最終話 一緒に、行こう
高い城壁に囲まれたパルテノン帝国は、不気味に静まり返っていた。レイは柚葉を地面に下ろし、歩を遅め、辺りを警戒しながら城内への入口に向かう。
唯一の入口であるアーチ型の門に着けば、鉄扉の前で待機していた一人の門番が近寄って来る。レイは、いつでも排除できる態勢で、腰に下げた剣の柄を握る。
「グロリアサマノ、キャクジンデスネ」
「な、どうして」
「おそらくこいつは、奴の部下なのだろう」
色白で無表情の男は、とても気味が悪かった。手首足首には錠痕があり、死人のように生気がない。ロボットのように片言の言葉を添え、男は軽々と、重々しい鉄の扉を開けた。
「コチラヘ、ドウゾ」
先を行く門番に、二人は警戒しながらも、後をついていく。
街中の雰囲気は、闇を連想させる。マール王国の城下町など比ではない。あれは、まだ人間味があった。だが、此処は生気がない。実際、黒いローブを身にまとった住人たちが右往左往してはいるが、話し声すら聞こえず、潜めるような息遣いが、この町に流れる唯一の音。思わず、レイの裾を掴んだ柚葉は、住人と目を合わせないようにただ前だけを見つめて歩く。
暗い廊下を歩き、螺旋階段を下る。壁には火の灯った蝋燭が一定の間隔で足場を照らしている。
「レイ、これって罠じゃないかな」
「その可能性もある。だが、今は奴に従わないとミーシャが」
「うん、そだね。ごめんなさい」
前を歩くレイの背を追いかけるように、一段飛ばしで降りていく。その背中越しに見える生きる屍のような門番を見つめ、柚葉は、あることに気が付いた。
(この人、息をしてない!)
住人でさえすれ違い様に、息遣いが聞こえた。しかし、最前を歩く門番から呼吸音が全く聞こえない。そこから、考えたくない結末を思い浮かべた。
それを口にするかどうか迷っているうちに、三人は下りきった階段の先に広がる大広間に辿り着いた。壁全面には牢があり、壁の高さを測るため見上げるが、先は見えない。点々と不気味に浮かび上がっている蝋燭が、この広間の照明であるが、天井は闇に閉ざされていた。
その中央には、黒いローブを纏い、フードを外した一人の女性が立っている。眼鏡をかけ、毒々しい色の髪を後ろに束ねた彼女の表情は見えない。
「よかったわ、生きて連れてきてくれたのね」
役目を終えると、門番はその場に崩れ落ちた。関節が綺麗に折れ、人間らしい死に方ではない。まるで、操り人形のようだった。
「彼女は渡さ――」
「私は、貴女の命に従うよ。だから、先にミーシャを返して」
「ゆ、柚葉っ!」
「何言ってんの、馬鹿じゃないの? そんな策に引っかかると思う?」
グロリアが脇に挟んでいたノートパソコンを開き、電源を入れた。
「戦神子が先に来るなら、そいつは殺さないでいてあげる。さぁ、早くこっちへ来なさい」
「うん、わかった」
向こうの条件を呑まない限り、こちらの条件を受け入れてはくれない。大好きな人の妹を助けるためならと思い、柚葉は一歩踏み出した。そのとき、レイは前に行く柚葉の肩を掴んだ。
「レイ、行かせて。じゃないと、ミーシャが」
「俺は、誰も犠牲にしたくない。それに、俺はお前を守るために存在する四護神だ。だから、ここからは俺が――」
「そう、刃向う気なのね。それなら仕方がないわね」
にたあっと笑みを浮かべたグロリアは、片手でパソコンの底面を支え、手際よく打ち込んでいく。
嫌な予感がした柚葉は、【風の気:足速上昇】を唱え、彼女の動きを止めようと試みる。
「ふふふ、私のコレクションになって頂戴」
まるでピアノを弾いているかのような手つきで打ち終えると、金属音の擦れる音が幾重にも響いた。同時に、無数の牢が開いた。
「レイっ!」
牢の中に閉じ込めていた獣が襲い来るのだろうかと身構えながら、グロリアを注視する。
すると、指揮をするように両手を縦横に動かした。それに合わせるように、牢の中にいたモノがのそのそと出てくる。それらは全て、人間だった。だが、先ほどの門番同様に色白で、生気がない。顔が潰れているものがあれば、両足を失くし、両手だけで床を這う者もいた。どんなに高いところから落ちても、ぐにゃりと足を曲げ、死ぬことはない。どの眼球も、すべて柚葉、レイに焦点を合わせている。
急いで柚葉のもとへと駆け寄ったレイは、炎を纏った双剣、希望の剣を抜き差し、気味の悪いそれらに対し殺気を放った。だが、恐れる者など誰もいない。
「あれらは、死人!?」
もはや人間ではないモノたちが、群れをなして襲い掛かる。
「【火の気:灼熱】」
火葬の意味も込めて、柚葉は近づいてくるモノたちを燃やし尽くして灰と化した。けれど、滝を流れるように落下してくる人の形をしたモノの波は、絶え間なく続く。
消しては押し寄せる波を分け、未だ指揮を続けているグロリアを見つけると、柚葉は背後にいるレイに声をかける。この状況を打破するには、グロリアの動きを止める他ない。
「私が、道を開く! だから、グロリアを!」
「わかった!」
先を行く柚葉の後を追いかけるレイは、柚葉の魔法によって燃やされたモノの上を駆けながら、横から近づくモノを斬り裂いていく。グロリアと自分の位置を把握しつつ、一気に間合いを詰めれる距離になった瞬間、レイは思いきり地面を蹴り、柚葉の頭上を飛び越した。
その向こうに平然と立っているグロリアに剣を振りかざす。
「【火の気:焔斬】」
剣筋が一度触れれば、その者に消えない炎が付き纏う。死ぬまで、消えることはない。
「本当に、いいのね」
「なっ!」
レイとグロリアの間に立ち塞がった人物を見て、レイはすかさず太刀筋を変え、グロリアから反らした。
「ミーシャ!」
光のない闇に染まったかのような両目に、レイが映る。だが、反応はない。唯一、他のモノたちとは違い、生気のある肌色をしていた。その姿に安堵しながら再度見やると、彼女の両手には体格に合わないくらいの大きな斧が握られ、屈んだレイを冷めた目で見下ろしている。
「両腕を断ちなさい」
グロリアの命令一つで、無機質な動きで、容赦なく振り下ろす。慌てて後方に飛び避けたレイが居た床に、斧が突き刺さり、地面が割れた。
「ミーシャ! 俺だ、目を覚ませ!」
呼び掛けても、返事はない。突き刺さった斧を、容易く引っこ抜くと、再びレイを見つめた。なんの感情も感じられない眼差しに、レイは言葉を失う。
(レイ、その人は、もう)
モノたちを排除しながらも、柚葉は言えなかった。螺旋階段を下った時に過った、最低最悪の結末が浮かぶ。他の傀儡を見れば分かるように、おそらく、ミーシャは――
「レイ、下がって!」
「えっ」
斧を引きずりながら、チーターのような早さで、一瞬で間合いを詰める。
そして、重い斧を持ち上げる。
「ミーシャ……」
隙はいくらでもあるが、妹を攻撃できるはずがなかった。戦意を喪失したことを悟ったように、剣から炎が消えていく。レイの身の危険を感じた柚葉が、勢いよく地面を蹴り、彼のもとへと向かう。
「【天の気:天雨雷光】」
空中に現れた魔法陣から放たれる光の矢雨が、ミーシャに向かって降り注ぐ。
斧を振りかざすより早く、避けてくれると願っていた。だが、それは柚葉の誤算だった。
「イッショニ、イコウ」
口角をあげたミーシャが怪しく微笑むとき、振りかざされた斧を避け、レイはミーシャを守るために盾となった。
「レイっ」
柚葉の放った魔法を受けたレイが、その場に崩れ落ちた。その様を横目に、ミーシャは斧を引っこ抜く。
「ヒトリ、サミシイ。イッショニ、イコウ」
再び斧を振り上げるミーシャは、動くことのできないレイに向かってそれを振り下ろす。
まともに攻撃魔法食らっては、レイでも立ち上がることはままならない。
「ミーシャ、俺は」
「イッショニ、イッショニ……」
「行けない」
必死の思いで双剣を取り、斧を受け止めた。妹の姿に目に涙を浮かべたレイは、ふと息を漏らす。守ってやれなかった自分が許せない。明るい笑顔を二度と見ることは叶わないことが、妹が死んでしまったことが悲しい。あの事件のせいで迷惑をかけたのにも関わらず、手紙をよこすなど自分を心配してくれた妹に何もしてやれなかったことが悔しい。唯一の血の繋がりを持つ妹を失ってしまったことが、つらい。
柚葉は、動けずにいた。無数に湧いてくる周りのモノたちの処理を止めてグロリアを攻撃すれば、モノたちは動けないレイに襲い掛かるだろう。加えて、操作者のグロリアを殺してしまえばミーシャの動きも止まってしまう。今、レイはミーシャと向き合っている。だから、邪魔をしてはいけない。
「【水の気:治癒水】」
隙を見て、レイに向けて魔法陣を飛ばした。柔らかい光の粒子が生まれ、レイの傷を塞いでいく。
「俺は、あの人を守らなくちゃいけない。だから、ミーシャとは行けないんだ。ごめん」
「オニイチャン、イッショニ、イッショニ」
斧を弾き飛ばし、それに気を取られたミーシャに対して、レイは剣を向けた。頬には、涙が流れる。
「ごめん、ミーシャ、本当に、ごめん!」
「オニイ、チャン、オニイ、チャン」
「せめて、俺が、終わらせるから」
後ろに退こうとするミーシャの行動を許す前に、その柔らかい体に双剣を突き刺そうとしたそのとき、意を決したはずのレイの動きが止まる。既に人でなくなったとしても、妹を刺せることなど到底できるはずがない。
震える手の上に、一回り小さな手が重なる。
「私も、一緒に」
レイを見やり、共に頷くと、ミーシャの目を見つめた。重なる手を介して柚葉の気がレイに流れ込む。
「【天火の気:飛雷獄炎】」
柚葉とレイを光のオーラで覆い、双剣に集めた気は、何もかもを燃やし尽くすかのように一気に爆発した。その一瞬は、とても長く感じた。
「アリガトウ」
「っ!」
徐々に姿を失っていくミーシャは、最後に幼い頃から変わっていない明るい笑みを見せた。手を伸ばそうとするレイの腕を掴んだ柚葉は、ただ涙を流すレイの視線の先を見ず、そっと目を伏せた。その心情を察して、かける言葉など見つからなかった。
同じ空間に存在する二人以外の全ての生き物を滅し終えた後、柚葉は辺りを見回した。灰さえ残らない痕跡の無さに今まで起こったことが夢なのではないかと錯覚する。グロリアも、魔法の餌食になっただろう。
レイはその場に屈み、ミーシャの居た場所を見つめる。手の届く場所にいた彼女は、もういない。死人となってなお操作され利用されていた彼女を解放したと考えれば、少しは気持ちも軽くなるかもしれない。だが、此処まで来るのに大切なものを多く失ったレイは、堰を切ったように、地面を掴むようにして泣き叫んだ。
その様子を隣で見つめる柚葉ができることは、彼の隣にいて、支えることだった。今まで我慢していた気持ちを吐き出しているのだから、気が済むまでそのままにしてあげよう。レイの背中に手を伸ばし、優しく上下に摩る。
アーネスト王を捕え、アゼーレ超大国の王を救った一行は、救世主として祝宴に招待された。三日三晩のそれが続いた後、各々は故郷へと戻っていく。そして、役目を終えた柚葉もまた、帰界しようとしていた。
妖精の森、召喚された魔法陣にて。
「柚葉、本当にありがとうございました。何てお礼を言えばいいのか」
「ううん、ルシトの故郷を救えてよかったよ」
本来ならば、アゼーレ超大国の盛大な見送りが予定されていたが、そういうことに慣れていない故、恥ずかしく、柚葉は夜が明けぬうちに帰ることを望んだ。
柚葉は魔法陣の中心に立ち、ルシトは陣外で別れを惜しんでいる。
「また、いつでも呼んでよ。……なんてね」
柚葉は、二度とこの世界を訪れることはできない。本来ならば、世界と世界の境界を越えることは許されないからだ。それをわかっていてもなお、この世界に来たかった。また皆で旅をするのもいい、各国を回るのもいい、そして、次に思い浮かぶことを振り払うように目を閉じると、ルシトは心配そうに見つめた。
「此処に残っていいんですよ、貴女はこの世界を救った救世主様です。もしそうなら、アゼーレ超大国に住んでも――」
「ありがとう。気持ちだけ、受け取っとく」
何度も持ちかけられた話を再度断る。確かに、此処に残れたらどれだけいいだろうか。だが、現実世界での仕事が溜まっているだろうし、いや、むしろ無断欠勤が多くてクビになっているかもしれないが。それに、このままレイを想っても、彼にとってただの重荷になるのではないかとこの三日三晩で考えた。今の彼には、恋愛など視野に入るわけがない。
「そう、ですか。柚葉、また会いましょう」
「またね、ルシト。皆に、よろしくね」
互いに寂しそうに笑みを浮かべながら、ルシトは帰還の魔法を詠唱する。同時に、地面に描かれた魔法陣が光を放ち、浮かび上がる。
寂寥の思いを胸にしまい、柚葉は目を閉じた。眩しい光に身を任せ、心の中で様々なことを思い出す。そして最後に行き着くのは、やはり彼のことだった。
彼のためと思って決めた行為が、こんなにも苦しいなんて、知っていた。陰で何度も涙を流した。それでも、彼のためならと押し通した結果、これなのだ。
この世界に居たい、彼のそばに居たい、彼を支えたい。今さらになって、また決意が揺らいだ。
「あっ、ダメです!」
最後に聞こえたルシトの声が、柚葉の耳に入った。何が起こったのか知る由もなく、目の前は急に真っ暗になった。
閉じた目を開ければ、そこは自分の部屋だった。そう、戻ってきたのだ。そしてふかふかしたこの感触は、ベッドだ。今までが夢だったかのように、柚葉は布団を被っていた。服装も、お気に入りの水玉のパジャマだった。
本当に、夢だったのだろうか。今さら、確かめようがない。
「……っく」
夢にしては、リアルだった。いや、現実とはかなりかけ離れている世界ではあったが。
胸に残る思いは、そう簡単に拭えない。そんなに入れ込むような夢なんて、経験がなかった。
「レイっ」
好きな人の名前を呼ぶ。それだけで胸が、こんなにも苦しい。苦しくて、嗚咽が漏れる。もしかしたら、レイという名前も、空想上の男なのかもしれない。
それでも、彼を想う気持ちは彼女に深く根付いていた。それは、根こそぎ引っ張って取れるようなものじゃない。
今日は何曜日だろう、何時だろうなんて、考える余裕はなかった。いや、むしろどうでもよくなっていた。どっちにしろ、今日は休むつもりだった。この部屋に放置していた携帯さえ、見る気もなかった。
「おはよう」
「おはよ……!?」
それは、突然のことだった。声の主を探そうと上体を起こした時、もぞっと隣で動いたのがわかった。川崎か、いや、絶対に違う。彼には合鍵を渡していないし、でも、連絡付かなくて心配になって大家に無理言ってここに入ってきたのかもしれない。とてつもなく嫌な予感がした。
「よかった」
「……っ!」
その言葉に、ひどく安心する自分に気付く。この声は、間違いない。
「レ、イ?」
ゆっくりと、声の主の方へと振り返る。すると、そこには行儀よく横たわっているレイがいた。相変わらず前髪で片目は隠れている。
「間に合って、よかった」
「え、で、でもっ、どうしてっ」
レイは、マール王国を復興すると言って、昨夜、アゼーレ超大国を発ったばかりだ。もう二度と、会えないと思っていた。
「失くした大切なものより、俺は、今ある大切なものを守ることにしたんだ」
「えっと……それは……」
理解したいような、でも勝手に勘違いもできないような、そんな感覚に襲われる柚葉の両目を見つめながら、上半身を起こしたレイは、その手を優しく握った。
恋愛経験のないレイが頬を真っ赤に染め、一瞬だけ目を逸らすも、意を決したように再び視界の中心に柚葉を入れる。
「愛してる」
その言葉に、ドキドキしながらも柚葉は、すぐに頷いた。そして、「私も」といつもより甲高い声音で答えた。
こうして、結ばれた二人の行く末に立ちはだかるものは、川崎のこと、仕事のこと、櫂人と住むはずだったこの家のことなど、数多くある。けれど、幾多の苦難も乗り越えてきた二人なら、きっと越えていけるだろう。幸せな未来への一歩は、既に踏み出しているのだから。
その絆、どうか永遠に。




