三話 王位継承者の真の試練
「俺は、負けるわけにはいかないんじゃ」
仰向けに倒れているジプシーの姿を確認し、ライヤは膝をついた。
「もう、見破ったのか」
眉間に皺を寄せたジプシーが、氷漬けにされた動かない両手を見つめた。
「お前さんは、ある程度距離を詰めんと攻撃はできん。それに、指の動きを止めればもはや――」
「ふっ…ハッハッハッハ!」
劣勢であるにもかかわらず、ジプシーは高笑いした。
まるで、自分が勝ったとでも言うように。
「見破ったことは誉めてやるが、甘い、甘いぞライヤ!」
ライヤは冷静に、だが警戒を怠らずにジプシーを睨んだ。
「防御に特化した魔法でこんな攻撃ができるとは思わなかった俺も、少々手加減しすぎたようだ。だがな、お前は今の一撃で俺を殺さなかった。それが、運の尽きだ」
柚葉は、地面に倒れていたジプシーが立ち上がったのを見て驚いた。
ライヤの魔法で下半身も凍り、動けないと思っていたからだ。
「ライヤ、どうしてっ」
「俺が王国を築き上げるとき、彼には力になってほしいからじゃ」
この思いが伝わればいいと思うが、それは願いで終わる。
ジプシーはにやりと笑んだ。
「だからな、殺すわけにはいかんぜよ」
「とんだ甘ちゃんだな! 後悔するがいい!」
次の瞬間、ジプシーは言葉にならない声で叫んだ。
それは空気を震わし、目に見えない波となってライヤを襲う。
遠く離れた柚葉にも届き、頭のなかを掻き回されるような感覚に、視界が揺れる。
徐々に痛みを帯び、黒板を爪で引っ掻いたような音がこだまする。
「ゆ、ず……」
氷のドームの外にいる柚葉が屈み、顔を歪めて頭を押さえる姿が見える。
必死に痛みを耐える姿に、ライヤは耐え切れず立ち上がろうとした。
ドームを叩き割り、人ひとり通れるほどの穴を開け、ジプシーは氷の破片を拾い上げた。
先端の尖ったそれを握り締め、ライヤに歩み寄る。
「安心しろ、俺が止めるからな」
痛みに蹲るライヤの頭上に、凶器をかざした。
が、そのときだった。
「誰が負けると言ったかの?」
「なっ!」
ライヤは、意地悪そうに口角を上げた。
「【水の気:氷晶千矢】」
それはライヤが唯一使える攻撃魔法だった。
ドームは、めきめきと音をたてて崩れ、重力に従い、勢いをつけて落ちていく。
「まさか、お前っ!」
「共に、さよならじゃな」
ライヤには既に魔法を使える程の気力は残ってなかった。
初級魔法の【水の気:水流粋護】さえ唱えられない。
耳に詰めていた常温に保たれた氷は溶け、ライヤは柚葉を見やった。
彼女までの距離は遠く、この魔法からは走っても逃れることはできない。
「らっ……ライヤああああ!!」
音波は消え、既に痛みは消えた柚葉の叫び声が聞こえ、ライヤはそっと微笑んだ。
そして、心のなかでさよならを告げた。
もう二度と会えない、大切な人。
(幸せに、なるんじゃよ)
轟音と共に崩れていくドームに駆けつけようとするも、体が思うように動かない。
ゆらゆらと揺れ、まともに立てない。
氷柱が落ちていく中、ライヤと目が合うも、すぐに彼はいなくなった。
雨のように降る氷柱が、彼の姿を隠してしまった。
「いやっ……いやああああ!」
柚葉はライヤが居た場所を見つめ、頬に涙を流した。
同時に、自分にできることを考えた。
(まだ、まだライヤは死んでない!)
嫌な考えと予感を振り切るように首を振り、柚葉は氷を退かすために、魔法を唱えた。
「【火の気:灼熱】」
ライヤを助けたい、その一心で出てきた言葉を叫んだ。
両手を氷の山場に向ければ、小さな魔法陣が浮かぶ。
そこから勢いよく吹き出した炎は、真夏のアスファルトのような熱を持ち、瞬く間に氷を溶かしていく。
(絶対、絶対に生きなきゃダメ!)
そうして間もなく、ジプシーの姿が見えたとき、柚葉はすぐに駆けつけた。
うずくまった大男は、体を巨大な氷柱に貫かれ、血を流し、既に息絶えていた。
嫌な予感がした柚葉は、近くにいるはずのライヤを探した。
だが、どこにも見えない。
「ラッ……ライヤ!」
そのとき、背後で何かが動いた音がした。
振り返ると、ジプシーの体が微かに上下に動いていた。
明らかに心臓を突かれていたのに、生きていたのかと思い、柚葉は一歩後ずさった。
身構えて、警戒態勢をとる。
「……っく」
ジプシーの死体の下から、ライヤが顔を出した。
「ライヤ!」
すぐさま駆けつけ、ジプシーの下に埋もれていたライヤの手を思いきり引っ張った。
そして、ようやく脱したライヤを見つめ、その体をぎゅっと抱き締める。
「よかった、よかった……あっ、今回復を――」
安堵した柚葉は、ライヤが傷を一つも負ってないことに気付いた。
背中に回り込んでも、血すら出ていない。
それは良いことだが、あれだけの強大な魔法を受ければ、無傷では済まないと、いや、死んでしまったとさえ思えるほどの威力だった。
疑問に思うも、答えはすぐにわかった。
そこで、ライヤの暗い表情の理由を知る。
ジプシーが、ライヤを守って死んだことを。
「……俺は、ただ守りたいだけなんよ。なのに、なのにまた」
ロセリア王国での出来事が蘇る。
ラスラン隊長が『ライヤを殺せ』という王の命に逆らい死したこと、そして敵でありながらもジプシーに守られ、死なせてしまったこと。
「人を守る魔法を、俺は凶器として利用したも同然じゃ。俺は、俺はもう――」
ジプシーの遺体を見やり、今にも泣きそうなライヤを見て、柚葉はくっと唇を噛み締める。
次の瞬間、小さな掌は彼の頬を叩いた。
「――!?」
「ライヤが守りたいものは何なの? 国? それとも人?」
いつになく厳しい口調で責め立てるように続ける。
「ラスランさんはただシュトーレン元国王の命に従っただけだと思ってるの? ……違うよ、彼だって守りたいものがあった。じゃあジプシーは? そう、彼だって守りたいものがあったから、ライヤを助けたんだよ」
「……じゃが、俺には」
無理だ、とでも言うような表情に柚葉は首を横に振る。
「皆の守りたいものを守れるのは、ライヤしかいないの。ラシールには、絶対できない」
それは試練を受けた際、ライヤに魔法を与えた者も言っていた。
ラシールが治めていては、ロセリア王国は死国と化すことを。
それを予知しているのは彼だけでなく、ラスラン隊長も、ジプシーも、ロセリア王国の民や兵士もそう思っている。
「王としての自覚、ちゃんと持って!」
「……柚葉」
喝を入れると、ライヤは下を向くのを止めた。
目の前にいる柚葉の目を見つめ、大きく頷いた。
「俺は、ずっと逃げてきたがもう、それはせん」
ライヤは一つ頷くと、笑みを浮かべた。
「ありがとな、柚葉。じゃが、ちいっと痛かったぜよ」
「ごめんね、ライヤ」
ライヤは、打たれた頬を気にするように、わざと手で押さえ、いつもの余裕を見せた。
それに安心した柚葉は、ライヤを庇って亡くなったジプシーに目をやる。
「ありがとう、レオン」
彼の前で屈み、手を合わせるライヤに迷いはなかった。
戦いが終わったら、ロセリア王国に墓碑を建てることを約束し、皆のもとに向かおうとした。
だが次の瞬間、空気はがらりと変わり、鋭利な刃物を思わせる刺々しい気配が辺りを漂うのを感じた。
「ライヤ、どうした――」
「柚葉っ!」
ライヤは小さな体を抱え、すぐさま反転させた。
そして後方へと押しやり、柚葉は地面に背を打った。
一瞬の出来事に、状況を理解できない柚葉は、ライヤの胸辺りから突き出た、血塗れた何かに目を見張る。
「あっ……」
それは矢の先端に付けられた尖った金属の塊で、その体を貫通し、血は広がって滴り落ちていく。
ぐっと目を瞑るライヤの後方には、弓を構えた男がいた。
五百メートル程の距離がありながらも、ライヤを打ち抜いた男は舌打ちをし、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ライヤ自ら矢を抜き、地面に放り捨てると、振り返ってその男を睨んだ。
戦わなくてはならない敵、ラシールだった。
「なぜ、此処に」
「喋っちゃダメ、ライヤ! 【水の気:治癒水】」
傷口にそっと手を当てれば、すぐにそれは塞がった。
痛みも消え、怪我が治ったその様子にラシールは、怪しい笑みを見せた。
「その力を持つ其方は余の妃にふさわしいな、柚葉よ」
その言葉に明らかな嫌悪を見せ、柚葉はライヤの腕を掴んだ。
彼女には近づけさせまいと、前に立ち、互いに視線を交わす。
「ライヤ、貴様には此処で死んでもらう」




