シーン5 美少女忍者二人が共に眠るベッドにて
瑞希が亜矢に声を掛けられたのは、深夜、同じベッドに入ってからであった。
これも、入浴のときと同じ理屈である。
明るいオレンジ色のパジャマ姿で絨緞の上にあぐらをかく亜矢の前で瑞希は正座した。
丁重に申し出る。
「ベッドどうぞ、私、床で寝ますから」
これは皮肉抜きであったが、亜矢は応じなかった。
「そんなことしちゃだめよ、女の子でしょ」
たしなめられて、瑞希はふくれっ面をした。
「先輩だって」
上級生というより、年の近い姉にじゃれつく妹のようであった。
「冬彦クンの妹に、そんなことさせられないわ」
ぐいと顔を近づけられて、瑞希はちょっと身体を引いた。
「でも先輩だって、本番、明日じゃないですか」
亜矢はしなやかな両腕を後ろへ投げ出した。
身体をそらして、うーん、と伸びをする。
「じゃあいいわ、あなたがベッドに入るまで寝ないから、私」
「またそんな……」
これでは公演前に亜矢に徹夜をさせなければならない。
悪者になるのはやはり瑞希である。
「じゃあ、一緒に寝ましょうか」
よっ、と身体を起こすと、長い黒髪が波を打つ。
ラベンダーの香りが辺りに漂った。
「え?」
反論の余地もない。
こうして少女二人は、床を共にする。
ベッドに横たわった瑞希に身体を密着させると、亜矢はすぐに寝息を立てはじめた。
「葛城さん」
「亜矢でいいわ」
返事が返ってきて、瑞希は息を呑んだ。
眼を閉じたまま、亜矢は囁く。
「独り言のつもりで話せばいいわ。明日になれば、全部なかったことになる」
瑞希は口を閉ざしたが、やがて一つだけ尋ねた。
「どうして、迦哩衆なんですか?」
亜矢も一言だけ答えた。
「あなたは、どうして吉祥蓮なの?」
答えに詰まる瑞希に、亜矢は言葉を続けた。
「おんなじことよ。ただ……」
「ただ?」
「私はあなたがうらやましい」
亜矢は寝返りを打って瑞希に背を向け、再び寝息を立てはじめた。
どういうことですか、と尋ねても答えは返ってこず、瑞希も寝息につられて目を閉じた。
だが、もし、亜矢の口元が見えていたら。
その唇が、人の耳には聞こえないほど微かな声で物語を紡いでいたのに気づいたであろう。
その夜、瑞希の夢を織った物語を。
――平安朝の昔、両親を失って都の外れに独り住まう、公家の娘がいた。年老いた乳母の他には召し使う者もなく、頼るものもないままに、日々歌を詠み、琴を爪弾いて、命尽きるのを待っていた。
それはやがて、風雅を知る男たちの伝え聞くところとなった。恋い焦がれ、官位も名誉も投げ出して、男たちは彼女の元へ通った。
だが、花の命が短いように、美しい女の一生もはかない。
花が色褪せるように、彼女にも老いが訪れると、通う男たちも絶えた。
都の外れの家は荒れ果て、彼女が何処へ消えたのか知る者も尋ねる者もなくなった。
ただ、名前だけが残った。
多くの男を狂わせた、腐った醤油(敗醤、へし)ような臭いの女として。
おみな(女)へし(敗醤)、と――。
――中世の武士たちは、戦のたびに田畑を踏みにじった。百姓たちは生きる術を失って逃げまどい、中で女たちは遊び女へと身を持ち崩した。
それを一つにまとめた女がいた。
名を「みずち」という。
「みずち」は女たちと共に戦場を求めて歩き、日々の糧を得ては女たちを養った。
その戦場の男たちの中には、遊び女たちを意のままにしようとして狼藉を働く者もいる。
女たちに自ら身を守らせるため、「みずち」は体術を授けた。
体術によって女たちは心も体も磨かれ、より美しくなった。
人はそんな彼女たちを「かげろう」と呼んだ。
その色香に迷う男たちは戦を忘れ、逃亡を図る者も現れた。
軍規を引き締めようとして女たちを切ろうとする武者もいたが、「みずち」は知恵と技の限りを尽くして女たちを守った。
男たちから吸い上げた金銭は女たちの生活を支え、中にはそれを元手に身を立てる者もいた。
「みずち」は快くそれを受け入れ、やがて、「かげろう」はその名の如く、いつしか姿を消した――。
――昔々。
あるところに、大きな川があって、よく暴れたんだと。
田畑を流されて困っていた村々の人々を見かねたひとりの娘っこが、お殿様のお城の前に、飲まず食わずで何日も座り込んだと。
何とか助けてくだせえと泣く声を哀れに思った殿様がお城の門の外に出てみると、そこにはなんとも可愛らしい娘っこがいたと。
そのまんま娘っこをお城に迎えて、お殿様はたいそう可愛がったけども、娘っこは「自分だけいい思いをして申し訳ねえ」と、奥の部屋に隠れてばかりいたんだと。
お殿様は困った。
暴れる川を治めようとして、お殿様のお父上も、そのおじい様もずいぶんと銭を使って、お城の蔵はすっからかん。
娘っこは、そんな銭のことは、なあんもわからん。
とうとう、「人柱になって川を鎮める」と泣き出した。
お殿様もご家来衆も大慌てに慌てた。
本当に娘っこが死んだりして、怒った村々が一揆でも起こしたら家はお取り潰しになる。
ご家来衆は腹を切る覚悟で普請にかかり、川はようやく鎮まった。
娘っこはそれからも死ぬまでお城で大事にされた。
見てくれは弱いが芯は強いということで、「葦」とよばれたんだと。
どっとはらい――。
――明治になって、お雇い外国人が色町の女と恋に落ちた。
「いずな」と呼ばれるその女は、没落した武士の娘であった。
金で身体を得る立場になっても、物言いや立ち居振る舞いは、教養ある日本人のものだった。
物欲と暴力にまみれた西洋文明に疲れていた男はいつしか、そうしたものとは縁のない日本人の生き方に憧れるようになった。
祖国の妻を捨ててでも、彼は「いずな」と暮らすことを望んだ。
だが、色町の女が抱える前借金は、一生かかっても返せるものではない。
彼は露見するのを承知で、日本政府の公金に手を付けた。
それは、常に後進国を食い物にする西洋的なものへの抵抗でもあった。
「いずな」を請け出した後、まもなく彼は拳銃で頭を撃ち抜いて死んだ――。
物語は、そこで途切れた。
だが、瑞希はまだ夢の中にいる。
そこは薄明るい、水の中に似たところだった、。
瑞希は生まれたままの姿で、ちょうど、亜矢と共に浴室にいたときと同じ姿で、夢の中で揺らめく、水に似たものに身体を委ねていた。
そこには、もう一人いた。
亜矢であった。
浴室で見た、あの美しい肢体と長い黒髪を温かな揺らぎに任せて、瑞希を見つめていた。
「ここは?」
瑞希の問いに、さあ、と亜矢は首を傾げて微笑む。
「今のは?」
想像に任せるわ、とだけ答えが返ってきた。
「みんな、迦哩衆の女たち?」
そうかもね、と亜矢は悲しげに眼を伏せた。
その姿は何処かへ消え、再び物語が紡がれる。
――太平洋戦争前夜。
これに抵抗した多くの社会主義者や自由主義者と共に生きた女たちがいた。
その中には、彼らに身を持ち崩させ、仲間を裏切らせるために国家権力が放った者もいた。
だが、彼らを憲兵や特高に引き渡した後、彼女たちは泣いた。
涙が尽きるまで泣かなくては、次の男を騙せないからである――。
――生きるために、女と共に逃げようとする男もいた。
だが、徴兵を逃れて潜伏生活を送る男と、女がいつまでも暮らせるはずもなかった。
女は生きるために、持てるだけの金銭を持って姿を消した。
その女を探すうちに憲兵に見つかった男は、服役中に死んだ――。
――戦犯とされた士官や兵士には、無実の者も多かった。
だが、敗戦で生きる術を亡くした女たちに、それを信じきれない者も少なくなかった。
恋人が戦地での虐殺で起訴されたある女は、戦後に掌を返して平和主義者になった日本人の中で孤立し、生きる術を失った。
美貌に恵まれていた彼女は、占領軍の将校に媚びることで生き延びたが、誇りを捨てたわけではなかった。
新たな男と共に海を渡った先で、かつての恋人の無実を知った彼女は、自分に復讐をした。
その将校の名前で軍の資金を横領し、その罪をかぶせられた本人と共に刑に服したのである――。
薄明りの中に、亜矢の声だけが微かに聞こえる。
――女は、本来、強い生き物じゃないわ。
女がひとりで女として生きていくのは、きれいごとだけじゃ無理なの――。
「違うわ」
瑞希は叫んだ。
「本当の強さって、目には見えないんだから」
かつての父の信念だった。
だが、それを打ち消そうとするかのように、どこからか亜矢は語り続ける。
――だから、女がお互いに助け合うために迦哩衆は生まれた。
それがいつのことかは、私たちでさえも分からないけど。
ただ、言えることが一つだけあるわ。
女がひとりで生きていくためには、手段を選んではいられない――。
「違う! 違う! 違う……!」
次の朝、薄明るいまどろみの中でぶつぶつ言いながら、瑞希は目を覚ました。
部屋に亜矢の姿はなかった。
階下に降りると、食卓には焼いたパンとベーコンエッグ、コーヒーが並んでいた。
男二人を叩き起こしに行くと、部屋から出てきた冬彦はもう制服に着替えていた。
玉三郎はというと、当然、前日の私服のままだった。
何やらうっとりと夢見心地である。
目をしょぼつかせているところを見ると、どうやら眠れなかったらしい。
冬彦がすぐ隣で寝ていたせいか。
よもや少女二人の睦言を盗み聞いていたわけでもあるまいに……。
それはともかく。
玉三郎は、亜矢の作った朝食を何の疑いもなく平らげた。
出がけには瑞希に重々しくのたまったものである。
「準備万端、すべてお前の計画通りだ」
戦闘開始とつぶやいて、朝の光の中へ一足先に駆け出していく。
休日の文化祭とはいえ、玉三郎でも制服に着替えなくてはならないのが校則であった。




