二話 残虐な裏人格 ルイ・ウルコフ
柚葉が読み終えるのと同時に、クレール王妃は日記帳を閉ざした。
(レイのことを、愛していたんだ。しかも、ずぅっと、前から)
旧知の仲であり、彼女の片想いを知った柚葉は、思ってはいけないと思いながらも、少しだけ安堵する。まだ、自分の入る余地がある。けれど、そんなことを知っても、この先の未来は変わらない。
いや、今考えるべきは違うことだと改め、記載されていた気になるフレーズを思い出す。
(昔のことって、何だろう)
おそらく、それがレイの嫌われる理由の原因なのだろうと推測できる。
だが、詳細は載っておらず、それを知ることは叶わなかった。
「ごほっ、ごほっ」
急にむせ始めたクレール王妃は、両手で口を覆う。その様子を聞きつけ、扉の前で待機していた二人の侍女が飛び入ってきた。
「王妃様!」
「これをお飲みになってください! 痛みと咳が収まりますから」
侍女が飲み物と薬を差し出すも、クレール王妃はすぐに拒否し、苦しそうに眉をしかめ、咳を続ける。そんな王妃の両手の指と指の間から、赤い液体が甲を沿って流れていく。紛れもなく、それは血だ。
「飲まなきゃダメだよ!」
後方から見守るも耐えれず、柚葉は王妃の真正面に回り、身を乗り出して説得しようとする。もちろん、その声は届かない。
「ごほっ……貴女なら、わかっていただけますね」
正面を向きながら話すクレールと、柚葉の視線が合う。一瞬、自分に向けられた言葉だと錯覚するが、こちらの姿が見えるはずはない。
「ですが、王妃様にはこの国を守ってほしいのです、私たちを、王様を手放さないでほしいのです!失礼だと思われようが、こちらの気持ちもわかってくださいませ!」
何十年もこの城に勤めたであろう、年老いた猫背のメイド長が、涙ながらに眼前に薬を差し出す。それでも、苦痛を我慢して微笑む王妃は、断固として受け取らない。
(死にたくなるほど、つらいんだ)
王妃という地位のプレッシャー、偽りの愛から逃れたいという思いだけで、人は死ぬことを選択できるのだろうか。いや、それだけではない。川崎という上辺だけの彼氏がいる柚葉には、彼女の思いがわかる気がした。愛される幸せより、愛する幸せを求める柚葉同様、王妃も同じ気持ちなのだろう。
(でも、王妃が亡くなったって、誰も助からないんだよ)
柚葉の場合、死の代わりにアゼーレ超大国が救われる。だが、王妃の死の代償に得られるものは数多の国民や王族たちの悲しみだけ。マール王国が溶岩流に襲われ壊滅し、皆が亡くなる未来を知っていても、やっぱり死なないで欲しいと願う。
心配そうな瞳で見つめる二人の侍女を見て、やっぱり考え直して欲しいと、掴めるはずのない細く白雪の様な手に自身の手を伸ばす。
そのとき、糸が切れたように王妃の意識は無くなり、重力に押されぐったりと倒れる。
「お、王妃様! 王妃様っ!」
青白い顔は、目を伏せたまま穏やかな笑みを浮かべ、手は鮮やかな血に染まり、白いベッドに点々と血の華を咲かす。
櫂人の死の現場がフラッシュバックし、なぜか王妃と重なる。
侍女はすぐさま呼吸の有無を確認し、同時に脈を測る。二人が目を合わせ、手首から手を外した侍女が、悲しげに頭を横に振った。
「ダメだよ、行かないで! 【水の気:治癒水】」
何が起こっているのか理解できない柚葉は、目の前の光景を信じまいと、治癒魔法をかける。けれど、ここは地を司る大男の手中であり、もちろん魔法は使えない。
「王妃様、起きてください! 王妃様ああっ!」
溢れる涙はどこまでもすり抜け落ちていく。手を伸ばし、力無くした腕をつかもうとするも、捉えることはできない。
命の恩人であるクレール王妃の死を目前にした柚葉は、その場に崩れ落ちる。まさか、彼女の死の原因が病だとは、思いもしなかった。この事実を知ったレイは、どんな思いを抱えているのだろうか。試練以来ずっと黙っている理由が、わかった気がした。旧友であり、自分のことを想ってくれていた人がこんな形で亡くなれば、より一層悲しいに決まっている。
美しい死に顔から目を反らすように、ぎゅっと目を瞑る。
「おい、柚葉は何処だ?」
今は夜明け前。一番に起床したのは、ロッカスだ。消火された焚き火を囲い、寝ていた仲間たちの中に柚葉の姿はない。
「なんじゃ、朝っぱらから」
「お手洗いではありませんか?」
ルシトは眠い目を擦りながらも、すぐに立ち上がる。辺りを見回すが、足音もしなければ、暗くて姿も見えない。
「レイは何か知ってるか?」
木の幹に寄りかかりながら、目を伏せているレイはその言葉を否定する。
「知らない」
だが、脳裏にはフレア湖岸に腰を置き、涙を流していた柚葉が浮かぶ。なぜ、嘘をついたのか。それは、自分のことで精一杯だからというだけではない。むしろ、自分の為なら人を殺せる自分が怖かったから、もし何かあったとき、柚葉を手に掛けるのではないかと怖れ、距離を置きたくついた嘘だった。
「戻ってくるといいんですが、気になりますね。なにも言わずに、居なくなるなんて」
「そうだな、探すかの?」
「待て、その前に話すことがある」
ロッカスは、セシール王国の夜に知った、戦神子の真の使命を話した。柚葉の死により、アゼ―レ超大国が救われるという内容に、皆の表情が険しくなる。
「柚葉が、死ぬ?」
レイは、その話を疑いながらも、聞き返す。
「死と引き換えに、アゼーレ超大国を助けるそうだ」
「待ってください、そんな話、聞いていないです!」
ルシトはあり得ないと言うように頭を振る。その中で一人冷静なのは、ライヤだった。
「柚葉を死なせるわけにはいかん。そのためには、ルシトの故郷を今の俺らの力だけで助けなければいかんの。まず、柚葉を探すんじゃ。後に、皆でアゼ―レ超大国に行けばいいじゃろ」
「そうですね! パルテノン帝国に彼女を捧げることなどありません!」
先陣切って、ルシトが奥の方へと駆けていく。次にライヤ、ロッカスが発ち、最後にレイが足を踏み出した。
レイが向かうは、最後に柚葉を見かけたフレア湖岸。数分歩いて着ける場所であり、目印も残しているため、迷うことはない。柚葉が残したと推測できる、ところどころに置いてある木の実の目印に辿り着くも、柚葉の姿はない。
「柚葉」
できることなら、もう彼女とは会いたくない。大切な人を、手に掛けたくない。包帯の下に隠れた自傷は、昔の自らの行為を悔いた証であり、あれを思い出すたびに何度も刃で傷つけてきた。気持ちは楽になるが、それは一瞬だけ。あのときのことを、忘れることなどできなかった。
けれど、命を賭けて守ると決めた彼女を失いたくない気持ちもある。だから、こうして探しに来た。ずっと一人で悩みを抱えていたのは、レイだけじゃなく、柚葉も同じだった。自分のことしか考えられず、彼女の気持ちをわかろうとしなかった自分に苛立ち、転がっていた鋭い石を手に持つと、切先を自らの腕に向ける。
「そんなことしても、何も変わらないのは、貴方が一番知っていると思うのだけれど」
どこからか聞こえる女の声に、レイは自傷行為を止める。辺りを見回せば、後方にいた。眼鏡をかけ、ノートパソコンを持った背の低い黒ずくめの女。服装を見れば、セシール王国にいたケイルと重なる。
「私はグロリア。契約、しましょ」
「お前とそんなことをする気はない」
「ミーシャ・ウルコフを交換条件に出しても、そんなことを言えるのかしら?」
ミーシャ・ウルコフはレイの妹であり、パルテノン帝国に"崇高行為の調査"という名目で滞在している。不思議なことは何でも調べたがる性格上、なぜかパルテノン帝国に目を向け、危険を承知の上で数年前にマール王国を発った。それ以来、手紙のやり取りをしていた。
「……条件とは、何だ」
「彼女を助ける代わりに、戦神子を連れてきてほしいの」
「そんなこと、できるわけがないだろう!」
彼女の抱えていた苦しみを知った今、何をすべきか理解しているレイは、ぐっと拳を握る。
「血の繋がった大切なたった一人の妹より、異世界から来たどうでもいい女を選ぶの? どうせ、彼女は死ぬ運命じゃない」
グロリアはノートパソコンを取り出し、画面を見せる。するとそこには、薄暗い牢屋でぐったりと倒れているミーシャがいた。黒髪のショートヘアは埃をかぶり、パルテノン帝国の民に成り済ますため着用していた黒いコートは、土埃がついている。よく見れば、両手は背中で手錠にかけられている。
「ミーシャ!」
「私は、この子を一瞬で消せる能力がある。今、殺しても良いのかしら?」
柚葉の命とミーシャの命、どちらが大切か。そんなもの、計れるはずがない。けれど、どちらかを選ばなければならない。同時に二人を助ける力など、レイは持っていない。
(俺は、また――)
昔のこと、リットンを刺殺したこと、そして、今どちらかを殺さなければいけない状況に置かれたこと、全てがレイに重く圧し掛かる。どちらも助けられないなら、どうすればいい。自分は、何をすればいい?
「うっ」
考えすぎてか、頭痛が始まる。次第に、頭が割れるような痛みがレイを襲ったかと思いきや、一瞬にして、がらりと雰囲気が変わった。
「ふふ、決まったようね」
金色に染まった双貌が怒り狂ったように、こめかみに青筋を浮かべながら、殺人鬼にも似たような狂気あふれるオーラを纏う。般若のような面構えで、グロリアを睨みつける。
「……餓鬼が。約束破ったら、手足引き千切って嬲り殺す」
血に飢えた獣のように、舌なめずりを行う。それはもはや、レイの姿をした別人だった。
「もちろんよ。その代わり、よろしく頼むわよ」
「ふん、容易いことだ」
「これでよかろう」
「良くないよ、レイとリットンに何かあったはずなの! それを知らないと、レイの気持ちを知ることができないよ」
「それはお前自身の目で確かめろ。近いうち、貴様は奴と戦うことになる」
大男は、レイを奴、と呼んだ。そのことが、なぜか気にかかる。いつも、我が護神と呼んでいたからだ。今まで会った、気の力を授ける者たちも、自らの力に沿う者を名前以外で呼ばない。
「奴って、リットンのこと?」
「違う。我が護神を守るために生まれた存在、ルイだ」
「ルイ?」
柚葉はレイと共に旅をしてきたが、レイを守る存在など知らなかった。いつでも冷静かつ優しいレイが、守られなければならないほど弱いと感じたこともなく、むしろ頼りがいがあるとさえ思っていた。
けれど、素直な柚葉は、大男の言葉を信じる。その通りなら、戦う理由は知らずとも、柚葉はルイと拳を交えなければならない。
「忘れるな、奴は我が護神の姿をしているが、戦神子を殺しにかかって来る。我が護神にとって邪魔な者は、すべて排除してきた残虐な性格の持ち主だからな」
おそらく、レイは二重人格なのだろう。表がレイならば、裏がルイ。レイが優しい故に処理しきれないことを、殺すことで綺麗さっぱり処理するのがルイである。レイは、ルイのことを知っているのだろうか。
「これは警告だ。先程みたいに自己を犠牲にする行為は、ルイを喜ばせるだけだ」
「うん、わかった。ありがとう」
柚葉は一礼して、大男の掌から降りると、急いで入口へと向かった。
「我が護神でも抑止の効かないルイを、戦神子は止められるかな」




