一話 恋い慕うからこそ
紺色の髪が、夜風に撫でられる。回復したとはいえ、未だに傷跡の残る顔が、安心したかのように眉根を寄せた。足音の正体は、ルシトだった。
「探しましたよ」
涙を隠そうと袖で拭う姿を、背で隠しながら、鼓動が高鳴るのを抑えようと深呼吸する。柚葉の想い人は、彼である。
いつもなら明るい笑みを見せてくれる彼女の行動に、疑念を抱いたルシトは、顔に当てた手を優しく取り、涙痕の残る顔を目の当たりにする。
「……俺のせいですね」
「え?」
岸辺に腰を下ろし、遠くを見つめるような目で、ごめんなさいと呟いた。
「なんで謝るの?」
「貴女の事情を知って、それでも私は悩んでいました。貴女の命を選ぶか、アゼーレ超大国を救うのを選ぶか」
誰にも話していない、死の運命をなぜ知っているのだろうか。もしや、幻が話したのだろうか。
「ですが、安心してください。私は決めましたから」
穏やかな笑みを柚葉に向けると、握っていた手を膝の上に返した。ルシトは、アゼーレ超大国を救うために此処まで旅をしてきた。その目的と自分の命が、彼の中で同等に位置することだけでも嬉しかった。しかし、その言葉に期待をしてしまう柚葉が、先を待つ。
「どちらも救います。アゼーレ超大国も、貴女も」
「そんなこと、できっこない」
「いいえ、可能性はあります。パルテノン帝国には行かず、アゼーレ超大国に向かいましょう」
しかも、それは既に四護神たちの中で決定事項としているらしい。彼らの見立てでは、アゼーレ超大国を裏で牛耳っているパルテノン帝国のアーネスト王が、アゼーレにいるとのこと。
「私の命一つで、アゼーレ超大国が救えるんだよ」
「いいえ、それは私も、皆も望んでいません。きっと、ディアだってそう思っているでしょう」
ディアは、ルシトにとって大切な人物の一人。彼の恋人であり、パルテノン帝国の侵攻を受けて亡くなってしまった。そして、ルシトは今でも彼女を想っているに違いない。
自分は死ななくて済む、その安堵感に浸りつつも、同時に、叶わない恋の現実を知った。
「明日は早いです。早く戻りましょう」
「うん、すぐ行くから、先に帰ってて」
柚葉の表情が晴れない理由を知らないルシトは、それを了承して再び森へと消えて行った。
(何やってんだろ、あたし)
自分が犠牲にならなくても、国を救える可能性があることを知って、嬉しかった。けれど、手を上げて喜ぶ気など起きなかった。
柚葉もルシトと同様に、愛する人を失った経験がある。そのときの悲しみは嫌と言うほどわかっている。自分も死して櫂人の後を追おうとカッターを手首に宛がい、櫂人を想ってはベッドに頭を伏せていた時期もあった。
けれど、ルシトは悲しみに暮れる時間がなかった。母国を救うため、涙も流さずに此処まで来た。それに、彼女を亡くしてから1ヶ月も経っていない。
悲しみは相当深いに決まっている。再び誰かを想うことに対しては、柚葉だって6年という月日がかかったのだ。そんな相手を恋い慕っても、ディアのことを考えれば、ルシトの事を思えば、言葉になんてできない。
(ルシトはそれどころじゃないんだ。絶対に、伝えちゃだめだ)
ルシトの故郷を救うことに専念しようと決意し、地面に手をついて立ち上がった。再び溢れそうになる涙をぐっと飲み込んで、抑える。
月が映る水面は、風で揺れていた。
そして、朝がやって来た。妖精の森を発ち、アゼーレ超大国に向かう一行は、向こうでの行動を再度確認していた。
「王をぶったおすのは、俺たちだよな」
ロッカスが、ルシト、レイを見やる。
「そうじゃ。地下牢にいるであろう王様は、柚葉と俺が救出するぜよ」
アーネストがどんな能力を持っているのか不明である今、戦闘に特化した魔法を使える三人が対峙するのがベストであり、かつ王の他にも捕えられている負傷者が数多くいることを想定すれば、回復魔法に特化したライヤ、いざというとき攻撃魔法も扱える柚葉が救出に行くことが一番の策だと考えた。
しかし、それに納得いかないのは、柚葉だった。
「どうした、柚葉」
レイが柚葉の隣に来ると、その顔を窺う。唇を噛みしめ、不満が垣間見える表情に、首を傾げる。
「本当に、それでいいのかな」
「どういうことですか?」
最前を歩いていたルシトが振り返る。すると、柚葉は策の思案者のライヤに顔を向けた。
「敵は、王一人なのかなって。他にも警戒するべき相手がいたら、これで突破できるのかなって」
「確かにな、これは俺の安易な考えから生まれたもんじゃ。単に、王の周りには強固なガードが張られている、きっと地下牢の方の守りは薄いってな」
こういうことはライヤに任せるのが一番だとわかっていても、柚葉は心のどこかで納得いかなかった。単に、ルシトと共にアーネストを倒せないことが嫌だったわけじゃない。大好きな人の故郷を救いに行くのだから、深く考えてしまう。必ず上手くいく保証はなくても、成功確率は少しでも上げたい。
「ケイルみたいなのが複数いたら、どうすれば」
「蹴散らすだけだろ、んなもん」
ロッカスが自信満々に言ってみせる。
「ちょっと弱気になってねえか? 目の前に敵がいたら、ぶっ潰す。それでいいだろ」
「う、うん」
だが、あながち柚葉も間違っていなかった。最悪の想定は幾らでもしておくべきなのだ。それに備えられるなら、それが最善の策になり、成功の確率を上げることに繋がるからだ。
「じゃあ、これでよかね?」
「そうですね」
王討伐組に入りたい気持ちを拭えない柚葉は、渋々了承する。これ以上、輪を乱すようなことをしてはいけないと自覚しつつも、やはり考えてしまう。
実際、柚葉が王救出組に入ったのは、四護神たちの別の計らいもあった。パルテノン帝国は戦神子である柚葉を欲しがっているのだから、彼女を王に会わせるわけにはいかない。もし敗北なんてことがあれば、彼女は彼らの手に渡ってしまう。それを最も恐れていた。
「王をぶっ倒しにいこーぜ!」
「柚葉、あっちでは俺の手を離しちゃいかんよ。彼の国は広いと聞く、迷ったりしたら――」
さりげなく柚葉の隣に来ると、ライヤはその手を握ろうとした。そのとき、手を勢いよく叩き落とされる。
「今も後もつなぐ必要などないだろうが」
「何しよるんじゃ、痛いじゃろ」
「ありがとう、レイ」
「そ、そんなこと言わんでも」
「お前らうるせぇよ!」
アゼーレ超大国は、荒んでいた。緑豊かで花の咲き誇る街並は、その影を残していない。枯れた草さえ生えておらず、乾いた地面には砂が舞い、崩壊しかけた建物が並び、栄養失調で痩せ細った住人らしき人の死体が、転がっている。その中には、ルシトと二人でマール王国に向かうとき、出会った商人らしき人もいた。前の面影は服装と、乾きぼさぼさになった髪の色、握りしめた力兎の毛しかない。
やはり止めておくべきだったと、改めて後悔するルシトは、ごめんなさい、と心中で謝罪した。
この光景を目の当たりにしてから、誰もが声を出せずにいた。それでも城は、この町を越えなければたどり着けないため、無視もできない。柚葉は、ルシトの様子を心配して、隣を歩く。何度も立ち止まっては、唇を噛みしめて前へ進む。心の中で、黙祷しながら、柚葉も歩みを進める。同時に、絶対に救ってやるという思いを強く持った。
城下町を抜け、現れたのはどの国の城よりも大きくそびえ立つアゼーレ城。今や、風に翻る国旗は黒く、パルテノン帝国の象徴である剣と盾の紋章が描かれている。
「裏で牛耳っているんじゃなかったのかよ」
「派手に表立ってるな」
門は開かれており、門と玄関扉を繋ぐ橋も降りてあった。まるで、五人を招待するかのように、門兵もいない。
「ルシト、絶対に、この国を救おうね」
「もちろんです」
一行は、門を抜け橋を渡り、扉の横にあるレバーを引き、重厚のある木扉を開けた。そして、明かり一つも灯っていない、闇の城内へと足を踏み入れる。五人が入れば、扉は勝手に閉ざされた。
「【火の気:火球円】」
レイが唱えると、一行を囲うように、火の玉が浮かび上がる。同時に、辺りの景色が見えるようになった。
「レイ、ありがと――」
それは、一瞬の出来事だった。風が吹くと同時に、柚葉の意識が失われた。唯一、それが手刀であることを悟り、捕えようと手を伸ばしたロッカスが、空を掴む。気付けば、階段を上った先にいる黒いローブの男が、柚葉を抱えていた。
「この娘以外は、用済み……と言いたいところだが、ルシト、助けたくば、空中庭園に一人で来い」
「……まさか、フェスト!?」
「同じ苦しみを、味わうがいい」
一歩後ろに下がれば、闇に紛れて姿が見えなくなる。
「あいつ、相当の使い手だ。ここは俺が」
「いや、俺に行かしてください。一人で」
「何言ってるのか、わかってるのか? そこに行ったって、柚葉がいる確証なんてない」
レイが説得しようとするも、ルシトは行くの一点張りで、既に階段を上ろうとしている。
「いや、行かせてあげんしゃい。奴と因縁でもあるんじゃろ」
そして、フェストという男を一見して、ライヤは柚葉の安全を確認した。ルシトを何らかの形で恨んでいることから、嘘などつかず、罠の可能性も低く、きっと、柚葉も空中庭園にいるだろうと判断する。
こうして、ルシトは空中庭園、ライヤは地下牢、レイとロッカスが謁見の間へと向かった。




