一人ずつ部屋を用意してくれたことに、各々感謝を述べる。
「本日の夕食は部屋食にいたしますか? 応接間でよろしければ、そちらでもご用意できますが」
「どうします?」
「俺はどちらでもいい」
「私もどっちでもいいよ。ルシトはどうしたい?」
「それなら、皆で夕食をとりましょう」
「かしこまりました。ご用意でき次第、呼びにまいりますので、部屋にてお待ちくださいませ」
メイドは一礼すると、階段を降りて行った。同時に、柚葉は大きなあくびをした。
休みながらも、五日間歩いて来たのだから、疲れが残っていた。
「じゃあ、夕食までは自由時間にしましょうか」
「そうしよう。じゃあ、後でね」
柚葉は眠るため、自分の部屋に戻り、扉を閉めた。
レイが自分の部屋に戻ろう扉を開けるが、ルシトは階段を降りようとしていた。
「どこに行く?」
「外で四護神を探しに行きます」
「夕食のときに、呼びに来ると言っていたが。外にいるなら――」
「いくら早くとも、一時間はかかりましょう。それまでには戻って来ますので、心配はいりません」
疲れがないわけではないが、一刻も早く国を救いたい思いがあるため、休みを惜しまずに少しの時間も四護神探しにあてるルシト。こんな行動を見て、「侵攻は嘘」だなんて思えなかったレイは、開けた扉を閉めた。
「俺も手伝おう。だが、夜は休め。約束してくれるか」
仲間を思うからこそ、出た言葉だった。
それに疲れていては、明日に支障が出てしまうだろう。
「ありがとうございます、レイ」
レイの気持ちを知ってか、ルシトは頷いた。
そして二人は、階段を降り、城下町に出て行った。
深夜に、事件は起きた。
だが、誰も事件が起きたことは知らない。
皆が眠りについている、そんなときだった。
柚葉は、ふかふかのベッドでぐっすり寝ていた。
たまにいびきをかきながらも、寝返りを打ち、気持ち良さそうに寝ていた。
そんなとき、柚葉の部屋の扉がノックされる。
一、二回のノックで起きる柚葉ではないが、鍵のない部屋だったので、ノックした人物はゆっくりと扉を開けた。
そして、ベッドの前まで来ると、毛布をかぶった柚葉の体を揺らして、起こそうとする。
そこでやっと目が覚めた柚葉だったが、寝ぼけ眼で、暗い部屋で誰が起こそうとしているのかわからなかった。
電気をつけるために起き上がろうとしたとき、聞き覚えのある声がした。
「今すぐ逃げんしゃい」
「……ライヤ?」
それはライヤの声だった。彼の口調は独特のもので、脳がはっきり起きていない状態でもすぐにわかった。
どうしてライヤが此処にいるのかは知らないが、その言葉に首を傾げる。
気持ちよく寝ていたのに、どうしていきなり起こされ、逃げなければならないのか。きっと夢だと思った柚葉は、再度寝ようと毛布を深く被ろうとしたが、ライヤによって止められる。
「お前さんたちはかなり危険な状況に立たされておる。だから、今すぐ逃げんしゃい」
「んー……言ってる意味が、わからない」
どうしても起きようとしない柚葉を軽々と抱え、お姫様抱っこするライヤの行動に、意識がはっきりと起きた。
「ちょ、ちょっと!」
「しーっ。大きい声を出しちゃいかんよ。次はお前さんの騎士たちを起こしに行くぜよ」
胸をドンドンと叩き、下ろすように言うも素直に聞くライヤではない。
どうして大人にもなって、お姫様抱っこなんてされなければならないのか。恥ずかしさのあまり、明かりをつければきっと、ゆでダコのように顔が赤いだろう。温かい布団で寝ていたせいなのか、体温が上昇しているようにも感じた。けれど、櫂人にされて以来、誰にも恋人らしい行為をされたことがない柚葉は、少しだけ憧れていたお姫様抱っこにドキドキしていた。
そんなことを考えているとは露ほども知らず、柚葉を小声で注意すると、ライヤは扉の入り口に立ち、外の気配を窺う。照明は消され、代わりに大きい窓から差し込む月の光が照らす。誰もいないことを確認した後、忍び足ながらも早い足取りで彼らの部屋に向かう。そこで柚葉を下ろし、レイを起こすように頼んだ。
状況を知らないが、「わかった」とだけ言うと、二人はそれぞれの部屋に入って行く。
「起きんしゃい」
「……何ですか」
ルシトは寝起きが良く、少し体を揺すっただけですぐに起きた。そして、姿が暗くて見えなくても、ライヤだと悟ると、少し身構える。
この状況でなぜライヤが此処にいるのか聞くより先に、ライヤが小声で話し出した。
「お前さんたちは今、危険な状況にある。今すぐ逃げるぜよ」
「何を言っているのですか。俺たちは此処で、王様の確認が取れ次第――」
「……王は、亡くなった」
ルシトには、一瞬でその言葉が理解できなかった。
だが、冷静さを失ってはいない。その言葉の意味を呑み込むように理解していく。
「詳しい説明は後じゃ。今はすぐに逃げることが先ぜよ」
「先程まで王と話していたんですよ。亡くなったなんて、そんなこと……」
「嘘でしょう」とライヤを疑うルシトだったが、扉の入り口には二人の人影が見え、それが柚葉とレイであるのがわかると、ベッドから降りた。
「ルシト、早く逃げよう!」
レイがどう思っているのかわからないが、柚葉はライヤを信じているらしい。
どういう状況かは知らないが、ライヤの言っていることが事実で、逃げなければならない状況なら、此処は立ち去る方がいいのではないかと考えた。嘘なら、それはそれで何とか対処できるだろう。
ベッドの下に置いてあるナップザックを取ると、ライヤに続くようにして部屋を後にした。
「で、説明してもらおうか」
ロセリア王国の城を出た一行は、城下町を離れ、セシール王国に向かってしばらく歩いたところにある小さな宿屋にいた。
深夜に来たのに関わらず、運よくその宿の主が起きていたため、宿泊出来た。しかも、通常の半額で。
一部屋しか開いていなかったため、その部屋に全員集合していた。
ベッドに深く座る柚葉は、壁に背を預ける。ルシトとライヤは、丸椅子に腰かけ、レイは入口の扉に背をもたれるようにして立っている。
「ルシトには言ったんじゃが、まず、王が死んだ」
「なっ……」
二人はライヤの言葉に、衝撃を受けていた。同時に、柚葉の体から力が抜けていく。だが、ルシトは彼を疑っていた。
「なぜ、王が亡くなったとわかったのですか」
「この目で見たんじゃ。王は倒れ、口から血を流していたぜよ」
町人であるライヤが、王の死を見たなんて、犯人はライヤじゃないのかと、ルシトは考えた。それはレイも同じだったらしく、怪訝そうに首を傾げている。
まず、何故ライヤがそのときに城内にいたのかも、理由が思いつかなかった。
「お前さんたちが疑問に思うことは多いじゃろうが、これだけは言えるぜよ。俺はやっていない。信じてくれんか」
「信じろって、どうやってだ?俺たちはその光景を見てはいない」
「……これでどうじゃ」
そう言って、覚悟を決めたようにライヤは、襟で隠れていた首の後ろを皆に見せた。
柚葉はベッドから降り、ルシトの隣に来て、それを見た。
「お前だったのか!」
そこには、波と雨を模った、青い紋章があった。
ライヤは四護神の一人、海の護神であることが証明された。
「こんな刺青を入れた覚えもないもんでな、驚いたんじゃが。やはりお前さんたちの求めるもんじゃったな」
人に見せたくないと、やけに高さのある襟で首元を隠していた。一か八かで見せた結果、彼らの驚嘆する様子からして成功したようだ。だが、開いた口が塞がらないと同時に、ルシトはほっと、胸を撫で下ろしていた。これでロセリア王国にいる意味もなくなる。
だが、誰も何も言わない。逆の立場なら確かに、出会ったばかりの人の言うことなんて自分でも信じないだろう、そう考えた。だが、その思考を裏切ったのは、柚葉であった。
「私は、信じるよ」
「待て。四護神であることと、その事件が事実であるか否かは別に考えるべきだと思うが」
「今さら言っても、信じてもらえないかもだけど、ライヤが四護神でなくたって、信じるよ」
柚葉は王の死に本当にショックを受け、今は力なく笑うことしかできなかった。
そして、ルシトは先程の行動を見ても柚葉が、その言葉通りライヤを信じていたのを知っている。
ライヤには、その言葉が嬉しかった。相変わらず落ち込んだりする様子は見せないが、心の中で信じてくれる人がいたことに、安堵のため息をついた。
「……そうですね、信じましょう」
此処で疑っていては、何も始まらない。柚葉の意見に折れたように、同意するルシト。アゼ―レ侵攻の事実を疑わない柚葉の態度に、救われたこともあるルシトは、あれこれ考えるより、今度は自分が信じてみようと考えを持ち始めていた。
レイは相変わらず、信じていないようだったが、彼も皆に従うことにした。
まず、ライヤにはアゼ―レ超大国がパルテノン帝国侵攻されたこと、戦神子である柚葉を守る騎士的存在が四護神であること、そして、共についてきてほしいと話した。
最初は何の話か理解できなかったが、快く了承したライヤは、今回の事件で知っていることを話した。
「恐らく、外傷はなかったことから、毒殺じゃと考えられる」
「犯人が誰か、目星はついているのか」
「……城内の誰かということはわかっとる。この近辺で手に入る毒薬は、大抵体に入れてから三時間で効果が表れるんじゃ。深夜二時くらいに王が倒れたのを見たから、二十三時頃に毒が盛られた飲食物を取り入れたのじゃろう」
その頃には柚葉は寝ており、レイも部屋にいた。ルシトは、四護神の手掛かりになる情報を得るため、城内で聞き込みを行っていた。だが、柚葉とレイは自分以外で、誰もそれを証明する者はいなかった。
「俺たちが犯人だと疑われていることが、危険な状況と言うことか」
「まあな。推測通りなら、明日の朝にでもお前さんたちが王を殺したことにされておるじゃろう」
「ちょ、待ってよ!私たちは人を、ましてや王を殺すなんてこと、絶対しない!」
冷静に状況を理解するレイとは逆に、すぐさま否定する柚葉は、身を前に乗り出してライヤに訴えた。
「もちろん、そんなことは知っておる。だから、助けたんじゃ」
ライヤが三人を助ける理由など、どこにもないはずだ。
一日に二回会い、そのどちらも良い別れ方などしなかった。むしろ、嫌悪を持たれても不思議ではない。
「でも、何で助けてくれたの?」
「お前さんたちは人を殺すような瞳をしとらん。それに、冤罪は良くないぜよ。それだけの理由じゃ」
「そっか、ありがとう」
礼を言うと、話題を変えるように、「ま、これからもよろしく頼むぜよ」とルシトの肩に手を置いた。
笑みを浮かべているライヤに、ルシトは「わかりました」とだけ言った。
「でも、ライヤはいいの? ロセリア王国の大事件を知りながら、旅できるの?」
「俺はあの国の者だが、今は違う。お前さんの四護神じゃ。俺の役目はお前さんを守ること、そうじゃろ?」
ルシト、そしてレイに目を向けると、二人とも、レイは渋々だがこくりと頷いた。
王が亡くなったことで、ルシトはアゼ―レ超大国の現状も知ることができなければ、協力も要請できない。だが戻ったところで、捕まるのなら仕方ないと思った。次の目的地である、セシール王国に向かった方が良さそうだ。
「王が亡くなった、犯人が私たちであるという情報は、セシール王国にも伝わっていますでしょうか」
「今朝、ロセリア王国の貿易商人が発ったため、次にこの国を出るのは三日後ぜよ。此処からセシール王国までは、聞いたところによるとおよそ二日かかる。よって、五日以内に最後の四護神を探せば大丈夫じゃが……」
『伝鷹』を使われたら徒歩でかかる時間の半分もかからずに、他国へと情報が伝わってしまうが、彼いわくロセリア王国は鷹は飼っていないとのこと。ライヤは腕を組み、への字に口を曲げた。「他に問題があるのか」とレイが問うと、ライヤは重々しく口を開いた。
「どうしても、わからんのじゃ。あのアゼ―レ超大国が侵攻され、支配されたのならすぐにでも、その情報が各国に伝わってもいいじゃろう。だがなぜ、どの国も伝わっていないのじゃろうか」
「そうだね。でも、戦神子の伝説が本当なら、最後の四護神を仲間にして、早くアゼ―レ超大国を助けに行った方がいいんじゃないかな?」
「そうだな。とにかく、アゼ―レ救国のために行動しよう」
「皆さん……」
仲間が皆、故郷でもなければ、事実である証拠は、ルシトの傷痕くらいしかないのに、アゼ―レ超大国を救うため、何をすべきか考えている。そのことに、何故か涙腺が緩みそうになるルシトは、泣くのをぐっと堪えた。仲間のことより、アゼ―レの救国を優先に考えていたルシトは、仲間を思う言葉を口に出した。
「さすがに疲れましたね。少し休んでから、此処を出ましょう」
ルシトの口から出た仲間を労わる言葉に、レイは少し驚きながらも、柚葉は「そうしよう」と賛成した。
そうして、寝る準備に入った一行の宿の外では、一人の男が立って、明かりのついた窓を見上げていた。
夜に溶け込むような紺色のコートを身に纏い、フードを深く被った男は、動く気配もなく、窓の向こう側にいる柚葉を見つめている。
(可哀そうな戦神子、己の悲惨な運命も知らずに――)