シーン4 美少女忍者二人きりのバスルームにて
そして数分後。
13歳の少女は、17歳の宿敵の裸身を前にたたずんでいた。
といっても、それをまともに見ることはできない。
それほどに、衣類を脱ぎ捨てた身体は美しかった。
「お先に」
くるりと向けた白くつややかな背中に、長い黒髪が揺れる。
なだらかな曲線を描く後姿を見せて、亜矢は浴室に入っていった。
軽やかな囁きが、それほど広くない湯殿に反響する。
「心配しなくていいわ。見てのとおり、丸腰だから」
瑞希は、はっとして自らの身体を見回した。
確かに、一糸まとわぬ身では、鎖を隠す場所がない。
臍下と、そして未だ豊かとは言えない胸を手で隠しながら、瑞希も身体一つで後に続いた。
こうして少女2人は、浴室を共にする。
吉祥蓮と迦哩衆……おそらく1000年近く闘ってきた二つの忍者集団。
だが、その女2人が、生まれたままの姿で向き合うことが、これまでどれだけあっただろうか。
もっとも、瑞希は湯船に浸かったまま、亜矢が湯を流す背中から目をそらしている。
その正面の鏡には、肌のつややかな肩からこぼれ落ちる熱い奔流が胸の豊かな膨らみの上で砕け散る様が映っているはずである。
それは、見ようと思えば見ることができなくもない。
だが、湯船の中に身をすくめていてはとても無理だ。
少女は、湯につかってくつろぐというよりは、むしろ水面下に口の辺りまで沈んで、うずくまっていると言ったほうがよいだろう。
亜矢は、シャワーを使わないでカランから洗面器に落とした最後の湯を頭からかぶると、長い髪を振り乱して、思いきり頭を振った。
水滴が飛び散って瑞希の目に入りそうになる。
咄嗟に目をつぶったため、胸の果実ふたつが揺れるのは見えなかったろう。
目をしばたたかせる吉祥蓮の娘に、美しく成長した迦哩衆の少女は気さくに尋ねた。
「そっち入っていい?」
突然聞かれた瑞希に勘ぐる暇はなかっただろうが、そんな必要もないのだった。
自分は身体の自由が利く場所に行って、相手は自ら自由の利かない狭い場所に入るのである。
どうぞ、と湯から上がるよりほかはない。
入れ替わりに湯船に浸かる亜矢を横目で眺める。
自分の身体と見比べて溜息をつく瑞希に、背後の湯船から声がかかった。
「驚いた?」
風呂場用の低い椅子に座った瑞希は、ボディソープをスポンジに取って、ためらいながら頷く。
敵に自ら弱みを見せることもない。
だが弱みというものは、隠せばそれだけ気を取られ、心の余裕を奪う。
まだ幼さを残す腕や細い肩をこするスポンジの動きがせわしないのは、その表れともいえた。
背後の敵を気にしながら駆け引きを考えているのであろう、あどけない少女。
その傍らには、湯にたおやかな肢体を任せながらうっとりと目を閉じる年上の少女がいる。
姿は見ずとも内心は見抜けるとでもいうかのように、亜矢は語りかけた。
「人を傷つけることなんかなんとも思わない、極悪非道の集団。そう思ってたでしょ」
鏡の前の腰掛に座った、細い背中の少女から答えは返ってこない。
ただ、うなじから、また肩から腰へ向かって、シャワーの湯が流れはじめた。
その身体の正面は鏡に映っているが、首から上は見えない。
ただ、白く小さな手が、石鹸のついたスポンジを白い腕の上で黙って動かしているばかりである。
その様子をじっとみつめていた亜矢は、天井を仰いで湯の中に身体を沈め、言葉を接いだ。
「その通りの女よ、私たちは」
再び背中に湯を流すシャワーを持つ手が、肩の上で止まる。
しまった、という後悔が瑞希の表情に走った。
当然の焦りである。
湯船の中から見える鏡に映るのは、それほど起伏の豊かではない身体だけである。
戦おうにも、武器はない。
確かに、石鹸水を含んだスポンジを相手の顔面にぶつけて目つぶしにすることはできる。
浴室のような狭い場所なら、そのうえで思いのままに打ちのめせばよい。
亜矢の体勢でかわすには、湯船に沈んでかわすより他はないだろう。
そうなれば、そのまま押さえつけて窒息させればいい。
確実に仕留めるには、これ以上の環境はないのだ。
狭い浴室に、相手が素肌に寸鉄も帯びない姿でいるのだから。
そもそも、入浴中に暗殺された歴史上の人物は、数え上げたらきりがない。
平治の乱に敗れた源義朝。
その孫にあたる、鎌倉幕府の第2代将軍、源頼家。
歌舞伎の脚色では、旗本奴との抗争で殺された町奴、幡随院長兵衛。
ヨーロッパでは、フランス革命でギロチンを振りかざしたマーラーが、市民の恨みを買って美しい女刺客に暗殺されている。
瑞希がそこまで知っているかどうかはともかく、これらは力で劣る者にとって最も合理的な選択であった。
スポンジに、再びボディソープが注がれる。
だが、その先はどうするのか?
本気で闘えば、お互いただでは済まない。
瑞希か亜矢か、どちらかが倒れることになる。
いずれにしても、ひと騒動起こるだろう。
同業者の玉三郎は除外するとしても。
――まず、亜矢が倒れれば、冬彦がパニックに陥る。
演劇部は文化祭当日に対応を迫られ、学園は生徒宅に男女が泊まって起こしたトラブルとして、菅藤兄妹他2名を処分しなければならなくなる。
結果として亜矢は学園から消えるかもしれない。
それは瑞希にとってそれほど問題にはならないが、迦哩衆はより強力な刺客を送り込んでくるだろう。
1000年もの間、戦ってきた相手である。それは仕方がない。
だが、学園の処分にせよ迦哩衆との戦いにせよ、冬彦までがとばっちりを食うことはないのである。
玉三郎は、自分で何とかするだろうが――。
――倒れるのが瑞希だったら、問題は吉祥蓮と迦哩衆の間で収まる。
それでも、冬彦は人事不省に陥った妹を前に半狂乱になるだろう。
文化祭は、亜矢が何とかしてしまうだろう。
この場合、玉三郎は全く関係ない。
もしかすると、感情に任せて引っ掻き回してしまうかもしれないが――。
何にせよ、瑞希は一葉から「忍者は後始末まで考えておくものだ」という教育をきちんと受けている。
身体を洗う手が止まり、スポンジは握ったり放したりの繰り返しで何度となく石鹸水を風呂の床にこぼした。
だが、吉祥蓮の少女の狼狽ぶりを知ってか知らずか、亜矢はふふ、と笑うだけである。
「大丈夫よ、今夜は一時休戦」
あ、とつぶやいて瑞希は縮こまった。
瑞希が迷った時点で、キャスティングボードは亜矢に握られていたのである。
むしろ、この家の中で瑞希が事を構えられない以上、泊まり込んだ時点で亜矢の勝ちだったといえよう。
年上の同性は文字通り、役者も上だったわけである。
湯船の湯が揺れる音と共に、亜矢はつぶやく。
「またこんな夜が来るのは、いつのことやら」
亜矢の言う「こんな夜」とは、どんなことなのか。
言い換えれば、いつもはどんな夜を過ごしているのか。
葛城亜矢は、また迦哩衆の女たちは……。
一葉が瑞希に語ったのは、「常に単独行動で、男たちを手玉に取って食い物にしては勢力圏を広げる」という手口だけである。
瑞希はすくめた身体に湯を流しながら、何も答えられないでいた。
その背後には、湯に豊かな胸を沈めて、湯船にしなやかな両腕を投げ出している年上の少女がいる。
瑞希が身体をひねって振り向くと、亜矢は湯煙の中でうっとりと目を閉じていた。
微笑を浮かべるつややかかな唇の細い隙間からは、宝石のような歯が白くのぞいている。
その心と身体は、余りにあけすけで無防備だった。




