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第五章 ― 目覚め始める力 ―

## 一 南への道


 南へ向かう道は、これまでとは違う緊張を伴っていた。


 追跡者たちの気配は消えていなかった。直接姿を見せることはなかったが、時折、遠くに人影を見かけることがあった。確認しようとすると、姿を消す。本格的な襲撃ではなく、観察されている感覚だった。


「監視している」とカイルが言った。「タイミングを計っているのかもしれない」


「何のタイミングですか」とセラが聞いた。


「俺たちが疲れるのを待つか、人数が少ない場所を狙うか」


 四人は、これまで以上に警戒しながら歩いた。夜の見張りも、二人体制にした。一人が休んでいる間、もう一人が起きている。それを交代で繰り返した。


 緊張は体力を削った。だが、それ以上に、四人の結束を強めた。互いを守る必要があるという意識が、これまでよりも強く、自然に共有されていた。


---


## 二 訓練


 十五日目、カイルがアウラに提案した。


「少し、戦い方を教える」


「私が、ですか」とアウラは驚いた。


「お前は、紋章を持っている。だが、それをどう使うか、知らない。襲われたとき、ただ守られるだけでは、お前自身が危険になる」


 アウラは少し考えてから、頷いた。「教えてください」


 その日から、休憩の時間に、カイルがアウラに簡単な体の使い方を教え始めた。攻撃の方法というより、身を守る動き、相手の力をかわす動き。アウラは飲み込みが早かった。


「筋がいい」とカイルが言った。「街にいた頃、何かしていたのか」


「特には。でも、人の動きを見るのが得意だったから、見て覚えるのは早いかもしれません」


 ノアはその様子を見ていた。アウラが少しずつ、自分の体の使い方を変えていくのがわかった。最初はぎこちなかった動きが、日を追うごとに、自然になっていった。


「ノアは戦わないんですか」とセラが聞いた。


「俺は、戦うより見る方が向いている」とノアは言った。「状況を把握して、誰がどこにいるべきか判断する。それが、俺の役割だと思ってる」


「指揮官みたいだね」


「指揮官ではない。ただ、見えてしまうだけだ」


 セラは少し笑った。「謙遜してる」


「してない」


「してる」


 ノアは答えなかった。だが、否定もしきれなかった。


---


## 三 ペンダントの変化


 十八日目の夜、アウラのペンダントに変化があった。


 焚き火の前で、アウラが何気なくペンダントを握っていたとき、それが微かに光った。これまでの反応とは違う光り方だった。脅威に反応する光ではなく、もっと穏やかな、内側から滲み出るような光だった。


「光った」とノアは言った。


「うん、感じた」とアウラは言った。少し戸惑った様子だった。「何でもないときに光るのは、初めて」


「何を考えていた」とカイルが聞いた。


「特には……みんなのことを、考えてた。これまでのこと」


「それが、引き金かもしれない」とノアは言った。「峡谷では、危険に反応した。塔では、力が流れ込んだ。今回は、お前の内側から、何かが応えている」


 アウラは目を閉じた。ペンダントを両手で包んだ。光が、わずかに強くなった。


「何か、聞こえる」とアウラが言った。


 三人が固唾を呑んで見守った。


「言葉じゃない。でも……感じる。誰かの想い、みたいなもの」


「誰の」とノアが聞いた。


「わからない。でも、優しい。守りたい、っていう気持ちみたいな」


 光が、ゆっくりと収まっていった。アウラが目を開けた。


「大丈夫か」とノアは聞いた。


「うん。むしろ、体が軽い感じがする」アウラは自分の手を見た。「これが、ゼルファスさんが言ってた『力を引き出す』ことなのかな」


「少しずつ、目覚めているのかもしれない」とカイルが言った。「焦らず、自然に任せた方がいい」


 アウラは頷いた。だが、その目には、これまでと違う何かが宿っていた。怖さだけでなく、確かな手応えのようなものが。


---


## 四 夜の対話


 その夜、ノアとアウラが二人きりになった時間があった。カイルとセラは見張りの交代で、少し離れた場所にいた。


「怖くないか」とノアは聞いた。「力が目覚めることが」


 アウラは少し考えた。「正直、怖い。何が起こるか、わからないから」


「でも」


「でも、ノアたちがいるから、大丈夫だと思える」アウラは火を見た。「一人だったら、もっと怖かったと思う。でも今は、誰かが見ていてくれる」


「俺たちは、何もできない時もある」とノアは言った。「峡谷のとき、お前の腕が冷たくなったのを、止められなかった」


「止めてくれた」とアウラは言った。「温めてくれた。それで十分だった」


 ノアは黙った。


「ノアは、いつも自分を責めすぎる」とアウラは言った。「完璧に守れなかったことを、悪いことみたいに思ってる」


「思っていない」


「思ってる。顔に出てる」


 ノアは少し笑った。「アウラには、隠せないな」


「最初から、隠そうとしなくていいのに」


 ノアはアウラを見た。火に照らされた横顔。出会った頃より、少し大人びて見えた。あるいは、自分の方が変わったのかもしれない。見る目が変わったのかもしれない。


「アウラ」とノアは言った。


「うん」


「お前の力が、何のためにあるのか、まだわからない。でも、お前自身が、それを正しく使う人間だということは、わかってる」


 アウラは少し驚いた顔をした。それから、頬がわずかに赤くなった。火の明かりのせいかもしれなかった。


「ありがとう」とアウラは言った。「そう言ってもらえると、怖さが少し減る」


「俺の言葉で、減るのか」


「減る」とアウラは言った。「ノアの言葉は、いつも、ちゃんと考えた上での言葉だから。軽くない」


 ノアは何も言わなかった。ただ、その言葉を、胸の中に大切にしまった。


 風が、静かに吹いていた。


---


## 五 水の都の跡


 二十二日目、四人は水の都と呼ばれた場所の跡に着いた。


 名前の通り、かつては水路が張り巡らされていたのだろう。乾いた水路の跡が、街全体に網目のように広がっていた。建物の跡には、水を汲み上げるための仕組みらしきものの残骸があった。


 今は、水の気配は全くなかった。完全に涸れていた。


「ここに番人がいるはずだ」とノアは言った。


 四人は街の跡を探索した。崩れた建物の一つ、比較的形を保っている塔のような建物の中に、人の気配があった。


 中にいたのは、老人ではなかった。


 壮年の男だった。痩せていて、目つきが鋭い。三人を見ると、すぐに警戒の姿勢を取った。


「何者だ」と男は言った。


「旅をしている者です」とノアは言った。「ゼルファスさんから、ここに番人がいると聞いて来ました」


 男の表情が、わずかに緩んだ。「ゼルファスの名を知っているのか」


「会いました。崩れた街で」


 男はしばらく四人を観察した。それから、「お前たちが、紋章を持つ者たちか」と言った。


 アウラが少し緊張した。「私が持っています」


 男は頷いた。「噂は聞いている。追っ手から逃げているのだろう」


「知っているんですか」とカイルが言った。


「この辺りにも、奴らの斥候が来た。紋章を探していると」男は槍ではなく、古い剣を腰に下げていた。「俺の役目は、ここにある記録を守ることだ。お前たちが本物なら、見せよう」


 四人は、男の後について、建物の奥へ進んだ。


---


## 六 もう一つの欠片


 建物の地下に、隠し部屋があった。


 そこに、もう一枚の板があった。最初の板と同じ素材、同じ文字。だが、刻まれている内容は違うはずだった。


「これも、読めない」とアウラが言った。


「ゼルファスさんに見せれば、読めるはずです」とノアは言った。


 男はその板を、慎重に布に包んだ。「持っていけ。俺の役目は、これを正しい者に渡すことだった」


「正しい者、というのは」とノアが聞いた。


「紋章を持つ者と、共に歩く者たちだ」男はアウラを見て、それからノア、カイル、セラを順に見た。「お前たちは、その条件を満たしている」


「あなたは、これからどうするんですか」とセラが聞いた。


「ここに残る」と男は言った。「俺の役目は、終わった。だが、また別の誰かが来るかもしれない。その時のために、ここにいる」


 まるで、ゼルファスやセラのおじいさんと同じような生き方だった。それぞれの場所で、それぞれの記録を守り、いつか来る者を待つ。


「ありがとうございます」とノアは言った。


「礼はいらない」と男は言った。ゼルファスと同じ言葉だった。「お前たちが歩くことが、俺たちにとっての意味だ」


 その言葉が、ノアの中で重く響いた。


 多くの者が、それぞれの場所で待っている。歩く者のために。歩くことそのものに、意味がある。それは、声が語った「続きがある」という言葉と、繋がっている気がした。


---


## 七 次へ


 水の都の跡を出て、四人は再び歩き始めた。


 二枚目の板を手に入れた。だが、これもまだ読めない。ゼルファスのところへ戻るか、あるいは別の方法を探すか。


「ゼルファスさんのところは、もう何度も往復してる」とアウラが言った。「もっと効率のいい方法はないかな」


「板を読める人間が、ゼルファス以外にもいるかもしれない」とカイルが言った。


「探しながら進もう」とノアは言った。「全部の答えを、一度に求めなくていい」


 四人は頷いた。


 南の空に、新しい雲が見えた。形を変えながら、ゆっくりと流れている。ノアはその雲を見ながら、風の音に耳を澄ませた。


 声は聞こえなかった。だが、何かが導いている感覚は、確かにあった。


 追っ手の気配は、まだ消えていなかった。だが、四人は、これまでよりも強く、互いを信頼していた。


 危険があっても、歩き続けることができる。その確信が、四人の中に、静かに育っていた。


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