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俺の妹は忍者なんだが13歳  作者: 兵藤晴佳
     2場 妹・忍者13歳
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シーン3 遠いようで近かった鳩摩羅衆の存在(後編)

 瑞希は腕時計を見た。

 正午を過ぎている。

 腹を押さえてみるのは、空腹のせいだ。

 ガヤガヤという声が天井から響いてくるのを仰ぐと、そこには排気ダクトが見える。

 講堂での説明が終わり、保護者が席を立ったのだ。

 母の一葉は、戻ってこない瑞希を心配してはいない。

 そこは吉祥蓮の忍者同士、阿吽の呼吸だ。

 だが、何が起こっているかはたぶん、分かっていない。

「こういうときのためにスマホ持たせてよ……」

 ぼやいてみるが、それはたぶん通らない。

 自分のことは自分で片づけろ、が一葉のモットーである。

 そんなわけで、瑞希は自力でここを脱出しなければならない。

 まず、大声を上げるのはNGだ。

 排気ダクトの反響で講堂まで届くかどうかという以前に、そもそも人知れず行動するのが忍者である。

 だから、方法は一つしかない。 

 天井の穴は、瑞希が十分通れる大きさがある。

 今、保護者と生徒が出て行ったということは、宣誓式が始まるまで講堂は空になる。

 それまでにこのダクトを通って講堂に潜み、入ってきた兄に生徒手帳を渡せばよい。

 ただ、問題は服装だ。

 中等部のセーラー服では目立ちすぎる。

 入学早々、妹に生徒手帳の面倒を見てもらっていては兄のメンツが立たない。

 そこを支えてやるのも吉祥蓮の忍者である。

 あまりのくだらなさにその宿命を呪いもしたが、そこで蘇るのは亡父の言葉だった。

「弱い奴を助けてまだ余る力が、本当の力だ」

 ふっ、と笑ってこめかみを掻く。

 したくないことに腹を括ったときの瑞希の癖だ。

「世話が焼けるんだから、お兄ちゃん……」

 誰も入ってこないのをいいことに、瑞希は暗がりに肌まで白くぼんやり光る下着姿になった。

 脱ぎ捨てたセーラー服の隠しポケットから、鍼や流星錘を取り出して下着の中に隠す。

 その上で、どう見てもはるかに身長の高いマネキンから制服を剥がして着こむ。

 当然、ブラウスもブレザーもぶかぶか、スカートに至っては30年ほど前の東日本のスケバン並みに長い。(このとき中部以西のスケバンは、スカートが短かった。)

 脱ぎ捨てたセーラー服を上半身に詰め込むと、瑞希は自分の姿を鏡に映して苦笑した。

 ぼってりと太った、ずんぐりむっくりの女子高生がそこに佇んでいた。

 瑞希はのたのたと壁際に積まれた木箱に歩み寄るや、足をかけ、手でよじ登りはじめた。

 やがて、そのてっぺんで排気ダクトにはめ込まれた金属製の格子の端に、下着の中から取り出した鍼を差し込む。

 吉祥蓮秘伝の術で鍛えられた鍼は、少し力を込めただけで折れもせずに格子を外した。


 開いた穴から排気ダクトに入り込んだ瑞希は、服を着込んだ身体がやっと入るダクトに頭から入り込みながら、なんとか格子を引き上げた。

 寝そべった姿勢で、入ってきた穴にに蓋をする。

 ちょっと見ただけでは、外されたことは分からなくなるようにするためだ。

 ダクトの中で寝そべりながら、鍼を掴んだ手を前に出してじりじりと進む瑞希の姿は、古い石垣の穴に潜む蛇にも喩えられるだろう。

 溜まった埃にときどき咽せながら講堂の出口を目指す。

 そこで更なる問題が起こった。

 なにぶん古いダクトなので、その管の継ぎ目が歪んでささくれ立っているのだ。

 服を着込んだ瑞希に怪我はなかったが、その分、生地が引っかかりやすくなる。

 ダクトの中で、瑞希はくしゃみをした。

 それは、埃のせいだけではない。

 いつの間にか、ぶかぶかのスカートが脱げていた。

 瑞希はせっかく進んだダクトを後戻りして、置き去りになったスカートを靴下をはいた足の先で掴むというきつい姿勢で、再び講堂まで這うことになった。

 どれほどの時間が経っただろうか。

 瑞希は前方に、無数の小さな光の柱を見た。

 排気ダクトの出口から、外の光が差し込んでいるのだ。

 全力で這っていくと、そこで耳を聾するばかりの鐘の音が聞こえてきた。

 午後の始業チャイムが、ダクト内に反響しているのだ。

 耳を押さえることのできない瑞希は、目を固く閉じてじっと耐えた。

 やがて音は収まった。 

 瑞希が鍼を格子の端に突き立てたとき、下から人のざわめく声がした。

 宣誓式のために、高等部の生徒が入ってきたのだ。

 鍼を握る瑞希の手が、微かに震えていた。

 絶体絶命である。

 格子をこじ開けることはなんでもない。

 見れば、この真下は講堂の隅らしく、誰もいない。

 だが、それは格子が落ちても生徒の頭に当たる心配だけはないということに過ぎなかった。

 金属製の格子が床に落ちれば、いかにけたたましい音がすることだろうか。

 当然、生徒たちの視線は集中する。

 そこへ、腰には下着一枚の上半身が膨れ上がった女子生徒が足の先にスカートを掴んで真っ逆さまに降ってきたとしたら!

 たかが生徒手帳一冊のために、その代償は大きすぎた。 

 作戦は失敗したのだ。

 吉祥蓮の美少女忍者は小さな胸に敗北感を抱えて、狭い排気ダクトを足から先に這って戻るしかなかった。

 

 だが、まさに瑞希がそうしようとしたとき、奇跡が起こった。

 チャイムよりもさらに耳障りな非常ベルが鳴り渡ったのである。

 瑞希は目を固く閉じ、唇をかみしめて騒音をこらえていたが、下から生徒や教員が大騒ぎするこえが聞こえると、はっと我に返った。

 火事だ、地震だというデマが生徒の間に飛び交う。

 瑞希が目を開いた先にいる教員の中には、落ち着くように呼びかける者もあれば、原因究明にあたふたする者もある。

 絶好のチャンスが巡ってきた。

 瑞希は、排気ダクトの反響を利用して叫んだ。

「火が出たぞ!」

 講堂の生徒や教員にしてみれば、誰のものとも分からない声が、どこからともなく聞こえてきたように思えただろう。 

 生徒たちの足が止まったが、中には出口へと駆け出して、教員に制止される者もいる。

 瑞希の眼下は無人となった。

 敢えて格子を落として、瑞希は再び叫んだ。

「地震だ!」

 カラーン、という高らかな音に視線は一旦集中したが、格子が落ちたのを見た生徒たちは騒然となった。

 一斉に出口へ向かうのを、後ろから教員たちが呼び止める。

 その一瞬の隙を突いて、腰には下着一枚の上半身が膨れ上がった女子生徒が足の先にスカートを掴んで真っ逆さまに降ってきた。

 更に、彼女は空中で一回転すると足先のスカートを器用に履きなおす。

 やがて騒ぎの中には、スカートを引き上げながらおたつく埃まみれの女生徒がひとり増えたが、誰も気にはしなかった。

 

 しばらく経って、非常ベルが何かの間違いであったことが分かると、その場は収まった。

 騒ぎになったのは先に入場する上級生であったため、新入生がパニックに巻き込まれることはなかった。

 新入生入場にあたっては、一人の男子生徒に地味な太めの先輩女生徒が駆け寄り、落とした生徒手帳を伏し目がちに渡すという微笑ましい光景が見られた。

 さて、その日の騒動はいかに冬彦であっても知らないはずはなかったが、彼がそれを美しい義母に語って聞かせることはなかった。

 ほこりまみれの女生徒から忘れ物を渡された冬彦は、それから3日ほど、誰から何を話しかけられても上の空だったのである。

 どうやら菅藤冬彦君16歳、惚れっぽいところに救いがあるとすれば、見かけではなく、心に惚れるところにあるようだった。

 さて、瑞希はといえば。

 義理の兄の惚れるのが容姿であるにせよ心であるにせよ、その結果、次の朝から3日間、弁当プラスαの忘れ物を届けに朝の疾走をする羽目になった。

 鳩摩羅衆の少年が並走するようになったのもその時からで、あまりのしつこさに、その素性を調べようと瑞希が思い立つのも無理はない。 

 生徒の個人情報を調べ上げることなど、吉祥蓮の忍者にとっては本来造作もないことだが、こればかりは勝手が違った。

 分かったのは、本名が「玉三郎」ということだけだったのである。


 さて、講堂の倉庫から瑞希が持ち出した高等部の制服がどうなったか。

 何をするにも痕跡を残さないのが忍者の業である。

 制服がないのがバレて、盗難だ何だと警察なんぞに入り込まれては吉祥蓮としての生活にも支障が出る。

 やむなく瑞希は入学3日目から、何のかんのと理屈をつけては教室も職員室も問わず校内を歩き回り、講堂を開けるチャンスを探して回らなければならなくなった。

 鍼を使って、講堂と倉庫の鍵を開けられないことはない。

 だが、その行動が見つかる恐れもあれば、見つからなかったとしても扉が2つも開けられているのが不審に思われることもあり得る。

 1週間ほど調べて、やっとの思いで講堂が放課後の行事に使われる日時を特定した瑞希は、家でフック付きの細い紐を持ち出した。

 これも服の中に隠せる上に、女ひとりの体重を支えるくらいの強度はある。

 講堂が開いたら、隙をついて中へ入り込み、場所を間違えたとか何とか言いながら、もう一方の扉の鍵を内側から開けておく。

 講堂の行事が終わるのを待ち、責任者が扉を閉めるのと入れ違いに講堂へ滑り込んで内側から鍵をかける。

 無人になった講堂で、すでに直されているであろう排気ダクトの格子にロープのフックを引っかけ、天井まで登る。

 鍼でこじ開けた格子と共に床まで落下し、再びダクトにロープを引っかけて入り込む。

 ロープの端には、制服を括りつけておき、引き上げる。

 狭いダクトを通り抜けて倉庫側の格子をこじ開ける。

 中に入ったらロープで制服を引き寄せ、元の場所に返しておく。

 戻る際に倉庫側の格子は元通りの位置に戻しておく。

 堂側の格子は、ダクトの上からフックで引き上げる。

 ロープを持って飛び降りると、元の位置に戻る仕掛けである。

 だいぶんまどろっこしいが、たとえ格子が2つ外れているのが分かったとしても、それはかなり後になってからだろうし、まさかダクトから人が出入りしたとは誰も思うまい。

 講堂の扉の一方が閉め忘れられていた、で済む。

 そして決行の日。

 制服とロープの入ったカバンを持って登校した瑞希は、放課後すぐに講堂へ向かった。

 共有棟なので、中等部の生徒がいても不思議はない。

 それでも静かに、足音も立てずに講堂へと忍び寄った瑞希は、鍵がかかっているはずの扉に、念のため手をかけてみた。

 軽く引くと、何の抵抗もなく開いた。

 幸運に思わずガッツポーズを取って中に入り、今度は倉庫の扉を確かめてみた。

 鍵は開いていた。

 一瞬、呆然としたものの我に返り、棚だの机だのがゴタゴタ置いてある隙間を縫って裸のマネキンにたどりつき、制服を元通り着せた。 

 その時である。

 入るとき閉めたはずの扉が、大きな音を立てた。

 あわてて収納物の隙間をもたもた抜けてたどり着いてみると、やはり閉まっている。

 その向こうで、講堂の大扉が閉まり、鍵の回る音がした。

 また、閉じ込められたのかもしれない。

 倉庫の扉に手をかけてみると、鍵はかかっていなかった。

 開けて外へ出ようとすると、大扉の鍵が開く音がする。

 慌てて扉を閉める際に、その隙間から外を覗いてみると、先生方がぞろぞろやってくる。

 やがて、集会か何かが始まった。

 ジョセイキンがどうの、タイグウがどうのという長い話と議論が始まり、瑞希は出るに出られなくなった。

 もう少し語彙が豊富で世間知に長けた生徒なら、学園内の労働組合が集会を開いているのだと察しがつくだろうが、吉祥蓮の中学生忍者にはかなりどうでもいいことである。

 瑞希にとって当面の危機は、ここから出られないということであるが、それはどうにでもなる。

 排気ダクトの格子をこじ開けて逆ルートを通ることには、意味がない。

 集会が終わったら、大扉の鍵を開けて出れば予定通りだ。

 問題は、こんなくだらない悪ふざけをしたのが誰かということだ。

 考えるまでもなく、一人しかいない。

 入学式と宣誓式の日、都合よく非常ベルが鳴ったのも、玉三郎の仕業であろう。

 そう見当づけるのは、彼の瑞希に対する日ごろの態度を見ていればそれほど難しいことではない。

 やがて集会が終わり、数百と思しき無人のパイプ椅子の間を大扉に向かって通り抜けながら、瑞希はぼやいた。

「感謝なんかしないからね、あんな奴あんな奴あんな奴……」


 そんなことがあって、瑞希は危機を救ってもらった礼は今に至るまで言っていない。

 確たる証拠がないということに加えて、礼を言う気もなければ必要も感じていないからであろう。

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