いつもの距離感
いつもの午後。
春の暖かな日差しがオフィスに降る。
午前の仕事を一通り片付けて、一息つく頃には時計の針は正午を少し過ぎていた。
急ぎの案件も無いことだし昼飯にするかと出入り口に視線をやると、開かれたドアに凭れ掛かりながらコンコンと軽くドアをノックする一人の男と目が合った。
「飯、行くやろ?」
当然のように軽い口調。
もちろん、断る理由は無いから誘われれば「行く」と答えるだけ。
俺が昼飯抜きがちだから、いつもタイミングが合う時は飯に誘ってくれる。
それにしてもほぼ毎回俺が飯食いに行こうとした時に声掛けてくるの、タイミング良すぎないか?
「エスパーか何かかよ」
「はっ、お前の事くらい考えんでも分かるわ」
そう言いながら、隣を歩く同期で営業二課の高坂 悠真は、営業一課の俺、一ノ瀬 克己を鼻で笑った。
なるほど。これも、長年の経験ってやつなのかもな。
俺は苦笑いしながら、高坂さんの後に続いてオフィスを出た。
ガヤガヤと賑わい出している社員食堂で、並びながらトレーを手に取る。
列はそこそこ長いけど、時間はまだまだ余裕だ。
肩が触れる距離に立ちながら、特に気にすることもなくメニュー表を見上げる。
献立も春めいてるなぁ。
俺たちはメニュー表を眺めながら、声を掛けるでもなく同じタイミングで足を止めた。
定食のメニューの前、癖みたいになっているいつものやり取りが始まる。
「お前どっちにする?」
いつもの質問。
どっちの定食にするかは決まっていたけど、敢えて少し悩んだふりをして答えた。
「んー、A定食」
「そうやろうな。ほな、俺はBにするわ」
今日も見透かされてたか。
でも、まぁこれもいつも通り。
俺の答えを聞いてから、別のメニューを選んでくれる。
まぁ大体二択だし、二択じゃなかたとしても何故かいつも俺が食べたいと思ったものを選んでくれるから、メニューで迷ったことはない。
俺のことなら分かるって言ってたけど、マジなんだな。
てか、俺ってそんなに分かりやすいのか?
大体食べたいと思ったものを当てられるから、結構顔に出てたりするのかも?
なんだか少し悔しい気もするけど、当てられたからと言って特に何も無いし、食べたいものが迷わずに食べられてラッキーくらいに思っておこう。
「お待たせしましたー」
出来上がった美味そうな定食を受け取ってトレーに乗せ、空いてる席を探しながら移動する。
出来立ての良い香りが湯気と共に立ち昇ってきて、鼻腔から食欲を刺激してくる。
休日は昼食を抜くことも少なくはないけど、やっぱり美味しい匂いを嗅ぐと腹が減る。
空腹を訴える腹の虫を抱えながら、混雑してきている食堂を一瞥して、空いている席を探した。
視線の先にちょうど空いた四人掛けのテーブルが目に入り、特に相談することもなく足早にその席へ移動する。
そしていつも通り、この人は俺の向かいにトレーを置いた。
座るなり、向かいから人差し指が伸びてくる。
「それ、美味そうやな」
指差されたおかずは、俺のA定食のメイン。
視線を向けると、口の端を少し上げながら「寄越せ」と顔が言っている。
「じゃあ、コレちょうだい」
すかさず、俺はB定食のメインを指差した。
「ええよ」
分かってた、とでも言いたげに口の端が微かに上がるのが見えた。
寄越せと言ってきた顔とは、少し違う笑顔。
もはや、恒例と化している定食のシェア。
だからなのか、この人はいつからか俺と同じメニューを頼まなくなった。
奥から手が伸びてきて、俺の皿からおかずを一つ取っていく。
俺はそれを横目に見ながら水を一口飲んで、それから手を伸ばして高坂さんの皿からおかずを一つ摘んだ。
いつも通りだけど、そんな俺たちを通りかかった同僚が、また何度目かわからない揶揄いをしてくる。
「お前ら、また一緒に飯食ってんの?」
「一課と二課で張り合ってんのに、ほんと仲良いよな」
張り合ってるからって、仲が悪いとは限らないだろ。
それに、俺たちはただの同僚じゃない。
「ただの腐れ縁だよ」
目の前の高坂さんはいつも通り黙ったまま。
いつもこの問いに答えるのは俺が先だ。
俺がいつも通りそう答えると、一瞬箸を止めた高坂さんが一拍置いて口を開いた。
「たまにはお前らとも飯食うとるやろ」
高坂さんは同僚たちに視線を送ることなく、食べながら答える。
確かに。
たまに、何人かで昼飯を食う時はあるな。
まぁ、その時も高坂さんは一緒に居ることが多いけど。
「なぁ、マジでお前ら付き合ってねーの?」
同僚の一人が、声のトーンを落としながらそう言ってきた。
はぁ、またか。
「んな訳ねーだろ」
もう何度目か数えるのも面倒なほど、繰り返してきたこの問答。
即答するリアクションも、感情があまり乗っていない返答になってきている。
大体、親友ってこれくらいの距離だろ?
どうしてそうくっ付けたがるかな。
別に、コレを言われることにイラついてる訳じゃ無いけど。
と言うか、毎回否定するのもいい加減面倒臭くなってきたな。
「ほんま、お前らその手の話好きやなぁ」
一拍置いて、高坂さんは鼻で笑いながらそう言った。
この人は、なんでいつも一拍置くかな。
相変わらず同僚には視線を向けることはなく、俺の定食のおかずを取っていく。
おい、あんまり取るなよ。自分の食えって。
俺の視線に気付いたのか、高坂さんは代わりのおかずを俺の皿に乗せながら、チラリと視線を合わせてきた。
「一ノ瀬、早よ食わんと時間無くなるで」
「うわ、まじ? 俺早食い苦手なのにー」
高坂さんに言われて時計を見ると、昼休憩の時間は残り半分に差し掛かっていた。
折角の出来立てだった定食も、少し冷めてしまっている。
慌てて食べ始める俺を見て、「じゃーな」と一声掛けて立ち去る同僚に視線だけ送り、俺は皿の端に置かれたB定食のおかずを摘んだ。
「ん! うま」
「やろ? これもやるわ」
「サンキュー♪」
追加のおかずをゲットして、俺はいつもより急ぎめに箸を進めた。
……温かかったらもっと美味かったんだろうな。
視線をチラリと移すと、高坂さんはもう殆ど食べ終わっている。
黙々と食べる俺を眺めながら、頬杖を付いて少し残ったおかずを俺の方に寄せた。
「そう言えばお前、あの件どうなったん?」
あの件?
一瞬何のことか分からなかったが、すぐにこの間相談した件だと分かった。
「ん?あぁ、無事に契約取れました!」
自慢気に笑いながら、高坂さんに向けてピースサインを出した。
「チッ、先越されたか」
少し悔しそうに顔を歪めながら、高坂さんは俺を睨んだ。
睨むなよ、アドバイスくれたのは高坂さんじゃん。
一課と二課で張り合ってるとは言え、相談にはちゃんと乗ってくれるし、しっかりアドバイスもしてくれる。
もちろん、俺も相談にはちゃんと乗るし、アドバイスもする。
同じ営業なわけだし、業績は張り合っててもそこは協力して行かないとな。
眉間に皺を寄せている高坂さんの顔を見て、少し笑えてきた。
「んな嫌そうな顔すんなよ」
いつもの他愛無い雑談と、仕事の話。
結構長い付き合いだけど、やっぱり高坂さんと居る時間は相変わらず楽しいな。
高坂さんとは、小学生の頃からの付き合いだ。
小学校・中学校と一緒で、高校で一回離れたけど大学でまた同じ学校になった。
でも歳も学年も一個上の先輩だったのに、大学でまさか同学年になるとは思わなかったな(笑)
大学の入学式で会った時、目を丸くしていた俺に向かってあっけらかんと〝留年した!〟と言って来た。
それを聞いた時は驚いたけど、すぐに納得できてしまった。
それと言うのも、理由が「調子に乗って遊びすぎた」らしい。
その行動があまりにも高坂さんらし過ぎて容易に想像できたから、俺はその話を聞いた時は笑い転げた。
あと、暫くはこのネタで揶揄ったな。
それから同じ会社に入社して、同じ営業職に就いて、今じゃ一課と二課で業績を競い合ってるんだもんな。
正直、最初は結構煩い奴だなって思ってたけど、意外と面倒見が良いんだよな。
俺が普段割とだらし無いから学生の頃から色々と世話を焼いてくれていたし。
……まぁ、今も世話にはなってるけど。
だから、まさかこんなに長い付き合いになるとは思っていなかった。
こういうのを、腐れ縁って言うんだろうな。
なんて思いながら、俺は最後の一口を頬張った。
「何笑ってんねん」
昔のことを思い出していたら、口元が緩んでいたのか高坂さんに突っ込まれた。
「いや、高坂さんが留年した時の事思い出してた」
「おっま、いつまでそれ擦る気やねん!」
笑いながらチラリと時計を見ると、まだ少し時間がある。
俺が、コーヒーを買いに行こうと席を立つと
「いつもの」
俺の考えを察知した高坂さんが、すかさず注文してきた。
「はーい」
言われなくても、買ってくるつもりだったけど。
自動販売機の前で、迷いなくボタンを押していく。
そして紙コップを両手に持ちながら、席に戻った。
「はい、ご注文の甘いカフェオレでーす」
「いちいち言わんでええねん」
そう言いながら少し照れくさそうな、不貞腐れたような顔でカフェオレを口に運んだ。
高坂さんは意外と甘党だ。
甘いものが好きなのをあまり言われたく無いみたいだけど、こういう時の高坂さんは少し可愛いなって思ってるから、いつも揶揄ってしまう。
そう言えば、ブラックも飲めなくはないって言っていたけど、前に俺のコーヒーを一口あげた時「……美味くない」って眉間に皺寄せてたな。
薬味とかも苦手だし、苦味のあるものがダメとか少し子供っぽいよな、なんて怒られるから言わないけど。
俺は反対に甘いのが苦手だから、いつもブラックコーヒーだ。
コーヒーを一口を飲んで、口に広がる苦味と鼻に抜ける香りを感じる。
「てか、高坂さんもこの間の件、どうなったんだよ?」
あの、とかこの間の、とかで会話が出来るのって楽だよな。
これも腐れ縁だから成せる技、ってか?
「あ?んなもん、バッチリ契約取ったに決まっとるやろ」
ドヤ顔。
「さすが。俺が相談に乗ったお陰だな」
「アホか。俺の実力じゃ」
たまに、冗談めかして張り合うようなことを言ってみる。
別に普段からそこまで張り合ってるわけじゃ無いけど。
まぁライバルって言っても、そんなアニメや漫画みたいなバチバチしたものじゃないから、俺たちの会話もいつもこんな感じ。
仕事の事も、プライベートも。
「せや。こっちの新人めっちゃ使えるで。ちょいチャラいけど」
「まじ? こっちのはすげー真面目って感じ」
今年の新入社員の話をしながら、指導の方針やら仕事の割り振りなどを話していると、視界の端にある人物が映り少し視線で追った。
「ん? どないした?」
俺のその視線に気付いたのか、少し眉を寄せて声のボリュームを落とした。
俺もボリュームを抑えつつ、短く呟く。
「……社長」
この会社には、すげぇ癖の強い社長がいる。
俺はその人を視界に捉えてしまい、それを聞いた高坂さんは静かに気配を消した。
俺も気付かれないように、存在感を薄めながら視界に捉えた姿を見失わないよう注意する。
暫くして高坂さんが口を開いた。
「…………まだおる?」
出入り口は、俺の視線の先。
向かい合って座ってる高坂さんの、後方だ。
振り向いて確認する訳にも行かない高坂さんは、声を潜めながら状況を聞いてきた。
「……いや、出て行った」
俺の言葉に安堵したのか、高坂さんは大きな溜め息を吐いた。
「はぁ〜焦らすなやマジで」
二人して一気に気が抜ける。
気を抜いた瞬間に背後に立ってた、なんて事も珍しくないうちの社長。
高坂さんは大きな安堵の溜息を吐いた後、ハッとした表情で勢いよく後ろを振り返った。
「はぁ〜」
今度こそ、安堵の息。
「部長が一緒に居たから、大丈夫だと思うけど」
部長と社長は、俺たちと同じように幼馴染らしい。
あの人―社長はこの会社の長なのに、何故か部長には勝てないみたいで、部長が近くに居てくれるとこの会社の男性社員は幾らか安心できる。
まぁ、たまに部長の目を盗んで来る事もあるけど。
「被害に遭ったことないの、もう新人だけやろな」
若干遠い目をしながら、高坂さんが呟いた。
「だろうな。まぁそれも時間の問題だろうけど」
社長は新入社員にも、わざわざ挨拶しに来たりするからな。
ま、大体その時に被害に遭うんだけど。
俺もそうだったし……。
そう思った瞬間、近くフロアから男性社員が社長の餌食になったであろう叫び声が、微かに聞こえた。
「……ふざけてんな」
被害にあった男性社員の悲鳴を聞いて、高坂さんは眉間に皺を寄せながらそう言った。
そりゃ苦い顔にもなるよな。
「高坂さん、この前揉みしだかれてたもんな」
聞こえてきた悲鳴で、先週目撃してしまった出来事思い出して、少し揶揄ってみた。
「思い出させんなや……」
あ、高坂さん、頭抱えちゃった。
相当嫌な顔してたもんな。
「ごめんごめん」
「あと、揉みしだかれたんちゃう。鷲掴みされただけや」
いや、すげー睨んでくるじゃん。ごめんって。
うちの名物社長。
何故か男性社員のケツを揉むのが趣味、と言う最悪な癖の持ち主だ。
しかも、何故か揉まれた奴全員叫び声を上げてしまうから、被害に遭った瞬間がフロアに知れ渡る仕様。
その所為で、部長にめちゃくちゃ怒られてるけど。
でもよく考えたら怖いよな、一日に数回は男性社員の叫び声が響く会社って……。
はぁ、と短い溜め息が向かいから聞こえた。
「あんま話してて来られても嫌やし、この話はしまいや」
「そうだな」
噂をすればなんとやら、とか言うし?
実際、距離あるから大丈夫だと思って気抜いてたら、いつの間にか真後ろに居てケツ揉まれた事もあったしな……。
ここは高坂さんの言う通り、早々に違う話題に切り替えるのが吉だ。
「一ノ瀬」
次の週末の話をしようかとした時、一人の同僚に名前を呼ばれた。
「ん? どうした?」
「この書類のことでちょっと」
同僚の手に持ってる書類を確認するため、席を立って数歩離れた所で確認する。
身長が高い俺は、小首を傾げながら書類に視線を落とした。
なんとなく、背中に視線を感じる……気がする。
どことなく、チリチリと熱くなるような、チクリと刺されているような。
まさか高坂さん、俺の粗でも探してんのか?
まぁ、いいけど。
妙に落ち着かない感じはあるけれど、敢えてその視線を無視するように手元の書類に集中した。
書類を確認した後、少し雑談していたらポケットでスマホが震えた。
画面を確認すると、営業一課の社内番号からの着信。
「はい、一ノ瀬です」
内容は特に緊急の連絡とかでは無かったけど、俺は少し早めに戻ることにした。
書類を確認した同僚には先に戻ってもらい、俺は振り返ってテーブルの上にまだ残っているコーヒーを飲み干した。
「高坂さん、俺先戻るわ」
「ん」
トレーを持って席を離れる時、ポツリと周囲の喧騒に紛れそうな音量で高坂さんが呟いた。
「なんや、静かになるな……」
そうか?
まだ割と賑わっているとは思うけど。
そうは思ったものの、俺は特に聞き返すこともなくそのまま食堂を後にした。
背中にまた、あの視線が刺さっているのも気付かずに。




