25話 街の外れに
翌日の土曜日。
朝早くから俺は駅前にいた。
何度も足を運んだ古めかしい駅舎。この街の中心の顔とも言えるそれを感慨深く眺めていた。
ここに来ることは、あと何回あるのだろう。
そんな風に考えていたら遠くからぱたぱたと忙しない足音が聞こえてくる。
「ごめーん!」
待ち合わせの時間よりもかなり早く来ていたのに、豊川はすぐにやってきた。
「秋良! 早いね」
「豊川も」
豊川はそれを聞いてきゅっと口角を上げる。
「遅れたくないし!」
そう言って豊川はもう一度、くしゃっと笑みを作ってみせた。
休日のそれも早すぎる時間のせいだろうか、駅の周りを歩いている人影は殆どなかった。
俺と豊川はなんとなく、まだ薄暗い寒空を見る。
季節は十月の中頃に入ろうとしていた。半袖はもう着ていられない寒さだ。
「秋良、暖かそうな格好してるね」
そう言って豊川は俺のパーカーのフードをそっと触ってきた。
「……寒いからね」
俺は反射的に一歩退きたくなるのを必死にこらえた。
そうだ。
今までの俺は豊川がいくら距離感を詰めてくれても、親しくしてくれる彼女から無意識に逃げようとしていた。
でも、今はそういう振る舞いはしたくなかった。
ちゃんと付き合っている結月という存在ができたというのにおかしな話だ。
「豊川は脚寒くないの?」
「寒いけど?」
短いスカートと膝丈のブーツ。その踵をとんとんと小突きながら、豊川は気丈に答えた。
豊川は暖かそうなセーターを着ている。
深いキャメル色で、極太の毛糸を編み込んだものだった。
「じゃあ。行こっか」
そう言って豊川は一足先に駅構内へと向かっていく。
「今日はありがと! 秋良」
俺の名を呼ぶ豊川の声は弾んでいた。
こちらを振り返り、目を細めて心から楽しそうに。
あの夕暮れの廊下で見た豊川の泣き顔は俺が一人見た幻影だったんじゃないか。
そう思えるほどだった。
♦ ♦ ♦
一時間に数本だけの鈍行に乗って、窓の景色は俺たちの見慣れた街から徐々に離れていく。
向かう先は行ったことのないショッピングモールのある市内の西の外れだ。同じ街にあるのに車がないと絶対に行けない場所。
普段の中学校の生活圏からすると殆ど未知の世界だ。
「ここ初めて来た」
「え、そうなの? 秋良ここ来たことないの? マジで?」
驚いたように俺を見る豊川。
そんなに変なのだろうか。心の中で訝しがっていたら、
「秋良ってあんまり休みの日とか外出ないの?」
「そうだけど」
「……」
豊川がかわいそうな物を見るような目をする。
でも、仕方ないじゃないか。俺はもともと出不精なんだ。
振り返った小さな駅舎は、名前だけ知っていた駅名の看板が掲げられていた。
『朝ご飯食べてないんだよね』
豊川のその一言で、俺達は駅前すぐ近くのハンバーガーショップに立ち寄った。
朝早くで他に客もいないせいか、オーダーすると殆ど待たずにメニューが提供される。
重いトレーに載せたそれを注意深く運ぶと、豊川は既に席についていた。
「お腹減ったー! 秋良は何頼んだの?」
「てりやきのやつ」
向かい側に座ると、豊川は早速俺のトレーに載ったハンバーガーを指さす。
「てかさ。秋良、それしか食べないの?」
そう言った豊川のトレーに乗っかっているのはチーズのたっぷりかかったダブルバーガーと、カップに満載されたラージポテト、それからシェーク。
朝一番に食べるものじゃないと思った。
「よくそんなに食べられるね」
「運動部だし。たくさん食べないとだめっしょ」
そう言って手を合わせていただきますと呟くと食べ始める。
意外にそういうところは礼儀正しいんだ。
朝早く頭がぱっとしないせいか俺は呑気にそんなことを思っていた。
「豊川ってテニス部だよね?」
「うん。秋良は帰宅部でしょ?」
張り合うように俺が帰宅部であることを指摘する豊川。ポテトをつまみながら得意げだ。
「豊川ってテニス強いの?」
「強いってなにそれ。聞き方うける」
シェークカップのストローを咥えながら、豊川はおかしそうに声のトーンを上げた。
俺達以外客のいない店内に甲高い声が響く。
「どうなんだろ? 一応キャプテンやる予定なんだよね」
「じゃあ強いじゃん」
「そういう判断基準!?」
お世辞半分、感心半分で言ってやったつもりなのに。豊川はちょっと照れくさそうだった。
「そんなことないから、そういう役目背負うのって上手いからとかじゃないよ?」
「頼りにされてるってこと? 豊川らしい」
おだてるつもりじゃなかったけど、自然とそんなことを口にしていた。
クラスではいつも真っ先に発言し、活発な女子グループの一員としてみんなをリードする側のクラスメートだった。
春に同じクラスになってからずっと見てきた豊川の印象そのものだったから。
テニス部のキャプテンっていうのも納得がいく。
「そんなことないし……」
でも、豊川は柄にもなく照れたように押し黙ってしまった。
もじもじと指先をテーブルにこすりつけるようにしながら、こちらを窺うように見上げてくる。
「もう、秋良ってほんとそういうとこずるい」
先程までのテンションが鳴りを潜めたように慎ましくなっていく豊川。
そんな彼女の一面は俺の鼓動を早くさせる。
暫くの間テーブルを挟んで沈黙が続く。
そのせいだろうか、
「このポテト、食べない?」
豊川は露骨に話題を変えた。
「え?」
「だから、ポテト。ちょっと多すぎる」
「ラージサイズなんて頼むからだよ」
「もう。いいから食べて」
そう言ってむんずとポテトの束を掴むと、俺のトレーの上のペーパーにばらばらと盛り付けてくる。
俺が渋々数本つまんで口に運ぶと、豊川は満足そうに頬杖をついた。
「こうやって遠出してるとさ、冒険って感じしない?」
「……わかるけど」
中学生二人でのちょっとした遠出。それも休日早朝という時間はまるで人目を避けるような背徳感もあった。
「青春してるよね? ウチら」
「……」
照れくさくて返事に困っていると、
「秋良」
「なに?」
豊川は細くきれいな指先をテーブルの上にピッと乗せる。
そして、テーブルに乗っけたままの俺の手の甲に向かって指先を滑らせてきた。
「今日のこと覚えててね」
言いながら手の甲をむず痒い感触が伝わってきた。
豊川の細い指、綺麗なピンク色の爪をじっと見ていた。
「忘れないと思うよ」
言いながら、思った。
とても冷たいことを言っていると。
店内には暖房はついているはずなのに朝早いせいかほとんど温かさは感じられない。俺達以外人のいない店内もそれに拍車をかけて心の中に寂寞めいたものを感じさせてくる。
――でも、きっと。
そっと自身の胸に意識を向けると身体は芯から暖かい。
この日もいつか、俺の記憶として思い出す日が来るんだろうか。
豊川は恋人じゃない。豊川に対する「好き」はやっぱり結月に対して自然に注がれるものと全く違っていた。
いつも、こんな風に話しかけてきて照れ臭かった。
本当は俺のこと好きなのかな? と眠れない夜もあった。
――でも、どうせ。
そんな風に考えて逃げてきて。気づいたら自分から豊川の想いを手放していた。
そして、結月と付き合うことになっていた。
豊川といるときに感じるドキドキは、結月といるときのそれとは少し違っていて。
それは、言うならば桑園や紘一郎たちとバカをやるときのドキドキとそっくりなのだ。
「豊川」
「えっ」
豊川の細い眉が少し上がった。
俺は言いかけた言葉を引っ込めるようにポテトの残りを口に運ぶ。
「ポテトって感じがする味だよ。おいしい」
「なにそれ」
喉奥を塩辛いポテトの香ばしさが通り過ぎていった。
ありがとう豊川。
俺に仲良くしてくれて。
俺、お前のことは絶対に忘れない。




