三話 涙を越えて
「ロッカス!」
重たい足を上げ、駆け寄った柚葉。
息遣いが聞こえほっとするも、顔を上げたロッカスと目が合う。
「ど、どうして……」
「ロッカスが、心配だったから!」
此処に居るはずのない柚葉と視線を交わすロッカスが、そっと手を伸ばす。
その手をギュッと握り、存在を確かめるように、ロッカスの手を頬に持っていく。
まだ、温かい。
一方で、グストーがよろめきながら、立ち上がる。
相変わらず笑みを浮かべてはいるが、余裕ではないらしい。
だが、まだまだ戦い足りないとでも言うように、にやりと口元を歪めた。
自分が戦うしかないと覚悟した柚葉は、屈めた体を伸ばし、ロッカスの前に立つ。
「ダメだ、柚葉」
「でも、ロッカスは……」
「俺が戦いたいのは、お前じゃねぇ! 後ろでぶっ倒れているロッカスだ! さあ、早く立ち上がれ!」
敵意丸だしの双眸は、明らかにロッカスに向けられている。
それならと、柚葉は先程ライヤがばあやに施した魔法を試みる。
上手くいく保証も自信もないが、こうすることしかできないと思ったから、ロッカスの背中に手を当てる。
「【水の気:治癒水】」
すると、みるみる傷が治っていく。
血も止まり、痕は消えてなくなる。
「ありがとな、柚葉」
ふっ、と笑みを浮かべるロッカスが膝をついて立ち上がるも、少しよろめいている。
出血量が多かったからだろうか。
血が染みついた服をギュッと握りしめ、小さな頭をロッカスの胸につけ、柚葉は謝った。
「こんなことしかできなくて、ごめんなさい」
「何言ってんだよ、馬鹿。お前がいなきゃ、俺は死んでた」
守りたいと思っておきながら、ロッカスを回復させることしかできない自分が歯がゆく、グッと唇を噛みしめる。
そんな柚葉の頭を撫で、自分の背に匿う。
一歩一歩近づいてくるグストーを睨み、拳を構え、戦闘態勢に入る。
「……んなこと、言うのは恥ずかしいが……お前に、勝利を捧げるから」
「う、うん!」
柚葉は頬を赤らめながら頷き、その場を引いた。
恋愛ゲームでしか聞いたことのない言葉が、自分に向けられた。
恥ずかしいと思うのが普通かもしれないが、柚葉は嬉しくて、その言葉を頭の中でリピートする。
考えるたびに頬を赤くしながらも、ロッカスを信じ、半壊した家と家の間に立ち、彼を見守る。
「うおおおおおおおおおおおお!!」
叫び声を上げたグストーが、身に纏っていた黒いローブを放り投げた。
出てきたのは、筋肉が隆々とした屈強な体で、昔から鍛錬で鍛えたときにできた傷跡がついている。
そして、自らの意思で筋肉を造成しているのかと疑うくらい体格がぐんと大きくなり、血管が浮かびあがり、目も充血して真っ赤になる。
元の体の五倍の大きさになったグストーは、見上げるロッカスを見下ろした。
「はあ……はあ……俺は、全力を持って貴様を潰す! だから、持てる力を存分に使え!」
それは、ロッカスの四護神としての力を示していた。
風の力を使わずに、その体一つでグストーと戦っていたロッカスは、にっと笑って見せた。
「怪物か、お前は。言われなくても、使ってやるよ」
駆け出したロッカスは、振り下ろされる大きな手を軽やかにジャンプして退ける。
すると、砂埃と共に地面には大きな手形がついた。
それを見るだけで、かなりの威力があるのが柚葉でもわかる。
あれに潰されれば、即死だ。
「【風の気:足速上昇】」
水が守るための魔法なら、風は戦闘を補助する魔法である。
そのため、魔法による攻撃はできないが、身体能力の高いロッカスには一番合う魔法だ。
グストーが左手で強烈なパンチを放つ。
体が大きくなった分、倍の威力を持つ攻撃は、当たれば当分立つことはできないだろう。
すぐさま右に避け、今度はロッカスがパンチを繰り出す。
「【風の気:拳威上昇】」
いつもの二倍の速さでパンチを腹に二発打ち込むロッカスは、手ごたえを感じ、その場を離れる。
「ぐっ……ちょこまかとこざかしい!」
だが、グストーは倒れない。
踏ん張って留まると、拳を鳴らし、ロッカスに向かって走り出す。
その体重に耐えきれない石畳が崩れ、大きな足跡ができる。
「怪物化して弱体化ってか?」
挑発するように余裕の笑みを浮かべたロッカスは、楽々とその巨体を飛び越えるも、宙で足を掴まれる。
「なっ――」
「進化して、一つ一つの動きが遅くなると思ったら、大間違いだ!」
繰り出されるパンチの速度、走るスピードを考え、威力が増した分、動きが減速したと思っていたロッカスは、そのまま地面に叩きつけられる。
それを見た柚葉は、駆け寄ろうとするも、それはロッカスが望んでいないだろうと思い、あの言葉を思い出す。
そう、ロッカスは「勝利を捧げる」と約束してくれたんだ。
柚葉は、踏み出そうとする足を止め、ロッカスが立ち上がることを願う。
だが、ロッカスの姿は砂埃で見えない。
砂埃が風に流れた頃、ロッカスを捉えた手だけが見える。
「くそっ……どこだ!」
確かに捉えたはずのロッカスがいないことに驚いたグストーは、辺りを見回す。
すると背後に気配を感じ、振り返れば傷一つないロッカスがそこにいた。
状況を掴めないのはグストーだけでなく、柚葉もそうだった。
二人はロッカスが叩きつけられ、地面にのめり込んだ瞬間を見たのだ。
傷どころでなく、骨が無残に折られていてもおかしくない。
「【風の気:影分身】ってな」
グストーが見たのは、偽物のロッカスだった。
本物は既に着地しており、グストーの一挙一動を見ていたのだ。
「こうなったら……!」
グストーは、ロッカスを背にし、半壊した家に向かって走って行く。
嫌な予感がしたロッカスが行動を起こす前に、家と家の間にいる柚葉を手に掴んだ。
大きな手の平に収まる柚葉は、そこから顔だけを出している。
逃げようとするも、その手に挟まれれば、逃げ場を失ってしまった。
「うっ……」
「柚葉!」
両手両足を拘束されて抵抗する術がなく、痛みに顔を歪める柚葉。
グストーが力を強めるたびに、骨が軋む音がし、あまりの痛みに呻き声をあげる。
「一歩でも動いてみやがれ、この女を殺してやる!」
「戦神子は必要なんだろ、そんなことをしたらお前が殺されるんじゃないのか?」
グストーが柚葉に手を出すとは思わなかったロッカスは、どうやってこの状況を打破するかを考える。
このままでは、柚葉が死んでしまう。
説得して彼女を離してくれればいいが、それは無理だった。
ロッカスの弱みを握ったグストーは、笑い声を上げる。
「ハハハ! そんなこと今の俺にとってはどうでもいいことだ! どんな手を使ってでも、貴様を倒してやる!」
心臓を握りつぶされそうな痛みに歯を食いしばりながらも、柚葉は自分がロッカスの邪魔になってしまったことを悔やんでいた。
やっぱり、三人に言われたように、自分が来なければよかったのではないかと、そう思っていた。
悔しくて、涙が出そうになる。
だが、自分が泣いてもロッカスを余計困らせるだけだ。
気を強く持とうとして、なんとか堪える。
(ロッカスの邪魔にならない方法は、これしかないのかな)
「じゃあ、お前には死んでもらうぞ」
「ぐっ……」
グストーが近づいてくれば、勝機はある。
だが、距離が問題だ。
奴を殺すには、できるだけ多くの拳を急所に打ち込む必要がある。
しかも、柚葉があの手から逃れている状況でないとできない。
ダメージを受けたとき、グストーが意識せずとも握力を強めてしまう可能性があるからだ。
突破口を見つけようと思考をめぐらせていたとき、柚葉を見つめると、なぜかにっと笑っていた。
そして、何かを伝えるように口の形を変えていく。
(ご、め、ん、ね……なんで、謝る?)
何を考えているのか読めないロッカスは、眉を顰める。
嫌な予感がした。
「【天の気:天雨雷光】」
柚葉が必死に口に出したのは、聞いたことのない魔法だった。
グストーが「何だ!?」と柚葉を睨むと、彼女は力ない笑みを浮かべていた。
突如、空に現れた魔法陣から、光の雨がグストーに向かって、矢のごとく降って来る。
避けようと後ろに逃れるも、それから逃れる術はない。
光の矢は方向転換し、獲物をとらえるまで追尾する。
「柚葉っ!」
自分が死ぬことで、ロッカスの力になれるなら、仕方ない。
ロッカスは勝利を約束してくれたんだ、その約束を果たすためには自分がグストーの手から逃れなければならない。
だが、今にも骨がバラバラに折れてしまう程の力で握られていれば、それは無理だ。
それなら、これしか手段はなかった。
ただ、何が心残りかと言ったら、この魔法が少しでもグストーにダメージを与えてしまうことだ。
ロッカスは、一対一で勝負することを望んでいる。それを、自分がわずかでも加担してしまうことになる。
コントロールできればいいのだが、柚葉にそこまでの力はない。
「グオオオオオオ!!」
突き刺さる矢から電流が体中を走り、痺れるような痛みに顔を歪めながら、グストーは後転した。
なぜか、ギュッと柚葉を握っている手の首を押さえている。
容赦なく降り注ぐ矢が柚葉に当たる寸前、黒い影が彼女を覆った。
死を覚悟していた柚葉は、突然現れた気配に、ギュッと瞑っていた目を微かに開く。
「……っ!」
光の矢雨の中に飛び込み、グストーの手腕の神経を完全に麻痺させる拳を食らわせた後、グストーが柚葉を落とし、その中で彼女を庇うため前に出ることで、代わりに餌食となる。
魔法陣に背を向け、ロッカスは彼女を抱えながらその背中で光の矢雨を受け、痛みに耐えるため歯を食いしばる。
魔法陣は消え、残った気力で着地すると、柚葉を抱えた手を離し、ドサッと地面に横たわる。
「ロッカス、どうしてっ――」
彼の為と思ってやったことが、逆効果になってしまった。
まさか、ロッカスが出てくるなんて思わなかった。
「【水の気:治癒水】……っ、どうしてっ!?」
ロッカスの傷を回復させるために唱えるも、手の平から降り注ぐはずの光粒子が出てこない。
魔法は無限に使えるものではない。
それは戦神子も例外でなく、自分の中に巡る気をそれぞれの力に変えて放つのが、この異世界で使える魔法である。
柚葉はとっくに、自分の持つ気を使い果たしていた。
「……お前は……馬鹿、だな」
薄く瞼を開くロッカスは、背中から血を流しながらも答える。
「えっ……」
「自分の、命を……何だと……思ってる……」
ロッカスとフレア湖で話したときのことを思い出す。
『嫌なんだよ、命を犠牲にしてまで誰かを助けるなんて』
それは、そのことに対する単なる嫌悪感だけではなかったのだ。
命の大切さを知っているからこそ、ロッカスはそう言ったのだ。
確かに、四護神の試練の時には、柚葉の代わりに体を蝕む猛毒を受け、身を呈して守ってくれた。
今もこうして、死につながる程の重傷を負うことをわかっていて、柚葉を守った。
『命を賭けてまで大切なものを守る意味』も、既にロッカスは知っていた。
きっと、自分の父親が消えればいいと思っているのも、母親と自分を捨てた悲しみがあって、憎んでいるからこそそう言っただけで、本心は違うのではないかと考えられる。
ロッカスは口にしないけれど、心のどこかでは、父親を求めているのかもしれない。
「ごめっ……私、ロッカスのこと何にもわかっていなかったっ」
「……泣くな……今の、俺は……拭って、やれない」
手を上げる力さえないロッカスの手を両手で包む。
後悔やら何やらがわっと湧き起こって、それが涙に変わり、頬を伝ってロッカスの頬に落ちる。
「【水の気:治癒水】っ……【水の気:治癒水】!」
何度詠唱しても、一向に回復する気配はない。
「……俺は、いいから……早く……皆と、合流しろ」
「何言ってるの、ロッカス、ねぇ、ロッカス!」
「……ありがと、な……」
その言葉を最後に、がくん、と首が項垂れる。
それが意味することを理解できないでいる柚葉は、ロッカスの目を覚ますために大きく体を揺らした。
目の前で起こっている出来事を拒むように、首をぶんぶん横に振る。
「起きて、ロッカス! 私、最後まで守られてばかりで、私、何もできなくて! 私、ロッカスが、ロッカスのことが……大好き、だからっ」
『――諦めるのは、早いぞ、戦神子よ』
心話で語りかけてくるのは、直感でわかった。
ロッカスと共に試練を受けたときに、力を与えてくれたあの老人だ。
『どうしようっ……ロッカスが、ロッカスがっ』
『その手を握り、我が護神の体内にある風の気を受け、魔法を唱えるのだ。大丈夫、そなたは戦神子だ、必ずやできると信じている』
既にロッカスの手を握っていた柚葉は、焦燥感に駆られながらも大きく頷いた。
ロッカスは私を守ってくれたんだ。
私もこの命を賭けてでも、絶対に、意識を起こしてみせる。
正直、自分の中に風の気が入ってきている実感はないが、きっと大丈夫。
ぼろぼろと落ちる涙を拭い、目を瞑って、呼吸を落ち着かせてから心に浮かぶ言葉を口にした。
「【風水の気:鳳凰流生】」
次の瞬間、瞬く間に青白い光や紅色に染まった綺麗な光がどこからともなく溢れ、ロッカスの身体を包んでいく。
やがてそれは神々しい光の塊となり、ギュッと目を瞑っても差してくる程の強烈な光を発した。
持てるすべての力を使った後の脱力感に襲われる柚葉は、光が止んだことに気付くと、そっと目を開く。
するとそこには、ロッカスが眉を顰めながら、怪訝そうに柚葉を見つめていた。
「……どうした、柚葉?」
「ロッ、ロッカス!」
高揚せずにいられない気持ちを、ロッカスに抱きつくことでぶつけた。
言葉で言い表せないくらい嬉しくて、いくら横になりたいほど疲れていても、そんなものは吹っ飛んでしまった。
傷痕は綺麗さっぱりに消え、血液不足でよろめくこともない。
それは完全なる、ロッカスの復活だった。
「どうして、そんな喜ぶんだ?」
「当たり前だよ、だって、ロッカスは――」
「グググ……次こそは、絶対に……」
そのとき、すっかり忘れていたグストーの存在に気付く。
ロッカスは柚葉を離し「ちょっと待ってろ」と、肩をポンと叩く。
満面の笑みで頷いた柚葉は、重く感じる身体を何とか動かし、淵まで下がった。
「じゃあ、そろそろ終わりにするか」
「……笑わせるんじゃねぇ……血祭りに上げてやる!」
怒ったグストーが起き上がり、勢いよく両手を引き、ロッカスめがけてバンッと、ハエを潰すように叩く。
もちろん、その間に背後に回ったロッカスが、【風の気:拳威上昇】を唱えて、何十発ものパンチを打ち込んだ。
一発一発は、グストーに与えるダメージは少ないものの、何十発も一か所に打ち込めば、いくら屈強な身体でも大ダメージを与えることができる。
長年の経験で、人間などの急所を知り得たロッカスは、急所を狙って打ち放った。
呻き声を上げながら倒れ込んだグストーは、もう動く気力すらない。
戦意を失ったからか、動けない程のダメージを受けたからなのか、体は縮小していき元の大きさに戻る。
「ロッカス!」
ふぅ、とため息をつくロッカスに駆け寄る柚葉。
「喜ぶのは早いぞ、柚葉。行こう」
約束を守れたこと、こんなにも勝利を喜んでくれる柚葉を見て、本当は嬉しいロッカスであるが、その気持ちを胸にしまい、今やるべきことを優先する。
「うん、そうだね」
他の四護神たちのことが心配である柚葉を気遣ったロッカスに背負われて、城に向かって走って行く。
求めていた温もりが、服を通して伝わる。
そのことに安堵した柚葉は、その背中に身を委ね、頬を擦り寄せ、わずかな睡眠についた。
「柚葉、俺は、お前のことが――」
そう言いかけたとき、寝息をたてる柚葉に気付くと、呆れたようにため息をついた。
その言葉の先を、心の中で留めるロッカスだった。




