十六話 私が知らない事情
兵士のいない城門へと飛ばされた二人は、この国を出るために駆け出した。
すでに日は沈みかけ、ただでさえ少ない人気は、もうほとんどいなかった。
追手が来る様子もなく、このまま逃げ切れればいいと、そう思っていた。
噴水広場を走り抜け、この調子ならすぐに城下町を抜け出せる。
柚葉の前を走るライヤが、つきあたりを右に曲がったときだった。
「待っていたぞ、ライヤ・バートン」
思わず止まったライヤの背中に勢いよく当たった柚葉は、頭を押さえながらも、目の前に立ちはだかる人物に目をやる。
「あっ、悪態王子!」
「……」
若い国王ラシールは柚葉の言葉にムッと眉を寄せる。
そして、腰に携えていた剣を手に取り、背後に待機していた何十人もの兵士が、弓を構えて照準を二人に合わせる。
柚葉を背に匿うように移動させ、いつになく真剣な眼差しで、ライヤは叫んだ。
「なぜ殺したんじゃ! またミリアがやったんか!」
「落ちぶれ貴族が気安く王妃の名を口に出すな!」
ライヤとラシールは面識があることを知り、柚葉は目を丸くした。
しかも貴族というなら、どうして町中で女遊びをしていたのだろうか。
浮かび上がる事実が、信じられずにいる。
ミリアとは聞いたことのない名前であるが、不思議と顔が思い浮かぶ。
以前、ロセリア王国の王の間を去るときに、すれ違った態度の悪い女性だ。
「貴様が殺したのだろう! 早くこの者どもを始末しろ!」
明らかに怒りを込めた命令に、だが、兵士はその弓を引けずにいた。
「どうした! 早くせんか!」
「……わかっているんじゃよ、ラシールとミリアが、何をしたのかってことをな」
「何を言っている!」
その言葉に、唇を噛みしめながら構えた弓を下ろす兵士たちは、ラシールに怒鳴られるのをわかって、戦闘態勢を解除した。
その兵士を率いる隊長がラシールの隣に跪き、兵士が弓を引けない理由を話す。
「相手はライヤ・バートン様。亡くなった国王シュト―レン様から、どんな状況であれ、彼を守る様に仰せつかりました。なので、私は――」
言葉の続きは、ラシールの冷酷な行為によって中断された。
左胸めがけて、その剣で隊長を貫いたのだ。
「……ラスラン!」
ライヤが隊長の名を叫ぶ。
兵士たちが動揺し、隊長を助けるべく近寄ろうとするも、「同じ目に遭いたくば、来るがよい」と鋭い眼光を向ける国王に、止血することさえできなかった。
その様子を、ライヤの背中から覗くようにして見ていた柚葉は、口元を手で押さえる。
「ライヤ様……お逃げ……下さい……」
その言葉を最後に、地面に伏せたラスラン隊長は、息絶えた。
死に際でもライヤの安否を気遣う隊長に、兵士は必死に涙を隠す。
「今の国王は、余だ。余の命令を聞かぬ奴は、殺してくれる」
「……やはり、お前さんは……」
ぐっと、爪が食い込むくらいに拳を握る。
普段は何を考えているのかわからないが、表情が見えなくとも、ライヤの事情はわからなくとも、どんな気持ちでいるのか、今はわかる気がした。
柚葉がライヤの服を引っ張ると、「逃げよう」と言った。
最初、それを受け入れることができず、首を振って断ったライヤであるが、それでも柚葉は「逃げるの!」と腕を引っ張る。
ラシールの刃の餌食になることが怖くて、言っているのではない。
ライヤのために弓を引けない兵士の気持ち、そして、命を張ってライヤを守ったラスラン隊長のために、ここは逃げなければならないのだと、そう思ったからだ。
「国王暗殺の罪は死を持って償え!」
兵士は否応なく戦闘態勢に入り、腕が震えて照準を合わせることが出来ないまま、再び弓を構えた。
(それなら、今度は私が――!)
ライヤの前に出て、その弓の餌食になろうと、行動に出た瞬間、聞いたことのない鳴き声が町中に響いた。
次の瞬間、それはもの凄い速さで兵士たちの弓弦を一つ余すことなく切り、一兵団を無力化した。
そして、ライヤとラシールの間に降りたち、キキッと鳴いてラシールを睨みつける。
それは一匹の鷹だった。
「ウィーグ! どうして来たんじゃ! 早く逃げんか!」
異世界で初めて見る鷹は、元いた世界より少し体格が大きい。
ウィーグのもとへと行こうとするライヤを止める柚葉は、早く逃げようと強引に腕を掴んだ。
「手を離さんか!」
「私のことを恨んでも、嫌ってくれてもいい! だから、今は逃げて!」
心では、自分がどうすべきかわかっているライヤは、チッと舌打ちすると、走って道を引き返した。
その後についていく柚葉は、ラシールを横目に流し、角を曲がり、その場から消える。
「犯罪者を捕らえんか!」
兵士たちは、隊長の屍を乗り越え、泣く泣く二人の後を追う。
そして角を曲がった瞬間、そこにいたのは思いがけない人物だった。
「あっ……貴方様はっ!」
兵士たちが思わず立ち止まる程の人物が、その行く手を阻むように仁王立ちしていた。
黒いコートを身に纏い、顔以外のすべてを覆い隠している。
「悪いが、此処は通せん。……悪夢は、奴が打ち砕く。それまでは、眠ってくれ」
その言葉に反応する間もなく、兵士たちは皆、突然意識が切れたように、地面に倒れていく。
皆が倒れる様を見届けた男は、静かにその場を去って行く。
夜、ロセリア王国を脱出した一行は、ロセリア王国領地内の道の外れにて、野宿していた。
ロッカスが城下町で調達してきたパンや果物、肉は火で炙り、夕食をとった。
柚葉は、向かい側でパンを持ったまま、食べようとしないライヤを心配し、見つめていた。
そんな彼女を見ていたレイもまた、視線の先にいるのがライヤであることを確認すると、ずきり、とどこかが痛むのを感じる。
楽しい夕食であるはずが、なぜか沈黙が続く。
そこで、ルシトが柚葉に聞いた。
「次はマール王国、ですか?」
その言葉が自分に掛けられているものだと気付くと、視線をルシトに移す。
彼の隣にいるレイが視界に入り、何が起こっているのかわからないのに、不安にさせるようなことを言っていいのかわからずにいた。
「……うん。マール王国だよ。でも、詳しい場所はわからない」
言っていいものかわからず、ライヤを見やるも、彼とは視線が合いそうにない。
先程からずっと、何かを考えるように俯いているのだ。
「そうか。できれば、城から離れたところにあればいいのだが」
レイの事情を聞いたロッカスは、国民の嫌われ者だからそう思っているのではないかと彼を気遣い、思いっきり背中を叩いた。
「何言ってやがる。どこだっていいだろ」
「……お前に叩かれると、痛いんだが」
手の形に赤くなった背中を見せると、「ふん」と鼻で笑ったロッカスであった。
詳しい場所がわからない今、戦神子である柚葉の例の『閃き』が来るのを待つしかない。
「……つきあたり、行ってくるぜよ」
「私も行く!」
ライヤが立ち上がると、柚葉もつられて立ち上がる。
ルシトは意味がわかっていない柚葉に、つきあたりの意味を教えようとするも、それより先に、ライヤが言った。
「ククク、柚葉は変態じゃの。そんなに二人きりになりたいんか」
いつものように笑うライヤだが、柚葉は珍しく、首を縦に振った。
聞きたいこともあるが、それ以上に、今ライヤが持っている悩みを知りたいと、苦しみがあるなら少しでも楽にしてあげたいと、そう思っていたからだ。
だが、一人になりたいという彼の意思を感じた柚葉は、答えを訂正した。
「……やっぱ、いいや」
そう言うと、ライヤは無言で、背丈の高い草を分け入り、その場から去って行った。
「何があったのですか」
ただごとならぬ雰囲気を感じたルシトは、躊躇うことなく聞いた。
だが、柚葉は「何でもないよ」と答える。
今までずっと、仲間である四人に何も言わなかったのだ。
きっと、誰にも知られたくないことが、ライヤにはあったのだろう。
それならなおさら、ライヤのことを知らない自分が、勝手に言っていいものではない。
重々しくなる雰囲気を明るくするために、ロッカスは、レイに腕相撲の勝負を申し込んだ。
敗者は、自分の持っている食糧を一つ、勝者に譲るという賭け事も付け加えて。
彼なりの気遣いに気付いたからか、レイはその勝負に乗った。
だが柚葉は、笑える状況じゃなかった。
ロッカスのことは、心の整理がついたのはいいが、ライヤのことも、マール王国が悪い状況に置かれていることをレイに話せずにいることも圧し掛かり、いくら仕事で身に付けたストレス耐性が高くとも、何もできない自分に腹が立ち、自分を嫌いになっている、そんな状況だった。
夜は冷え込むので、火をつけたまま寝ていた。
予想外のことに、誰もいびきをかくことなく寝ていたので、とても静かな夜だった。
あれから三時間は経過したが、ライヤはまだ戻ってきていなかった。
「水の力がある」「大丈夫だろう」と言っていたが、そんなことより、ライヤ自身のことが気にかかっていた。
(――探しに行こう!)
決意を固めた柚葉は、ライヤが去って行った方向へと歩くと、同じように自分の身丈より高い草を掻き分けて、奥へと進んでいく。
だが、一行に人の気配がなく、ようやく草がなくなり、視界が開けた場所に出る。
深夜であるため、徐々に体が冷えていくが、そんなのはお構いなしに、ライヤの行方を探す。
「ライヤ」
大声を出せば、遠くにいる仲間を起こしてしまうかもしれない。
それを考慮し、小声で、彼の名を呼ぶ。
そのとき、背後から肩を掴まれる。
呼びかけに応じて、来てくれたのだと思った柚葉は、すぐに振り返った。
「……あっ」
それがライヤでないことがわかり、落胆するはずの気持ちは、なぜか上昇していく。
目の前にいたのは、櫂人の姿をした、櫂人でない男だ。
黒いコートを身に纏い、顔以外は隠している。
(悲しませてしまい、ごめんなさい、戦神子……)
「そ、そっか。教えに来てくれたんだね」
「……はい。次行くべき場所は、マール王国の城下奥深くにある、イズナ岩窟です」
「ありがとう。あと、マール王国の現状について教えてほしいんだけど、知らないよね」
自分のことを聞いてこないことに安堵しながら、正直に答えた。
「あの国は、赤い波に襲われ、消滅しました」
「赤い、波?」
柚葉の疑問にこくりと頷くと、男はくるりと方向転換し、来た道を戻る様に、草が生い茂った草原を掻き入ろうとした。
「待って!」
大声を出し、男が草原へと入るのを止めた柚葉は、すぐに駆け寄った。
驚きを隠せない男は、近づいてくる柚葉をきょとんと、見つめている。
その仕草も、櫂人にそっくりだ。
「あなたの名前、教えて」
自分のことではないと、マール王国のことだと、そう思っていた予想は裏切られた。
本当に予想外のことだったので、少し間を置いたときに生まれた感情を、そのまま顔に出した。
「……私は、幻です」
それは、とても柔和な笑みだった。
嬉しい、自分に興味を持ってくれたことが嬉しいと、単純にそう思ってしまった。
自分の置かれている立場を知っていて、また、柚葉を悲しませるようなことを言っておいて、どうしてこのようなことが思えるのか。
本来なら、こんな気持ちを抱いてはいけないのに。
「ありがとう、幻」
柚葉も、同じように笑っている。
互いに笑顔でやりとりするのは、初めてだった。
初めて会ったときは、彼女を泣かせてしまった。
前回は、彼女が幻から距離を置いていた。
だが今回は、彼女から幻に近寄って、しかも、笑みを見せてくれた。
「それでは、また」
できれば、ずっと時間が止まってほしいと、そう思ってしまった幻は、その思いを無理やり消去するように、草の中へと入って行く。
そうともしらず、柚葉は、櫂人とまったく同じ姿をしている幻に、未だ慣れずに、胸が高まるのを、 深呼吸することで抑え、落ち着かせていた。




